誐那鉢底法師、邪視について語るの事(その二)
「百目鬼にはな、実体というものが無い」
誐那鉢底法師が「百目鬼」の正体について再び語り出した。
「実体が無い・・・とは?」
聞き手の頼義は自らの手当て終えて、行儀よくその場に座して法師の講義に聞き入った。
「聞いて字の如し、じゃ。本来アレは見えず、聞こえず、触れもしない、ただそこにいるだけの存在なのじゃ。じゃからのう、通常アレはこの世に干渉することもできぬし、こちらからもアレを知覚することも無い。そういう意味ではまさしく人畜無害の存在なことは間違いないのじゃ。それがのう」
誐那鉢底法師はキィキィと歯を鳴らしながら言う。
「何者かがアレに『百目鬼』という『名』を与え、ヒトの目玉を与え、それを通じてこの世を『見る』事を教えたのじゃな。そいつが何者かは知らぬが余計な事をするもんじゃわい。ともかく、目を得て世界を見る事を覚えた『百目鬼』はこの世界に興味を覚え、もっと見たい、もっと沢山の『目』で世界を見たい、とそう願うようになったんじゃ」
法師の説明を聞く限り、確かに百目鬼の出自からは危険な気配は感じない。だが頼義はどうしても違和感を禁じ得ないでいる。今まで世界を知覚することのなかった妖怪が初めて感覚器官を得てそれをきっかけに世界に興味を持った、と言うだけにしてはあの時頼義を襲ったあの目玉の集合体はあまりにも明確な「敵意」というか「悪意」のようなものを滲ませていた。
そもそもその無害な妖怪に「百目鬼」という名前と目玉をくれてやった酔狂人とは一体何者だったのか。頼義は真っ先に陰陽博士の安倍晴明の名を思い浮かべた。
(あの御仁ならやりかねない。いややる、絶対する、大喜びでやるわーきっと)
一度も顔を合わせたことのない頼義であったが、これまで幾度となくその助力を得ているにもかかわらずかの陰陽師に対する印象は最悪なものになっている。
とは申せ、いかな半人半妖の晴明といえども、百目鬼がその名を世に知らしめたのはもう百年も昔の話である。流石にこの件までも後ろに晴明が黒幕としているということは無いだろう。
無いと思いたい。
法師は話を続ける。
「で、最初のうちは野辺に朽ちている死体から目玉を失敬したらしい。ひとつふたつ・・・と無邪気に拾い集めていくうちに気がついたらあのような無数の目玉の集合体となっておったわけじゃな。そしてアレはその蒐集した目玉でもって嬉々として世界を観察しておるわけじゃ。うむ、実の所、おそらくは今もアレはただ単に世界を『見ている』だけのつもりなのじゃろう」
あくまでこの法師はあの目玉の妖怪は人に害をなすものではないと思っているらしい。
「納得いかぬか?そうじゃのう、お前さん、アレに取り憑かれた手下の者に襲いかかられたと言っておったな。その時、其奴の様子はどうじゃった?」
不意に問われて、頼義は佐伯経範に襲いかかられたあの早朝の光景を思い起こす。あの時の経範の様子はまるで普段と変わらぬように見受けられた。ごくごく普通に話しかけ、受け答えをしていた。ただ、行動だけがおかしかった。身体は真っ直ぐに頼義を斬りつけにかかっているというのに、彼自身はまるでその事に気がついていないかのようなそぶりだった。
「ふむ、そういう事じゃろうなあ。つまり、そういう事じゃろうよ」
どういう事だというのだ。
「同じじゃよ。百目鬼も何者かに操られておるという事じゃ」
「!?」
「アレはあくまでも自分は世界を観察しておるだけのつもりなのじゃろう。だがしかしその実態はアレを密かに操り、その『目』を利用して悪事を働いておる不届き者がおる、という事じゃな。八十年前の時と同じように」
「八十年前、というとあの藤原秀郷公の百目鬼退治の・・・」
「うむ。あの時も国中の人間に取り憑いた『百目鬼』の目を通じて悪事を働く者がおった。藤太は考えるより先に手が出るクチでな。要するにバカだった」
経範のご先祖様が散々な評価を受けている。
「そんなもんだからアイツは余計な作戦なんぞ考えもせず、見つけた端から一つずつ御丁寧に『目』を叩き潰して行ってなあ。もうちょっと効率良く相手を追い詰める方もあったろうにホントにそれだけであの『百目鬼』を撃退しおった。ぎゃはは、虚仮の一念岩をも通すとはよくも言ったもんじゃわい」
なんだか「苔の一念」が違う漢字で発音されたような気がする。
「あの時も『百目鬼』の撃退には成功し、以降あやつはぷっつりと姿を消したのじゃったが、ヤツの後ろで糸を引いていたと思しき下手人はついぞ捕まらなくてのう。藤太もしばらくの間はその黒幕を追ってはおったのじゃが結局黒幕の足取りは掴めず、そのうち藤太も配置換えになって上野を去り、将門の乱が起こって世の中がわちゃわちゃし始めて『百目鬼』どころではなくなってしまい、いつしかそんなことも忘れ去られてしまっておったのじゃがのう」
そこまで話を聞いて、頼義は考えを巡らせる。つまり、悪意を持った何者かがこの下野国におり、その者は百目鬼を『目』として操り、その百目鬼は人間に取り憑いて百目鬼を通してその人間を操っている、という事なのだろうか。随分と回りくどいことをしているように思えた。
「その者は何者なのでしょうか。一体どこにいて、何を目的としているのか・・・」
少なくともわかっていることは一つ。その者が頼義を標的としている、ということである。それこそ何が目的なのかわからない。自分の命が狙いなのか、それとも自分自身が狙いなのか・・・?
「ふむ。この八十年近くの間、その黒幕とやらは姿を見せることもなかった。あるいは代替わりして別の人間がそのよくわからぬ悪事を引き継いでおるやもしれんが、なんせここは魑魅魍魎の跋扈する坂東の地じゃ、齢百を超える妖怪変化がおっても驚くには値せぬわな」
と、おそらくは齢百を超えるであろう高僧(?)が仰っておられる。
「さて、その何者じゃか知らぬ黒幕じゃがのう。奴が潜んでおる場所には見当がついておる」
「え?」
「見当がついておるにはおるんじゃが、その場所が問題でのう」
何やら急に法師の口が重くなる。
「どこなのです、その場所とは」
頼義が歯切れの悪い御坊を促して聞き返す。
「それがの、聞いて驚け。ヤツはのう・・・『補陀落』におると言うんじゃ」