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源頼義、誐那鉢底法師と遭遇するの事(その一)

どれほどの間頼義は気を失っていたのだろう。鈍い痛みと共に目が覚めた時には周囲はすでに宵闇の冷え込んだ空気に変わっていた。



「誰か・・・()っ!」



はぐれた影道仙(ほんどうせん)たちと連絡を取るために声を上げようとした瞬間、左腕と肋骨に疼痛が走って息を飲む。どうやら落下した際に左腕を下敷きにして地面か木の枝かに激突したものらしい。折れてはいないようだがヒビの一つも入っていよう。呼吸をするたびに痛みが広がり、吐き気を催してくる。


周囲には影道仙たちの気配も、あの「百目鬼」のまとわりつくような不快な視線も感じない。真っ暗闇の山中に一人取り残されてしまったようだ。


夏とはいえ山の夜は冷える。野営の装備も持たぬ頼義の身体から山の冷気が容赦無く体温を奪っていく。凍死するまでは行かないにしろ、このままではよろしく無い状況に陥るだろうことは容易に想像できた。



(まったく、受け身の一つも取れないとはこの未熟者め・・・)



ここにいない()()に代わって頼義は自分で自分の不明を叱りつけた。身体はまだ容易には動かせない。怪我のせいか次第に熱を帯びてきた彼女の頬に夜風が一層冷たく吹きつける。



(動かねば、動かねば・・・!)



自在にならぬ己の身体をなんとか動かそうと痛みを堪えて必死になって力を込める。ようやく熱と冷気で震える上半身を起こしかけた時、



「おう、目が覚めたかいのお嬢ちゃん」



思わぬ方向から不意に声をかけられて



「きゃあっ!!」



と頼義が思わず年相応の少女らしい叫び声を上げてしまった。今の今まで全く人の気配など感じられなかったというのに、この声の主はどこから現れたのだろうか。



「ああ動くでない。腕の方はともかく肋骨(あばら)は一本か二本()ってしまっておるぞい。今丁度副木(そえぎ)になるようなモンを持ってきたでな」



妙に甲高い、キィキィと軋むような声のその人物は優しく頼義に話しかけた。



「あ・・・ど、どなたかは存じませぬがかたじけのうございます。私は前上野介(さきのかみつけのすけ)頼信が嫡子、筑波郡司頼義と申します。その、恥ずかしながら崖から足を滑らせて供の者とはぐれてしまった次第で・・・」


「おうおう、そうであったか。この様な災難にあっても礼節を失わぬその態度、感心感心。ワシはこのお山に住みついとるジジイでな、名を『ガナーチー』という渡来の坊主よ。木っ端役人どもは『誐那鉢底(がなはち)』などと呼ぶがのう」



ぎこちない手つきで頼義を介抱しながらその声の主は頼義にそう名乗った。目の見えぬ彼女にはその姿はわからないが、随分と背の小さい人物らしい。おそらく自分よりもさらに背が低いのではなかろうか。


誐那鉢底(がなはち)、という聞きなれない呼び名を耳にして頼義はハッと声を上げた。



「失礼ながら、中禅寺女人堂の管主であられる天陣和尚のご師匠様に当たられるお方では・・・?」



頼義の呼びかけに誐那鉢底(がなはち)と名乗った声の主はチチッと歯をすり合わせる様な声を出して答えた。



「おう、テンジンの知己であったか。そういえばあの者が近いうちに顔を出すようなことを言っておったが、もしやお連れさんとはテンジンのことであったか」


「あ、はいっ、そうです!」


「ほうほう、そうかそうかそうであったか・・・チッ、めんどくさいのう」



誐那鉢底(がなはち)と名乗った法師が小声で呟いたが、頼義の耳には届かなかった。



「いやしかしビックリしたわい。ワシにしては珍しく一念発起してしたくもないお経を唱えておったら空から女の子が降ってきおった。危うくその可愛いお尻に敷かれて潰れ死ぬところじゃったぞい。いやそれはそれで男の死にザマとしては本懐であったな。ぎゃはは、なるほど、やり慣れぬ事はせぬにこした事はないのう」



僧侶らしくない口調だとは思っていたが、とんでもないクソ坊主だった。天陣和尚は師匠の事を「大聖(だいしょう)歓喜天(かんぎてん)の再来」などと持ち上げていたが、頼義がその声を聞いて判断する限りあの安倍晴明とどっこいどっこいの色魔(エロ)ジジイっぷりである。



「しかしまあ、女人禁制の男体山(なんたいさん)に入るとはどのような要件じゃいの?その巫女姿は仮のものであろう、二荒山神社(おみや)では見ぬ顔じゃ。お主のような若い女の子がおったらワシもわざわざ諸国を放浪したりしとらんかったからのう」



現代だったらセクハラ案件で訴えかねられない。頼義は想像していたのとまるで違う天陣和尚の師匠の姿に()()()()した。



「ほい、これでどうじゃい?腕の方はそれでなんとか動かせるじゃろ。あばらの方は自分で巻き布をするなりして対処すると良いぞよ。ワシは非力だでな、そこまでは世話できん。できたら役得だったんじゃがのう」


「いえ結構、結構です自分でやります!」



頼義は後ずさりしながらそう答えた。確かに左腕の方は副木のおかげか多少振り回しても痛みは起きなかった。頼義は肌着がわりに胸に巻いていた晒しを解いて服の上からきつめに巻き直した。痛みは残るがそれでもないよりははるかにマシになった。



「ほうほう、随分と手馴れたものよな。若い女人の仕草ではない、まるで歴戦の武者のようじゃい」



頼義が手際よく自分で応急手当てをする姿を見て、急に真面目な口調になった誐那鉢底(がなはち)法師の声に、頼義は一瞬緊張を走らせた。トボけた態度につい気を許して無防備な姿を晒してしまったが、そもそもこの人物が天陣和尚の言う「誐那鉢底(がなはち)法師」であるという証拠はどこにもないのだ。



「そういえば、頼信公のご嫡子と名乗っておったのう。なれどそなたは女子の身。さては先年坂東に名を轟かせた源氏の女大将とはお前さんのことであったか。ほほほ、ほうほう、あの陰気な朴念仁のお子にしてはなるほど、まさしく妙見菩薩の化身と見まごうばかりの美姿よのう」



誐那鉢底(がなはち)法師の声は先ほどまでの柔和で飄々とした声色に戻っている。しかし頼義はもう警戒を解かない。



「・・・父をご存知で?」


「全然知らん。会ったこともない」



ないのかよ!と頼義は思わず心の中でツッコミを入れた。



「なるほどなるほど。すると察するにそなたの目当てはアレか、『百目鬼(どうめき)』退治とかそんな所かのう」



法師は落ち着いた甲高い声でいきなり話の核心をついた。

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