10.清治1
清治は自分のデスクで集まってきた書類を読んでいた。
圭人君が配属された部署からの書類だ。
圭人君は精力的に仕事をこなしていた。
まるで何かを忘れるように。
受付嬢の野村恵美とは円満に別れたと聞いた。
彼女はターゲットを取引先の若手エリートに変えて、頻繁に合コンに出掛けているらしい。
圭人君の新しい女の話はまだ聞かない。
まあ、一番忙しい部署だからそんな暇もないかもしれないが。
圭人君のもう一人の女、木崎江里にも偶然会った。細身の大人しそうな女性だった。取り立てて美人でもないが、品があり、芯が強そうな人で、そんな不倫をするような人には見えなかった。
葉月が引っ越してしまう前にと無理矢理家に招待したらしい。
うちの人見知り姫が彼女の膝の上に座り、上機嫌だったのにはびっくりした。義母の瑞季にまったく慣れず、清治が嫌味ばかり言われているのに。
そういえば、しづくさんにもよく懐いていた。二人とも根は同じなのかも知れない。
木崎江里と葉月は、学生の頃はお互いの家を行き来する仲だったらしい。
葉月に聞いたら、木崎江里は10年くらい前に倒産した商事会社の令嬢だった。大きな商事会社だったが海外の取引先が不渡りを出したのをきっかけに経営が傾き、アッという間に潰れた会社だ。
圭人君にとって木崎江里は二人目のお姉さんだったのだろう。いや、初恋の人だったかもしれない。
圭人君と再会した木崎江里は実家の倒産という困難を乗り越えている。苦汁を味わっている分、強くなっていた。圭人君は、その強さを頼り、甘えてしまった。圭人君に恋情を持っていた木崎江里はそれを受け入れた。それから、木崎江里は圭人君の逃げ場になっていた。
しづくさんと結婚する前にちゃんと別れていたらしい。ヨリを戻してしまったのは圭人君の弱さと木崎江里の恋情だろう。
「問題は、瑞季さんだな」
清治は呟いた。目の前にかかげた書類は苦情ばかりが書かれている。
圭人君は本社勤めになってしばらく経った休日に、久々に葉月を訪ねてきた。
「姉さん、お願いがある」
葉月は弟の言葉に困惑していた。
だから、清治は葉月の肩を抱いた。聞くだけ聞いてみようと。
「私に叶えられるのかしら?」
「江里が、いや、木崎さんが結婚が決まったら、一緒にお祝いを送って欲しいんだ。俺には連絡が来ないと思うから」
清治は驚いた。もっと木崎江里に執着するかと思っていた。
「贈りたい物とかあるの?」
隣で妻が笑ったのが分かった。
「残らない物がいい。花とか? お金は味気なくて」
祝いたいけど、形に残らない物にしたい。
それは相手への気遣いか、気持ちがもう無いのを表したいのか。
「メッセージはある?」
圭人は顎に手を当てて、少し考えている。
「感謝と幸せになってください」
「『誰よりも幸せに』じゃなくていいのかい?」
意地悪でもなんでもなく、だだ口から出ただけだった。
バツの悪そうな顔をして、圭人君は俯いた。
「『誰よりも』幸せになって欲しいのは・・・」
葉月に脇腹を小突かれたが、社交辞令みたいなものにそこまで反応しなくてもと思う。
まあ、それだけしづくさんへの想いが深いということだろう。
圭人君はそれに気付くのが遅すぎた。
「引っ越し祝いとしては?」
葉月が気を利かせて話を変える。
「職場でだけど、餞別をしたから」
過剰に贈り物をする気もない、と。
圭人君は変わろうとしている。
仕事のほうでも。角の立つ仕事方法だったのが丸くなってきている。それはしづくさんと結婚したときから、表れていたが、今は目に見えて表れている。
確実に良い方向に変わろうとしている。だから、母親の瑞季さんが問題だった。
連日のように職場に届く見合い写真。一日一回は訪ねてくるご令嬢。
圭人君が職場に着くとまず行うのが机の上に山のように積まれた見合い写真と釣り書を箱に詰めることらしい。
令嬢には挨拶だけして、すぐに帰るよう促しているようだがうまくいかないこともあるらしい。
圭人君や清治はもちろん義父の幸生も瑞季さんに止めるように言っているが、聞き入れる様子もない。業務妨害の言葉を知らないのだろうか? このことで、圭人君を追い込んでいることも、立場が悪くなっていることも気付かない馬鹿なのか?
どれだけため息を吐いても吐き足りない。
そして、瑞季さんはしづくさんの居場所を必死に探している。
しづくさんを見付けて、圭人くんと会わせるつもりだろう。しづくさんに謝らすつもりで。
それがどれだけ圭人君を傷つけることか考えないで。
さて、どうしたものか。
瑞季さんより先にしづくさんと会わせることが出来る。
まだ圭人君がその準備が出来ていない。
しづくさんは圭人君との子を生みたかった。
圭人君もそれを望んでいた。
だか、しづくさんは子供を授かりにくかった。
だから、圭人君は他の女を抱いてはいけなかった。
セックスは子供を作るだけの行為ではない。
だが、子供を作る行為でもある。
圭人君は己の罪深さをまだ実感していない。