源頼義、誐那鉢底法師と遭遇するの事(その二)
「な・・・!?」
唐突に「百目鬼」の名を出されて頼義が絶句する。確かにこの男体山を目指したのはここに百目鬼がいるらしいという経範の言葉に従っての事だ。そして叶うならば天陣和尚が教えてくれたようにこのお山にいるという誐那鉢底法師に百目鬼について何か助言なりをもらえれば、と期待もしていた。しかし偶然出会えた誐那鉢底法師本人に、出会って数分と経たぬうちにいきなりその名を切り出されたのは意外といえば意外だった。
と、いう事はやはりこの少々変わり者の御坊は百目鬼という存在について何かを知っているということか。
「ふんふん、なに、麓の連中が何やら騒いでおったでな。アレじゃろ、例の上野国の和平のお使者が斬り殺された件について、アレが『百目鬼』の仕業であろうと推測しておるのじゃろ」
「は、はい、仰る通りで」
頼義は誐那鉢底法師の気配を追って顔を上下左右に振りながら答えた。どうもこの法師どのは落ち着きのない性格をしているらしく、話をする間中しきりにあっちに行ったりこっちに行ったりとせわしなく動き回っている。頼義はその度に話の聞こえる方向に向かって首を動かす羽目になり、聞いているだけで疲れてくる。
「ああ、そうか。お前さんが女の身でこの男体山にわざわざ登ってきたのは、ここに百目鬼が隠れ潜んでいるのを見越してのことであったか。よう分かったのうここにおると。アレに一旦身を隠されてはそうそう見つけられるものでもあるまいに」
「は、はあ。それはまあ、色々と理由がありまして。あの百目鬼なる妖怪、仔細はわかりませぬがどうも私の命を狙っているらしく」
「お前さんの?そりゃまたなぜにじゃ?」
木の上に登って遊んでいた法師は頼義の元に降りてきてその周囲をくるくる回りながら尋ねた。全くこの和尚はまるで子供のようにジッとしていられない性質らしい。
「わかりませぬ。あるいは私が『鬼狩りの将』である事を知った上で先んじて攻撃を仕掛けてきた、という可能性も考えられますが」
「鬼狩り?ほうほうなるほど、お前さんはあの頼光の後継者というわけか。なるほどなるほど鬼狩りか、そんな無粋な役職をまだ愚直に引き継いでおる阿呆がおったとはのう」
誐那鉢底法師の軽口に頼義は少しムッとする。確かに鬼狩りは陽の当たらぬ陰の役職である。しかし人の目に触れぬところで世に仇なす魔性、怪生の類と対峙する自分たちのような存在があるからこそ民草も安穏と平安の世を謳歌できるというもの、それを無粋だの阿呆だのと虚仮にされてはいい気はしない。
「お、気に障ったかいの?口が悪いのは許せ、何せ育ちが悪いでな。まあお前さんが今の立場に不満がないというのなら今は何も言うまい。いずれお前さんが自分の立場に疑問を持ち始めた時、またワシがお前さんを導いてやるわい」
「・・・・・・」
「ほ、余計なお世話だ、と言わんばかりの顔じゃな。チチチ、確かにいらぬ節介よの。とは申せこのように『縁』ができてしまってはみすみす無視することもかなうまいよ。いつかその時が来たらまたお前さんはワシとばったり出会うことになるじゃろうて」
「はあ」
頼義は御坊の預言めいた発言に少し戸惑いの顔を見せた。巫山戯たもの言いばかりのクソジジイであったが、不思議と今の言葉には誠意が感じられた。
(いつか、私が自分の立場に疑問を持った時・・・そのような時がくるのだろうか・・・?)
頼義は法師の言葉を受けて薄ぼんやりと考え込んだ。
「しかし、妙じゃのう。いかなお前さんが魔を断つ『鬼狩り』だというても、それだけで百目鬼がお前さんを襲うとは思えん、いや・・・」
頼義がしばし考え込んでいる間、誐那鉢底法師もまたチチッという音を立てながら考え込む。
「百目鬼が人を襲うという話がそもそも考えられん事じゃ」
法師の意外な言葉に頼義は驚きの声を上げた。
「それは、一体どういう・・・」
「どうもこうも、アレは本来人を襲うような類の妖ではないということよ」
「莫迦な!?現に私は・・・」
法師の説明に思わず頼義は声を荒げて反論した。彼女は今日を合わせて都合三度「百目鬼」の襲撃を受けている。それほど執拗に狙われている相手に「害意がない」とこの御坊は言うのか。
「だってお前さん考えてみい。目玉がどうやって人を襲うね?」
「・・・!?」
言われてみれば確かにそうだ。牙で噛みつかれたわけではない、爪で引っ掻かれたわけでもない。頼義は記憶を巡らせる。そうだ、三回あった百目鬼との遭遇の中で実際に彼女を襲撃したのは百目鬼本体ではなく、百目鬼に取り憑かれたという佐伯経範だけだった!
その間百目鬼本体がしたことといえば、あの絡みつくような「視線」を頼義に浴びせるだけだったではないか。
「し、しかし実際私は幾度となくあの妖にまとわりつかれております。私の命を奪うことが目的でないとしたら、百目鬼の狙いは一体・・・?」
「ふむ、昔々に百目鬼が悪さをしておると騒いでおった時にも同じ事を藤太の小僧に説いたもんじゃったが、やれやれまた同じ説明を繰り返さねばならぬようじゃの」
誐那鉢底法師は心底「やれやれ」といった分な口調でため息をついた。
さて、今法師は何と言った?「藤太の小僧」とはあの俵藤太こと藤原秀郷公を指すのであろうか。確かに秀郷公はここ下野国において百目鬼退治の武勇伝を持つ英雄ではあったが、公がこの地に官人として赴任していたのは今から数えてはるか八十数年も昔の話である。とすればこの和尚は一体何歳なのだろうか?
この坂東の地に来て以来、鬼だの仙人だのといった何百年も前から今もなお住みついている寿命なき者たちと何度も遭遇してきた頼義はもはやこの土地の住民の年齢への感覚が完全に麻痺してしまい、頭がクラクラしてくる。
そんな頼義をよそに、誐那鉢底法師は「百目鬼」について説明をし始めた。