頼義、囚われの娘を救い出すの事
「ふむ・・・」
相変わらず右往左往する役人たちの喧騒を眺めていた頼義であったが、これ以上長居は無用と銀杏の木から背を離してスタスタと庁舎に向かって歩き出した。
「ほ、次にすべき事が見えたかいの?」
「はい。連中に私が見えていないのであるならば好都合、どこかに囚われているであろう綾を救出します。今の私なら国庁に侵入するのも容易いでしょう」
「そりゃあアレかい、お前さんを売ったお世話係の娘か?」
「はい。綾が本当にそう証言したのか真否は知れませんが、私を裁く時の証言人として連中がどこかに確保しているのは間違いないでしょう。まずは彼女を助け出してことの真偽を確かめたいと思います」
頼義はそう語ると顔を国衙の庁舎に向ける。頼義の有罪の根拠となったのは付き人である綾の証言だという。だが綾がそのような嘘を言う理由が無い。ならば考えられるのは一つ・・・。
「左様か。ではここでお別れじゃな、また次にお前さんが道に迷った時にひょっこりと出会うこともあるじゃろうて。チチチっ」
「御坊、まことに・・・まことに感謝申し上げます。御坊のお教え、この頼義生涯忘れませぬ」
「そりゃ結構。今度会った時に膝枕してくれればお釣りが来るわい」
「はい、ぜひ!」
「マジか!?言ってみるもんじゃのう。では早いとこお前さんが窮地に陥ることを楽しみにしていよう」
「それはご勘弁を。ではどうか道中お気をつけて、誐那鉢底法師さま」
「そんな堅っ苦しい挨拶は無用じゃ。気軽にガナちゃんとでも呼べやい」
「わかった、じゃあねガナちゃん、また今度」
「ホントに言うとは思わなかったぞい!?チチチっ、そういう砕けた所もお前さんの魅力じゃのう」
そう言って誐那鉢底法師・・・実に捉えどころのない不思議な僧侶は別れを告げるとガサガサと草むらを掻き分けて茂みの中に消えて行った。何でわざわざそのような所を通っていくのか皆目わからない。最後までおかしな僧侶であった。
「さて・・・」
気を引き締め直して頼義は再び息を整え、静かに意識を集中させて行く。先程会得したこの感覚、これを手繰っていけば、あるいは・・・。
瞑想が深まるにつれ、頼義の「第六感」とも言うべき未知の感覚器官に周囲の様々な「情報」が流れ込んで来る。それはまるで目に見えているようでもあり、また手で触れているようでもある、何とも不思議な感触だった。その感触は隅々にまで広がり、周囲の情報をさらに明確に拾い上げて行く。
頼義は以前から自分でも不思議に思っていた事があった。光を失って三年余り、最初のうちこそ視覚に頼っていた頃の習慣が抜けきれずに苦労もしたが、一旦慣れてくるとほとんど気になることもなく、視覚を失った環境にも慣れた。見知らぬ土地では流石に介添えが欲しいが、慣れた自宅や役所などではほとんど他人の手を借りずとも自在に歩き回れた。
人間とはそのようなものかとひとり合点していたが、世話になっていた医師の言によると頼義の適応力はやはり常人には比べ物にならないほどのものだったという。頼義は自分の持つその適応力の源泉を今理解した。
(この感覚・・・これを私は無意識のうちに使っていた、という事か・・・)
一度その事に気がつけばそこから先は早かった。たちまちコツをつかんだ頼義はその感覚器官の触手を伸ばして周囲の「情報」を入手する術を完全に自分のものにしていた。今、頼義はその感覚を生かしてこの庁舎のどこかにいる綾の「情報」を探っている。
(・・・・・・いた!!)
三度移動して三度感覚の「目」を伸ばしたところで、ようやく頼義は綾の「情報」を捉えた。屋根裏・・・おそらく夏場に使わぬ道具などを放り込んでおく空間に幽閉されているのだろう。これが裁判の証言者に対する扱いかと頼義は憤ったが、今はそんな時ではない、急ぎ綾を救出し、このふざけた冤罪を晴らすため一刻でも早く経範や影道仙たちと合流して事の真相を突き止めなくてはならない。
本庁から離れた、いわゆる「脇殿」と呼ばれる別棟の庁舎に頼義は堂々と正面から入り込む。すれ違う役人たちは頼義の姿を「見て」はいるのだが、その人物像が「源頼義」とは認識していない。おそらく通りすがりの見知らぬ人物のように見えているのだろう。
中に入り気配を探ると、やはり建物の上方、大きな梁の向こうに設えられた屋根裏部屋の方から綾の「情報」が感じられる。拘禁こそされてはいないようだが、上へ登るための梯子は取り外され、申し訳程度に見張り番が一人退屈そうに欠伸を噛み殺している。
(うーむ・・・)
頼義は考え込む。ここで見張り番に見られる事なく階上に登るのはさほど困難な課題ではない。しかし上に登って首尾よく綾を連れて脱出しても結局は綾の存在が人目について脱獄は露見してしまう。それならばいっそ・・・
「えいっ」
ぽこり、と音を立てて見張り番が昏倒する。一応それなりの体格の男ではあったが、全く警戒していなかったところに薪用に積まれてた薪ざっぽを持った頼義に後ろから殴りつけられてはたまらない。見張り番はあっさりと気を失ってその場に崩れ落ちた。
用心のため念を押して倒れた見張り番を縛り上げて人目につかない部屋の角目に隠す。以前の頼義ならこの程度の事も一人でやるのは一苦労だったが、いまの彼女には造作もない作業となっていた。
「おお、便利だなあこの能力」
今や完全にその感覚を自分のものにしていた頼義は目が見えていた時と変わらぬ、いやそれ以上の空間認識能力を身につけていた。床に寝かせてあった梯子をかけ、ゆっくりと屋根裏へ登って行く。
「誰!?来ないでっ、いやあっ!!」
ギシギシと鳴る梯子の音に反応して聴き馴染んだ綾の叫び声が聞こえる。極度の疲労と緊張からか狂気を帯びた金切り声になっている彼女に頼義は遮断していた己の「情報」を開放し、静かに優しく声をかける。
「落ち着いてお綾、私です。静かに、外の者に気づかれます」
綾自分の眼前に突然現れた頼義の姿を見て硬直する。だが頼義の顔を見て綾はようやく我を取り戻したのか、慌てて両手で自分の口をふさいだ。その手には幾重にも包帯が巻かれていた。
「よよ、頼義さま?本当に・・・?」
「ええ、私です。苦労をかけたましたね。逃げるからしっかり掴まって・・・綾、その指は?」
見えていないはずの頼義に手に巻かれた包帯の事を見破られて綾は慌てて両手を後ろに回して隠す。頼義の直感では包帯の下は血で滲んでいるのが「見えた」。
「・・・やったのか、あの連中、自分らの都合のいい証言を吐かせるために爪を・・・!」
「ごめんなさい、頼義さま、ごめんなさぁい・・・私が、私が弱かったから、頼義さまに・・・」
「もういい、言うなお綾、私こそすまない、お前に無理を言ってついてきてもらったのにこの様な目に合わせてしまって。親御さまに申し訳が立たぬ」
頼義は静かに唇を強く噛み締める。綾が頼義を売るような証言をした理由が判明した。その事に頼義は言い知れぬ憤りを感じていた。
(おのれ・・・このような無抵抗な婦女子を拷問にかけるとは・・・!)
頼義は綾の手を労わるように優しく握りしめる。わずかな痛みに綾は一瞬顔をしかめたが、すぐに両目いっぱいに涙を溢れさせて頼義に飛びついた。
「頼義さま、頼義さまあ・・・」
「本当にすまない。さあぐずぐずしてはいられない、急いでこの場を・・・」
「いや!綾はもう頼義さまから離れません。私、怖い、怖いの・・・!」
そう言って綾は一層力強く頼義を抱きしめる。あまりの必死さからか力が入りすぎ頼義をきつく締め付ける。頼義も少し顔を歪めて綾をなだめようとする。
「大丈夫よ綾。だから安全のためにも一刻も早くこの場を立ち去らないと・・・」
「いや、いや!!綾は頼義さまとここにいます!私を離さないで、抱きしめて頼義さま!もっと、もっと強く!」
「綾・・・!?」
綾のあまりの狂乱ぶりに頼義は初めて動揺する。ここにきて初めて見たときも若干の狂乱は見られたが、ここまで取り乱す綾を頼義は初めて目の当たりにした。よほどひどい目にあってきたのだろう。
「綾、落ち着いて!とにかく・・・」
力任せに自分を締め付ける綾をなんとか引き剥がそうと頼義もまた力技で綾の身を引き起こす、頭を上げた綾の顔が間近に感じる。
そのままの勢いで綾は自分の唇を頼義の唇に重ねてきた。