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頼義、別れを告げるの事

いざ「補陀落(ふだらく)」へ向かう前にその下準備として頼義一行は二荒山の麓にある「上州百足党」の拠点に一旦落ち着き、そこで支度を整える時間をとった。そこは驚いた事に頼義たちが女人堂に寄宿していた際に利用していた温泉宿のある湯治場だった。こんな目と鼻の先に黒幕に到達する手がかりがぶら下がっていたという事実に頼義も苦笑いをした。


支度は済んだ。後は出立の号令をかけるのみである。その前に頼義は最後の用事を済ませに寝屋の一室に向かう。


御簾(みす)を引き下ろし、外からの侵入を阻むようにしつこく衝立で囲み込んだ部屋の真ん中に彼女はいた。頭から布団を被りその顔は見えない。ただ膝を立てて尻を築き上げている、ちょっと見間抜けな格好のまま、頼義の侍女である綾は今だに泣き腫らしていた。



「綾、お綾。気分はどうです?少しは落ち着きましたか?」


「・・・・・・」


「父の元に文は送りました。一両日中にも迎えの者が参るでしょう。あなたはその者について常陸国にお帰りなさい。辛い思いをさせて済まなかった。ご両親にはおいおいお詫びを申し上げます」


「いや!」



綾が布団に頭を突っ込んだまま駄々をこねる。



「私・・・私、恥ずかしい・・・っ!!頼義さまに、頼義さまの前であんなはしたない・・・!!」



綾は依然頭を隠したままで両足をバタバタと暴れさせる。よほど頼義に顔を見られたくないのだろう。頼義が近づくたびにくるくると向きを変えて顔を見られないようにと抵抗する。これではまるで下手くそな柔術の組み合いのようだ。


下野国庁舎の脇殿に囚われていた綾は、「百目鬼(どうめき)」に取り憑かれて無意識のうちに操られていた時の自分の狂態を、まるで自分の意思でやったかのように錯覚していた。さらに頼義に自分の「魂」ともいうべきものの中に触れられ、自分が頼義に対して抱いている恋心にも似た思慕の念、その全てをさらけ出してしまったという自覚が、綾の中にぼんやりとした感覚として残っていた。そのような状態どうして頼義の前に顔を見せることができようか。



「もう、もう綾は頼義さまに顔向けできませんっ!いっそ死にたい・・・ふええ」



そう言って再び綾は涙にくれる。頼義はそんな彼女を哀れに思いながらも、その反面どこかおかしみを堪えることが出来ずについ口元を緩めてしまう。



「こらっ」



突き出たままの綾のお尻を頼義がペチンと叩く。綾が「ひゃあっ」と気の抜けた声を出して布団から飛び上がった。



「それは困る。お前が死んでしまったら私の世話は誰がしてくれるというのです。もう私はお前以外の人間に世話になるつもりはないぞ」


「ぐすっ・・・頼義さま、それって・・・」



目元を赤く腫らし、鼻水に濡れたままの綾が頼義の方を申し訳なさげに見上げる。



「お綾、お前の気持ち、私はとても嬉しい。今ほど自分が男として生まれなかった事を恨みに思ったことはないぞ。なにせそなたのような気立ての良い娘を嫁にもらいそこねたのだからな」


「・・・!!」



頼義の言葉に綾が目を回しそうになって口元を押さえる。



「だが、残念ながら私は女だ。お前の望みに応えることはできぬ。それでも私はお前の気持ちに精一杯応えたいと思う。だからこれからも私のそばにいておくれ、綾。そなたは私の大切な友人なのだから」


「よりよし・・・さまあ」


「だから今は安全のためにこの国を離れて私を安心させておくれ。わかるわね、綾?」



言葉に詰まった綾が無言でこくこくと頷く。先程とは違った涙が綾の両頬を伝う。曇っていた瞳に再びいつもの光が差し始めた。



「わがりまぢだ、ひっく、ぐににがえりまずう・・・」



わかりました、国に帰ります、と言いたかったのだろう。言っている言葉の半分も聞き取れなかったがその意思は十分に伝わった。頼義は最後に綾を軽く抱きしめると、背中を向けて寝屋を後にした。



「待たせました。参りましょう、補陀落とやらへ・・・!」



すでに支度を整えて指揮官の号令を待ち受けていた面々に向かって頼義は声をかけた。甲冑は身につけず自前の肉厚な刀身の山刀を携えただけの佐伯経範がいる。横には陰陽師の白装束を纏った影道仙が、その後ろに国定率いる上州百足党の兵士百数十名が目を爛々と輝かせて待機していた。



「和尚、あなたは無理におつきあいいただく義理はございません。本当によろしいのですか」



頼義は一番手前にいた女人堂看守の天陣和尚を気遣う。二荒山神社に避難することを進めた頼義の言葉を退けて自分も同行すると言い出した天陣和尚は足回りだけは長旅に合わせて麻縄で巻きつけた草鞋を履いているものの、他はいつもと変わらぬ鮮やかな色合いの僧衣と袈裟を着込んでいる。



「はい。そもそも帰る家が焼けてありませんからな、ははは。かくなってはその黒幕とやらに恨みつらみの説法返しでもいたしませんと気が晴れませぬ。や、これは仏僧にあるまじき物騒なことを申しました。ははは」



しょうもない駄洒落を言って一人で悦に入っている。話してみるとこの人物は僧侶という役職の割には思いの外砕けた人物のようで、話す言葉も今のように冗談を交えた気安い語り口に終始している。この人物の語る説法は実に楽しそうだ。一度是非お話しを拝聴したいものだと頼義は事件が終わった後の楽しみが増えたことに活気づいた。



「では行きましょう。国定どの、その補陀落への入り口まではどのくらいの行程で?」



出立の前に頼義が道案内役の国定に行路の確認を取る。



「移動の必要はございやせん。すぐにでも地下へ参りやしょう」


「え?」



国定の返答に頼義が思わず短く反応してしまうその間にも、百足党の兵士たちがすでに行動を開始していた。



目の前には源泉から流れてくる温泉を温度調節のため一時的に堰き止めている御影石で囲われた大池があり、その上を檜の板が熱気を逃さぬように覆っている。その端にある水門を兵士たちが力を込めて閉じた。堰き止められた温泉は流れを変えて支流を伝って直接湯治場の湯屋に向かって流れて行った。湯の供給が無くなったことで大池の水位がみるみる下がっていく。いよいよ池の底が見え始めた時、石造りの壁面に人の背丈の半分もないほどの石扉が現れた。



「なんと!?」



頼義も影道仙たちも驚きの声をあげる。そんな彼女らに百足党の頭目が静かに言い放った。



「ようこそお来しくだせえやした。これから我らが故郷『補陀落』へご案内いたしやす」

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