序
「補陀落渡海」という言葉について、十五世紀のポルトガル人宣教師ガスパル・ヴィレラが宣教先に訪れた日本の堺の地で見聞きした記録の中に、このような記述がある。
「当堺にきた後、日本人が偽の天国に行く方法を見た。彼らは困難多き現世を倦き、安静なる他の世を望める者であり、天国行きを実行せんと決心するのだ。日本人は国多数あるがごとく天国も多数ある。天国の中には、海水の下にあるものがある。彼らは衣服をあらため、最もよい物を着し、各々背に大石を縛り付け、袖に石を満たし、すみやかに天国に到達しようとした。私が見た時その人は7人の同行を伴っていた。船に乗り海に身を投げる時おおいに歓喜せる事は、私が非常に驚いた所だった」(一部作者意訳)
この光景に関するヴィレラの説明が他の書簡に記されている。
「何人もの人が悪魔を賛美する。賛美したいときには高い山に登る。悪魔が望まれた形で現れるまで、数日の間山に篭る。そういった悪魔を賛美する人は『山伏』と呼ばれる。それは、『山の武士』という意味である。彼らは自分の聖人を賛美したいとき、殆ど寝ず食わずの状態で、そのまま自分の信仰を広めている。2,3ヶ月間、いつも寄付を沢山貰い、悪魔に“もうよい”と言われるときに、彼らは寄付として貰ったお金と共に小船に乗る。海の沖に辿り着くと、小船に穴を開け、沈没をさせながら真っ直ぐ地獄へ向かう。すべては悪魔の誤魔化しによる」
似たような光景を同じくポルトガル人宣教師であるルイス・フロイスも伊予国堀江で目撃したことを記しており、未発見である彼の著作「日本史総論」の目次では第十八章に 「仏僧たちが行なう補陀落、および彼らが悪魔に奉献するその他の流儀について」という題が付けられている。
海を渡ってはるか東の果てに辿り着いた宣教師たちが目にした異教徒たちのこの不可解な風習は、彼らの目にどのように写ったのであろうか。
この世を捨て、至福の天国を目指して海に没した人々はどこへ行ってしまったのか。いや、そもそもフロイスが書き記した「補陀落」とは・・・
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暗闇の中に、一人彼女は立っていた。
つい先程まで隣にいたはずの供の者たちもいつの間にかその気配を消していた。否、風も空気も、彼女の周囲にまとわりつく全ての要素が今さっきまで彼女がいた世界とは別の世界であることを、彼女はその肌で感じ取っていた。
彼女は静かに腰に挿した太刀を抜く。その細身の直刀の刃の輝きが一瞬だけ闇を照らした。しかしその光も一瞬で圧倒的な闇の中に飲み込まれ、再び周囲は異様な静寂と闇に支配されていった。
「闇を恐れぬか、小娘」
どこからともなく響く声に少女が反応する。
「ふふ、そうであったな、もとよりお前は盲の身。視界を閉ざす事に意味などはないか」
「その声・・・ああ、そんな・・・!」
近づいてくるその声を耳にして、暗闇の中で少女が顔を歪ませる。闇の中の何者かは、そんな彼女の苦悶すらも愉悦の糧として楽しむかのように邪悪な笑い声を響かせる。
「ようやく手に届いたぞ、『道』を開きし者よ。その身体・・・我によこせ!」
その言葉と共に何者かがさらににじり寄ってくる気配を感じる。先程まで伏せた目に憂いを忍ばせていた少女は、だがしかしその気配に怯えることもなく毅然とした態度で手にした太刀をその気配のする方向へと構えた。
「そうか、お前が・・・百目鬼だったのか」
盲目の少女・・・源頼義は静かにそう呟いた。