井戸の中の・・・
分かっていたはずだった。
私も所詮、その他大勢の一人だということは。
だから、選ばれた人間ではないことを知っていたはずだった。
思い通りになるはずはないのに、なると思うほど自惚れていた。
その男は、地元では一番の成功者だった。
一番大きな工場を持ち、地元一の有力者だった。
だから、結婚した。
男としての評判は、あまり良くなかったけど。
知り合える一番の金持ちだ。少々難有りでも仕方がない。
男の関心は、仕事だった。
男にとって、妻は、男の付属品であり、後継ぎを作る道具でもあった。
それでも男の妻という地位は、地元では大きな力を持っていた。
だから、最初は受かれていた。
必要の時だけ、社長夫人として、相応しい装いで隣に立っているだけで良かった。
空いている時間は、好きなことが出来た。
ショッピングに行き、エステに通い、今まで行けなかった高級店に通い・・・。
けれど、そんな生活にもすぐに飽きた。
飽きた頃に子供が出来た。
男の望み通り、男子だった。
跡継ぎか出来たことで、男の関心は、ますます仕事になった。
男は、父親の顔をするのは、たまたま来客がある時だけ。
手伝う気はもちろんのこと、夜泣きでクタクタな時でも寝れないと文句だけ言うだけで気遣うことも労うこともなかった。
すぐに育児も疲れて嫌になった。
まあ、子供も食べ物だけ与えておけば、関わらなくても大丈夫だと分かってきた。
放置したら、通いの家政婦が子供の相手をするようになった。
楽しいことを探して、外に行くようになった。
最初の相手は、誰だった?
取引先の社長だった?
接待した夜、誘われるままに肌を重ねた。
楽しかった。嬉しかった。
久々に女と見られて。
男は、付属品としか見てくれない。
誘われるままに誘うままに男たちと肌を重ねる。
魅力溢れる女として、認められているようで止められなかった。
男は怒り、離婚をほのめかすが、それだけだった。
こっちが、強く男の非を責めると、仕事が忙しいと逃げていく。
取引先の一人が、ベッドの上で行った。
「戸籍に傷がつくのを嫌がっているんだよ。」
馬鹿みたいと思った。だけど、男がそんなだから、この素晴らしい生活を捨てなくてすんでいた。
息子は、勝手に育っていった。
いつの間にか小学生になり、中学に行き、高校、大学を卒業していた。
会っても冷たい目で見てくるだけでお互い言葉を交えることもなかった。
大学からは、勝手に家を出ていき、余程の用がなければ帰ってこなくなった。
沢田を誘ったのは、気紛れだ。夫婦仲がいいと聞いたからかもしれない。
二人目を授かり、一人目と悪阻で疲れている奥さんに沢田は男を溜めているようだった。だから、溜まっているのを抜いてあげただけ。
珍しく息子が、激怒した。だけど、誘いに乗ったほうが悪い。
沢田の奥さんに謝れと言われたけど、ナゼ?理由が分からない。
銀行員の西口は、息子より少し上だけだった。
最初に会った時は、新入社員で頼りない男だった。それが初々しくて、可愛かった。
最初は遊び、からかう感じだった。
いつから、本気になったのか、息子とそう変わらない西口に。
夫である男に離婚を言ってみた。減額されるのは分かっていたけど、たっぷりの慰謝料も。
やっぱり男は、離婚を嫌がった。けど、西口といっしょに暮らしたかった。それには、十分な金がいる。
奥さんに離婚を迫られて荒れていた沢田が、ちょうど良かった。
男の会社で経理をしているから。
ちょっとつついたら、簡単に動いてくれた。たっぷりのお金が手に入った。
息子に探し出されて、ワケの分からないことで責められた。
沢田の奥さんが自殺?それが、何?
沢田が自殺?それで?
お金?慰謝料よ。
夫?あの男はいらないわ。
二人で楽しく暮らした。
けれど、お金は、勝手に増えるモノじゃない。
気が付いた時には、減りすぎていた。
男が死んだと聞いて、息子に会いに行った。
離婚はしてなかったから、遺産を受け取れるはずだ。
一円も貰えなかった。全て借金の返金に当てて残っていないと言われた。
沢田に会社の金を持ち逃げされてから、今も借金だらけだと。
その金は、西口と使いまくった。底がないように見えた金も桁が減り、夢の終わりを無情にも告げている。
ショッピングを控えると、センスのない服を着ている気分になる。
エステの回数を減らすと、肌のくすみや弛みが気になった。
どうしようと思っているうちに西口が、残り金を持って消えた。
残ったのは、夢の残骸。転落するだけだった。
支払えないマンションは追い出され、買い集めたブランド品はほとんど金にならず、食べ物も外食からスーパーの特売に変わった。ずっと使い続けていた化粧品も買えなくなった。
急変した生活についていけなかった。
まだ、息子がいる。取引先に拾われ、運よく婿入りできたと聞いている。
母親を見捨てることは、ないだろう。
息子に連れていかれたのは、住込みで働ける施設だった。
こんな所に来てどうするのか!と詰ったら、自分でどうにかしろ、と言われた。働いてどうにかしろ、と。
生んであげたのに、年老いた母親を養うこともしないのかと罵った。
息子は、鼻で笑い、どんな母親だったのか分かっているのかと冷たい目で見てきた。
けど、生まなかったら、今ここにいなかったのだから、感謝を示すのが当たり前では?
息子の嫁は、息子よりは優しかった。けど、ケチだった。
エステに一、二回しか通えない額しかくれなかった。
友人、知人に息子の名を出して、お金を出してもらおうとした。
門前払いが多かった。
一度はお金を出してくれても次はなかった。
こんな惨めな生活は、嫌だった。
エステに行けないから、肌はボロボロ、くすんで弛み、みっともなくて、外も歩けない。体型も崩れてきた。
それでもしばらくは、我慢した。
けれど、顔に皺が出来てきて、我慢の限界もきた。
お金を出さない息子が悪い。
文句を言おうと息子の家に行った。
応接室に通される。
笑い声がした。
窓から、庭を見ると息子たちがいた。
二人の子供と息子が遊んでいる。椅子に座った嫁の腕の中には、赤ちゃん。その赤ちゃんをあやすように女の子が立っている。
「仲のいい家族でしょう。」
後ろから、声がした。
「休みの日は、ああやって子供たちと遊んでいるのですよ。」
振り向くと息子の義父が立っていた。
「葉月にもよくしてくれています。」
また窓のほうを見ると、息子が嫁のほうに行っていた。
テレビで見るような風景。
息子が片手で赤ちゃんを抱いて、もう片方の手で女の子の手を引いている。
息子は、父親の顔をしていた。
嫁は、男の子たちと手を繋いでいる。
幸せな家族のかたち。
息子と嫁の視線が交わる。一瞬だけど、夫だった男と自分には、無かった繋がりを感じた。
「娘は、妻に無視されて育ちました。だから、自分の子供にはそうしないと。」
側に来た息子の義父は、息子と同じ目で外を見ていた。
そう男から見た覚えがない父親の目で。
「だから、これ以上邪魔しないでいただけますか?」
こちらを見た息子の義父の目は、冷たい光を持っていた。
見せられたのは、年配者向けの分譲マンションだった。
家具付きで食事も出る施設的なところ。
「購入資金等の諸費用は、出しましょう。」
月々の支払いは、男が入っていた年金でどうにかなりそうだ。
けど、年寄りばかりの場所。そんな場所で楽しめる?
「入らなければ?」
「では、ご自分だけでどうか生きてください。」
即答だった。
援助はしない、自分の力だけで生きていけ、と。
子供の笑い声が聞こえる。
「おじいさま、ここにいたの?」
子供が入ってきて、息子の義父に抱きつく。
「今、お客様とお話中だ。終わったら、行くから。
ご挨拶は? 」
この子は、私をなんて呼ぶのだろう?
『おばあちゃん?』
「おばさん、こんにちは。お邪魔してごめんなさい。」
子供は、部屋から出ていく。声をかける間もなく。
私は、あの子の名前も知らない。呼び掛けることも出来ない。
「お客様が来ていると聞いたじゃないか。おじいさまの邪魔をしてはいけないだろ。」
息子が子供を叱っている声が聞こえる。
『お客様』
息子の子供たちにとって、自分は、見知らぬ他人だと分かった。
家族を作ろうと努力しなかった自分が、家族に認められるはずがない。そのことに愚かに気付くことは最後まで出来なかった。
何でも叶うはずだった。
令和になりました。
おめでとうございます?
これからもよろしくお願いします。
清治の母親の話です。




