誐那鉢底法師、頼義を訪ねに来るの事
「・・・が、誐那鉢底法師!?一体、どうやってここに!?」
突然の珍客の来訪に頼義は大いに驚いた。
「にょほほ、誰にも見られておらぬと思うてこりゃまたすごいものを見せてもらったぞい。お前さん存外育ちが悪いのう、チチチっ」
先程すのこの上を呻き声を立てながら転がり回っていたサマをつぶさに見られていたことを知って頼義は顔を赤くして恥じ入った。長い事「鬼狩り紅蓮隊」などという無法集団スレスレの連中に混じっていたおかげですっかり彼らの流儀が身に染み付いてしまっている。
「ワシがなぜここにいるか?実に哲学的な命題じゃが今はそんな事に構ってもおられまいよ。お前さん、今困っておるじゃろ?大変困った事になっておるじゃろ?」
「え、あ、はいっ、そうです!御坊、大変な事に、あの・・・天陣和尚が・・・」
「うむ、そこでちょろっと耳にしたわい。痛ましい事よのう。まあいずれ人は死ぬものじゃ、そんな時のためにワシら坊主がおるでな、ナンマンダブナンマンダブと唱えてやればたちまち御仏のお弟子入りよ。今頃は賽の河原で地獄の鬼どもの世話でも焼いておろうて。アレは根っからの世話好きじゃったからのう」
自分を師と敬愛していた仏弟子の死に対してはいささか素っ気ない感じもする誐那鉢底法師の弔意の言葉ではあるが、悟りに近いお方の思考などというものはこんなものかもしれない、と頼義は場違いに呑気な感想を持った。
「じゃからといってヤケクソになって女人堂に火をつけるなどとはお前さんもひどい奴じゃのう。火を弄ぶものは焦熱地獄行きじゃぞ、火焔車に乗せられて未来永劫焼け火箸で尻の穴から串刺しの刑じゃ」
恐ろしい事を言う坊主である。
「違います!!火をつけたのは私ではありませぬ!!これは不当な言いがかりにて・・・!」
「しかし、お前さんのお付きの者がお前さんの命令でやったと自供しとるんじゃろ?やっぱりお主が下手人ではないか」
「違います!!綾が、あの子がそのような、私を売るような事を言うはずがありません!あの子は私の信頼する・・・」
「ンなこと言うても事実あの娘はそう自供しておるそうじゃぞ」
「それは・・・きっと何か事情があるのです、脅されて無理やりに自供させられたか、あるいは・・・」
「あるいは?」
「百目鬼に目を付けられていたか、です・・・!」
頼義は思わず座を正して誐那鉢底法師の気配のする方向に向かって強く主張した。その声があまりにも大きかったためか、土蔵の石扉がギギギと思い音を立てて開き、見張りの役人が手槍を構えながら駆け込んでくる。
「何を一人で騒いでおるか!?これ以上騒ぐようであれば源氏の惣領といえども手心は加えぬぞ、大人しく沙汰を待てい!!」
小役人がここぞとばかりに中央貴族の子息に向かって高飛車に怒鳴りつける。普段いばり散らしている貴族が縛につくサマを見て溜飲を下げているのか、事さらに態度が荒い。
役人は一人でと言った。頼義には自分の隣にいる誐那鉢底法師の気配が明確に感じ取れる。それでもこの陰険な男の目には法師の姿が映っていないのだろうか?
「ふん、次また騒ぎ立てるようであればその身を縛って猿轡を噛ませる事になるぞ。わかったら黙って静かにしておれ!」
そう言い捨てて役人は再び石扉を閉める。最後まで彼は法師の存在に気がつかなったようだ。
「なんとまあ、絵に描いたような器の小さい木っ端役人じゃのう。あんなのが幅をきかせておるようでは下野国も長くはないわのう。昔はこんなでは無かったというに。ケーっじゃケーっ!!」
誐那鉢底法師が石扉に向かって唾でも吐きかけるように毒づく。
「御坊、御坊はいったいどういうお方なのです?今の役人には御坊のお姿がまるで見えていなかったように感じられます」
頼義が以前から疑問に思っていた事を口にした。初めてあの崖の岩場で出会った時も、助けに来た佐伯経範の目には法師の姿は映っていなかった。果たしてこの和尚は本当にここにいるのだろうか?目の見えぬ頼義は自分の目の前にいるはずの人物が何か遠くに揺らめく陽炎か何かのようなあやふやな存在に思えてきた。
「なに、ワシはただの生臭坊主じゃよ。ただ人というものは己が見ようと欲するものしか見えておらぬものじゃからな。そうでないものは意外と人は見ておらぬものよ。チチチっ」
わかったような、よくわからないような説明である。うまくはぐらかされたような気もする。
「さて、戯れ言は終わりにしよう。お前さんが付け火の下手人でない事は承知しておる。犯人はあの綾という娘じゃ。なんでも発見された時に火をつけたと思われる松明を手にしていたというからのう」
「そんな・・・!」
「と言いたいところじゃが、あんなにけしからんおっぱいをしておる娘がそのような真似をするはずがない。うん、アレはいいものを持っておる、あの陰陽師といい勝負じゃ、よってノットギルティ!」
大真面目な口調でこの坊主はとんでもない発言をしている。しかも何の根拠にもなっていない。そりゃあ確かに綾も影道仙も女性としてはなかなかに立派なモノをお持ちであるが、いや自分と比べてはいけない、女の価値は胸の大きさだけでは決まらない。決まってたまるものか、くそう。
「ふん、どうやらあの娘に罪をなすりつけようと姑息に工作した輩がおるようじゃの。はてさて、テンジンは目をえぐられて死んでおったという事じゃが、あの未熟者めうっかり百目鬼に取り憑かれて背後の黒幕とやらの手先となっておったか。火をつけたのもアイツであろうよ、自分の管理する寺を焼くとは罰当たりなやっちゃのう」
「では、やはり最初から天陣和尚は・・・」
「うむ、お前さんがたはこの中禅寺湖に来る時点で既に罠にかけられておった、という事じゃな。そこまで周到に用意してまでお前さんを付け狙う理由があると見える」
頼義もその疑問は当初から抱えていたが、一向にその理由がわからない。
「いや、大方お前さんのその『目』に執心があるのであろうよ、その黒幕とやらは」
「目・・・ですか?」
「そうよ。お前さんが隠し持つ『邪魅の瞳』にな」
「!?」
長い事記憶の底に封じてきた忌まわしいその名を聞いて、頼義は背筋を凍らせた。