源頼義一行、百目鬼と一戦を交えるの事
目、目、目・・・
無数の「目」という「目」が頼義たちを見下ろしている。葉に張り付き、枝先に張り付き、太い幹に張り付いた無数の目玉は、一斉に頼義に視線を集中させた。例の背筋が粟立つような不快な感触が頼義を襲う。
「妖異、何が目的だ!?なぜ私を執拗に狙うっ!?」
叫びながら頼義が七星剣を縦横無尽に振るう。枝は落ち、葉は飛び散り、幹の肌目が抉れる。その度にぐちゃりと不愉快な音を立てて「百目鬼」の目玉が潰されて行く。が、目玉の妖異は一向に勢いを衰えさせる事なくざわざわと音を立てながら頼義を取り囲むように視線を凝らす。
「右、右ですぞ主人、私の目はそこから見ている!!」
百目鬼に己が両目を盗まれた佐伯経範は、今や百目鬼の「目」の一部となって頼義たちを、自分自身を見ていた。その視線から得られる情報を頼義に伝える。その情報を元に、頼義は容赦なく経範のものであろう目玉を叩き潰した。
「ぐわあああああああああっ!!」
経範が自分の顔面を両手で覆って苦悶にのたうち回る。暴れる巨体が崖から落ちそうになるのを、手を引いていた天陣和尚が必死になって押さえつけた。
「経範、どうだ、死んだか!?」
頼義が常規に向かって叫ぶ。当の経範は苦痛に顔を歪めながらも親指を立てて、
「確かに、間違いなく我が目玉は潰れて死にもうした。これであやつの支配からは解き放たれましょう。なれば・・・!」
経範は自分の頭を覆っている包帯をグルグルと解き始める。もどかしさのあまり力任せに引きちぎったその下から現れた常規の両目は・・・
「なんと、これは・・・!?」
天陣和尚が驚きの声を上げる。包帯の下から現れた経範の目には、あれだけ痛々しく残っていた傷跡がかけらも見当たらず、怒りに燃えた瞳は今にも飛び出さんばかりに爛々と黒く光を帯びている。
「ようも我が目を掠め取ってくれたな物の怪!今宵が満月であった事を死ぬほど後悔するが良い!!」
そう言うと、経範は天に轟かんばかりの咆哮と共に全身を膨れ上がらせて行く。隆起した筋肉が衣服を破り、たちまちその表面に金と黒の艶やかな毛並みが伸び広がっていく。
完全な「虎」に姿を変化させた経範は再び剛咆を上げた。
「な、なんと・・・これは人虎か!?人にして虎、不死身の狂気の化身・・・なんという」
「説明セリフご苦労様です御坊。というわけですのであの者に関しては心配ご無用、御坊は御身の守りに専念して下され!」
頼義の言葉に天陣和尚は慌てて身を構え、百目鬼の襲撃に備える。その頭上を飛び越えて「虎」となった経範が百目鬼のたかる草むらに向かって飛びかかった。入れ替わるように後退した頼義は事の展開について行けずその場でへたり込んで呆然としている綾のそばに駆け寄り、その身を守るようにして七星剣を正眼に構えた。
「影道仙!話は後だ、今はとにかくこいつをなんとか追い返せ!こいつ、理由は知らぬが目的は私らしい。だから私が囮に・・・」
「わかりましたあっ!要するにこいつが諸悪の根源というわけですね。ならばこのポンちゃんのスーパーマジカル陰陽術でチャチャっと退治してやりましょう!!」
「話を最後まで聞けーっ!!ていうかダメー!ポンちゃんは術を使うなーっ!!」
頼義の指示を最後まで聞く事なく、影道は高速で術式を詠唱し始める。みるみる周囲に赤黒い雷光が迸り、空気を震わせる。
「ダメー、やめて〜っ!!」
半分涙声になって叫ぶ頼義の眼前に経範の虎の爪がかすめる。経範は経範で虎と化した事で完全に抑制を失い辺り構わず目についたものを破壊せんばかりにと暴れまわる。
「南無、金剛帝釈天。因達羅の矢よ、邪魔を退けたまえ。てーい!!」
詠唱とともに影道仙が雷球を連射する。赤黒い稲妻をまとった光の弾丸が四方八方へと飛び回り、辺りの樹々を容赦なく抉り取って行く。中には百目鬼の「目」に命中してそれらを焼き尽くすものもあったが、他の大半は目標とは全く関係ない場所に命中して樹木や地面をたちまち荒れ野に変えていった。
「あああああああああああ」
頼義は口をアワアワさせながら頭を抱えた。だから言わんこっちゃない。頼義は自分が想像した通りの事態になって地団駄をふむ。これだから彼女に術を使わせたくなかったのだ。
陰陽師である影道仙は安倍晴明門下の中でもずば抜けた才能の持ち主である。彼女の振るう方術の凄まじさは師匠である晴明に勝るとも劣らぬものと自他ともに認められていた。その実力は若くして陰陽師の最高位である「十二神将」の一人に抜擢されていることでも良くわかる。
だがそんな彼女の能力には一つ問題があった。
影道は術を行うにあたり、一切の制御をしない。
制御できないのか、初めからそのつもりが無いのか知らないが、とにかく彼女は一度術を発動したら常に最大パワーで辺り構わず使い倒す。そのおかげで彼女が術を振るった後の土地はペンペン草の一本も生えぬ不毛の大地へと姿を変えてしまうのだ。頼義は先年、常陸・陸奥の国境で発生した紛争の際に彼女が振るった術式の巻き添えを食らい、辛うじて一命をとりとめるという苦い経験を持っていた。
それだけに影道には何があっても魔術方術の類は使って欲しくなかったのだが、当の本人は久し振りに術を振るう歓喜に夢中でもはや百目鬼を倒すという当初の目的も忘れて縦横無尽に山を破壊しまくっている。
かたや虎と化した佐伯経範の方も同じくすでに目標を見失って辺り構わずに周囲に対して破壊の限りを尽くしている。
男体山の山腹は今や怒号と雷鳴と土煙に覆われた修羅場と化していた。
「あ、あ、アンタたち、真面目に戦う気があんのかーっ!!!!」
堪り兼ねて頼義が叫ぶ。もうすでに百目鬼がどこにいるのかも捕捉できない。事態を収拾しようと必死になる頼義を尻目に一際大きな轟音が響いた。
「・・・!?」
影道仙が放った雷撃の煽りを受けて経範の巨体が吹っ飛んで行く。
その先には、この喧騒に飲み込まれて呆然としている綾が棒立ちになっていた。
「綾!!」
動けない綾を庇って咄嗟に頼義が綾を押しのける。つい先ほどまで綾が立っていた位置に入れ替わった頼義目がけて経範の身体が激突した。
「あ・・・!」
六尺を超える巨漢の経範に体当たりされて、その半分の体重も無い頼義の身体はあっけなく吹き飛ばされ、切り立った崖下に真っ逆さまに落ちていった。