源頼義、獄にて考えを巡らすの事
うず高く積み上げられた膨大な書類や木簡に囲まれて、源頼義は正座のまま依然考えを巡らせていた。
ひんやりとした土蔵は下野国国衙の書類や資料、記録などが収められた書庫のうちの一つだった。その中に頼義は一人閉じ込められていた。重い石造りの門扉の向こうには見張りの役人が二人ほど立っているのが感じ取れる。脱走を警戒したのか、壁面に開けられた明かり取りの小窓は外から抜き板を打ち付けられて部屋内には一切の灯りもない。元より目の見えぬ彼女にはさして苦でもないが、このひんやりとした土蔵内の空気は夏とはいえ手足に堪える。湿気除けのためなのか足元はすのこによって地面からは少し離れているものの、そこから隙間風が吹きつけて手足を冷やし、さらに鼠らしきものがとととと走って通り過ぎていく気配を何度も耳にする。
はあ、と頼義はため息をついた。
(なんでこんなことになってしまったのか・・・)
突如として起こった中禅寺女人堂の火事から命からがら逃げおおせた頼義と綾だったが、気を失った彼女が次に目覚めた時、そこにいたのは見知らぬ役人たちだった。
一応の手当てを受け、さしたる怪我が見受けられぬと確かめられると頼義はその役人たちによって即座に拘禁されてしまったのだ。
容疑は女人堂への放火、そして・・・
女人堂の看守である天陣和尚殺害の疑いであった。
「!?」
その知らせを聞いて驚いた頼義は役人の手によって後ろ手に縛り上げられる間も大声で事の仔細を問いただした。
本日未明、早朝の川漁に出た地元の領民が中禅寺湖の湖畔で倒れている天陣和尚を発見したという。和尚はすでに事切れており、恐ろしい事にその両目は綺麗にえぐり取られていたという。
「目を・・・!?」
頼義は思わずおうむ返しに聞き返した。まさか、あの天陣法師が「百目鬼」の手にかかって殺されるとは・・・!?いや、とすると疑問が生じる。
天陣和尚は百目鬼に目を付けられていた、という事になる。
いつからだ?いつ天陣和尚は百目鬼に目をつけられた?あの妖怪に目玉を貼り付けられた人物は百目鬼、正確には百目鬼を操っている何者かによって当人が意識しないうちにその自由を奪われ意のままに操られてしまう。仮に天陣和尚が操られていたとして、いつから頼義たちを罠に陥れようとしていた?
思い返してみれば、百目鬼に操られた佐伯経範が頼義を襲ってきた時もあまりにも都合良くたまたま居合わせたものだと言えなくもない。二荒山に登る時もわざわざ率先して道案内を買って出てくれた。それもみなあの地で百目鬼本体の元に誘い出すための罠だったのではないか・・・?頼義の疑念は次から次に湧き出てくる。
(出会った当初から、我々は天陣和尚に・・・いや、百目鬼によって嵌められていた、ということか・・・?)
そして首尾よく頼義たちを誘い出す事に成功した天陣和尚は用済みとなって目玉だけをいただいて始末された・・・?では和尚に取り憑いていた百目鬼の目玉は今どこにいる?
天陣和尚に関する疑念に頭を巡らせていた頼義は、縛り上げられた綱を引っ張られた苦痛で我に返り、今のこの現状を糾弾した。
「待たれよ!それと私に何の関係がある!?なぜ私が天陣和尚殺害の容疑者とされねばならぬのですか!?私に何の利があって人を殺めるなど・・・」
「黙られい、頼義どの。次第はすでにかの者の証言によって露見いたしておる。おとなしく縛につきませい!」
「な・・・!それはいかような次第にて!?」
「しらばっくれるでない、その方が恐れ多くも沙門であられるお方を殺害し、あまつさえ女人堂に火をつけてその一切を灰燼に帰した事、その方の下女である綾という女が全て告白しよったわ。ここに及んで見苦しく抵抗いたすならば常陸介様のご子息といえども容赦はせぬぞ、この場で斬られたくなければ大人しく捕らえられませい!」
役人の言葉に頼義は声を失い茫然とする。
(綾が?私の犯行と証言した?そんなバカな!?なぜそのようなことをする、綾だぞ、私の知っている綾は・・・)
そこで頼義はふとあの時のことを思い出した。あの燃え盛る女人堂から彼女を担ぎ上げて脱出した際、綾はその手に何かを掴んではいなかったか、そう松明のようなものを・・・。
(まさか、綾が!?あの子が火をつけたとでも!?)
頼義は自分が思い浮かべた疑念を必死に振り払おうとする。しかし、まさか・・・
(もし百目鬼が綾に取り憑いていたのなら・・・!?)
頼義は役人に綾の所在を尋ねた。役人は答えず黙って頼義を連行する。おって沙汰が降りるまで頼義は当面の拘禁場所として役所の土蔵の一つに押し込められた。下手人とはいえ未だ容疑者のままであり、かつ相手が常陸介頼信の血族である源氏の一党である事もあって縛られこそしなかったものの、扉は固く閉められ外出はできない、この軟禁状態はすでに二日を経過していた。その間なんの沙汰もなく、ただ時間だけがすぎて行くのに頼義は焦りと苛立ちを隠せない。
頼義は改めて周囲の気配を探る。どうやらここは下野国内のさまざまな書類や資料を保管した書庫のようであった。その事に気がついて頼義はさらなる疑問が湧いた。
この土地に伝わる伝承や記録を探るために影道仙は書庫へ向かうと言っていたはずだ。その彼女がここに来たという気配が無い。彼女はどこに行ってしまったのだろうか。
さらに疑問は続く。
あの時、影道仙が席を立って姿を消した直後に火事は起こった。しかも女人堂の木戸は全て外から鍵をかけられて中から出られないように仕込まれていたのだ。誰にそのようなことが可能だったろうか?
(まさか・・・影道が?)
冷たい暗闇の中に長い事身を置いていたせいか、頼義の頭の中では次ら次へと何か不穏な考えばかりが浮かんでくる。
(綾か、影道仙か、どちらかが百目鬼に操られている・・・?)
頼義はそんな疑念を振り払おうと自分で自分の頭を叩く。しかし一度湧き上がった疑念はそうそう消せるものではなかった。頭を抱えたまま頼義は土蔵の中を呻き声をあげながら転がり回った。
「ほほほう、こりゃまた大きな猫がおるわい。日向を求めてのたうちまわっておる」
不意に聞こえた何者かの声に頼義はびっくりして飛び上がった。
「ワシじゃ。にょほほ」
そう言ってどこからともなく姿を現した誐那鉢底法師はちょこんと頼義の前にやって来て、例の歯を摺り合せるようなチチチという笑い声を聞かせた。