第一章
何の用だろう。
来賓室の前にやってきたものの、落ち着かない。
椎名たちは単位がどうなどと騒いでいたが、それならば教授が呼び出すだろう。
それにこの呼び出しは恐らく大学関係の話ではないはずだ。
俺と学長は知り合いだ。父と学長が古くからの付き合いで、小さい頃には遊んでもらったことすらある。
大学に入ってからも何度かは話したりもしている。だが、掲示板で呼び出されたのは初めてだ。
何も思い当たる節がなく考えている通り、学生としてではなく俺個人に対しての用事だとは思うが不安は残る。
数分ドアの前をうろうろしていたが覚悟を決め、深く息を吐きドアを睨み付ける。
「遠野です、入ります」
ノックをしてそう言うと、さっとドアを開けて中に入る。
「おお、来たか。ちょうどよかった」
来賓室にいたのは学長と見たことのない中年の男性だった。
テーブルを見るに二人でお茶をしていたらしい。
その男性は奥のソファに腰掛けていたが、視線が合うとすぐさま立ち上がった。
「はじめまして、私は杉崎拓海と申します」
どこか毅然としていて落ち着く静かな声音だった。
「はあ、どうも」
「本当はあとで話すつもりだったのだがな、思ったよりも早く雫君が来たのだよ。まあ座りなさい」
学長にすすめられるままドアに近いソファへ座るが、居心地が悪い。
俺が座ったのを確認すると茶を淹れに席を立った。
杉崎さんはそれを驚愕の表情で見ている。
学長が自ら一学生に茶を淹れるなんてありえないだろう。これまで数回してもらっているため俺が驚かず平然としていることに気づくと、怪訝そうに学長を見る。
湯のみを出し、その表情に気づく。
「ああ、この子は私の知り合いの息子さんでね。甥のような感覚だからついやってしまうのだよ」
「ああ。そ、そうなんですか」
淹れてもらったお茶を一口すすり、本題へと入る。
「それで何の用事ですか?」
「用があるのは私ではなく杉崎さんだよ」
杉崎さんのほうへと身体を向ける。
「はい、本日は遠野さんに折り入ってお願いしたいことがあり来ました」
そういうやいなや頭を下げ、後頭部をこちらに見せながら。
「絵を描いていただけませんか――」
突然のことに固まってしまう。
最近の俺はコンクールでも上位には食い込むがそれ以上に行くことが出来ていない。だからこうして絵の依頼をされるはずがないのだ。
困惑していると杉崎さんが一冊の紙束を出し、差し出してきた。
混乱から抜け出し手に取る。
「何ですか?これ」
パラパラとその紙束にざっと目を通した俺に学長が尋ねる。
「見た感じどうだ?」
一瞬反応が遅れるが、なんとか言葉を返す。
「すごい。ですね」
驚愕のあまり言葉に詰まる。
内容は、老舗ホテルで冬の間だけ開催される現代美術展のことだった。
出展予定の画家の名簿を見ると、著名な方ばかり。
そんな中に自分の絵が飾られるなど本来ありえないことであり、信じがたい。
「この展覧会に僕の絵を出展していただける、ということですか?」
「そういう事です」
思いもよらぬ幸運に気持ちが昂ぶる。
「何かテーマなどはあるんですか?」
「いえ、特にありません」
ただ、と目を伏せ遠慮がちに言う。
「個人的に描いていただきたい絵があるのですが、よろしいですか?」
俺が首肯すると黒いビジネスバッグの中から一枚の紙を取り出した。
「こちらです」
渡された四つ折りの紙を開いていく。
そこに印刷されていたのは――
「遠野さんが初めて入賞された時の作品です」
俺が中学時代に描いた絵だった。
思えばこのとき既に、自分が色を失っていることに薄々気が付いていたのだろう。
いや、正しくは誰もが持つ色を手に入れる対価として、今まで僕の人生を彩っていた特別な一色を捨てたことに。
そうして描かれていった大衆向けの人生は、一般的な観点から見れば十分に美しいと評されるに値するものなのだったのだろう。
俺自身もそう信じ込んでいて違和感がありつつも無視していた。
でも、彼女は違った。彼女だけは――
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