鬼神袮々、本性を現すの事
「息長帯比売命・・・それでは勝道上人もまた百足衆や下毛野氏と同じ『息長氏』の流れを汲む一族の末裔だったという事ですか・・・」
影道仙の説明に頼義が唸る。その話は百足衆の頭領である国定も初耳であったらしく、同じように目を見開いて呻いていた。
「勝道上人様のことはもちろん存じておりやしたが、まさか手前どもと縁つづきのお方であったとは知りやせんでした。なるほど、それで上人様は・・・」
国定は目を瞑り、遠い昔の先人の偉業に想いを馳せる。目の前にある「中禅寺滝」には奇しくも勝道上人の建立した二荒山神社とおなじ「大己貴命」が祀られている。この地下世界の造成にも勝道上人が関わっているのかもしれない。
大己貴命・・・一般には「大国主命」と呼ばれるこの神は「大穴牟遅神」とも「大穴持命」とも書かれることがある。この広大な地下穴の世界を統べるにふさわしい神と言える。
「さて、感慨にふけっている暇はありませぬな。急ぎ奴の足取りを追わねば・・・」
「いや、その必要は無い」
少し落ち着きを取り戻した一行の空気を奮い立たせるように佐伯経範が言葉を発したが、それを制したのは百足党当主の国定だった。
「追跡は無用。そこにおるのであろう、袮々よ!」
国定が流れ落ちる滝の奔流に向かって叫ぶ。その声は滝の轟音に吸い込まれていったが、やがてその流れの向こうからのそりと現れる影が見えた。一斉に手燭の灯りが集中する。
「ちち・・・う、え・・・」
青ざめた表情の少年が虚ろな目を国定に向ける。その瞳からは潤いは失われ、光を反射することのない瞳がじっと父親である国定を捉えている。
「いたい・・・いたいようちちうえ・・・なんでこんあひどいことするかなあ・・・」
「・・・・・・」
「たすけて、たすけてちちうえ。いたい、いたい・・・」
「・・・・・・」
「ちっ・・・もういいよ、この身体は使えない。いいさ、次の身体を貰えばいい」
そう言うや、少年の全身が風船のように膨れ上がり、まるで熟した瓜の実が種を飛ばすように勢いよく爆ぜた。四方八方に少年の肉片が飛び散る。その中に混じって「百目鬼」の無数の目玉もその場にいた一行に向かって飛び込んで来た。
「!?」
頼義たちは警戒して身構える。あの目玉が身体に取り憑けばたちまち己の自由を失い「袮々」の操り人形と化してしまう。しかし国定はじめ「百足衆」の兵士たちは逃げる事もなくその目玉が殺到するのをそのまま眺めている。
「国定どの!!」
頼義の叫びも虚しく「百目鬼」の目玉が百足衆のいる一帯に飛び散った。
・・・かのように見えたが、その目玉は国定たちの手前で見えない壁にでもぶつかったように空中で止まり、その場で地面にポトリポトリと落下していった。
「これは・・・!?」
地面に伏せて頭を両手で覆って防御態勢を取っていた影道が不思議な目で今起きた現象を眺めている。見ると、あの「百目鬼」の目玉に取り憑かれた少年を中心にして取り囲むように地面から何やら不思議な燐光が輪を描いてぼうっと浮かび上がっている。どうやらその光の輪はあの少年の動きを封じ込め、外への干渉を防いでいるようだった。
「袮々よ、貴様は外から侵入してうまく我らをおびき寄せたと思い込んでいるようだがそうではないぞ。初めから誘いかかり、罠に引っかかったのは貴様の方だたわけが!」
外の人間に取り憑く事ができず、仕方なく元の少年の身体に戻った「袮々」が呻く。
「なん・・・だ、と・・・?」
「この『補陀落』に我らと共に足を踏み入れた時点で術中にはまっていたという事よ。貴様は自分の意思でここに入り、取り憑く相手を選び、自分の判断でここにたどり着いたと思っておるのだろうが、違う、違うぞ。我ら『上州百足党』、我が執念、我が息子の覚悟を侮ったな鬼よ!!」
「!?」
地面の燐光が一層輝きを増す。それに伴い、中にいる少年が苦悶の表情で叫び声をあげる。それは先ほどまでの不快な金切り声ではなく、心からの苦痛に泣き叫ぶ声だった。
「ぎゃああああああ!!きさまきさま・・・じぶんのむすこのからだに・・・まさか・・・はじめから息子に取り憑かせるために身体に魔魅の刻印を封じておったか!!」
ビリビリと少年の胸元がはだけていき、目玉に覆われた裸身を晒す。その胸元だけは目玉に侵食されておらず、二つの三角形を上下向かい合わせて重ねたような奇怪な幾何学模様が地面の円陣と同じように青白く光っている。
「その通りよ!この日、この時のために親から子へ代々受け継がれる『袮々』殺しの秘法、臆病者の父の身に成り代わってその業を受け継いだ我が子の執念を知るがいい!!」
国定が渾身の力を込めて大弓から破魔矢を撃つ。少年は必死になって逃れようとするが、その身体はまるで意思の力に歯向かうかのようにその場から動くことを拒絶する。
「おのれ、この身体、め・・・ひっ!!」
その極太の大矢は寸分違わず少年の胸の六芒星を貫き、後ろに流れる大滝の岩場に少年を、いや「袮々」を縫い止める。
「Ne...!Nheeeeeh...」
小さく声を漏らした袮々は、そのままダラリと全ての力を抜いて動かなくなった。
短い沈黙が支配する。
膝を落とした国定が震える拳を握り締める。
「手前は・・・まこと臆病者でごぜえやした。組織の頭領としての立場、また長らく続いた平安の世を理由に事あるごとに秘法の伝授を先延ばしにしておりやした。そんな自分に代わって、倅はためらう事なく進んで自らが囮の贄になる役目を引き受けやした。その役割は手前の・・・儂の役目であったに。儂は、儂は・・・」
「・・・・・・」
次に続いた沈黙は長かった。誰も、何も言葉を発する事も叶わない。ただ暗い地下の世界を流れる冷たい滝の水が、動かなくなった袮々の死体を洗い流しているだけだった。
「だが、それで終わりではつまらぬでしょう」
沈黙を破って誰かが声を上げた。その声と共に、頼義の周囲が突然遮断された。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
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暗闇の中に、一人彼女は立っていた。
つい先程まで隣にいたはずの供の者たちもいつの間にかその気配を消していた。否、風も空気も、彼女の周囲にまとわりつく全ての要素が今さっきまで彼女がいた世界とは別の世界であることを、彼女はその肌で感じ取っていた。
彼女は静かに腰に挿した太刀を抜く。その細身の直刀の刃の輝きが一瞬だけ闇を照らした。しかしその光も一瞬で圧倒的な闇の中に飲み込まれ、再び周囲は異様な静寂と闇に支配されていった。
「闇を恐れぬか、小娘」
どこからともなく響く声に少女が反応する。
「ふふ、そうであったな、もとよりお前は盲の身。視界を閉ざす事に意味などはないか」
「その声・・・ああ、そんな・・・!」
近づいてくるその声を耳にして、暗闇の中で少女が顔を歪ませる。闇の中の何者かは、そんな彼女の苦悶すらも愉悦の糧として楽しむかのように邪悪な笑い声を響かせる。
「ようやく手に届いたぞ、『道』を開きし者よ。その身体・・・我によこせ!」
その言葉と共に何者かがさらににじり寄ってくる気配を感じる。先程まで伏せた目に憂いを忍ばせていた少女は、だがしかしその気配に怯えることもなく毅然とした態度で手にした太刀をその気配のする方向へと構えた。
「そうか、お前が・・・百目鬼だったのか」
頼義は静かにそう呟いた。その背後に何者かのの気配が現れる。
「さてさて、何から説明してやらねばならんかのう」
とぼけた調子でその声の主・・・誐那鉢底法師は頼義に近づいて来た。