0日目. ありふれたはじまり
「もうしわけありません」
仁王立ちする葉月の前に、少年がジャンピングスライディング土下座をかました。
葉月はほだされてしまいそうな心を叱咤して、少年から視線を逸らし、身を守るように腕を組んだ。
「や、です!」
「そこをなんとか!」
葉月が気づいたときには、この真っ白な空間にいた。
別にトラックに轢かれたとか、ビルから鉄骨が落ちてきたわけでもないが、どうやら葉月は死んでしまったらしい。
しかも、神様だと名乗るこの少年の手違いで!
精神体となった葉月は神様が存在するという空間にふよふよと浮かんでいる。
受け入れがたい現実を前に、葉月は断固として抗議した。
「なんとかなったら、神様なんてお呼びじゃないんですよ!」
「私、これでも神様なんですけど……」
「あぁ゛?」
「いえ、言い訳のしようもありません。はい……」
すごむ葉月に、少年、もとい神様は小さくなった。
「ですが、この状況であなたが選べる手段は二つしかありません。諦めて黄泉への道を行くか、このまま消滅するか、です。私のお勧めとしてはこのまま消滅していただいたほうが……」
「だって、おかしいでしょう? 別に寿命とか、病気とか、事故なら諦めもつくよ。でも、神様がうっかり落としたゲームの箱が頭を直撃したなんて、そんな死因、いや過ぎる!」
「そこは本当に申し訳ない。早く帰ってゲームをしたいとあせっていたばかりに、落っことしてしまうなんて……。しかも、天文学的な運の悪さを発揮した葉月さんの頭の上に落っこちるなんて……。やっぱりコレクターズボックスの威力は半端ないですね。もう、笑うしかないですね。あはははは!」
「笑うな!」
「はい、すみません」
神様は再び小さくなった。
「私だってしたいゲームとか、読みたいラノベとか、マンガとか、見たいアニメだってあったし、同人即売会だって行ったことなかったのに!!!!」
とあるブラックな企業に勤めていた葉月は仕事に追われ、最近では趣味であるゲームやマンガに費やす時間もほとんど取れていなかった。
部屋には積ん読状態の本やマンガやディスクがあちこちに存在していた。
思い残しなら山ほどある。
「神様だって、せっかく買ったこのコレクターズボックスの箱を開ける前に死ねと言われたら、嫌でしょう?!!!」
「確かに……」
神様は大きくうなずく。
「私だって今すぐ家に帰って同封の特典フィギュアに傷がついていないか確かめたいです。ゲームだってまだプレイしたことがないんです。仲間内でもすごく評判がよくて、楽しみにしているんですよ!」
「そこ! 話がそれてる!」
「はい、すみません」
神様はもはやコメツキバッタのごとく頭を下げているが、それくらいで葉月が自分の死を受け入れられるはずもない。
「あーあ、ファークラやりたかったな……」
ファームアンドクラフト、通称ファークラとは葉月が今一番ハマっているゲームだった。
帰宅して、諸々の家事をこなし、寝る前の数十分、ファークラをするのが葉月の日課となっていた。ブラックな会社での出来事を忘れ、ひたすら農業と工作に明け暮れるサンドボックス型のゲームだけが葉月の癒しだったのだ。
ちなみにサンドボックス型ゲームとは、特に目的やストーリーが定まっていない自由度の高いタイプのゲームである。
「農場だってまだ途中だし、家だってもっと拡張したかったのにな……」
「あのぉ……」
「なに?」
神様はおずおずと顔をあげた。
「ファークラだったら、なんとかなりそうです……」
ラノベにありがちな展開に、どうせ無理だろうと高をくくっていた葉月は腕を組み、横柄な態度で神様を見下ろした。
「うそ? ゲームの世界に転生とか転移させてくれるわけ?」
「はい!」
「そんな都合のいい話が……! え、ほんと?」
思わず葉月はザ★土下座スタイルの神様に詰め寄る。
「はい! だって私ゲーム神ですから!」
葉月の顎ががくんと落ちた。
信じがたいが、コレクターズボックスを購入するような神様ならありなのかもしれない。
「中世な世界とか、言われるとちょっと厳しいですけど、ゲームによくあるなんちゃって中世風せかいなら任せてください!」
神様はひょいと下に手を伸ばし、部屋から落っこちているコレクターズボックスをつまみ上げ、葉月の前に差し出した。それは中世ヨーロッパ風なファンタジーの世界観のRPGだった。
「本当の中世だと不衛生だし、不便だし、現代社会に慣れきった人間にはとても辛い場所だと思います。でもゲームならなんちゃって、で済みますし!」
「別に中世風じゃなくてもいいよ。ファークラだってMODを使えばいろんな世界観で遊べたし……」
葉月がプレイしていたファークラというゲームはいくつかのプラットフォームで発売されていた。中でもPC版では、MODと呼ばれる改造データを導入することで、さまざまな世界観を楽しむこともできるようになっているのだ。
「ふんふん。なるほどなるほど。ちなみに、転生と転移ではどちらがお好みですか?」
「外観を変えたいなら転生だけど、私別にアバターにこだわりはないからなぁ……。今の知識を確実に持っていけるなら転移かな?」
神様は懐からメモを取り出し、うなずきながら書き込んでいく。
「ふんふん。ファークラの世界に転移と。えぇと、転移でしたら髪の色や目の色などの外観をいじるのは無理ですが、若くしたり年をとらせることならできます。どうします?」
「そうだねぇ……。さすがにおばあちゃんだとあまり動けないだろうし、せっかく生き返ったのにすぐにお迎えが来ちゃうのも嫌だから、若い方がいいかな?」
「ふむふむ。若い方がいいと。十代後半くらいにしておきましょうか。あとは、チートですけど……」
「もちろん有りで!」
ファークラはMODによる改造データのないバニラと呼ばれる基本の状態でも十分に楽しめるが、本領はMODによるチートである。学生ならばいざ知らず、プレイ時間的に制限のある社会人にとって、MODは必須のツールである。
「はいはいっと。じゃあ、私のおすすめMODを入れておきますね。中身は転移後のお楽しみということで、私からのせめてものお詫びのしるしです」
「うん。じゃあ、楽しみにしてるね」
「では、そろそろいきましょうか。あと、さすがに次に死んだらそこで終わりです。コンティニューは効きませんから注意してください」
「はい!」
葉月はブラックな生活に別れを告げ、スローライフを思い描いてにんまりと微笑んだ。
「次にお会いするのは天寿を全うしたときでしょうか……。では、新しい生活お楽しみください」
ファークラによく似た世界に葉月を送り出した神様は、ほっと胸をなでおろした。
「あーよかった。私の管理下の世界に送ってしまえば、うっかり殺人がばれることはないでしょうし、彼女の要望も叶えたことだし、これぞ一石二鳥ですね」
神様は葉月の要望を書いたメモを手のひらで燃やし、証拠を隠滅する。床に転がっていたコレクターズボックスを大事に抱えなおすと、いそいそと自分の家に向かうのであった。