影道仙、敵の正体を語るの事
「ねね」・・・初めて聞く名の響きなのに、頼義はどこかでその名を知っていたような、そんな不思議な印象を持った。はて、どこかでその名を聞いたのだろうか。
「袮々という名も手前どもが仮につけた呼称でやして、その実態を指し示すもではありやせん。ただあの鬼の『ネーネー』という鳴き声をそのまま呼び名にしただけの事でして」
国定の説明を聞いて頼義は思い当たった。あの「百目鬼」と相対した時に幾度となく耳にしたあの鳴き声だ。
(Neeeeeh,Neeh,Neeeeeeeh...)
あの身を引き裂かれるような、聞く者の神経を逆剥けにするおぞましい鳴き声。確かに無理やり文字に起こせば「ネーネー」という風に聞こえなくもない。やはり百目鬼が、いや百目鬼を操る者こそがその「袮々」と呼ばれる鬼という事か。
「あの目玉の怪異・・・『百目鬼』と呼ばれるモノ、そして百目鬼に取り憑いて操っているモノ・・・其奴らが上野国と下野国を仲違いさせて勢力を削ぎ、自分に対抗する力をつけさせまいと企んだのが今回の一件、という事なのでしょうか」
「おそらくは。ただ、手前どもにも確信があるわけではございやせん。とにかく『袮々』という奴、得体がまるで知れねえ。そもそもこんな小賢しい企てごとを図るだけの知恵があるのかすらも怪しいところで」
「と、いうと?」
そこまで語った百足党の首領が言葉を濁したところを頼義が疑問に感じて聞いた。
「その百目鬼を操る何者かの、さらにもう一枚裏方で其奴を操る真の黒幕がいる可能性もありやす」
国定が渋い顔をして静かに答えた。百目鬼を操る裏のさらにもう一枚裏で全てを取り仕切る本当の黒幕が存在するかも知れない。その可能性に頼義は頭が痛くなる。裏の裏、そのまた裏。一体今回の事件はどこまで探れば本質が見えてくるのだろう。頼義は打てば響くが如く明確に正面切って敵対してきた今までの敵と違い、どこまでもその本質が窺い知れない今度の敵の存在に焦りと苛立ちを禁じ得ないでいた。
「一体その『袮々』というのは何者なのでしょう。この『毛野国』の地の底からやって来て人を襲い、呪う。そして私のこの『能力』を欲している者・・・」
「能力?テキは頼義さまのあのヘンテコリンな力を奪おうとしてるんですか?」
「ヘンテコリン言うなコラ。でもどうやらそういう事らしいの。おそらく私の中で繋がっている『彼方』への『道』をその『袮々』という鬼は執拗に狙っている・・・」
頼義が本能的に己が襟をきつく握りしめる。異界の鬼が自分を通して「彼方」に到達する事で何が起こるのか、それは彼女にも想像できない。しかしそれが良くない事であるのだけははっきりと確信していた。
「ふーむ『彼方』ですかあ。全人類の全生涯の記憶と経験が記録された形而上のデータベースとか、そんなものが本当に実在するなら実に興味深いですねえ。人類は何の目的があってそんな途方も無いモノを作り出したのか。いやいやいや、これは実に哲学的というか『宇宙とは、人間とは、自分とは』みたいな壮大なスケールの考察になってしまいます。ポンちゃんには手に余るのでとりあえず考えないことにします。それでですね」
クルクルと歩き回りながら独り言をひとしきり呟いた後、おもむろに立ち止まって頼義の方を向いた影道仙が再び言葉を発した。
「ここは一番、敵の本拠地にこのまま向かってしまおうと思うのです」
なんかまたこの陰陽師が突拍子も無い事を言い出した。
「敵の本拠地って、ソレがわかっていれば苦労はしないでしょ」
頼義が口をすぼめて影道の提案に異を唱える。敵がどのような姿で、どこに潜んでいるのかもわからない現状でどこへ向かおうというのか。
「わかってるんですよ、本拠地」
影道仙は頼義の言葉にけろりとした顔で答えた。
「ええっ!?」
頼義が驚いて声を上ずらせる。
「私を誰だとお思いですか。陰陽寮にその人ありと謳われた天才美少女ポンちゃんですよう。そんなものちょいと調べればチョチョイのチョイです」
鼻を膨らませて大威張りに威張る影道仙がガハハと声高に叫ぶ。
「どこなの、その、敵の本拠地というのは!?」
もったいぶる影道仙に頼義はイラつきながら彼女の袖を掴んで詰問する。その袖は先ほど「虎」に変じた佐伯経範の牙と爪によってボロボロにささくれ立っていた。
「頼義さま、『補陀落』という言葉に聞き覚えはありませんか?」
自分にすがりつく頼義を例の憎ったらしいドヤ顔で見下ろしたまま、影道仙がそう言った。