出会い
“遥か古より存在せしルーナカッセル
世界は月の女神と時の守り人によって平和が約束される”
ルーナカッセルには昔から月の女神と時の守り人と、その他複数の神様に守られた大地であるという良くあるおとぎ話のような言い伝えがあった。
複数の神様と言う、何とも朧げな表現であるのは、絵本や伝記には大抵諸説や筆者の作り話が含まれており、月の女神と時の守り人以外の神様の登場は後付けであったり、そもそも存在しなかったりと色々な理由があるから、らしい。
この大地に住む人々は誰一人として、その理由の深い意味なんてものは知らなかった。
「はぁっはぁっ」
時は夕刻。金色の髪、夕焼け色の瞳の耳長種の少女は森の中をただがむしゃらにひた走る。何かから逃れるように。彼女には兎に角、追って来る者に絶対に捕まってはならない理由があった。
「あっ!」
背後を確認しようと振り返った不注意で、少女は木の根っこにつまずいて派手に転ぶ。
「えっ人!?」
「!!!」
突然の人間の登場に少女は身を強張らせる。
少年だった。布の服、一切武装しておらず、如何にも無害そうな人物がこちらを見つめている。
人里が近いのだろうか、と少女は安堵して少しだけ体の力を抜く。
「あの、私…!」
息も絶え絶えに少女は目の前に現れた少年に、半身だけ起こして縋り寄る。
「こっち」
少女の手を引いて起こし、少年は足早に歩く。
「ここから入れるから、足元に気を付けて」
案内された先は何の変哲もない、森のそこら辺に生えている物と同じ樫の木の下だった。
「ここって…何も無…ってうわぁ!」
先に木にぶつかるように付近に寄った彼は、突如少女の目の前から跡形もなく消えてしまった。
「大、丈夫なのかなぁあの子に付いてって…でも…」
後ろを振り返る。辺りは静まり返り何も聞こえないが、それでも今はこの場から少しでも遠く離れたい。今は目くらましになるならば何でもしようと彼女は決意し、足を一歩進めた。
「ひゃあ!」
尻もちをつくような形で落ちてきた少女を、ふわふわとしたものが受け止める。
「クッション引いてて良かったよ。時々落ちてくる人居るから敷いてるんだ」
「ここ…?」
身体を起こして見渡したその場所は、薄暗く息が詰まりそうな程狭い通路のような場所だった。
天井は成人が屈まずに何とか済む位の高低差しかない。
「地面の中だよ。ここは普通なら見つからないけど、もっと先に行くなら別の出口もある」
そう言って少年は道の奥を指さす。
ところどころに配置されている青い石のようなものに光が灯っており、視界の確保で言えば光源はギリギリだが、それによって辛うじて先へは進めるようになっていた。
「…いいの?見ず知らずの私にそんなこと教えて」
出会った時からの冷静さや、その妙に慣れているような口調の少年に少女は流石に不信感を覚える。
「うちこれでも材木屋なんだけど、木なんて重くて価値の無い物そう盗ってく人も居ないから。まぁ休んでいくなら一応父さんに話してってよ」
「家族と住んでいるの?」
「父親…って言っても、俺は捨て子だから、血は繋がって無いんだけどね」
少年についていくと、洞の突き当りには結構な高さの大空洞があり、そこに何とも不釣り合いな、可愛らし木造の小屋があった。躊躇いなくそこに入っていく少年に少女は続く。中もまた、驚く程に何の変哲もない、人が生活するに特に不自由なさそうな簡素な部屋だった。
「なんだウイン。また人でも迷い込んできたか?今日は誰も居ないから…ってなんだ、その嬢ちゃんは」
奥の部屋から出てきたのは木材を持った背が高く目つきが鋭い、無精ひげの厳めしい男だった。ウインと呼ばれた少年と黒い髪色は似ているが、確かに体躯も顔つきも明らかに異なる。彼の言った通り、赤の他人であることが少女にも窺い知れた。
「何かから逃げてきたみたいだから、つい勢いで匿っちゃって」
「はー?お前面倒ごと持ち込むのだけは辞めとけって言ったろ!さてはその娘さんが可愛かったからだな!」
「面喰ったろ?…これうちの父親。元魔法使いなんだけど、偏屈過ぎて今じゃ木こりやってるんだ」
「俺にゃあ薬品より木と土が向いてたんだよ」
そう嘯くウィンの父親は部屋から運んできた木を、応接間のようなこの空間にある暖炉の付近の薪置き場と思わしき場所にやや粗雑に放った。
「あの木の根っこは魔法だったんだ…」
先ほどの奇怪な仕組みの玄関口に合点がいって少女は一人呟く。
「まぁこんな森ん中ウロついてる奴ぁ訳アリが殆どだし、多くは聞かねぇけどな。ウイン、お前今日の仕事終わってるならこの娘さんの手助けでもしてやれ」
「はいはい」
「ど、どうも」
少女が慌ててお辞儀すると、父親はそれ以上詮索する事もなく手を振ると、元居た奥の部屋に伸びをしながら帰っていった。
ウィンは父親に二つ返事をしつつ棚から大きめの木箱を取ってきて机に置いてから、四つ並んだ椅子の一つを引いた。
「そこ座ってて。今タライ持ってくるから」
「?うん」
少女は促された通り直ぐ近くの木の椅子に腰かけて、小屋の外に出ていくウインを見送る。
彼はドアを全開にしたまま外へ出て行ってしまった。
「普通の家だ…」
一人になったのを良い事に、やや不躾に室内を見回す。何も無いが、木の根っこの洞の中にあるとは思えないような、綺麗な部屋だった。
ウィンが水を溜めたタライを持って外、もとい洞から戻ってきた。
「靴脱いどいて。悪いけどうち風呂無いからさ。傷洗うだろ?」
「え?あっ…」
膝を指さされてそこでやっと少女はさっきの転倒で負傷していた事に気が付いた。
「結構痛そうなのに、鈍感なんだなぁ」
「そ、それは必死だったから…!あたたっ」
少女は履いていた靴を放って痛みに身悶えながら、やや雑に足を洗った。
「これ超沁みるけど、父さんの調合した傷薬だから、塗れば直ぐ傷ふさがるよ。あれで腕は良いから」
先ほどの木箱から消毒剤を出してウインが少女の膝に手早く塗布する。
「ぅ、あいたーーーーーー!!!!!!」
「おぉ良い反応」
手当をしながら少し楽しそうな態度を取るウインを少女は涙目で睨む。
言われた通り、確かに驚く程の速度で痛みも引き、傷も消えた。
「薬…そうだ…私、変な施設で変な実験ずっと受けてて…最初は薬?みたいなものを使われてぼんやりしてたんだけど、恐くなって隙見て逃げて来ちゃったんだ…!」
「薬物実験…ってことは、奴隷か何かだったとか?その割には良い服着てるけど」
少女は言われて目を落とす。白基調の、ウインよりもよっぽど上質な布地で出来た服を纏っている。
「この服何処製だろ…織り方が丁寧というか、…布の手触りも凄く良い…!」
「あっちょ…っもぉ!あんま触んないで…!」
珍しい布地が気になったのか、あろうことかウインは少女の胸の付近の布に触れる。あまりにも遠慮ない態度に耐えかねて少女が身を捩った。その瞬間。
「!」
戸を乱暴に叩く大きな音が響いて二人同時に振り返る。まるで複数の何かが体当たりして、扉を外から突き破ろうとしている様だった。
驚き身を強張らせる少女の背を叩き、ウインは声を潜めて合図する。
「…裏口から出よう。おーい父さん!」
「おー仕事は気にすんな。戻らんでも良いがたまには顔見せろよ」
ウィンは薬箱を抱えると別の扉から外に出る様少女を促す。
「えっ…お父さん置いてくの…!?」
「あの人は魔法使いだから大丈夫。家簡素だったろ?今までもこういう夜逃げ紛いな事は何度もしてるんだよ」
「なんでそんな事…!」
今の事態も呑み込めないが、少女には彼の事情も理解が出来ない。けれど今は一刻を争う。
ウインと一緒に、言われた通り小屋の裏口と伝えられた扉から外に出た。
「ちょっと離れてて…ふんっ!」
ウインは扉の外の直ぐ近くにあった自分の2倍近くある巨大な岩石を引き摺って、扉を用心深く塞いだ。
「え、凄っ!」
「ふふん何を隠そう実は生まれつき馬鹿力なんだ」
得意げにするウインが、急に現れた素性も知れない見ず知らずの自分にも動じなかった理由が少女にもやっと納得できた。父親は魔法使い、さらにウインのこの力があれば余程武力がある者がここに攻め入らない限り、襲った所できっと返り討ちに合うだろう。
何故こんな暮らしをしているかは謎だが、彼らには大抵の物はきっと脅威にならないのだ。
元来た道と同じ様な細長い通路を左程走る事無く、真正面から光が見えた。
「外だ…!あ…っ!」
どこから回り込んできたのか、その複数の白い化け物は森の奥から大量に現れた。
蜘蛛の様な形の四肢に、兎の様な長い耳。磨かれた様なつるりとした無機質な質感は贔屓目に見ても生きているものではない。
「何なんだこいつら…」
「あの施設に居たのと同じ…!」
少女に向かってきた白い化け物をウインが蹴り倒す。それは弾んで木に打ち付けられるも、見た目よりも頑丈で、また直ぐに体勢を立て直す。その間にもわらわらと何匹も森の奥から湧いて出てくるのが見えた。
「きりが無さそうだ。逃げよう!」
「!そうだ、薬箱の中に魔力回復薬はある?」
「あんた魔法使えるの!?」
ウィンに渡された青い小瓶の中身を煽ると、少女は白化け物に立ちはだかり両腕を伸ばす。
「私は使えないけど…!シス、お願い!」
剥きだしになっている少女の肩の紋様が光り、その二つが空中に浮かび重なって魔法陣から白い羽の付いた球体が現れた。
「召霊!?」
「乗って!」
ウインと少女を乗せたそれは、緩慢な動きで飛翔し、森をどんどん遠ざけていく。追手は流石に空には飛べないようで、その場でまごついていた。
その球体は良く見れば中央にらくがきのような顔と、顔の大きさの比率に合ってない有り得ない程に小さい体が付いていた。
「精霊って…なんか不思議な形してるんだな」
「いや、私が未熟だからこんな姿になっちゃうだけで、本当はもっと格好良い…と思う」
「なんだ、みんなこうなのかと思った」
「私だって本当はもっと高尚なお姿で呼び出してあげたいよ…ふぁ…召霊は、私がしたい事をしやすいように想像して、お願いした容に成って貰う…みたいな感じ…なん、だけど」
「?お、おいどした?」
段々と失速、降下していくシスと、頭を抑える少女に気付いてウインは身を乗り出す。
「シスに…魔力、吸わせ過ぎちゃった、わ…ねっむ…っ、あ~…」
「頼む頑張れ!流石にここから落下したら死ぬ…っ」
「ちょっと、君…私の隣で、暫く…やかましくしてて…っ!私が寝ないように!!!」
「よし分かった!」
この日ルーナの上空に響き渡ったとてつもなく酷い歌声はちょっとした七不思議になった。
「…はぁ、なんとか地面についた、と…」
少女は糸が切れたように意識を失い、それと同時にシスも姿を消す。
少女を肩に乗せて、ウインは取り合えず休めそうな場所を探そうと周囲に目を凝らした。
闇夜の中少女は歩く。月明かり以外、何も見えず、何も思い出せない。自分が今まで何をしていたか、どうやって生きていたのか、どうしてあの施設に居たのか。自分は一体、誰なのか。
「ん…あれ…?ここどこ」
薪の爆ぜる音に気付いて、少女はゆっくり目を開いた。
「落ちたとこ近くに洞窟があったから、追手も来なさそうだったし、取り敢えず起きるまで休ませとこうと思って」
洞の出口は直ぐそこで、外はすっかり暗くなっていた。
「水飲む?」
「うん」
水が満たされた容器は今しがた作ったばかりなのか、木の良い匂いがした。
どれだけ寝続けたのか、寝起きで喉がカラカラだった少女は豪快にその水を一気に飲み干した。
「…ウイン、だっけ。ありがとう。君、良い人だね」
「良い人っていうか…そうだな、売るのは良心、買うのは恩義ってね」
「?」
「父さんの座右の銘なんだ。俺が拾われる前の話はあんまりしないから良く分からないけど、何でも、危ない実験とか儲け主義の魔法使いに嫌気がさしたんだってさ。今思うと、うちに来た人に普段あそこまで寛容じゃないんだけど、何となくあんたの内情を察してたんじゃないかなぁって」
「なんか、ウィンを拾ってくれた理由も想像つく。良いお父さんなんだね」
「変な人だけどな。そういえばあんた…名前聞いたらまずい?」
「あ!」
口をあんぐり開けて少女は困惑する。
「そうだ、まずいってかやばいの!私、よく考えたら自分の名前とかも全然覚えてなかった!今まで何してたとか、住んでた場所とか、出身地とかも…全っく思い出せない!どうしよう…」
少女が覚えているのは、召喚術を使える事、自分が捕まっては不味い事情がある、という事だけだった。
「そっか。じゃあ仮の名前が要るな」
「へ?」
困惑する少女を余所に、ウインはあっさりした口調で提案する。
「だっていつまでもアンタとかちょっとそこの人、じゃ流石に不便だろ」
頭を抱える少女を他所にウインは落ち着いた声音で答える。
「そうだなぁ…ホタルとかどう?下の名前は、ヴォルガの森に居たからホタル=ヴォルガ」
「えぇ…それ思いっきり虫の名前じゃない…森に湧いてる虫みたいじゃん…」
「だってその髪の金色、ホタルの光っぽくない?ほら」
ウィンは火を消して、洞窟の奥を指さす。そこには淡く黄金に輝くツチボタルの光が広がっていた。
「綺麗じゃん…」
「気に入った?」
「…良いよ、私は今日からホタル=ヴォルガ。宜しく」
「俺はウイン。義父サマソス=クートの息子だからウイン=クート」






