8.圭人3
圭人は店に急いだ。
江里から会いたいと連絡があったのに仕事が長引いてしまった。
姉の葉月が江里に会ったと聞いてから、江里の所に行かなくなった。
しづくのことを知った江里から何を言われるか怖かったからだ。それに江里のことだ、きっとしづくのことで苦しんでいるのは分かっていた。自分のせいだと己を責める江里を見たくなかった。
けれど、江里から会いたいと連絡が合ったのは今回が初めてだった。
いつも圭人のほうから誘っていた。だから会わないと絶対しづくの時のようになるような感じがした。
それに圭人は明日からから本社に移動する。一番忙しい部署らしい。会う機会も絶対に少なくなる。そうなるのがいいのかもしれない。しづくのことで江里も傷つけてしまったから。このまま自然消滅がいいのかもしれない。
それに本社に行くとあの野村恵美がいる。
圭人の行動を把握しやすい分、色々干渉してくるだろう。
今でさえ、しづくと離婚したことが分かった途端、しつこいくらい誘いをかけてくる。断っているが聞く耳をもたない。
近いうちにはっきりさせないといけない。
店に入り個室に通される。
圭人は目を見張った。
そこには恵美の姿もあった。
「お疲れ様です」
「圭人さ~ん、お疲れさまで~す」
なるべく恵美から遠い場所に座る。運悪くそこは恵美の真っ正面だった。
「うふ、恋人ですね」
その言葉に思わず引いてしまう。
適当に品物を頼み、恵美のほうを見ないようにしていた。
「木崎さん、先にいいですか?」
勝ち誇った目で江里を一瞥してから、恵美は幸せそうに笑った。
江里は俯いていて、表情が見えない。
「私、赤ちゃんが出来たみたいなんです」
圭人は耳を疑った。
な、に、が、で、き、た、っ、て、?
「な、に?」
「だから、赤ちゃん。しづくさんと別れたのだから、大丈夫ですよね」
問い掛けの形を取っているが確定している言い方だった。
確定って、なにが?
「あ、か、ちゃ、ん?」
「そうです。しづくさんは、生めなかったでしょう」
にっこり笑う顔が、化け物に見えた。
生めなかった?生まれなかっただけだ。
しづくとの子供はいたんだ。
もし、圭人がしづくの手を振り払わなかったら?
もし、すぐしづくの元に行っていたら?
まだしづくのお腹にいたかもしれない。
しづくと待ち望んでいた子が。
「俺の子か?」
口から出ていた。疑うような冷たい声。
しづくとの子供以外いらない。必要ない。
「当たり前じゃあないですか」
キョトンとして、化け物はおかしそうに笑った。
「避妊は、してた・・・。」
そう、ちゃんと気を付けていた。
「すっごい確率でゴムも不良品があるそうですよ」
ウソだ。直感だった。
化け物が用意したゴムに細工がしてあったんだ。偶然手持ちが切れていて、化け物のゴムを使った。化け物と最後に会った夜のことだ。あったはずのゴムが無くなっていたのも化け物が仕組んだのかもしれない。疑惑だけが膨らんでいく。
「う、うそだ」
化け物が怪訝そうに首を傾げた。意味が分からないといいたげに。
「圭人さん、子供欲しがってましたよね?」
確かに跡継ぎは必要だった。母の瑞季がしづくをよく責めていた。
俺が、欲しかったのは・・・。
「い、いらない」
欲しかったのはしづくとの子が。
お前との子じゃあない。
そう、俺の子じゃない。しづくとの子じゃないのだったら。
「圭人くん、家を見せてもらっていい?」
江里が気遣うように圭人を見ていた。
「ここで、話し合う内容でもなさそうだし」
チラリと化け物を見る目には憐愍の光があった。
確かに店の中で言い合っても仕方がないかもしれない。
江里が言うんだ。この化け物をどうにかする手があるのだろう。
「私、圭人さんの家、見てみたかったんです。住むことになるんですし」
一瞬ムッとしながらも嬉しそうに声を弾ませながら、化け物も店を出る準備を始めた。
腕を絡めようとしてくる化け物を避け、圭人は支払いを済ませタクシーを捕まえた。
圭人は助手席のドアを開け、乗り込んだ。
化け物は睨むように圭人を見たが、大人しくタクシーに乗り込んでくる。
乗らなくていいのに。
灯りの点いていない家に着いた。
しづくと住むために建てた家。
「すっご~い。中も楽しみ~」
圭人は深呼吸をして、家を開け電気を点けた。
息を飲む気配がした。
「こ、これは?」
驚きを隠せない化け物の声。
「内装は、しづくさんのデザインでしたよね。」
落ち着いた江里の声がした。
玄関を通り、ダイニングキッチン、リビングを見せ、寝室にたどり着いた。
「そう、しづくがデザインした。だから、何処もかしこもしづくの気配をして・・・」
どこもかしこも、壁紙が破れ、壁が剥き出しになっていた。壁に大きな穴が開いている所もある。
「どれだけ壊しても、新しい壁紙はしづくなら次は何にするだろうか? 家具はしづくはどんなのを選ぶ? しづくを考えてしまう」
化け物は、茫然としていた。
「何度、リフォーム業者と相談してもしづくが選ぶ感じになってしまう」
何件ものリフォーム業者を呼んだ。選ぶ色はしづくが好きな色。選ぶ柄や小物や家具はしづくが好んだ物。
何故、しづくの好みばかり選んでしまう? しづくは、もういないのに。ここに住まないのに!
「ここは、しづくとの思い出が多すぎて、引っ越しも考えた」
圭人はベットに座り、無茶苦茶になった部屋を見渡した。
しづくがいた場所。しづくにいて欲しかった場所。
「何処に行っても、しづくなら、どんな感じにするだろうと考えてしまう。ホテルに泊まっていても」
ああ、やっと分かった。しづくがいて欲しいから、しづくの好きなもので揃えてしまうんだ。しづくの居場所はここだと思いたくて。しづくの居場所を壊したのは、無くしたのは、俺なのに。
江里は全て分かっていると笑っていた。
誰もしづくの代わりにはなれないのだと。
その笑顔に泣きたくなる。
江里は全部分かっていた。最初から圭人が誰を求めているのか。
「だから、お別れを言いたかったの。私は、しづくさんを越えられない。私は、私を幸せにしてくれる人を探すわ」
だから、もう会わない。
江里ははっきりと圭人の目を見て言った。
だから、江里は圭人に連絡してきた。これを伝えるために。
「江里、ありがとう。」
きっと、甘えて、縋って、傷つけていた。今までずっと。
江里を引き留めることは圭人には出来ない。
「恵美」
化け物は、恵美に戻っていた。
恵美を化け物にしたのは圭人だ。
名前を呼ばれ、恵美はそれでも期待に満ちた目を向けてくる。
「子供がいてもいなくても、お前と結婚は出来ない」
俺はしづくしか求めていない。
「そ、そんなー!」
恵美は、悲鳴のような声をあげる。
「俺の子なら認知はするし、養育費も払う。だか、父親にはなれない。俺はその子を自分の子として愛せない」
責任をとって結婚しても、母子ともに不幸にするだけだ。それなら、最初から結婚しないほうがいい。恵美に好きな人が出来たら、その時はその時で考えよう。
力なく座り込んだ恵美に江里が声をかけ、二人で帰っていく。
恵美は何か言いたそうにするが部屋を見て、口を閉じていた。
しづくはいない。甘えさせてくれた江里も去って行った。
一人だった。
しづくがいないから、ずっと一人だったんだ。
年齢です
圭人、しづく、しずる 30歳
葉月、江里 34歳
寺田正哉 38歳
清治 39歳
野村恵美 25歳