第三回:光仁親王、王に即く。
「親父さんのことは残念だったな」
デッキで本を読んでいると、ハジメが話しかけてきた。親父さんとは和正卿のことである。和光は頷くと、しばらくの間黙っていた。
「俺は親父とおふくろの顔を見た事がない。……いや、見たくもないな。勝手に赤ん坊こさえておいて、スラムに捨てた奴らだ。ろくな奴らじゃねぇ。」
そう言うとハジメはタバコを取りだし口に咥えた。
「お前も吸うか?」
「肺があまり丈夫じゃないんだ。遠慮しておきます。」
「そうか。……何を読んでいるんだ?」
ハジメは和光が読んでいる本が気になったようだ。
「これかい?生きるとは何か、という本だよ。」
「外国語で読めねぇぞ。」
当然である。この書物は自由ベルサイユ王国で発行された本で、民主国家に輸出され大きな反響を呼んだ。しかし、内容には独裁政権、ブルア貴族を批判するような文章があったため、大和公国では一切輸入されていない。和光が持っているのは、叔父がお土産で買ってきたからだった。言語は全てベルサイユ語であり、和光でも辛うじて読めるほどだった。
「なぁ和光。」
ハジメは本を読んでる和光の姿を眺めながら問いかけた。
「そんな本を読んで何になるんだ?生きる意味を探してるってか?」
和光は今まで集中して本を読んでいたが、それをパタンと閉じ、ハジメと今日初めて目を合わせた。
「僕の今の使命は、父の意思を受け継ぎ、龍朝再興とブルア打倒だと信じています。」
和光はそう言うとため息をつき、頭を抱えた。
「でも、それが生きてる理由かと思えば、違うような気がして。父さんは、皇帝陛下を支える事が生きる理由だった。でも僕は……。」
「……俺には何でお前がそんな事で悩むのか理解できんがな…。」
「じゃあ、貴方は生きる目的みたいなのがあるんですか?」
ハジメは呆れた顔をしてため息をつき、煙草を灰皿に捨てた。
「和光……何故お前は“生きる目的”とやらに執着してるんだ?今までのうのうと平和に生きてきて、そんな中いきなりこんな事に巻き込まれたから、このままじゃいけないと思ってそんな事を考えるようになったのか?」
「そういうわけじゃ」
言い返そうとする和光の胸ぐらをハジメはグイッと掴んだ。
「生きる目的を探す余裕は今ねぇんだよ。昔の詩人みたいにそんな事を探したいならアテネ共和国にでも行きやがれ。お前みたいなガキが一丁前な事語ってんじゃねぇよ。」
そう言うとハジメは和光を突き放し、和光は勢いで尻もちをついた。
「俺はな、生まれた時からずっと、明日生きるために生きてきたんだ。朝廷の再興だとか、民のためだとか、そんな事の為に生きてなんかねぇよ。軍に入隊したのは、入隊しなければダチが殺されたからだ。お前らの朝廷再興に協力してやったのは、俺を苦しめたブルアの奴らに復讐するためだ。それだけだ。」
ハジメは最後に舌打ちすると、船内へ戻っていった。和光はハジメの背中を眺めることしか出来なかった。
赤城神社は赤城山の神を祀る神社で、長岡府に位置する。赤城神社には謎が多く、いつからあったのか定かではない為に、今私が執筆している現在においても歴史家達は議論を交わしている。湖の上に浮かぶ大きな島の上に建っており、神社が鮮やかな朱色で塗られているのが特徴で、見る者を魅了させる雅な建築様式だ。
和光一行は近くにある茶屋で昼食を済ませ、薫の案内で橋を渡って赤城神社に着いた。薫は近くにいる神官に声をかけた。
「お久しぶりです、神主さん。」
「おお!徳田の娘さん。」
呼ばれた神官は70ぐらいの老人で、にこやかな笑顔で一行を迎えた。
「その方々は?」
「はい、友人の、長門院和光様です。後ろにいるのは護衛の人達。」
神主は少し厳しい顔をした。
「何用で参ったかは存じませぬが、そこの武器を手にする者達を神聖な地に入れないで頂きたい。」
「お前ら、橋の向こうで警備してろ。俺の武器を預かってくれ。」
ハジメはそう部下に命じ、和光は神主に挨拶をした。
「私は先帝の重臣、長門院和正の嫡男和光です。神聖な地を汚そうとした事をお許しください。実はここに、光仁親王殿下がおられると聞き、駆けつけた次第にござります。何卒謁見のお許しを。」
「……ついてきてくだされ。」
神主は和光、薫、ハジメの三人を社とは反対にある森に案内した。暫く歩いていると、遊んでいる子ども達を見た。子ども達のすぐ近くには、百歳以上の仙人と思われる老人が切株に座っていた。神主は老人の前で跪き言った。
「お連れしました。」
「あぁ、遠路遥々お疲れ様でしたなぁ。」
老人はしわがれた声でそう言うと、
「神主、この者たちは、怪しい者ではない。」
と続けた。和光は、怪しい者とはどういうことかと尋ねると、神主は笑いながら、
「申し訳ありませぬ。実は、ブルア幕府の密偵かと疑っていたのです。この方は赤城山神にござりまして、貴方達が怪しい者かどうか見てもらったのです。」
「この方が、神!」
和光は驚いた。赤城山神らしいその老人は笑いながら、
「いかにも、わしは赤城山神と呼ばれておる。神主よ、やはり、このような姿は分かりにくいのかのぅ。美しい女子の方が、かえって良いのかも知れん。」
と言った。和光は慌てて挨拶した。
「朝廷の長門院和光が赤城山神に拝謁致します。どうか御無礼をお許しください。」
「いいとも、いいとも。ついてきなさい。光仁親王は確かにここにいる。」
赤城山神がそう言って立ち上がろうとした時、
「おい待て」
ハジメが呼び止めた。
「俺は神とやらを信じない人間だ。」
「無神論者かね?そういうのは古からいる。珍しくないし、気持ちも分かる。わしも昔は……信じなかったからね。」
「本当に神なら死なないんだろ?」
赤城山神は微笑みを崩さない。
「ならば、試して見てはどうか。懐に隠してある拳銃でのう。」
赤城山神がそういった途端、ハジメは素早く拳銃を取り出し彼の額に当てた。
「ハジメさん、やめてください!」
「ちょっと止めて!!」
「二人共、落ち着きなさい。この者がわしを疑うのは無理もない。目を見れば分かる。相当辛い人生を送ってきたようだね。」
和光と薫が止めようとするが、赤城山神は気にせず、最後にはこう言った。
「神は何もしないんだよ。全て人間のせいなんだ。聖域大戦が勃発したのも、西洋人が国を乗っ取ったのも、君が辛い人生を送ったのも。」
「うるせぇ!」
乾いた銃声が鳴り響く。しかし、その弾丸は神の近くまで来ると、いきなり静止し、コロリと落ちた。見えないバリアが覆っているのであろうか?ハジメは舌打ちすると、銃を和光に渡した。
「人間では無さそうだな。」
「これで済んだかね?ならば、行こうか。」
赤城山神と三人は光仁親王が隠れているという小屋に向かった。道程は長いようで、疲れを紛らわす為に和光は赤城山神に話しかけた。
「貴方は、ずっと昔から神だったのですか?」
彼はちらっと和光を見ると、歩き続けながら問に答えた。
「……この国の神々は皆、わしと同じじゃ。いつからか人々に神と敬われる存在になったのじゃ。実際、神という存在を創り上げたのも人間じゃからな。」
「私は神がこの世界を創り上げたと信じています。」
薫がそう言うと、赤城山神は苦笑して
「確かに今の世界を創り上げたのは、君達にとって神様、創造主じゃな。」
そう言ったが、しばし沈黙した後、
「愚かなことよ。過ちを犯さない新たな種族と豪語しながら、結局我々と同じ事をしているのだから。」
この言葉は、誰が聞いても容易に理解できることは無いだろうと、和光は後に述懐している。
「ここじゃ。」
暫く歩くと、小屋が見えた。あまり目立たない場所に鮮やかな赤で塗られた小さな小屋というのはかえって目立つほうである。そこから声が聞こえる。
「太祖、大和より天命を受け、国を開く。太祖に立ちはだかる犬神を倒し、負けた犬神、太祖に従う。これ、後の武内家なり。猪神、これを見て太祖に従う。これ、後の物部家なり。」
「龍朝史をそらんじてるのが光仁親王じゃ。呼んでこよう。」
そう言って赤城山神は小屋に入っていき、すぐに出てきた。後ろには和光と同い年ぐらいの青年がいた。色白の美少年だが、シワシワのワイシャツを着ており、とても身なりは皇族とは思えない光仁親王である。
「君達は……本当に味方なんだね?」
光仁は不安げな顔で言った。
「臣長門院和光、大龍朝廷臣下一同に代わって光仁親王殿下に拝謁致します。」
光仁は相手が同年代であったことから、ホッとして安堵の表情を見せた。
「長門……あぁ!先帝の幼馴染、和正卿の跡継ぎ殿か!和正卿の死は知っている。その……残念だった……。」
「殿下、我が父和正が朝廷に殉じるほど、龍朝は危機に陥っております。大龍貴族は追放され、民は苦しんでおります。我々は有志ある民と力を合わせ、ブルア幕府を打倒する所存にござります。何卒殿下、我々と共に立ち上がり、幕府を打倒しましょう。」
和光の言葉に光仁はうなずきながらも、
「しかし……。」
と言ったので、何か懸念があるのかと聞けば、こう答えた。
「私は確かに先帝の血をひいているとはいえ、侍女との間に生まれた男子。生まれたときから庶民と同じ生活をしていた私には帝王の素質もない。私のような者が……。」
「おい、何悩んでんだ。あんたにしか頼めねぇんだよ。わざわざ来てやったのに、ずっとこのまま小さい小屋で歴史書読みてぇのか?」
ハジメが口を出してきたので、和光が慌てる。
「無礼千万なるぞ!ひ、控えてください!」
「こいつは一万年王朝の存続より自分の命を全うしたいと思う普通の奴だ。お前らみたいな朝廷に命を捧げようとする愛国者共が理解できん。」
「殿下、無礼をお許し下さい。この者は陸軍将校の鬼狼ハジメと申しまして、私の護衛であります。殿下……何卒、我々に力を貸してください!」
光仁は黙っていたが、暫くすると口を開いた。
「こんな私ではあるが、役に立てれば嬉しい。諸君等と共に幕府を打倒したく思う。」
それを聞いて和光は目を輝かせ喜んだ。
「ありがとうございます!殿下!」
この後、打倒ブルアを唱えるかつての大龍貴族、大龍民族党の幹部達は大宰府に集まった。ここを革命の本拠地とする為である。大宰府は約一万年前、太祖神龍皇帝が長岡京がある西州から本州に進出する際に設置した前線基地であり、都と同様の権限を与えられ以後栄えた。現在でも軍事都市として栄えているのだが、ここには反ブルア思想の者も多く、本拠地にするにはもってこいの場所ということだ。
1930年2月14日、大宰府の物部神宮において、光仁は王を称する事になった。この場合の王は、「国王」等の意味合いは無く、皇太子以外の有力な皇族が得られる称号である。伊藤義正は光仁親王が王に昇格することにより、帝に代わって幕府を討つという名目に正当を持たせようとしたのである。反幕府の大龍貴族36名、大龍民族党幹部110名が光仁王を承認するサインを書く。臣下の承認を終えると、武内正友卿が文を読み上げる。
「龍歴100100年2月14日!親王光仁、民と朝臣の願により、王位に即く。龍朝、天下を有して歴数極まりなし。逆賊ブルアによりこれ危急存亡の事態なり。王光仁、先帝の第一皇子たれば、帝に代わり奸臣を討たんとす。龍朝、滅ぶべからず。皇業、廃れるべからず。」
光仁は正装姿である冠、装束に身をまとっている。その姿は正に若い頃、まだ熱意に溢れていた仁霊帝を彷彿させ、老臣下は涙を流した。
「王として、初めての命を下す。軍を立ち上げ、帝をお救いし、龍朝を再興せよ!」
光仁はここで初めて倒幕を命じた。これは正当な行為であると発表したのである。
「忠臣は山呼せよー!!」
武内卿が号令し、大龍貴族並びに党幹部達は唱和した。
『必勝!!必勝!!!必勝ー!!!!』
2月の真ん中であることから、まだ身が震えるほどの寒さである。しかし、その寒さも直に薄れ、春が訪れる。龍朝にも、再び春が訪れるのである。