影道仙女、別れを告げるの事
薄氷が割れるように周囲の闇が砕け散り、また新たな闇が頼義を包み込んだ。だがその新しい闇の中には先程まで隔絶して連絡も取れなかった影道仙や佐伯経範、国定率いる「上州百足党」の面々の気配があった。
「主人!?」
忽然と「百目鬼」を引き連れてその場からかき消えてしまったように見えた主君がまるで見えない戸板を破って飛び出てきたように再び姿を現したのを見て思わず経範が叫び声をあげた。その背後には無数の目玉を噴き上がらせた何者かが一緒に飛び出してきてもがき苦しんでいる。
「主人、これは一体!?」
経範はその目玉の宿主が共に姿を消した天陣和尚だと気づき再びを声を上げる。
「話は後だ、奴から距離をとって取り囲め、取り憑かれぬように注意しろ!」
「では、今度は天陣和尚が『百目鬼』に・・・!?」
「違う、天陣和尚が百目鬼を操っている『袮々』だ!」
頼義の返事があまりにも意表をつきすぎていたために経範も影道仙も大口を開けて驚愕した。国定たち百足衆も一瞬呆然としたが、それでも影道たちより素早く立ち直って行動に移していた。
「Neeeh,Neeeeeeeeh!!!!」
気味の悪い鳴き声が虚空に響く。頼義の振るった「七星剣」の一撃は通常の武器とは違う退魔の効果があったのか、「袮々」はその姿を保つ事ができず、百目鬼の目玉をボコボコと吹き出しながらその身体が裏側からめくれていく。
「な、なあっ・・・!?」
距離を取りながら遠巻きに天陣和尚と思われていた人物の成れの果てを見ながら経範が声を震わせる。天陣和尚だったものはすでにその姿を保つ事ができず、内側から湧き上がる目玉を吹きこぼしながら崩れ落ちて行く。もはやその見た目は地面に散らばった目玉の集合体といったような異様な姿と化していた。
「しまった・・・!」
「袮々」の断末魔の様を見て頼義は逆に狼狽する。自分が予測していたよりも死ぬのが早い!こちらの準備が整っていない今奴に死なれればまた次の誰かに乗り移られるだけである。頼義が焦る間にも目玉の集合体はいよいよその姿を保てなくなってきている。
頼義は覚悟を決めた。
「総員構えよ、間もなく『袮々』が今の仮宿の肉体を捨てて飛び出して来る。次に取り憑かれた者を斬れ!!」
あまりに無情な宣言に一同が息を飲む。言った当の本人である頼義自身が己の下す苦渋の決断に歯噛みして口の端から血を流した。しかしもはや躊躇はしていられない。なんとしてでも、何人斬り殺してでもあの「鬼」を深淵の奥底に追い返さなくては!
「来い!袮々よ、私に取り憑け!!」
頼義が七星剣を地面に突き立てて袮々を挑発する。誰に取り憑くかなどと悠長に予想している暇はない。今一番奴の近くにいる自分に取り憑かせてしまえば後は経範たちが見事仕留めてくれるだろう。
(その後の事は、残された者たちに任せれば良い・・・!)
頼義の覚悟に揺らぎは無かった。彼女は今、不思議なくらいに自分の死を易々と受け入れている。そこには微塵の躊躇も見られなかった。ただ・・・
(ああ、最後に一度くらいアイツに蹴りでもかましてやりたかったなあ・・・)
何故か、最後に思い浮かんだ思考はそんなやくたいもない事だった。
ついに袮々がその姿を完全に保てなくなり、ドシャリと音を立てて目玉の山が力なく崩壊した。その瞬間から凄まじいほどの邪気が頼義に向かって集中する。いよいよ袮々もまた覚悟を決めて頼義に取り憑く決心をしたようだ。今、頼義と袮々との間に見えない邪気の糸が結び巻かれようとしていた。
その瞬間・・・
「ダメですよう。もう、よっちゃんってばカッコつけなんだからあ」
そう言って影道仙が頼義の前を遮るように前へ躍り出た。
「大将が率先して的になってどうするんですかもう。そういう事は私たちに任せればいーの。ねっ」
眼鏡の奥で吹っ切れたような笑顔を見せて影道はそう語る。彼女が何をするつもりなのかは頼義にはわからない。だが影道が何をしようとしているのはすぐに察知できた。
「ダメ!何を言ってるのポンちゃ・・・」
「よっちゃん、いい、約束よ?アレが私に憑依したら私の身体ごと深淵の奥底に放り投げるのよ。失敗したら許さないんだから」
頼義の制止も聞かずに影道仙は術を開始した。
「四方を守る上位守護天使はルキフェル、レヴィヤタン、サタン、ベリアル。八方を守る下位守護天使はアスタロト、マゴト、アスモデウス、ベルゼブブ、オリエンス、パイモン、アリトン、アマイモン。十二の悪魔を使いて我は汝に召喚を望む者なり。これは陰陽の術にあらず。『影道仙女』の名において命ずる召喚の魔術なり。五芒星が魔を祓い邪気を封じる聖刻ならば六芒星は魔を呼び引き寄せ繋ぎ止める魔印。我が印令に従いてこの場に来るべし、その名は『袮々』よ!」
影道仙が不思議な詠唱を唱えると地面にあの三角形を重ねたような不思議な幾何学模様が浮かび上がる。その周囲に
Ⅳ Ⅸ Ⅱ
Ⅲ Ⅴ Ⅶ
Ⅷ Ⅰ Ⅵ
と、見たこともないような不思議な文字が現れた。その瞬間、頼義に向かって発せられていた袮々の邪気がその矛先を変えて影道の作った不思議な陣形に引き寄せられていった。
「えへへ、お師匠さまも知らないポンちゃんの本領発揮ですよう。しかしなんだってお師匠さまはよりにもよって私なんかを召喚しちゃったもんだか。はは、まあおかげで私も自分の知らない東洋の魔術を学ぶ機会を得られたわけですしい、WIN-WINって事で良しとしましょう」
「ポンちゃん、あなたはいったい・・・」
頼義には彼女の言っていることの意味はかけらもわからない。だがその言葉を別れの挨拶だとでも言うかのように笑顔を見せていた影道はキッと真顔に戻り、叫んだ。
「太祖アブラメリンの名に従いて土星神の魔方陣より来たれ悪魔よ、我が身を依代として再び現界せよ!!」
頼義の制止も間に合わず、その言葉と共に、影道仙の身体を鈍い光が包み込むように覆いかぶさっていった。