誐那鉢底法師、邪視について語るの事(その二)
「邪視とは何か。要約すれば『見る』事によって対象を呪いにかける力、という事になるかの。見るだけで相手を魅了する、幻を見せる、あるいは傷つけるなど効果は邪視によって様々じゃ」
誐那鉢底法師の話が始まる。どれだけ長い話になるのか想像もつかないが、法師は変わらず落ち着きなくあたりをちょこまかと動き回りながら講義を続ける。あれで体力が持つものだろうかと聴講している頼義はあらぬ心配にかられた。
「ではいかなる仕組みによって邪視は働くのか。何度も繰り返すように目というものは受け身の器官じゃ、あくまでも目に写る対象があってこそ邪視はその効果を発揮する。大事になってくるのはその相手の存在じゃよ」
「相手、ですか」
「左様、邪視とは見られる存在があって初めて意味をなす呪いなのじゃ」
法師の説明はいたく抽象的な気がするが、頼義にはなんとなくその意味は伝わった。
「つまり『見る』事が呪いなのではなくて『見られる』事が呪いなのであると・・・?」
「そうじゃそうじゃ、なあんじゃようわかっとるのう、飲み込みの良い生徒は好きじゃぞ。ワシを膝枕する権利をやろう」
「けっこうです」
さりげなくセクハラしてくる法師の冗句を軽く受け流して頼義は続きに耳を傾ける。
「すげないのう。まあそういう事じゃ、いかに強力な『邪視』だとしても虚空に向かって視線を放っておるだけでは何の意味もないわい。端的に言うとじゃな、邪視とは相手の視覚情報に影響を与える呪いなのじゃよ」
「それは・・・?」
「視覚とは光の情報じゃ。強い光弱い光、その光の強弱の波は『色』という情報に変換されて目玉から脳内に送られて『視覚』として処理される。邪視とはこの『情報』に直接手を加えて改変してしまう呪術なのじゃよ。相手がその視覚情報を出し続けておる限りその改変も止めることは出来ん。つまり一度でも見られてしまえばその呪いは基本的には解くことは出来んと言うことじゃな、恐ろしいことじゃ」
「・・・・・・」
頼義はあの酒呑童子が放った「邪魅の瞳」の恐ろしさを思い出して身震いする。あの鬼の視線に絡みとられた時に感じた、あの蕩けるような悦楽と陶酔感は自分という存在の情報を書き換えられたがために起こる幻像であったということか。
頼義は唐突に理解した。あの「百目鬼」と相対していた時に目の見えぬ自分が絶えず感じていたあの絡みつくような肌触り、あれは百目鬼が頼義という情報を捉えて吸収している感覚だったのだ!
「では・・・自分という情報が表に出ている限り邪視の呪いからは逃れられぬ、ということですか」
「そうじゃのう。真っ暗闇の中に隠れればその視覚情報は抑えられるのであるいは効果があるやも知れぬなあ。まあ手っ取り早いのはその邪視を潰して見られなくしてしまうのが一番じゃろうて、お前さんのようになあ」
誐那鉢底法師が頼義を気遣うように優しく言う。彼女はまた無意識に自分の目頭に残る傷跡に手をやった。
「ふむ、邪視というものの基本はこんなものじゃ。では次はいかにしてその邪視から身を守るか、ということじゃがこれにはいくつかの方法がある。一つはズバリ『邪視破り』じゃ。邪視の視線を遮る、あるいは他所へそらすといった手法で邪視から己の情報が吸い取られることを防ぐ方法じゃな。これは色々と種類があるでに一度に全部は教えきれぬが、一つは『醜いものを見せる』事じゃな」
法師はなぜか楽しそうにチチチとわらいごえをあげながらせつめいする。
「醜悪なものを見せつける事によって邪視の目を無理やり閉じさせようというものじゃ。『日本紀』に曰く、天孫降臨の行く手を遮った国津神の猿田彦神の目は『八咫鏡の如くして照り輝けること赤酸漿に似れり、皆目勝ちて相問うことを得ず』とある。酸漿のように赤く光って見る者を悩ませたというわけじゃな。それを防いだのが天孫の従者であった天鈿女という女でな。天鈿女は猿田彦の前で服をはだけて胸乳を露わにし裳帯を臍下まで抑れさせてアレを猿田彦に見せつけて邪視を破ったそうじゃ」
「アレ・・・とは?」
「女陰じゃ」
「ふぉっ・・・!?」
さらりと言ってのける誐那鉢底法師の言葉に頼義は思わず吹き出してしまった。
「男性器にしろ女性器にしろ、アレは人間の器官の中でも最も醜悪な形をしておるからのう。つまり邪視はマンピーのGスポットに弱いんじゃ。邪視に遭遇して手元に何も持っとらんかったら迷わず自分のマンピーをGスポットすりゃあ良い」
真面目な口調で法師がそう語る。
「でっ、できますかそのような事!!」
「なんじゃとう、ワシはできるぞい、いつだってフルチンじゃからのう」
「何言ってるんですか、もう!!」
動揺のあまり顔がみるみる赤くなっていくのがわかる。このお坊さんどこまで真面目なのかまるで掴めなくて困る。
「そんなんじゃから天竺などでは男女の交合図を模した絵や像なんかを邪視よけのお守りとして身につけることもあるぞい。ふん、この方式が気に入らんというのならもう一つの手じゃな」
「そっちがいいです。そっちにしてください」
頼義は両手を頬に当てて上気した顔を冷ましながら話を促す。
「チチ、もう一つの手はな『目には目を』というやつじゃ」
誐那鉢底法師がなんじゃつまらん、といった口調でもう一つの邪視破りの方法を語った。