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アンカット・アンノウン 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と、内容についての記録の一編。


あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。

 ふっ、ふふっ、ふふっ、ふくろとじっ!

 いや〜、この瞬間が何ともたまらないのですよ、旦那。こうね、自分で買ったものが、ようやく本当の意味で自分のものになった〜っていう、達成感みたいな? 中身を見る前から、どうしてこんなに胸が痛くなるのでしょう?

 ――どうせろくでもない、エッチな中身なんだろ?

 失敬な! こいつはただのゲームの攻略本で、全年齢対象ですぜ! 袋とじの内容だって、最後のダンジョンの極秘マップだって書いてあるよ!

 今どきは攻略情報だって、インターネットでなんでもお手軽に手に入るけど、このアナログでシークレットな楽しみは、なかなかやめられませんなあ。

 そういえば袋とじって、室町時代あたりから始まったと聞いたよ。今みたいに一部分じゃなくて、ページ全体が同じような形だったんだって。薄くて丈夫な紙があったからできたことだけど、代わりに裏が透けてしまって両面に文字を書くことはできなかったらしいんだ。

 江戸時代に入ると、市民が手にする本も袋とじが流行った。表紙も奥付も全部袋とじだったらしいよ。そこまでの歴史とこだわりがあるんだ。事件のひとつくらい起こってもおかしくないよね。

 これは僕のおじさんの、袋とじ本をめぐる不思議な体験だよ。

 

 高度経済成長期、真っただ中の1970年。

 読書感想文の課題を終えたおじさんは、本を返しに近所の図書館へ自転車を走らせた。当時はまだ高い建物が少なく、図書館への道のりも、半分以上が田園脇の未舗装の道を進むもの。稲が黄色く色づき始め、その足元では土の色に身を染める、大きなカエルの姿も見受けられた。

 図書館に着いて、本を返したおじさん。せっかく自転車をこいできたのだから、何か面白い本でも借りて帰ろうと、館内を物色し始めたんだ。

 文庫の本棚をのぞいてみたけど、どこもめちゃくちゃな並び。タイトル順にも作者の名前順にもなっていない。元の位置に戻さない不逞の輩の仕業と思われた。しかも、表紙の損壊がひどいのか、代わりにタイトルを黒いマジックで書いたコピー用紙を、ブックカバーのように巻いているものもあったりする。

 

 さすがに処分を考えなよ、と思いながらも、おじさんはその「コピーカバー」のついた本のうち、一冊を手に取った。タイトルには「アンカット・アンノウン」の文字。

 切られていない未知。切らなかったら中身が分からない、ということかな、とおじさんは思った。実際に本を広げてみると、その予想が一層強く裏付けられる。

 本はいくつものページを袋とじにしていたんだ。およそ20ページでひとかたまり。

 以前、フランス帰りの親戚に見せてもらったアンカット本に似ているけど、ページの下の小口。いわゆる「地」の部分だけは化粧断ちされていて、中身をのぞこうと思えばのぞけた。見える部分だけ読んでも、わけが分からなかったみたい。


 ぱらぱらと袋とじされていないページをめくってみると、その読めるページだけでも、短編ミステリーとして話が成り立っている。

 おじさんはにわかに興味が出てきた。この袋とじを全部開いたとしたら、何が出てくるのだろう、と。貸出カウンターで本を借りるのと、袋とじを開けることの許可をもらうおじさん。

 新人らしい、その職員さんは本の存在を知らなかった。手元のメモ用紙にささっとペンを走らせて、記録をとる職員さん。

「こちらで全部ページを開きましょうか」と提案されたけど、それじゃあ自分で開く楽しみがなくなる。必ず返却することを約束させられたおじさんは、胸の高鳴りを覚えつつ図書館を後にした。


 おじさんが母親にペーパーナイフを借りに行くと、普段、ナイフを使わないおじさんをいぶかしんだのか、何に使うのかを問いただしてきた。

 母親の性格から、ナイフを使う対象も見せないと納得してくれない。ごまかすと立場が悪くなるだけ。おじさんは素直に「アンカット・アンノウン」を見せる。

 ぱらぱらとめくって、母親は目を丸くしながらつぶやく。「これは夫婦めおと本だねえ」と。

 夫婦本。それは戦後直後に、母親の界隈でごく限られた数だけ販売されていた、袋とじだらけの本を指す。「アンカット・アンノウン」と同じように、袋とじを開けなくても短編小説として読めるもの。

 おまけに他の本と比べても、紙の値段だけじゃないのか、なんて噂されたほど格安で売られている代わりに、中身はまさに福袋。

 ちゃんとした小説になっていて、短編と長編が楽しめることもあれば、ブルーベリージャムをべっとりつけた食パンのように、はがしたページが真っ黒の墨まみれで、全然読めないハズレ本の場合もあったようなんだ。

 なぜ夫婦本というのか。それはページ同士がぴっちりと、すき間を開けずにくっついている装丁から、仲の良いおしどり夫婦を思わせるため、と話していた。


「仲の良い夫婦の間を引き裂きながら、成り立っていくドラマたち……そう考えるだけで、もう物語よねえ」

 

 母親はにやりと笑いながら、それでもペーパーナイフを貸してくれるあたり、黒いひとだな、とおじさんは思ったようだね。

 

 初日は十個ある袋とじのうち、半分は消化することができたおじさん。

 袋とじされていた部分は、ミステリーとは思えないファンタジー要素が盛りだくさん。一気に幻想小説の色を帯び始めた。というより、原理が見えていないゆえに、袋とじ前が不可解な謎に満ちていたわけであって、袋を開けて背後を暴くと、たちまち魔法じみた世界が顔を見せる。

 短編として成り立つ部分は、ちょうどこの不思議要素について言及されていない箇所ばかり。思わせぶりな大物感あふれる言動も、長編になるとネタが丸見え。

 登場人物によってはがっかりしたり、かえって株をあげたりと、短編の時とは評価が変わることもしばしば。


 何度も戻って、短編と長編の内容を見比べながら読んでいたから、時間がかかる。父親も珍しく定時に帰ってきたから、みんなで夕飯食べてお風呂に入った後も、ふとんの中でじっくり本を眺めていたおじさん。けれど、母親がやってきて、「夏休みだからって、羽目を外さないの。早く寝なさい」とせかしてくる。

 そんなことを言われたのは、夏休みに入って初めて。少しカチンと来たおじさんだけど、怒らせると後が面倒。しぶしぶ言うことに従ってあげたってさ。


 次の日。両親がなかなか起きてこないのをいいことに、おじさんは早速続きに取り掛かった。

 ペーパーナイフを差し込み、ぞりぞりと削っていく感覚にも慣れてくる。刃が引っかかってしまう、難産なページもあったけど、それを超えて新しい命を物語に吹き込んでいく。

 そして、ついに最後の袋とじ。短編ミステリーの時、オチになっていた部分より、更に後ろ。結末を超えたラストというわけだ。

 おじさんは固唾かたずを飲みながら、読み進めつつ、一組ずつ一組ずつばらしていく。短編の論理が、長編の不思議に食いつぶされ、その残った一片すら飲み込まれようとした時。

 おじさんの耳元で、赤ん坊が泣いた。はっとして、辺りを見回したけど、周囲には自分以外誰もいない。けど、空耳にしては大きすぎる。

 気味が悪かったけど、結末は読めた。満足とはいかないまでも、十分なオチ。

 おじさんは図書館に行こうとする。家を出る直前になって、ようやく母親が、大あくびをしながら寝室から出てくるのを見かけたんだってさ。


 おじさんは本を返しに行ったけど、あの時の職員さんじゃなかったためか、「アンカット・アンノウン」を取り出した時には、ちょっと騒ぎになっちゃったみたい。こんな本を棚に入れ、あまつさえ貸すような手続きをしたのは、どこの誰だと。

 おじさんは覚えている限りの職員さんの姿を伝え、勤務している職員の写真まで見せてもらった。けれどあてはまる人は発見できず、季節外れの涼しさが背中に走るのを感じながら、おじさんは足早にその場を立ち去ったみたい。


 それからおじさんは「アンカット・アンノウン」については、できる限り思い出さないようにしたけど、十か月後には嫌でもそれを思い起こさせることに出くわした。

 弟の誕生。その元気な泣き声は、あの日の、最後の袋とじを破った時に響いた声とそっくりだったんだ。

 あれだけくっついていた夫婦なんだ。子供ができてもおかしくないか、とおじさんは夫婦本という呼び名を思い出していたらしいよ。

 まさか、そこから数年。おじさんの家に限らず、子供があちこちでたくさん生まれ続けて、団塊ジュニア世代が誕生することになるとは、夢にも思わなかったみたいだけど。

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