第6話 女性を救うのは男の役目らしいですよ。
今日エーギソスの湖での戦闘で精霊術師として力に目覚めた拓海と、その拓海を召喚した召喚士シャンテは今、シャンテの部屋で二人して眉間に皺を寄せている。
なぜなら
「(ム? どうかしたム? パパもママも不思議なものを見ている見たいだム)」
ギルドの依頼でエーギソスの湖で戦闘の引き金になった巨大なハエ。そしてそれによって危険に晒されたムササビのような熊。
その熊が二人に話しかけてきたのだ。
「なぁ、やっぱりシャンテも聞こえるのか?」
「うん。でも周りの人には聞こえないみたい」
そう、正確には口を開いて話しているわけではないから、当然と言えば当然かもしれない。
この世界にテレパシーのようなものがあっても不思議ではないが、それをムササビのような熊が、しかも人語を解して使っているとなれば話は別である。
「えっと、お前俺たちの言葉が分かるのか?」
「(ム! さっきから何度も話しかけてるム!)」
やや怒ったように声(?)を大きくするムササビ熊。
「じゃあ私たちだけこの声が聞こえるのはなんで?」
「(今はパパとママの魔力と同調しているからだム! 僕の魔力と同調するならそれはパパとママしかいないム!)」
魔力の同調。それが一体どういうものか理解できないが、一種のテレパシーのようなものだろう。というよりも今はそれで納得しておいた方が良いだろう。
「俺とシャンテがパパとママってのは、その魔力の同調の所為か?」
「(ム!)」
一言……いや、一文字発音して頷く。
「だとしたらそれは間違いだ。俺たちは別に夫婦というわけじゃない。どちらかというと他人に近い」
その頷きをしっかりと否定する拓海。しかし
「(ふうふ? 良く分からないけどパパとママはパパとママだム! それと僕に名前を付けて欲しいム!)」
シャンテの腕の中で話すムササビ熊は、どうやら夫婦という意味が分からないようである。それもそれで問題だし、拓海とシャンテをパパとママと呼ぶことにも抵抗を隠せない。
そして今置かれている現状をちゃんと把握出来ているかと問われれば、二人とも間違いなくノーと答えるだろう。
この世界に召喚された拓海はもちろん、シャンテにも今の状況はイレギュラーな事態であるという事だ。
「ねぇ、タクミ。どうしよう?」
「まぁ、名前を付けないと確かに話しかける時、不便は不便だよな」
「(ム?)」
シャンテの質問はこのムササビのような熊をこれからどうしようという事だろう。それに対し拓海が考えていたのは名前についてだ。
微妙にかみ合っていないのに会話が成立するのは不思議なものである。拓海とシャンテが顔を合わせながら考え込み、それを見ながら首を傾げるムササビ熊。
「そうだなぁ、ムームー言ってるしムササビみたいだから、ムーで良いんじゃないか?」
「それはいくら何でも安易すぎない? せめて性別を……って男の子か。モフモフしてるからモフィーとか、どう?」
拓海の提案は確かに安易すぎるが、それに苦言を呈したシャンテの名づけセンスも安易であることは言うまでもない。
そしてシャンテの頭からは、先ほどの事が既に抜けているのは言うまでもない。
「フィーは良いかも! そしたら俺のと合わせてムサフィーってどうだ?」
「あ、良いかも! そしたらムサフィーね! よろしく!」
そして結論がこうなる以上、二人のセンスレベルは同等なのかもしれない。そして肝心の名付けられた方はと言えば
「(ムー!)」
どうやらお気に入りの様である。
名前が決まったところで、そのモフモフの毛皮を二人して撫でたり頬ずりしたりしていると
「(ム? パパの魔力はなんか変な感じがするム)」
不意にムサフィーが拓海の魔力が気になると言い出す。
「ん? それは精霊術師だからじゃなくてか?」
「(そう言う感じじゃ無いム。今までに感じたことのない魔力だム)」
「感じたことのない魔力?」
ムサフィーの言葉にシャンテが首を傾げる。その様子を見て
「ん? どうしたシャンテ」
拓海がシャンテに声を掛ける。
「今ムサフィーが『感じたことのない魔力』って言ってたじゃない? それの意味が分からなくて……」
「え? そりゃ魔力の『質』とか『色』みたいなのが違うんじゃないか?」
アニメで見るように魔力には、個人の情報のようなものがあり、それの事を言っているのではと拓海は想像していた。
しかし
「少なくとも私にはそんな魔力の違いが分からないわ。ムサフィーそういう事なの?」
「(ムーちょっと違うム。パパの魔力は無いようなあるような、そんな感じム)」
「あるような無いような? シャンテ意味わかるか?」
「んー、私もちょっと気になってたんだけど……」
ムサフィーの言葉を聞いて、シャンテが拓海の魔力に気になることがあったと呟く。
「気になること?」
そのシャンテの呟きに拓海が首を傾げて尋ねる。
「うん。私たち召喚士……だけじゃなくて魔法師には当然魔力があって、それを使って魔法を使うのね。召喚士の場合これに召喚ポイントって言うのが必要になるんだけど」
この辺は拓海も想像できるだろう。今までやってきたRPGとほぼ同じ設定だからなのは言うまでもない。
「それで私たちには身の丈に合った魔力量って言うのがあるんだ。私たちはそれを感じ取ることが出来るんだ」
これも許容範囲だ。つまりはMPの事だろう。MP量を感じ取るのは意外ではあったが、今までのRPGではそう言う能力を持った職業もある。
拓海がシャンテの言葉に頷き、続きを促す。
「でもタクミの身体からはその魔力が一切感じられないの」
しかし続くシャンテの言葉には拓海も驚かざるを得ない。つい数時間前に精霊術を行使したばかりだ。
あれは表現方法が違うだけで、間違いなく魔法の一種のはずである。いや、もしかしたら精霊術というのがそもそも別次元になるのかもしれない。
そう思った拓海が次に発した言葉は
「それは俺が精霊術師だからじゃなくてか?」
「いくら精霊術師が稀少な職業でも、魔力は存在するし感じ取ることは出来るわ」
となると別の理由があるわけである。そこで二人に思い当たるのは一つしかない。
「じゃあやっぱり俺が異世界から召喚されたから……か?」
「そうなるのかな?」
今現在二人の認識でこれ以外には考えられることがない。異世界から召喚された精霊術師だからというのが正解だと考える二人に
「(異世界から召喚した生物でもパパみたいなことは初めてム)」
もう一つの答えは二人の間の子供(という事になっている)ムサフィーによって否定されてしまう。
「そうなると手詰まりだな。これは一度エリーヌさんに聞いてきた方が良いかもな」
別に問題という事ではないが、拓海自身この現象が不思議なのだろう。既に自分が精霊術を行使したことで驚くのには疲れている。
今更不思議なことの一つや二つ増えたところでどうという事はない。しかし、魔力が無いのに魔法を使えるというのは、もしかしたら自分が、この世界に精霊術師として召喚された意味があるのかも知れないと考えての事だ。
「姉さんは今忙しいから会えないかも」
「そしたら、明日かな」
特に急ぐ理由もない。明日にすればいい。どうせ明日またたたき起こされるはずだ。
拓海がそう思っていると
「ねぇタクミ! もう一度精霊術を使ってみない? 何かわかるかも!」
シャンテが別の提案をする。
確かにシャンテのいう事も一理ある。魔力が無いのであればそもそも魔法が使えないはずだ。精霊術も魔法の一種である以上、魔力を消費するはずである。
とそこまで拓海が考えたところで
「(そう言えば、オーブがこの辺では見えないな)」
エーギソスの湖で見た色とりどりのオーブが見えないことに気付く。
思い出せばこの場所だけじゃなく、街中でも見えなかった。これが示すことは一つしか考えられない。
「多分だけど、今は使えないと思う」
それは精霊術が使えないという事だ。
なぜかという答えは分からない。だが今確実に言えるのは、オーブが精霊術には必要であり、今はそれが見えないから使えないという事だ。
「そっか……まぁ仕方ないよね! そしたらどうする? もう寝る?」
時間は現在夜の八時半過ぎ。遊び盛りの10代後半の男子が寝るにはまだ早い時間帯だ。
「んーちょっと外に出てくる。一人になりたくてな」
そう言うと部屋を出て行き、学園の屋上を目指す拓海であった。
※ ※ ※ ※
「さて、と。どうしたもんかな?」
月明かりに照らされた学園の屋上でそう呟く一人の少年。
数時間前に精霊術として覚醒したはずなのだが、街に帰ってきてから精霊術に必要なオーブが見えない。
当然精霊術が使えない。
あれからいろいろ試してみたが、やはりオーブを見ることは出来ない。こうなるともっと根本的な問題があるのだろうか。
拓海がそう考えていると
「あれ?」
突然拓海の目の前に白のオーブが出現する。それも森で見たかずとは比にならないほど多い。
いや白だけではなく、黄と紫のオーブも多数見える。森では見かけなかったオーブだが、形が同じなのだから精霊と対話するためのオーブで間違いないだろう。
拓海の目の前に出現した白のオーブを手に取ると
「ぷはぁ! やっと会話出来た!」
そう言って拓海の目の前に飛び出したのは、昼間に力を貸してくれた風の精霊、シルフだ。
この精霊が見えるという事はつまり
「次元がズレている世界に今いるってことか?」
「そういう事! でも本当に大変だったんだよ! お兄さんに見つけてもらおうと、ずーっと話しかけてたのに、全然気付いてくれないんだもん!」
シルフの言葉通りならば、拓海の目の前にずっと存在していたという事になる。しかし、この街に戻って来てから、精霊術を使う時に必要となる球体「オーブ」は見たことがない。
そのことを思い出して目の前の少女に話しかける。
「ずっといたって言われても、こっちから全然オーブが見つけられなかったんだ。本当についさっきまで。だからここには精霊がいないのかと思ってくらいだよ」
「はぁ、あのねお兄さん。精霊ってのは基本的にどこでもいるんだよ! もちろん場所によっては少ないってことはあるけどね」
つまり拓海がいる場所によって、存在する精霊の多い少ないがあるという事だ。
「ん? それじゃどうして今まで見えなかったんだ?」
拓海の疑問も当然と言えるだろう。
つい先ほど精霊術師として力を行使したのに、そのすぐ後に仕えなくなったというのは、考えれば不可解な現象である。
もちろんこの世界に「MP」や「魔力」の限界値があり、それを使い切ってしまったと考えれば不可解に感じることはないだろう。
しかし、拓海は精霊術師である。それはつまり、MPや魔力といった概念がないという事でもあり、拓海の疑問もそれに基づくものである。
「う~ん、詳しくは分からないけど、お兄さんあの湖で何か拾わなかった? 何か魔力を制限するようなこと」
シルフが顎に手を当て、首を捻りながら拓海に質問する。
「いやぁ、心当たりがないかなぁ。変化と言えば……ムサフィーを連れて帰ってきたぐらいかなぁ」
つい先ほど拓海とシャンテの「子供」になった正体不明のムササビのような熊、「ムサフィー」の事を拓海が話す。
「ムサフィー?」
その拓海の話を聞いてシルフが頭の上に「?」を浮かべながら首をひねる。
「あぁ。ムササビのような熊のような……そんな奴を拾ったんだ。俺とシャンテの事をパパ、ママって言うんだけどな」
「もしかしたらそれって喰魔獣かも知れないね」
「喰魔獣?」
聞きなれない名前を聞いて今度は拓海が首を傾げる。
「そ! 近くにいる生物が持ってる魔力を栄養源にする生物さ。でも最近は見なくなったなぁ。まぁ比較的弱い生物だから、絶滅しててもおかしくないけどね。もし喰魔獣だったらすぐに捨てたほうが良いと思うよ。君たち魔法師にとっては天敵そのものだから」
シルフの言っていることはもっともである。もしムサフィーが喰魔獣だった場合、近くにいるだけで魔法が使えないことになる。
そのような懸念があるならば取り除くべきなのは当然である。
「近くにいなければ大丈夫なのか?」
しかし拓海には別の考えがあるようで、シルフに一つの疑問を投げる。
「う~んその種族によると思うけど……それなりに距離が離れていれば、今みたいに大丈夫だと思うよ」
そのシルフの言葉を聞いてから「よし」と言い、一つの考えを口にする。
「ギルドの依頼を受ける時は、ムサフィーに留守番させておけば問題ないってことだな。それなら別に捨てる必要もない。シャンテも気に入ってるしな」
拓海としてもあの柔らかいモフモフした体を触るのは気持ちいいのだ。それにせっかくパパ、ママと呼ばれているのに、捨てるのは忍びない。
「お兄さんて優しいんだね? 普通モンスターなんて飼おうって思わないよ」
「良いんだよ! 精霊術も使えるってわかれば問題なし! それで、さっきから話しかけてたって言ってたけど、なんか用でもあるのか?」
ここでようやくシルフが話しかけてた本題に戻る。
なぜずっと話しかけてたのか、その疑問はまだ解決していないのだ。
「えっとね。お兄さんに肝心なこと言うの忘れてたよ。僕たち精霊が力を貸す時に必要なのはオーブ。これはもう話したよね? それで、強力な力を使う時は、それ相応のオーブが必要になるんだ」
シルフの言っているのはつまり、その場に風のオーブが少ない場合は、強力な風の精霊術は使えないという事である。
それは当然と言えば当然であり、拓海も納得せざるを得ない。
「それで精霊術を使う時は、自分の魔力と僕たち精霊の力を混ぜ合わせる感じになるんだけど、お兄さんからは何故か魔力が感じられないんだ。理由は分からないけどね」
これは先ほどムサフィーも話していた。拓海には何故だか魔力が感じられないらしい。
「だからその分だけ精霊の力に頼る形になるんだ。ここで注意が必要!」
シルフの話をそのまま受け取るなら、魔力が無くても精霊術は使用可能という事になる。ただ、ここで何かしらの注意が必要らしい。
「注意? 使い過ぎると術が使えなくなるとかそういう事か?」
「違う違う。いくら使ってもお兄さんの場合、僕たち精霊の力に頼りきりになるからそういう事は無いと思う。注意って言うのは、別の事。属性って聞いたことあるよね? 僕たち精霊の力を使う場合……」
そう言うとシルフは拓海の前にその場に出現しているオーブを宙に並べ、指を差しながら説明を始める。
「大きく7つの属性に分かれるんだ。僕の力を使う時は白のオーブが三個以上必要になる。この白のオーブは風の属性を持ってるからね。それとあの赤いオーブは火、黒いのは地、青いのは水の属性を持ってて、それぞれ苦手な属性と得意な属性があるってこと」
出現しているオーブを正方形の形に並べ、それぞれを指さして説明を続ける。
「例えば僕たち風の精霊が使う力は、地属性のモンスターには威力が倍になって、火属性のモンスターには半減するっていう特徴があるんだ。相克と相生の関係に近いかな」
相克とはお互いに打ち消し合い、相生とはお互いが補完し合う関係の事である。その関係に似ているとシルフは言い、次に「でも」と続ける
「光と闇は別。それぞれが得意属性で苦手属性なんだ。扱いには注意が必要だよ! その分苦手とする属性はお互いの属性しかないから、有利不利の属性が少ないって言うメリットがあるんだけどね! それと最後に命属性って言うのがあるんだ。これの事なんだけど」
そう言うとオーブの中から淡いピンク色のオーブを指さして言う。
「今までのオーブは魔術と同じような役割、つまり相手を攻撃するような場合に使うんだけど、この命属性は別。自分や仲間の体力を回復したり、毒を消したりするときに必要になるのがこれ」
「なるほど。ファンタジー感満載だな」
シルフの説明を聞き終えて拓海がそう呟く。
「何言ってるかわからないけど、とりあえずそんな感じ。精霊術師として必要な知識は持っておいてね!」
拓海の発言をさらりと流し、この世界で必要となる知識を拓海に伝えると、「ところで」とシルフが再び口を開く。
「お兄さんと昼間一緒にいたお姉さんって誰?」
「シャンテの事か?」
突然シャンテの事についてシルフが質問する。そして何故かシルフはそのことについて大分ご立腹のように見えるのは拓海の気の所為かも知れない。
「そう。どうして同じ部屋にいるの? お兄さんは一人暮らしとかしてないの?」
いや、どうやら気の所為ではないようだ。
腕を組みながら頬を膨らませている様子は、目の前の少女が精霊であることを忘れてしまいそうになる。
「あぁ。さっきも話したけど、俺はこの世界に召喚されたんだ。右も左も分からないし、読み書きも出来ない。だからシャンテのお姉さんに許可を得て、一緒の部屋で寝泊まりしてるんだけど……何かマズイ?」
エリーヌも同じ部屋にいるのだから何も問題は起きるはずもないのだが、そのことが気に入らないのだろうか。
それでも拓海とシルフは、精霊と人間だから何も問題はないはずである。
「まぁマズイって言うかその……」
何か言い難い事でもあるのだろうか、シルフは視線を下に向けて俯き、何やらブツブツ呟いている。
「ん?」
その様子を見た拓海が、何を言っているのかよく聞き取れず、首を傾げながらシルフに視線で問いかけると、急にシルフが頭を上げて口を開く。
「あのねお兄さん! 精霊術師と僕たち精霊の間には、深い信頼関係が必要なこと覚えておいてね!」
そう叫ぶと拓海の視界から消え、同時に拓海も次元のズレから解放される。
「一体なんだってんだ?」
シルフの最後の言葉が気にかかり、腕を組んで考える拓海であるが、すぐに別の事を頭が過る。
「そう言えば、ムサフィーについてシャンテに言っておかないといけないな。一応本人にも確認しておいた方が良いだろ!」
先ほどまでシルフと話していた内容の中で、拓海とシャンテの子供という事になっているムサフィーについて、シャンテにちゃんと話さないといけないことがあると思い、シャンテの部屋に向かう拓海であった。
※ ※ ※ ※
「(ム? ママどうしたム?)」
「さっき忘れちゃったんだけど、ムサフィーをどうするか相談しないと……」
どうするかというのは、このまま飼っても大丈夫かどうかということである。
この学園では基本的にはペットの飼育は禁止されている。例外措置が認められれば良いのだが、そんなことは考え難い。
「(ム? 僕をどうするか?)」
しかし、当の本人はあまり気にした様子もなく、ママであるシャンテの腕の中で首を傾げている。
「う~ん、やっぱりエリーヌ姉さんに聞いて許可をもらおうかなぁ」
シャンテがそんな事を呟いていると
「(ママ! 何か悪いものが近づいてくるよ!)」
突然ムサフィーがシャンテの腕の中で短い手足をじたばたと動かし、そう訴えてくる。
「悪いもの?」
シャンテがムサフィーを抱きしめて首を傾げると
「(ム!)」
一言叫ぶとシャンテの部屋の窓を見上げる。
ムサフィーに釣られてシャンテも窓を見上げると、鍵のかかっていたはずの窓の内側に、背の高い男性の影が見える。
影の形からシルクハットのような帽子をかぶり、タキシードと思われるものを纏っているのが分かる。
その影は口を開くとゆっくり話し出した。
「初めまして。私は大罪王配下の一人、メンカルです。いきなりで申し訳ございませんが、あなたには私と一緒に来ていただきます。もちろん拒否権はございません」
丁寧な口調なのに、なぜかその声には体温というものが感じられない。
どこか底冷えのする冷たい声だ。
「大罪……王。あなたたちが、この世界の元凶?」
シャンテの呟きに影がゆっくりと頷きで答える。
その影が右手を前に出した瞬間、
「きゃ!」
突然シャンテの身体が影に引き寄せられ、その影の腕にシャンテがとらわれてしまう。
「(ム! ママをどうするつもりム?)」
ムサフィーが室内を影に向かって突進するが、短い手足で走り回っても当然距離は縮むことはない。
「ダメ! ムサフィーちゃん。こっちに来ちゃダメ!」
シャンテが叫び、ムサフィーが近づくのを止めようとする。
「少々声が大きいですね。音声遮断」
影が短く詠唱すると
「……!」
シャンテの口が何か伝えようと必死に開いたり閉じたりしている。しかし、その声が音を紡ぐ事はなく、ただ無音となって空間に溶けて消えて行く。
「では、行きましょう」
そのまま影が床の中に溶ける様に消え、後に残るのはムサフィーだけとなってしまった。
「(ムー! ママー! ムー! ママー!)」
誰にも聞こえないムサフィーの声が響き渡る。廊下にはもしかしたら誰かいたかもしれない。
しかし、ムサフィーの声が分かる者はこの学園にはいないのだ。
「どうしたムサフィー!」
たった一人拓海を除いては、の話である。




