鬼狩り紅蓮隊、始動の事
「ぶはあっ!!」
長らく止めていた息を一気に開放して大きく息を吸い込んだように頼義がその身を大きくのけぞらせた。
「主人!?」
現実世界に戻って来た頼義の脇で佐伯経範が叫ぶ。その目は大きく見開かれ、なぜか鼻の穴まで限界いっぱいにまで膨らませて紅潮させた顔で頼義に詰め寄った。その後ろでこれまたなぜか顔を背けて見ていないフリをする天陣和尚の姿が感じられる。
「はあ、はあっ・・・!経範、私はどのくらいこうしていましたか?」
「は?ああ、いや、ほんの一瞬でしたが。こうですな、主人がブチューっとしてから、こうブチューっと・・・」
経範が瞬きもせずに大真面目な顔で何やら怪しげなジェスチャーをしてみせる。
「再現しなくていいですから!!え、一瞬・・・?そうですか・・・」
息を整えながら頼義は横たわっている綾の顔を覗き込む。先ほどまでの苦悶の表情はもうそこには無い。瞼の下も怪しげな動きを見せる事なく静かに寝息を立てている。その肌に貼り付いていた無数の忌々しい目玉もいつの間にか姿を消していた。
永劫とも思えるような長い時間を綾の意識の中で過ごしていたような気がしたが、どうやらあの空間では時間の流れというものがほとんど無いようだった。
(やはり、そうか・・・。あの空間、百目鬼が『情報』を抜き取る世界はやはりあの世界に繋がっている・・・!)
頼義はそう確信すると、改めて綾の手を取り、再び意識を集中する。綾の身体の内面を隅々まで探り、とこかに開いているかもしれない「道」を探す。もし自分と同じようにその身のうちにあの世界と通じている「道」ができてしまっていたら・・・
(綾・・・お前を鬼にはさせない!)
頼義は強く念じる。即座に綾の中に開きかけた異界への「道」を探り当てると、頼義はかつて自分が堕ちかけた「鬼の道」に綾が踏み入らないよう、全精力を集中して彼女の中に開きかけているあの世界への「道」を叩き潰した。
「ふう・・・」
再び現実世界に意識を戻した頼義の額から冷たい汗が滴り落ちる。これで綾の身は大丈夫だろう。少なくとも自分のように鬼に堕ちる事はあるまい。
「経範、この事件、もはやただの殺人事件には留まりません。これは・・・私達の仕事です」
綾を抱きかかえて立ち上がった頼義は経範にそう宣言する。
「とは、つまり・・・?」
経範がいつもの武人の顔を取り戻して聞き返した。頼義は頷きながら言う。
「ええ、この騒動の背景には間違いなく『鬼』がいる。ならばこれは・・・我々『鬼狩り紅蓮隊』が始末せねばならない案件です」
鬼・・・この世ならざる世界から降臨し、人に取り憑き、あるいは食らう事で現世に顕現する異形の魔物。彼らは人間の心の隙間をついてそこに異界からの「道」を繋いで、その道を通ってやって来る。
百目鬼が、なのか、あるいは百目鬼の習性を利用して影で操っている者か、彼らはその「道」を開いて目玉を植え付け、人間を支配している!!
ならばそれを防ぐのは自分たち「鬼狩り」の役目に他ならない。
「経範、国衙に戻ります。すぐ戦闘になるやもしれません、覚悟を」
「や!主人、流石にそれは無謀かと!?まだ御身は容疑者として追われているのですぞ、重ねて獄を脱しての逃走中の身、今戻れば・・・」
突然今しがた逃げてきたばかりの国衙に戻ると言い出した主君に経範が慌てて言葉を返した。しかも、戦闘になると?
「国衙の中に私を陥れてでも拘束して我が身を確保したいと企んでいる者がいる。其奴こそ今回の事件の黒幕、百目鬼を裏で操る「鬼」であろうよ」
「鬼が・・・下野の国衙に?」
頼義の言葉に天陣和尚が驚きの声をあげる。よもや国政を司る役所の中にこの世ならざる者が紛れ込んでいるなどとは、彼にはにわかに信じ難かった。
「はい。役人の中にいるのか市井に紛れ込んでいるのかはしれませぬが、その鬼は間違いなく国庁に私を閉じ込めて、その間に私の身体を乗っ取ろうと企んでいたのでしょう。鬼の標的は最初から私だった・・・!」
ようやく合点がいった。初めから百目鬼の狙いは自分の身体だったのだ。正確に言うならば、自分の身体の中に通じている「道」を狙って、黒幕はここ下野国で罠を張り巡らせて待っていたのだ。暗き邪悪な異界の何者かが、自分の中の「道」をこじ開けてあの世界・・・「彼方」と呼ばれるあの膨大な情報世界に侵略せんと企んでいる!
理由はわからない。なぜ異界の鬼が「彼方」を目指すのか、その意図は知れない。だが頼義には確信があった。あの連中は絶えず「彼方」を目指しているのだと。いつかあの世界を我が物にせんと虎視眈々と狙い続けているのだ。今までも、これからも。
「天陣和尚、御坊はどこか安全な場所にご避難を。二荒山の神宮寺であればひとまずは安全かと思われます。我らは引き返し国衙に参って黒幕の正体を暴き、決着をつけまする」
「それは・・・」
「急ぎまする、御免!」
天陣和尚が何か言おうとする間も無く頼義たちは踵を返して一路国衙に向かって足を早めた。その二人を何者かの声が呼び止める。
「あいや、それには及ばず。頼義どの、国衙へ向かうは無用なり」
静かにではあるが力強い制止の声が郊外に響く。
「何奴!?」
主君を守るように身構えた経範が虚空に向かって吠える。その声に応えて周囲の木々から無数の武装した集団が音もなく現れた。
「なっ!?莫迦な、いつの間に・・・!」
人里離れた山道の両脇に広がる林の中から現れた彼らは頼義にすらその気配を全く感じさせずにいつの間にか周囲をすっかりと取り囲み、頼義たちの行く手を塞いでいた。
「国庁に戻る必要はありませぬ。御身は・・・」
囲みを掻き分けて何者かが頼義たちに近づいて来る。白装束に呪符の染め抜かれた覆面で顔を隠した陰陽師が言葉を続ける。
「我らにご同行願いましょう。筑波大領頼義どの」
白装束の人物・・・今は陰陽寮十二神将が一角「天后大将」の座を守る影道仙が覆面姿のまま冷たく言い放った。