14.しづく3
しづくはショッピングを楽しんでいた。
外は冬の寒さも和らぎ、春めいた日が続いている。
もう歩き出さなければならない。
「しづくさん、こっちの色なんかどうですか?」
梓さんがスカートを見せてくれた。
痩せてしまったため、服が合わなくなっていた。
今日は新しい服を見に来ている。
心機一転でいいのかもしれない。服を一新するのも。
奮発でランチを食べようとデパートに行った。
平日だというのにすごい人だ。
エレベーターで梓さんとはぐれてしまった。
人に押されて、どんどん違う方向に来てしまった。気がついたら、見慣れない場所。
いや、何回か来たことがある、圭人と。後ろのエレベーターに乗って上の階に。
いくら人混みにのまれたからって、どう考えてもこんなところに来ない。早く移動しないと。
「あら、しづくさんじゃないの」
後ろから⁉️ 聞きたくない声が聞こえた。
「圭人と別れたあなたが、何故この場所にいるのかしら?」
来たくて来たんじゃない。
そう言いたいけれど、言葉がでない。
振り返ると、もう会うことはないと、もう会わなくてもいいと思っていた人が立っていた。
「残念なことにちょうど、あなたにお会いしたいと思っていましたの」
しづくは、会いたくなかったと首を横に振った。
圭人の母親、瑞季さんは、会ったときから苦手だった。
圭人といっしょに居ても、しづくなど居ないと扱うか、侮蔑の目で冷たく見てくるか、どちらかだった。
ドンと誰かに押されて、瑞季のいるエレベーター内に押し込まれる。
慌てて降りようとするが、無情にも扉は閉まり上に上がっていく。
「しづくさん、しっかりと話し合わなければいけないことは、分かっていらっしゃるわよね?」
話し合うことなんてない。
いつも一方的にしづくが言われるだけだ。
何を言っても庶民の戯れ言と聞き耳を持たず、自分の言葉だけ押し付けてくる。
だから、圭人は本当に必要な時以外は瑞季と会わせなかった。
「子供が生めないからと身を引いたことは、誉めてさしあげます」
言葉がグサリと胸に刺さる。
生みたかった、どの子も。生まれなかった、どの子も。
「たかが、入院を知らなかったくらいで、圭人が悪いように離婚されなくてはならなかったのですか?」
一度しか連絡をくれなかった圭人。
諦めて、一度も連絡をしなかったしづく。
どちらが悪い?
「跡継ぎが生めないから、離婚を願い出るならまだしも、あなたから離婚なんて思い上がりも甚だしい。そもそもあなたが、子供を生めないから、圭人が外で女を作らなければならなかったのでしょ」
生めないから・・・。
だから、浮気したの? やっぱり子供が欲しかったから?
考えないようにしていたことがゆっくり頭を表す。
「あなたの言い分をゆっくり聞かせていただくわ」
どうせ何を言っても圭人が悪くないと言うだけなのに。
何も言いたくない。もう忘れたいのに。
扉が開いた。
少しでも距離をとろうと、扉に凭れていたしづくは転がるように外にでて、みっともなく座り込んでしまった。
瑞季さんが驚いた声をあげていた。いつもなら、無様なしづくを笑うはずなのに。
「瑞季様、ご無沙汰しております」
女性にしては低めの、それでも聞きやすい声がすぐ側でした。
「お話があるのですか」
エレベーターの扉が閉まる。瑞季さんが降りた気配はない。
小さなため息が聞こえると、白い手がしづくの目の前に現れた。
「大丈夫ですか?」
とても綺麗な女性が目の前に立っていた。瞬きしている間に消えてしまいそうな儚げな感じがする女性が心配そうにしづくを見ていた。
どこかで会ったことがある? けど、こんな美人会ったら覚えている。
「顔色が悪いですよ。少し休みましょう」
その女性はそっとしづくを立たせ、店員に何か頼んでいる。
すぐに小さな部屋に案内された。
ソファーに座ると、目の前にコーヒーとお菓子が置かれる。
「ゆっくりしてください」
気遣う優しい眼差しに、優しい声に視界が歪む。
「あ、ありがとう、ございます」
何も聞かれない。
服装を見たら、しづくがこの階に相応しくない人間だと分かるのに。
エレベーターの中で何があったのか、何故、瑞季さんと一緒にいたのか何も聞いてこない。
ここにいるということはこの女性もセレブの人なのに。
たぶん、瑞季さんより上の。
社交界に頻繁に顔を出していたら、面識があったかもしれない。しづくが参加していたの、慣れてないだろうと身内の小さなパーティーばかりだったから。
「無様な女をどこにやったの!」
瑞季さんの声が聞こえた。体が震える。
また会って、聞きたくないことを聞かなければいけないのか。
目が合うと、女性はふわりと笑った。
「大丈夫です」
守ってくれる。しづくのことを知らないのに。
涙が溢れてくる。止められない。
「ここは、防音なので大丈夫ですよ。」
優しい優しい声が降ってくる。
梓さんや正哉兄さん、しずるのように理由を知っている人からの優しさではなく、何も知らないのに、何も関係ないのに、ただ優しい。
しづくは嗚咽をあげて泣き出した。
やっと涙が止まった頃、目にと冷たいおしぼりを渡された。
いたせり尽くせり状態。
それに人前でこれだけ泣いたのは初めて。それも知らない人の前で。
「あの・・・」
女性が申し訳なさそうに声をかけてきた。
「す、すいませんでした」
しづくはガバッと頭を下げた。
醜態を見せてしまって、呆れられたんだ。
「いえ、スマホが鳴っておられたようなので。お連れの方がいらっしゃるなら、ここへ来ていただくよう連絡していただけたら。心配なさっていらっしゃると思いますから」
クスクスと笑いながら言われたことに、梓のことを思い出した。慌ててスマホを取り出す。不在着信がいくつもあった。
「総合カウンターで外商と伝えましたら、ここに案内していただけます。あなたは、まだ目を冷やされた方がよろしいので」
甘えて梓さんに連絡を取る。
すごくすごく心配していた。早く連絡をせず悪いことをしてしまった。
「お連れの方もゆっくりされるといいですよ」
優しい言葉に縋ってしまいそうになる。
優しい優しい人。この人なら、圭人がしたことをどう感じるの?
「話を聞いてもらっていいですか?友人の話なんですけど」
女性は、私でよければと微笑んでくれた。
女性は、憂いをおびた表情でそっと息を吐いた。
「相手の男性に望まれてご結婚されたのに」
その声は悲しみに満ちていた。
「けれど、その男性はもう釈明も謝罪もそのご友人の方に直接出来ないのですね」
その言葉に気付く。
あの時は何も聞きたくなかった。
決心が揺らぎそうで会いたくなかった。
けど、今は何故? どうして? もある。
私が子供を生めないから?
「その気になれば、弟のしずるさんに会えます。けど、一度も謝罪に見えてないのですよ!」
梓さんが噛みつくように言った。
梓さんは話している途中で来て、すごく心配してくれた。
女性に促されるまま、黙って隣に座っていてくれた。
女性も言い淀むと急がさず先を促す言葉を挟むだけで、聞いていてくれた。
「お連れの方もご存知なのですね。お怒りになるのは、ごもっともだと思います」
女性は物憂げにため息を吐いた。
「どんな理由があったとしても、浮気は・・・。」
ものすごく悲しげな表情をされたから、こんな綺麗な女性でも相手の方に浮気されたことがあるのかもしれない。
「お聞きしていると、相手の男性はとても子供のような方だてと感じました」
圭人をそうな風にいうなんてびっくりした。
「こ、どもですか?」
梓さんもびっくりして声が裏返っている。
「売り言葉に買い言葉で、深く考えずに離婚届に記入されたところも。浮気現場を見られて逃げ出したのも、電話に出られなかったのも、悪戯を見つかった子供が叱られたくなくて逃げているようで。
今まで、大きな問題に当たられなかったのか、周りの方々のフォローがよろしかったのか。謝り方も責任の取り方もよく分かっていらっしゃらないように感じます」
男の方はいつまでたっても大きな影響子供だといいますが。
女性はそれでもと首を傾げてため息を吐いていた。
「けど、子供なんて、仕事もちゃんとして・・
」
しづくの中での圭人は子供っぽいところもあったが、支えてくれる人だった。
「私がお話を聞いて感じたことなので、お会いしたことのある方と違う印象なのだと思います」
せっかく意見を言ってくれたのにきつい言い方をしてしまった。それでも女性は受け止めるように優しく微笑んでくれている。
「私、そんなに子供と感じるように話ましたか?」
そう思えるように話してしまったなかな?と思う。
「いいえ、その男性が浮気が発覚されるまではご友人を大切にしていらっしゃったと感じました。ご友人も男性をとても信頼されていたと。だからこそ、そう思えたのです。何故そのようなコトを出来たのかを考えると。男性の方が聞かれていたのなら、また違う印象をもたれたのかもしれませんね」
大切にされていると感じた。
圭人にちゃんと大切にされていた。そう認められたのが嬉しい。
「ご友人がご自分を責めていないか心配です。夜、眠れていらっしゃるかも」
女性が目を伏せた。
「大切にされていたからこそ、どうして? と思われているでしょうから」
もう、離婚したから、もう大丈夫。本当に大丈夫。
何故って思う時があるけど。
知りたいけど、知りたくない。
これ以上、惨めな思いをしたくない。
「眠れてないみたいです」
梓さんが言った。
泊まりに来てくれるから、気付いていたんだ。
「そうですか。お辛いですね。気付かれる方も」
女性は悲しげに呟いた。
「あっ! ゆめを見るんです」
誰にも言わないつもりだった。
あの夢のことは。なのに何故話しているんだろう。
「ゆめ、ですか?」
「その子、流産してて。」
女性の顔がますます曇る。
「夢で子供に囲まれるそうです。子供たちが何か言っているみたいだけど、聞こえなくて。手を伸ばしてくるんだけど、触れてこない」
梓さんが手を握ってくれた。
「ごめんなさいと泣くしか、生んであげれなくてごめんなさいって、ただ泣くしかできないんです」
涙か溢れそうになる。
生みたかった子供たち。会いたかった子供たち。
圭人としづくの子供たち。
「お子さんの表情は?」
「見れません。睨んでいたらと思うと」
梓さんの手に力が入る。
「そうですか・・・」
女性は目を伏せた。
あの子たちに何をしてあげられるんだろう。生んであげられなかったのに。
「夢、夢なのですよね?」
女性は自分に確認するように呟いた。
「夢なのですから、その方がお子さんにしてあげたかったことをされてみては?」
え?子供にしてあげたかったこと?
「で、でも」
でも、生んであげられなかったのだから。
あの子たちは、生まれたかったのに。
「お子さんがどんな表情をしてみえるのか分からないのでしょう? それにご友人が見られている夢です。ご友人の思い通りにされてもよいと思いますが」
ゆ、め、なんだ。私が見ている夢。
私が見ている夢なんだから、私がしたかったことを子供たちにしてもいい、いいんだ。
「あ、ありがとうございます」
しづくは、頭を下げた。
今度、夢を見たら、子供たちにごめんなさいじゃなくて・・・。
「こちらこそ、勝手なことばかり申し上げて。少しでもご友人のお気持ちが軽くなられるとよろしいのですが」
女性が優雅に頭を下げた。
そんな、助けてもらって、聞いてもらって、してもらってばかりなのに。
それからはたわいのない話をしていた。
扉がノックされた。
扉を開けて入ってきたのは、びっくりするほど美形の男性と正哉兄さんだった。
美形の男性は女性の方に嬉しそうに歩いていく。旦那さんだろうか。美男美女ですごくお似合いだ。
「じゃあ、帰ろう。ありがとうございました。失礼します」
「ああ、じゃあな」
「いえ、何もしておりません。お気をつけてお帰り下さい」
正哉兄さんは美男美女に声をかけると、スタスタと部屋を出ていってしまう。
「ありがとうございました」
梓さんと頭を下げて後を追いかける。
「正哉兄さん、知り合い?」
「旦那のほうが出資者だ。それより凄い美人だろ」
梓さんと頷いた。あんな人と一緒の部屋にいたなんて夢みたいだ。
「顔色がずいぶん良くなったな」
エレベーターの中で正哉兄さんに言われた。
なんだか心が軽くなった。
あの女性に聞いてもらえたからかもしれない。
今日から1日1話です。
夢にもっていきたくて、瑞季より力のある者として女性を登場させました。
瑞季さんは、格下の家に嫁がされて不満一杯の我が儘人です。