誐那鉢底法師、邪視について語るの事(その三)
「目には目を、といってもハンムラビ法典のソレではないぞ。邪視の呪いを破る方法としてこちらも『目』を用意するんじゃ、沢山な」
「目を、用意する?」
「うむ。邪視というのはのう、ある変わった特徴を持っておる」
「それは?」
「それが『目』じゃ。不思議な事にな、邪視は見つめ返されると効力を失うのじゃ」
誐那鉢底法師の言葉に頼義は当然ながら疑問を持った。それはそうであろう、見つめ返すことで邪視が破れるのなら、見つめ合った時点で邪視の効力は発揮されると同時に打ち消されてしまう。
「そりゃもっともじゃ。不動明王ぐらい眼力があればそれくらいのことはできよう。まあタダの人間には邪視の圧力には耐えられまいよ。それが為にな、邪視を破る為には目の数が要る」
「数・・・つまり、より多くの『目』で相手を睨み返すということですか」
「その通りじゃ源氏の子よ。いやお前さんは実に物分りが良いのう、ワシの・・・」
「けっこうです」
「みなまで言わせんかいっ、ボケ殺しとは罪深い奴め」
「いいから早よ続きをどうぞ。でないと殴ります」
「ちょわーっ!いきなり扱いが酷くなったぞい!?」
「なんとなく御坊の扱い方がわかってきました。なるほど天陣和尚の申された通りだ、これはしっかりとかわいがってあげないと」
「あいつめ余計なことをーっ!仕方ないのう。オホン、お前さんの申す通り相手より多くの目玉で見つめ返す、これが最も効果的な邪視破りの方法じゃ」
頼義が本当に小突くような仕草をするので誐那鉢底法師は慌てて本題に戻る。
「その方法として、実際烏の目玉などをお守りとして持って歩く風習もあるにはあるんじゃがそれはあまり現実的ではないのう。そこで目玉の代わりとなる宝具が必要となる。一番有名どころはいわゆる『九字切り』というやつじゃな」
そう言って法師は「臨兵闘者皆陣列在前」とつぶやきながらシャッシャッと音を立てて何かの仕草をしている。目の見えぬ頼義にもそれが何であるかは理解できた。陰陽師や修験者が祈祷の際によく見かける仕草だ。
印を結んだ手を横、縦、横、縦と交互に振りかざし、空中に碁盤の目のような網目状を描く。この儀式を頼義はかつて「鬼狩り紅蓮隊」の一員であった陰陽師卜部季春がよく行っていたのを今でも明白に記憶している。
「この縦横に刻まれた網目が全て相手の邪視を跳ね返す『目』となるわけじゃな。お前さんも縁のある安倍晴明の家紋を『籠目紋』というのじゃが、アレも縦、横、斜めに切った呪印の航跡を象った邪視除けの呪法じゃな。ほれ、籠やザルの網目を良く見ると晴明の家紋が浮かび上がってくるじゃろ?」
頼義はそう言われて記憶にある籐編みの籠の網目模様を思い出してみた。なるほど縦、横、斜めに走った筋の組み合わせがあの「五芒星」の形に見える。あの不思議な幾何学模様にはそのような意味が含まれていたのか。
「チチ、まあ五芒星という紋章にはそれ以上に深ぁ〜い意味が色々と隠されておるのじゃがな、それはお前さんが行く行く自分で探し当ててみると良いじゃろうて。とまあ、要はたくさん『目』のあるモノを掲げてやればそれで十分効果があるということじゃ。直接ザルなんぞをぶつけてやれば最高じゃな、チチチっ」
誐那鉢底法師が小気味よく笑う。まるで実際にやったことがあるかのような口ぶりだ。
「ああ、そういえば民家などでよく軒下にザルを吊るしておく風習がありますが、あれは家の中に邪視が入り込むのを防ぐという意味があったのですか」
貴族の姫として生まれた身でありながら、小さな頃より男の子のように野山を駆け回っていた頼義には貴族の屋敷も市井の小屋も分け隔てなく懐かしい光景として思い出に刻まれていた。目の見えぬ今となってはそれらの景色は彼女にとって何物にも替えがたい大切な宝物となって今も記憶にはっきりと残っている。
「ほ、よう知っておるの。他にもな、目玉の代用品としてよく使われるものは『豆』などがある」
「豆、ですか?なるほど確かに目玉にはよく似てますが・・・」
「これまた邪視持ちの不思議な特徴でな。奴らは目の前に豆を撒かれると、どうしてもそっちの方に視線が行ってしまうものらしい。西洋の吸血鬼なる妖鬼はやはり邪視でもって処女を魅了しその生き血を吸う恐ろしい存在じゃが、そいつは目の前に豆を撒かれるとその豆の数を数え切るまでその場を動けんのだそうじゃ。間抜けなこっちゃのう」
またチチチと法師が笑う。そういえば以前百目鬼に取り憑かれた佐伯経範が頼義を襲ってきた時、その場に居合わせた天陣法師が豆をばら撒いてはいなかったか?あの行為にはそういった邪視破りの呪法という意味があったのか。
「豆自体も『魔滅』という言霊の宿された神聖な食物じゃからの。神前の供物には欠かせんものじゃ」
「なるほど。邪視破りの方策、頼義にもいくらか見えてまいりました。次に百目鬼に出会った時は以前のような不覚は取りますまい」
「ふむ、そうであると良いのう。じゃがその前にはまず己の身の潔白を証明して土蔵から出ん事にはの。チチチっ」
「・・・ああ、そうだった」
今更のように思い返して頼義は頭を抱える。しかし動けぬ身でどうやって自分の無実を証明したものか。外にいる影道仙や経範を頼りにするしかないのか。
「頼りに・・・なるかなあ。経範はともかくポンちゃんは内通者の可能性もあるしなあ」
頼義は眉間に皺を寄せて悩み始める。
(考えたところでお前の頭じゃたかが知れてるだろうがバーカ)
な
どこからともなく懐かしい大男の声が聞こえたような気がした。なんだとコノヤロウと思わず頭の中で言い返したが、実際真っ暗な檻の中でいくら考えてもそれ以上先へと思考は進まなかった。
「ふむ、煮詰まっておるようじゃの。そこでワシからの提案じゃ」
コソコソと静かに音を立てて近づいて来る気配を感じる。
「実は邪視破りにはもう一つ、第三の手段がある。今からそれをお前さんに授けよう」