佐伯経範、百目鬼に目をつけられるの事
「何をいたす経範!?」
突然前触れも無く主君に向かって刃を振るってきた経範に向かって頼義が吼える。不意打ちの一刀はかろうじてかわすことができたが、切っ先がかすめた肩口の布地が切れ、うっすらと血が滲んでくる。
「何をいたすとは、はて。主人を斬っているのでござる」
さも当然のように経範が答える。その表情におかしなところは少しもない。まるで先ほどと変わらぬ日常会話の続きのようにして斬りかかってくる経範の態度に、頼義は得体の知れぬ狂気を感じて冷たい汗を流す。
「正気に戻れ経範!お前は誰だ!?この源頼義の配下であろう!?」
「いかにも、不肖経範はまごうかたなき頼義様の家人にござる。その忠義にいささかの曇りもござらん」
「では今のお前の所業はなんだ!?」
「なんだと言われましても、頼義様を斬るところで」
まるで会話になっていない。経範の中で頼義に対する忠義の念と今自分がその主君を殺そうと斬りかかっている行動との間になんら矛盾するものがないらしい。これはいよいよもって狂気の沙汰である。
「経範!!」
「Neeeeeeeeeh!!Neeeh,Neeeeeeeeeeeeh!!!!!!」
唐突に響いた異形の鳴き声を耳にして頼義が身をすくませる。この不快な鳴き声、いる!昨夜頼義と綾を襲ったあの「視線」の主がどこかにいる!?
「くっ・・・どこだ!?」
距離を取った頼義が昨日してみせたように全神経を集中して「視線」の出どころを探る。今回も「視線」の大元は容易に判断できた。できたが・・・
「まさか・・・どういうことだ、経範!?」
頼義が大太刀を構えた経範に向かって叫ぶ。経範は無言で自らの襟元をはだけ、その上半身を晒した。
「きゃーっ!!」
外の喧騒を聞きつけて表に現れた綾が金切り声をあげる。その恐怖の眼差しの向こうに立っている佐伯経範の裸身には・・・
無数の「目玉」が貼りついていた。
「Neeeh,Neeeh...」
経範の全身に巣食った「目玉」が例の不快な鳴き声を聞かせながら一斉に頼義の方へ目を向けた。
「主人、いかがなされた?いつまでもこのようなところでボーッとしていないで当初の予定通り二荒山神社へ参りましょう」
そう言いながら経範はやはり大太刀を振るって頼義に襲いかかる。経範は自分の意識と身体が行なっている事との齟齬に気がついていないのだろうか?やはり当たり前のような日常会話を続けたまま主君殺しを粛々と実行しようとしている。
「頼義さまあっ!!」
今まさに斬り殺されんとする頼義を見て綾が思わず目を瞑る。
「・・・・・・!!」
「臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前!!」
それは誰の声だったのか、どこからとも無く聞こえた裂帛の気合いが空気を震わせる。その声に反応したのか、肉薄していた経範の動きが一瞬鈍る。
「足りぬか、ではこれで・・・どうだ!!」
今度は経範の足元にバラバラと音を立てて小石の礫のようなものがばら撒かれた。よく見るとそれは乾煎りした大豆の粒だった。すると経範は、いや経範の体に取り憑いた無数の「目玉」は、その足元に散らばった豆に視線を移し、それまで一斉に頼義に向けられていた「視線」は今やバラバラとなってそれぞれ好き勝手に地面に落ちた豆を探して見て回った。
地面に散らばった豆に目が行った経範は棒立ちになってそのまま動かなくなった。
「聖なる三宝の教えに具わった力により、退散せよ、消滅せよ、鎮まれよ」
聞き慣れぬ言葉の経文を唱えながら、何者かがスルリと経範の後ろに回り込んで、親指から中指までを嘴のように形作ってそののままの形で経範の延髄に向かって叩きつけた。
「ぐはっ!!」
経範の身体が硬直する。次の瞬間けたたましい音と共に彼の全身からあの忌々しい「目玉」が蜂の大群のように次々と飛び出し、虚空へ消えて行った。
どう、と音を立てて経範がその場に倒れる。頼義には目の前で何が起こっているのか即座には判断できなかった。
「ご無事ですか、お客人」
透き通る、人を安心させるような柔らかい響きの声が頼義に語りかける。頼義はその声の主に聞き覚えがあった。
「和尚どの・・・?女人堂の?」
和尚と呼ばれた男は頼義の問いにふっと笑顔を見せて答えた。
「いかにも、女人堂の管理の者です。朝餉の支度をしておったところ何やら面妖なご様子だったもので、差し出がましいことをいたしました」
臙脂と黄の法衣をまとった僧侶が深々と頭を下げる。頼義は慌ててこちらも頭を下げた。
「いえ!こちらこそ危ういとことろをご助勢いただき、ありがとうごりまする。手前の部下の不明、ご容赦くだされ」
「拙僧が居合わせて良かった。まさか、百目鬼に目を付けられる者に出くわすとは、お客人も運の悪い事」
「!?御坊はあの魔物のことをご存知で!?」
女人堂の主人の言葉に、頼義は思わず声を荒げて聞き返した。
「下野に住む者ならば皆知っております。百目鬼の目が身体に取り憑かれた者はあのように狂気の振る舞いを致して、そのまま狂死し、やがてその者自身も百目鬼の『目』と成り果ててしまうのだとか」
「!!」
和尚の言葉に息を飲んだ頼義は慌ててその場に倒れこんだ経範の身体を抱き起す。
「哀れ。どうやら遅かったようですな」
和尚が沈痛な表情で目を伏せる。
「経範・・・!!」
頼義が歯ぎしりをする。表を向けた経範の顔面からは・・・
両の目がごっそりくり抜かれていた。