頼義、誐那鉢底法師の説教を受けるの事
「何者・・・と言われましても」
唐突に自分の核心に迫る疑問を突きつけられて、頼義は不覚にも戸惑って答えに窮してしまった。誐那鉢底法師の姿は見えぬが、その気配にはとても先ほどまでくだらない軽口を連発していた生臭坊主とは思えないほどの威厳と神気が満ち溢れていた。
「それは・・・」
「それは?」
「・・・申せませぬ。私をお疑いであるならば如何様にも」
辛うじて頼義はそれだけを口にした。自分の中にいる「誰か」・・・、頼義という人格の奥底で繋がっている「彼方の世界」からやってくるあのお方の存在を、なぜ自分は姑息にも隠そうとしているのだろう?自分は何を恐れたのだ?
あのお方が自分を通して再びこの世に顕現する事をか?それとも・・・
「言えぬと申すか?ふむ・・・」
「・・・・・・」
沈黙が光の差した土蔵の中に続く。法師は頼義のこの魔術の才能を頼義の中にいる、あるいは頼義を通して現れる何者かの力によるものと想像していることは間違いない。答えなければ誐那鉢底法師からの信用は完全に失われる事になるだろう。
それでも、頼義はなぜかどうしても真実を口にすることができなかった。
「そうか・・・それでは仕方ないのう。もう・・・」
法師の言葉を耳にして頼義は身を固くする。致し方あるまい、一度損なわれた信用を再び回復させるには多大な時間と労力を要する。ここで法師に見放されたとしてもそれは自業自得なのだ、と。
「もうそれ以上は聞くまいよ。なに、話せる時が来たら話してくれれば良い」
「は?」
法師の意外な返答に、むしろそちらの方が頼義の動揺を誘った。
「あの・・・お聞きにならないので?私が、なぜこのような妖の技を使えるのかを・・・」
「聞きたいのう、興味津々じゃ」
あっけらかんとした声で法師が答える。
「ではなぜ・・・!?」
頼義は先ほどまで苛まれていた後ろめたさもすっかり吹き飛んで誐那鉢底法師に詰め寄った。その態度にも法師は臆することなく
「言いたくないのじゃろ?ならば言わんでええじゃろ。誰にでも秘密はあるもんじゃ」
「し、しかし、それでは・・・信頼が・・・」
「信頼?なーんで人に信じてもらうためにいちいち自分の秘密をさらけ出さにゃあならんのだ。秘密をばらさなければ信じぬなどというのはのう、そんなモンは本当の意味での信頼などではないわい」
「・・・!?」
「ワシはお前さんを信じるよ。無論、ワシの方でもお前さんに打ち明けておらん秘密の理由でお前さんを信頼しとるわけじゃがのう。それを差し引いてもじゃ、秘密の一つ二つあったところでその秘密ごと抱えて信じる構えが無くて何の信頼よ。そんなものはハナクソほどの重みも無いわい」
「ハナ・・・」
頼義が絶句する。実に軽々とした口調で話す法師の言葉であったが、頼義にはその言葉が千斤の重みであるかのように感じられた。
頼義には、今目の前にいる気配の薄い法師の姿が雲を突くような巨大な存在に感じられた。
「しかし・・・しかしそのようなお考えでは・・・もし・・・」
「もし?何じゃい?」
「・・・もし、その信頼に背き、裏切られたら?」
なぜか、問い詰めているはずの頼義の方が冷や汗を流し始めてきた。何を、自分はどんな答えを期待しているというのだ・・・?
「はは、そんなもん気にせんわい。裏切られたらそれだけのことよ」
やはり法師の言葉はとんでもなく軽妙のままだ。
「それが・・・百度裏切られても・・・ですか?」
「・・・・・・」
法師が頼義をじっと見つめる気配を感じる。頼義はじっと伏して法師の答えを待つ。
「・・・もちろんじゃ。そんなこたあ、ぜーんぜんたいした事では無いのじゃ」
その答えは依然として明るく、あっけらかんとしていた。その言葉を聞いて頼義はそれまで強張らせていた全身から一気に力が抜けていくのを感じた。そのまま深く膝を落として法師に向かって頭を垂れる。
「・・・ご教導、感謝申し上げます。この頼義、千万里の蒙を啓かれる思いでござりまする」
不覚にも頼義の開かぬ目の端から涙がこぼれ落ちた。法師の言葉は本人にとってはさほど心に響くほどのものでも無かったのかもしれない。当たり前の事だったかもしれない。だが彼女にはその言葉の意味は何よりも重い価値があるように思えてならなかった。
「なんじゃいその神妙な顔は。そんなもんはただの強がりじゃ。本音は裏切られて悔しい所を歯ぁ食いしばってやせ我慢しとるだけじゃよ、チチチっ。騙されて悔しがるのも恨みを忘れずに復讐するのもみな執着じゃ執着。そんなものはポイっと捨ててしまえ、いらんいらん、余計なものじゃ」
変わらず法師はあっけらかんとした口調で受け答えをする。先ほどまで見せていた押し潰されるような気迫は微塵も感じられなかった。
「で、どうじゃ、教えてくれる気になったか?」
「やっぱり聞くんじゃないですか」
「そりゃそうじゃわい、聞ける時に聞いとかんと聞けん時には聞けんじゃろ。当たり前か。チチチっ、これも執着よのう、ワシもまだまだ修行が足りぬわい」
「まったく、返す返すもおかしな御坊さまで・・・」
涙目のまま頼義が笑う。そうこうしているうちに先ほどの小役人が同僚を引き連れて土蔵に戻って来た。頼義たちはそっと身を引いて土蔵の正面にそびえる銀杏の大樹に背を預けて事の様子を見守ることにした。
二人の姿は依然彼らには見えていない。