断章・「見るモノ」、一人語りの事
無数に散らばる「視界」の全てを一旦閉じて、「ソレ」は考えを巡らせた。
またもや獲物を取り逃がした。一度ならず三度も失敗るとはかつてない経験だった。それだけに流石の「ソレ」も戸惑いを隠せいないでいた。
そもそも、あの連中に目を付け、追い回すようになってからというもの、「ソレ」にとって初めて出くわす出来事ばかりが立て続けに起こった。
あの夜、最初に狙った大男にはうまいこと立ち回って確かに目を付けることに成功し、その者を意のままに操ることには成功した。事が済めば不要になった身体を捨て、いつものように目玉だけを頂戴して己の一部に付け加えるだけの事だった。
だが、続けて襲った少女の方はうまく目を付けることができなかった。いかなる加護が彼女の身を護っているのか、いかようにしてもあの華奢な身体に取り憑くことが叶わなかったのだ。
それだけでは無い、あの少女は驚いた事に自分の「視線」を手繰り寄せ、あろう事か自分に触れようとさえしたのだ!これには感情というものが希薄な「ソレ」も驚きを隠せなかった。あのままあの場所に居続けていたら自分はすぐさまあの少女に存在を捉えられていたかもしれない。
誰にも見られる事なく、自分だけが一方的に「見る」事に慣れきっていた「ソレ」は、初めて他人に触れられる可能性が存在する事を知り、恐怖におののいた。
そこで少女のことはいったん諦め、使役している大男の目玉だけ奪って退散する事に決めたのだが、この男はこの男でまた奇妙な人間だった。
男から奪った眼球は間違いなく自分の一部となり、他の「目玉」たちと同じく自分の「目」として視界を提供してくれるはずであった。しかし奪ったその「目」からは何一つ視覚情報が送られてくることはなかった。それどころかその「目」が見ている光景を、どこかよその空間へ送りつけている感覚が「ソレ」には感じられた。
まさか、目玉を奪った相手がまだ生きているなどという事は、長い年月を過ごしてきた「ソレ」にとっても初めての事であり、そのような事態は想像だにしていなかった。
「ソレ」は焦りの色を見せた。このままではその「視線」を頼りにあの少女が率いる討伐隊がすぐにでも追いついてくるだろう。だからこそ、そうなる前に先回りして山の中腹で彼女らを観察していたのだ。
その目論見は散々な結果に終わった。まさか、まさかあの連中、本当に自分を傷つける事ができようとは!?
彼女たちは「ソレ」の存在に気がつくと、少しの躊躇もなしに問答無用で襲いかかってきた。端末である「目玉」は容赦なく少女の剣で斬り裂かれ、虎に姿を変えた例の大男の忌々しい牙と爪で叩き潰され、同行していた方術師の怪しげな魔術で焼き尽くされた。
己の身に次から次へと立て続けに起こる初めての体験に、「ソレ」は完全に恐慌に陥った。
魔術師の暴走により剣の少女が崖から転落したのに全員が気を取られた隙を逃さず、「ソレ」は逃げた。是も非もなく、ただ恐怖に駆られてその場から逃げ果せたのである。
今改めて己が身を振り返って、「ソレ」は恥辱と忿怒にまみれて視界が真っ赤になるのを感じる。
(オノレ、オノレ、オノレエエエエエエ・・・!!)
いつか、必ずこの屈辱は晴らす。そのためにはなんとしてでもあの少女の「身体」を奪い、己が物としなくてはならない。
(次ハ、必ズ・・・!)
憤激に濁った視界を巡らせながら「ソレ」は改めて固く誓い直した。まあ良い、まだ手はある。すでにもう次の者に目は付けているのだ、慌てることはあるまい。そう考え直すと、怒りに震えていた「ソレ」はようやく冷静さを取り戻したのか、落ち着いた呼吸に戻った。
(戻ロウ、我ガ家ヘ。遥カナル『補陀落』へ・・・)
「ソレ」は再び目を閉じると、次の機会を待つために深い、深い深淵へと沈んでいった。