4.圭人2
圭人はガランドウになった部屋を見渡した。
何も無くなったわけじゃない。家具はそのままだ。服とか小物とか、しづくの物だけが無くなっただけ。
それだけなのに無機質な部屋に感じてしまう。寒々とした寂しい部屋。
しずるは始終無言だった。何も言わずに黙々と荷物を詰めていた。
しずるの婚約者の梓は何か言いたそうだったが、しずるの手前必要なこと以外は喋らなかった。
寺田正哉は手早く荷物を詰め運んでいた。正哉だけは手伝いに来ていた姉夫婦とは世間話をしたりしていた。
姉夫婦は圭人が離婚した理由は聞かされていないらしく、気不味そうにしながらも正哉と話していた。
三人ともしづくが今どうしているのか言わなかった。圭人も聞かなかった。というか一言も口をきかなかった。
「三人とも帰られたよ。もし、しづくさんの物が残っていたら、ここに送ってほしい、と」
姉婿の清治が紙を差し出していた。受け取りざっと見ると机に置いておく。
書いてあるのは正哉の会社の住所。しづくの住んでいる場所じゃなく、会社に送ってほしいということだ。
ここまでされると文句の一つくらい言いたくなる。
そこまで会いたくない相手になってしまったと思うと悲しくなる。
「で、圭人君、ちょっといいかな」
敏い清治は離婚理由に気が付いているかもしれない。少なくとも圭人が悪いのは分かっているだろう。
「付き合っている女性のことだけど・・・」
ちょうど入ってきた姉の葉月が清治の言葉を遮った。
「圭人、まだ江里と切れてなかったの!!」
「えっ?受付の野村さんのことだけど」
清治は妻から出てきた名前に驚いていた。
「江里とも切れてない。野村がどうかした?」
圭人はどうでも良かった。
もう離婚してしまった。みんなにバレてもいい。
「圭人、あなた、浮気してたの?それも二人もいる・・・?」
絶句した葉月の肩を慰めるように抱きながら清治が続けた。
「野村恵美さん、本社の方で噂になってきている。肉食系でも猛獣らしく、圭人君の妻になると言い触らしているらしい。」
野村恵美は本社の受付嬢だ。受付が出来るというだけあって、整った顔とスタイルをしている。江里との関係を知って、愛人候補に名乗りを上げてきた。圭人としては、適当に遊んでいたつもりだった。
「いい噂を聞かない子だからね、付き合うなら気を付けて欲しい。妊娠したと言いかねないから」
圭人はビクンと体を揺らした。
できたって、何が?何ができるんだ?
「それより、圭人、江里と切れてないって!」
真っ青になって、葉月が圭人に詰め寄った。
「しづくさんと結婚した時に終わったはずじゃない。も、もしかして、しづくさんに江里と続いていたこと知られたの?」
こんな時って、なんで女は勘が鋭いのだろう?
「ラブホから、出てくる所を見られた」
葉月は小さな悲鳴を上げて固まった。
「ちゃんと謝ったのでしょうね?」
気を取り直した葉月は取り乱した声で圭人の答えを待った。
身内なのだから話しても大丈夫だろう。
「何も。予定があったから、一回だけ電話したけど出てもらえなかった。しずるからの連絡もずっと無視してて、しづくが入院して大変なことになっていたも知らなかった」
今度は清治も絶句している。額に手を当てて困惑していた。
葉月は信じられないと目を見開いて圭人を凝視していた。
「圭人君、ちなみに聞くけど、しづくさんと最後に会ったのは?」
先に復活したのは清治だった。
「ラブホの前。それ以降は声さえも聞いていないな」
圭人は正直に答えた。
軽蔑の目で見られようが罵られようがそれが真実だ。
「離婚協議もしていないのかい?」
「ああ、寺田正哉に誓約書と離婚届を見せられて、サインした。俺は話し合いたくもない相手なんだろ」
実際そうだ。
色々言われるのが嫌でしずるの電話を取らず、しづくが大変な時に側にいなかった。しづくに何を言ったらいいのか分からず連絡しなかった。
「あちゃー、たぶん、それが最後のチャンスだったのに、しづくさんと会う」
圭人は意味が分からず清治を見た。
「しづくさんも簡単に離婚出来る程度の思いしか持ってもらえなかったと感じただろうね。離婚理由も聞かれずにサインだけされたら」
「けど、俺が悪くて」
清治は大きく息を吐いた。
顔色の悪い葉月は椅子に項垂れるように座っている。
「離婚届、出された時にその圭人君が言う悪かった理由を知っていた? たぶん、圭人君は浮気現場を見たくらいでと思ってたはずだ。しづくさんがその大変なことになっていたことは知らなかったんじゃないかい?」
その通りなので、圭人は頷いた。
「あちらはしづくさんのことを思っているなら、離婚届を見て圭人君が躊躇するのを待っていたと思う。しづくさんのことを大切に思っていたら、簡単にサインなんて出来ないからね」
そういえば、躊躇もなく離婚届を書いたらしずるが怒り出していた。
圭人がしづくへの思いが無いと思って怒っていた?
「圭人君。君はあちらがその気ならと思って、躊躇いも見せずにサインしたかもしれないが、サインの前に理由を聞くべきだったんだ。あちらは、少しでも離婚したくないという態度が見たかったのだと思うよ。それが見栄のためだとしてもね」
確かに離婚されても仕方がないと思う理由は離婚届を書いてから見せられた。あの理由を最近理解できて、やっと離婚されても仕方がないと思えてきた。
「圭人は格好つけすぎなのよ! 今でもしづくさんに未練タラタラなのに。どうせ浮気を責められるのが嫌で連絡を取らなかっただけでしょ!!」
葉月はぐったりしながらもキッと圭人を睨み付けた。
「会いたいなら、会ったら!会って謝りなさいよ!!きちんとしづくさんに」
「あ、いや・・・、誓約書で、会わないことも条件で・・・」
圭人は歯切れが悪く誓約書の内容を話した。もう会えないのだと、話すことも謝ることも出来ないのだと。
盛大に清治と葉月が首を横に振り大きく息を吐いた。
「そりゃあ、あちらが怒るわけだ。浮気のことさえも謝る気がないとしかみれない」
あっ!
何も考えずに、出されるままに名前を書いた。
あの誓約書を読んで、カッとなって言うべきことがあるのにも気づかなかった。
圭人は一度もしづくを傷つけたことを謝っていない。
「圭人、何があったか話してくれる?」
低い声で葉月に促されて、圭人は、重たい口を開いた。
「あなた、止めて!」
葉月が、悲痛な声を出していた。
「その可笑しなプライド、叩き折ってやる」
圭人は義兄の怒鳴り声を初めて聞いた。
温厚な人で滅多なことでは声を荒たげない人だった。
圭人は清治に胸倉を捕まれ、二発目の衝撃を待っていた。
「何をしているのです」
聞きたくない声が聞こえた。母の瑞季の声だ。
「清治さん、何をしているのですか! 手を放しなさい」
胸倉を掴んでいた手が離れていく。
「お母さまは、圭人の離婚の理由を知っているの?」
清治に近寄りなりながら、葉月は訝しげに瑞季に聞いていた。
清治を睨みながら、瑞季は圭人に近づいてきた。来なくていいのに。
右頬が痛い。左利きの清治に殴られたからだ。
「ええ、子供が生めなくなったから、しづくさんが身を退いたのでしょ」
「子供を生めないわけじゃない」
瑞季の手を振り払いながら、圭人は訂正した。
「それより、清治さんは何故こんなことを!」
瑞季はムッとして、清治を責めだした。
「瑞季さんは、しづくさんがそうなった理由を知ってみえるのですか?」
「あれは、事故です。圭人は何一つ悪くありません」
清治はその言葉に驚いていて、義母の瑞季を真面目に答えているのか凝視していた。
あれは、事故なのか?
そうか、自転車にぶつかったのは事故といえるかもしれない。
「浮気して、連絡も無視して、一ヶ月以上もほっておいたのですよ!」
「しづくさんに魅力が無くなったから、圭人は浮気したのでしょう。それに、ぶつかった自転車が悪いのですし、圭人は連絡を取ろうとしました」
瑞季が、そう言いきっている。圭人は悪くないと。
「私は、許せません。娘を持つ親として。大きくなった娘が、こんな目に遭ったらと思うと。連絡を取った? たった一度、それも相手は昏睡状態で死にかけていて、取れる状態ではなかったのに!」
清治は違うようだ。握りしめた手を震わせているのが見える。
「瑞季、常識で考えることが出来ないのなら、喋るな」
冷たい声がした。
圭人と葉月の父、幸生だ。
圭人は、ぼんやり両親の会話を聞いていた。
「まあ、あなた、心外ですわ」
瑞季は、あくまで自分は間違っていないと思っている。
いつもそうだ。
「私の孫がそんな目に遭うわけないでありましょう?」
この女のその自信はどこからくるのだろう?
「お前の息子が女性をそんな目に遭わせた。それが、事実だ」
そんな目?それほど許されないことをしたのか?
「それは、しづくさんが!」
しづくが悪い?何故?
「圭人に同情の余地はない。お前がそうだから、圭人は自分の不始末から逃げ、正しく対処することが出来ない」
「それに葉月が同じ目に遭ったとしたら、清治くんを私は死んでも許さないだろう。圭人はしづくさんの家族にとってそう思われても仕方がないことをした。それを認められないのなら、お前は一切圭人のことに口も手も出すな」
死んでも許さない。
幸生の言葉が胸に突き刺さる。
そう思われても仕方がないことを圭人はしてしまった。その実感がない。
「おまけにこいつは謝罪する機会も自分で潰している。しずるくんや寺田さんにも謝罪もない」
背筋が凍りつく感じがした。
今日来たしずるにも、正哉にも、圭人は一言も口をきいていない。
事実を突き付けられるのが嫌で無視していた。責められるのが当たり前で責められたくなくて。
「寺田さんとは話をしている。今はそっとしてほしいそうだ。精神科にも通い、必死に立ち直ろうとしている時だからと」
精神科? しづくにはそんなにもショックだったのか?




