渡来僧天陣法師、怪異を語るの事(その一)
「・・・いやまったく、面目次第もござらん。主人及び法師どのにはご迷惑をおかけいたしました。ご処断はいかようにも仰せつかりまする。あの妖どもめ、我が剣に恐れをなして逃げたかと思いきや、まさかあの時我が身体に人知れず取り憑いておったとはこの佐伯経範、一生の不覚でござった」
綾の手で両目に包帯を巻かれて治療を受けている佐伯経範はつい先ほどまで心臓が止まっていたとは思えぬほどの元気さでぺこりと頭を下げる。
「他にも礼を述べる相手がいるんじゃないですか・・・ねっと!」
最後のひと巻きを終えた綾が勢いよく包帯の結び目を叩く。
「いてっ!いやそこもとにも世話をかけた。ほれ、この通りだ」
経範は手当てをしてくれた綾にも深々と頭を下げて礼を述べる。その様子を見ていた女人堂の和尚は半ば呆れたような顔で先程まで魔物に取り憑かれて狂乱していた男を眺めていた。
「なんとまあ。百目鬼に取り憑かれ、目玉まで持っていかれておりながら生きている御仁がおるとは思いませなんだ。これは奇特奇特」
ふむふむと鼻を鳴らすようにして和尚が経範の身体を舐め回すように見やる。
「いやしかし、お目を失われるとはお気の毒に。さぞお辛いことでしょう」
「ああ、この者についてはご心配無用にございます。唾でもつけときゃ治りますので」
「はあ?」
「主人!?なんか以前に比べて私に対する扱いが違ってはおりませぬか!?」
経範が主君の言いように驚愕しながら泣きごとを言う。
「当たり前でしょう!?いつもいつもこう迷惑ごとばかり私のところに持ち込んで!!お前は金平とまた違った意味で問題児です。まったくどの子も手のかかるやんちゃばかりで・・・もう!」
頼義経範がまるで子供を叱る母親のように年下の頼義に説教されているサマを綾がニヤニヤ薄ら笑いを浮かべながら見物している。意外にこの娘は底意地が悪い。
「しかし真面目な話、このザマでは満月になるまでは主人の役には立てそうもありませぬ。まったくふがいなき事で」
「その事については今考えても致し方ありません。とりあえずお前は近くの村に宿を取って月が満ちるまで養生していなさい。非常時という事で多目に見てくださっていますがいつまでも男子禁制の女人堂に男が居座っていては他の参拝者の皆様にもご迷惑です」
「そこはお気遣いいただかなくとも・・・と言いたいところですが流石に長逗留されるのは外聞もありますゆえな。村の者には拙僧からとりなしておきましょう。急がせるようで心苦しいが支度が出来次第案内いたす申す」
「御坊、何から何までお手数をおかけいたしまする。このご恩、源氏の惣領として深く御礼申し上げまする。ええっと・・・」
「ああ、まだ名も名乗っておられませんでしたな。拙僧はテンジンと申す。この国のお方には馴染みがないらしいゆえ『天陣法師』で通っておりまする」
天陣法師はそう言ってにこやかに頭を垂れた。
「この国・・・とおっしゃられると、御坊は渡来僧であられましたか」
頼義は彼の放つどこか異国的な香の香りやその言葉遣いなどからもしやとは思っていたのだが、果たしてその通りであった。彼女の目が見えていたなら、彼の纏う色鮮やかな法衣からもその事が伺えただろう。
「はい、遠く大陸の奥、吐蕃という地から海を渡ってこの国に参りました。いまは奇縁あってこの女人堂の亭主として俗世に胡座をかいている身ですが」
「そうでしたか。あの、先程振るわれた法術もやはり大陸の仙術で?」
「百目鬼」の目玉に取り憑かれて狂乱した経範を見事封じた和尚の不可思議な術とその印呪の響きに頼義は興味を持った。
「いやお恥ずかしい。高野聖のような真似事などしてみましたがあのような降魔の呪術など、師匠の見よう見まねでやっているだけのことなもので」
「師匠?」
「ええ。そのうち姿を見せると思います。その時はどうか可愛がってやってください」
「?」
厄介な邪鬼を退散させるような法術を授けるほどの人物がこの下野といういわば辺境の地にいるのも不思議な話だが、その大法師を可愛がってくれとはこれまた不思議なもの言いである。
「では天陣法師、御坊の知っている『百目鬼』についてこの頼義にご教授いただけませぬか。この頼義、先だって起きた中禅寺湖における上野国のお使者の惨殺事件にまつわる騒動を鎮静するお役目を請け負っております。私が思うに、此度の上野・下野両国の紛争、あの『百目鬼』が火をつけているもののように見受けられまする。そのために御坊の助言をいただきたい」
頼義の思わぬ申し出に天陣法師はしばし身を固め、それから
「ほう」
とだけ言って快く頼義の求めに応じた。
「ではこの方を村まで送り届けた後で、戻り次第『百目鬼』について拙僧の知っている限りの情報をお話しいたしましょう」
「よろしくお願いいたします・・・!」
「では・・・」
「あいや、その前に主人、私から一つ」
誐那法師に手を取られて引率された経範が頼義の耳元で小声に告げた。
「私の奪われた『目』の事ですが・・・生きております」