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彼女の記憶  作者: 紅坂慶
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第一章

「なあ雫、そろそろ入る気になったりしてない?」

 またその話か。

 都会のお洒落なカフェらしく、ホワイトウッドを中心としたオアシスのような雰囲気のその店内は女性客に人気があるようだった。

 椎名は僅かに身を乗り出し、期待に満ちた双眸を微かに開かせている。俺たちの通う大学にしては珍しく純粋な黒髪を短く刈り上げており、理知的な雰囲気もあいまってか誠実そうな印象を受ける。

「それは何回も断ってるだろ?」

 ふと溜め息を吐く。話は終わりという意思表示として余所を向き紅茶を飲むが――

「そこをなんとか……無理か?」

 椎名相手には無意味だったらしい。

 それどころか成人したのにも関わらず弱弱しい表情で上目遣いをしているのを見て、つい苦笑してしまう。

「ならとりあえず一ヶ月ごとに勧誘してくるのはやめてくれ。てかもう他当たれ。そこらにいるだろ」

 この勧誘が始まったのは約七ヶ月前だ.

 椎名は一ヶ月経つごとに自分の所属している『天文サークル』に勧誘してくる。

 椎名が言うには、今の三回生が幽霊部員だったため新入生の獲得を全く真剣にやっていなかったらしい。

 それを知った四回生が動き出したときにはもう手遅れになってしまっていて捕まったのは椎名だけ。

 三回生は言わずもがな、四回生も忙しいらしくあまり顔を出さない。

 結果、実質的に椎名と一回生のみで活動することになってしまった。

 そのせいで今になって同回を勧誘する羽目になっている。

「そういわれてもいないんだよー。知り合いの同期に言ってみても全員無理だったしさ」

「意外と椎名って人望ないのな」

「ちょ、それは酷くね?これでも友達多い方だと思ってんだけど」

 自分で言うところが癪に触るが事実なので言い返せない。

 見た目に反して軽薄で子供っぽい性格の椎名だが、これでよく人に好かれる。

 履修情報などで世話になったときにわかったのだが、その気さくな性格で色んな情報を拾ってくるのが上手い。

 それに交友関係も広く周りに人が集まってるのもよく見る。

「というよりもこの時期にサークル入ってないやつが珍しいんだよ。普通は一回生で入るものだし、いてもバイト三昧か課題で手一杯なやつだけだろうし……」

 話しかけているのか独り言なのか判別不能の状態でボソボソと喋っている表情はかなり暗い。

 うちの大学は良くも悪くも課題の作品、俺たちの場合は絵でほぼ全ての評価が決まる。

 故に、他にかまけていられないっていう人も少なくない。

 俺の場合は椎名と専攻しているものが同じせいで余裕があることはバレている。

 だから椎名も俺を誘っているのだろう。

 それにしても「普通は」か。

 何気なく発せられたその言葉が、俺の頭の中で回りに回ってぐるぐると巡っている。

 そんな状態で自然と顔が俯く。

 俺以外にもいると思っていたのだがな……。そうか、入ってないのはおかしい事なのか。

 少し考えた後、机に突っ伏していている友人に目をやる。先ほどからブツブツと拗ねたままだ。

 まるで駄々をこねる幼児のようで、全く落ち着きを取り戻す気配はない。

 仕方ないな。

 なら、と話を切り出す。

「サークルに名前を入れるだけならいいよ。活動はあんまり参加しないけど」

 これで俺は普通に――

 瞬間、机を打つ音と共に跳ね上がった椎名の顔が目前に迫る。

「マジで!」

 あまりの勢いと気迫に思わずのけぞってしまう。目なんて完全に瞳孔が開ききっていて、表情なんて化け物のそれだ。

「お、おう。……とりあえず一旦座ろうか」

 カフェに似つかわしくない激しい物音に反応して何事かと向けられる周囲の視線が痛い。

 椎名からすれば、勧誘し続けてようやく結果が実りそうなのだから逸る気持ちは分かるが。

椎名が大声を出して立ち上がったこともあってか、俺に迫っているように見えケンカを疑うかのような声すらも聞こえてくる。

「あ、悪い……」

 すいません、と方々に謝りやっと席に着く。

 バツの悪そうな顔から一転して真面目な表情に切り替わる。

「それで、本当にいいのか?」

「ああ。といっても、さっきも言ったとおり入るとしても、活動自体はそんなに参加できないぞ?」

 俺が頷くと、喜びが抑えきれず口角が上がっている。。

 先ほどからコロコロとよくそれほど表情が変わるものだ。

「飲み会にさえ来てくれれば大丈夫!」

 飲み会って言っても飲めるのお前だけだろう。

 俺はまだ誕生日を迎えてないから酒は飲めないし、ほかのメンバーは一回生だけだ。

「まぁ飲み会くらいなら……」

「おっしゃ!やっとあの孤独から抜け出せる!」

「え、何。お前唯一の先輩なのに慕われてねーの?」

「ちげーよ!1人だけ学年違うとやりづらいってだけだ!特に飲み会だと距離感じるっていうか気を遣われすぎるというか……」

 どんどん表情が暗くなる椎名。なんとか慰めの言葉をかけようとするが。

「でも雫が来てくれれば解決だな!そうだ、明日に雫の歓迎会しようぜ!」

 どうやら杞憂似終わってくれたらしい。

 でも明日はーー

「あー悪いけど無理だ。明日は彼女とデートの約束があるから」

 晴れ晴れとした満面の笑みで、椎名は停滞していた。徐々にその顔は驚愕と嫌悪に染まっていく。

「うっわ出たよ、またかよ!前もそういって遊びに行くの断ったじゃん!まさか……嘘じゃないだろうな!」

「そんなわけあるか!」

 ていうかなんで学内では付き合い悪くて友人も少ない雫なんかに彼女がいんだよ!と小声で叫ぶという器用なことをしている椎名だが、モテないわけじゃないはずだ。

 その証拠に椎名が誘った一回生のサークルのメンバーは男子二人、女子五人とアンバランスな比率である。

「余計なお世話――」

 自然に罵倒されたことに抗議しようとするが、椎名のスマートフォンのバイブ音で遮られる。

 椎名はスマートフォンへと視線を落とすと面倒臭そうに頭を搔く。

「えーもうこんな時間かよ。悪い雫、ちょっと先に出るわ」

「何か用事か?」

 必修科目の講義はないはずだが。

「文化祭に出展予定の絵がまだ完成してなくてな。そろそろマズイからやりに行かないと」

 わざわざアラームをセットしていたあたり絵に対しては真面目なのだろう。

「なら俺も行くよ。出展準備とかあるしな」

 うちの文化祭は十一月の中旬とかなり遅い。

 俺たちの通っている大学は数多の有名芸術家を輩出してきた、誰でも耳にしたことのある超有名大学だ。

 二学部十四学科で構成されていて、俺と椎名は美術学部の絵画科で油絵を専攻している。

 入った当初に椎名に声をかけられ、話していると椎名も二次試験でデッサンを選択して合格したことが分かった。

 親近感が湧いたのか、それからというものの事あるごとに椎名に絡まれるようになり、親しくなった。

 だが、ほかの人とはあまり関わることが出来ておらず、今の段階で友人と呼べるのは悲しいことに椎名だけだ。

 正門をくぐり、美術学部絵画棟へ向かっていると、掲示板前で学生がなにやら騒いでいる。

 何の気なしに見ていると、その中の1人と目が合った。

 突如、周囲にいた二人も連れてこちらへと向かってくる。

「おーい遠野、掲示板の張り紙見たか?」

「いいや、まだだけど何かあったの?」

「お前呼び出し喰らってるぞ?何かやらかしたのか?」

 呼び出しといわれても全くもって身に覚えがない。

「単位でも落としたんじゃねーの?」

 椎名は他人事だと思ってケラケラ笑っているが、本当にそうだとしたら進級に関わる。

「はぁ?椎名じゃあるまいし」

「ちょっと俺だけ扱い違くない?あんまりでない?」

 うるさいバカが抗議してくるが放っておく。まだこの時期だから進級関連の可能性は低いと思うが、それでもやはり不安は残る。

「でも本当に結構やばいかもしれないぜ?呼び出してるの学長だしな」

「え、マジ!?」

 なるほど。どおりで掲示板に少なくない学生が群がっていたのか。学長が直々に呼び出しなんてほとんどないからな。

「雫退学になっちゃうの!?」

 変に盛り上がり始めているところ悪いが、その可能性は限りなく低い。

 なぜなら俺と学長は――

「まあとりあえず行ってくるわ。えーっと」

「事務局がある棟の来賓室だとよ」

 椎名が伝えてくれたので掲示板を見に行く手間が省けた。


続きが気になった方、面白いと思ってくださった方ブックマークよろしくお願いします。

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