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頼義一行、補陀落を探すの事

佐伯経範(さえきのつねのり)にちゃんとした手当てをしてもらい、影道仙(ほんどうせん)に治癒の加護があるという薬師如来の瑠璃光真言を唱えてもらったおかげで頼義の怪我はだいぶ落ち着きを見せた。今はもう少しぐらい激しく動いても痛みを感じない程度にまで回復している。


落ち着いたところで頼義は再び考え込んでしまう。崖から落下した自分を助けてくれ、日が昇るまで夜通し百目鬼(どうめき)補陀落(ふだらく)についての講義をしてくれたあの誐那鉢底(がなはち)法師の姿はもうどこにも見当たらない。経範の言葉によればそもそもあの場所には頼義以外の誰もいなかったという。


ではあの時頼義と一緒にいた人物は何だったのだろう?夢でも見ていたというのか、それとも知らずのうちに(あやかし)に化かされてでもしていたか。


誐那鉢底(がなはち)法師を師と呼んでいた天陣法師に聞いてみればあの人物が本人であるかどうかもたやすく確認できたであろうが、折悪しくその天陣は昨日の百目鬼との乱戦のドサクサにまぎれてはぐれてしまい、いまだに合流できていない。安全を考えていったん女人堂に戻っていてくれれば良いのだが、彼の身も心配ではある。


頼義は経範たちを集め、昨夜自分の身に起こった事を皆に説明した。その後で今後の方針を決めるつもりだった。一度麓まで戻るにしろ、このまま山頂まで登って百目鬼の本拠地を突き止めるにしろ、当面の算段はつけねばならない。



「はいはい、ここは安全を考えて一度戻るのがいいと思いまーす。頼義さまも怪我をしてるし、無理は禁物ですよー」



律儀に手を上げて発言する影道仙は一時退却を主張した。現状を鑑みれば妥当な提案である。所在の知れない天陣和尚の安否も確認したいところだ、やはり一度麓まで戻って装備と対策を整えてから出直すのが得策だろう。



「いや主人(あるじ)、今この時は二度と無い好機かと存じまする。百目鬼がこの山頂にいるのが間違いない今こそあやつを捕らえる唯一絶好の機会となりましょう。私の『目』はもう百目鬼の『目』と同期しておりませぬ、ここであやつを取り逃がしたら次にあやつを捕捉できるという保証はありませんぞ」



反対票を投じたのは佐伯経範だった。彼は今この機を逃さず百目鬼を追い詰めるべく山頂を目指そうと言っている。確かに奪われた経範の「目」が戻っている今、百目鬼の視線に連動してその居場所を突き止めるという手法は使えなくなる。次に百目鬼の居場所を突き止める時は文字通り手探り状態で探さねばならない。


頼義の性分としては経範の言う通り、今の好機を逃さず畳み掛けたいというのが本音である。しかし現状優先すべきはここまで案内をしてくれた天陣和尚の安否の確認である。妖魔討伐の名目を言い訳に一般の人間を犠牲にするなどもってのほかだ。それに、満月の期間の経範は血気にはやるきらいがある、頼義は彼の勢いに自分も乗せられて冷静さを欠く事を恐れた。



「いえ、ここはいったん麓に戻りましょう。まずははぐれた天陣法師どのを見つけ出し、女人堂でもう一度今後の指針を考えましょう」



そう宣言する頼義に、経範は胸中は知らぬが黙って頷いた。その言葉を聞いて隣にいた綾もホッとした表情を見せる。自分では発言こそしなかったものの、本音では早く下山して一休みしたい心境だったのだろう。


頼義たちは荷物をまとめて山道を麓に向かって降りていく。その彼女らの背中を遠くから無数の目玉は気づかれないように慎重を期して覗いていた。



(ヨシヨシ、上手イ事フモトヘ誘導デキタ。後ハ()()()ヲ使ッテ・・・)



頼義たちを見下ろす無数の目玉の視線を通して、そのさらに奥に潜む何者かは誰もいない無限の虚空の中で一人ほくそ笑んでいた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



補陀落(ふだらく)、ですかあ」



影道仙(ほんどうせん)が頼義の話を聞きながらそうつぶやき返す。一度は引き払った女人堂の一室に再び舞い戻った頼義たちは、荷解きをしながら車座になって今後の展開を相談し合っていた。



「その誐那鉢底(がなはち)法師さまですか?そのお方のおっしゃる『ポタラ宮』とはまさしく西藏(チベット)仏教の総本山たる聖域ですね。仏教はシルクロード、つまり絹を交易する通商路を通じて天竺から漢などの中国諸国へ、その後我が国へと伝わってきたものが主流ですが、中央アジアを経由せず天竺からヒマラヤ山脈を越えて直接チベット方面へ伝播した経路も古くからあったそうで、そちらに伝わったいわゆるチベット仏教は諸派に細分化される以前の古い大乗仏教の教えが色濃く残った教義が特徴だったと言います」



影道仙はつらつらと解説を始める。こうした時に彼女の博識は大変重宝する。時々脱線してどんどん話が長くなるところなどはあの誐那鉢底法師と良く似ているが。



「ここ二荒山(ふたらさん)を開山した勝道(しょうどう)上人というお坊さんは天台宗の人ともまた法華経の体現者とも言われていますが、法華経の中に『善男子、於此南方有山、名曰光明、彼有菩薩』という記述があります。お若い人、此処より南方に『光明』という山がある、そこには菩薩がおわすぞよ。という意味ですが、この『光明』こそがいわゆる『ポータラカ』の訳語とされています。おそらくは二荒山の補陀落信仰も勝道上人が普及させたものでしょう。はてさて、上人さまが始めたからこの地で補陀落信仰が広まったのか、それとも二荒山(ここ)に補陀落があったからこそ上人さまがお寺を開いたのか。もし後者であるならば、あるいはそれこそが『百目鬼』の潜む異界なのかも知れませんねえ」



そう言いながら影道仙は部屋の中を行ったり来たりと落ち着きなく歩き回る。考え事をしている時の彼女のクセであった。そんな影道の話を頼義もまた黙って考え事をしながら聞いている。荷物を整理していた綾は慣れぬ登山の疲れが出たのか、少し膝を崩しながらウトウトとしている。


なんとなく落ち着いた空気になってしまったが、事はそうのんびりしてもいらられなかった。山中ではぐれた天陣和尚はやはりこの女人堂にも戻っておらず依然行方知れずのままだった。佐伯経範が休む暇もなく山道へ取って返し先に捜索を再開している。自分も早く再出発の支度を整えばと気持ちがはやる。



「それでですねえ頼義さま。いつもの事ながら私はまた別行動を取らせていただきます。ええそうです。いつもの事ですエヘヘ」



影道仙はそう言ってニコニコと笑顔を見せる。今回の件にいたく興味を惹かれたらしい彼女は百目鬼や補陀落について資料を漁り、その謎の解明に一役買ってくれるという。そうする時の彼女は決まって寺院や役場の書庫に閉じこもり徹夜で文献を読み漁るのが常だ。それが時に何日にも及ぶことがあり、その間彼女は文字通り仙人のごとき禁欲的(ストイック)な生活を送るため一切世間と接触を持たなくなる。再び表に出てきた時の彼女はあまり文章で書きたくないほどの凄惨な姿になるので、その話を聞いた頼義は(またか)と少し腰が引けたものの、彼女の申し出を快諾し、いったん影道は頼義たち一行から離脱することにした。



そうと決まると影道仙はそそくさと足早に立ち去り、目当ての書庫に向かって一目散に駆けていく。まるでお菓子を待ちきれない子供のようだ、と見送りながら頼義は微笑んだ。



「さて・・・」



とひとりごちしながら背を伸ばして再びお山に戻るための支度を再開しようとして頼義は初めて気がついた。



「綾・・・?」



先ほどまで部屋の片隅でこくりと船を漕いでいた綾の姿が忽然といなくなっていたのだ。

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