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穢文  作者: 妄執
3/26

本編 其ノ一 -東雲早雲-

ここからが本編です。


一年ぶりに父からきた連絡は、弟が倒れ未だ意識が戻らない昏状状態という内容のものだった。



その連絡を受けたのは、一講目を受講するために朝早く家を出て駅で電車を待っていた時だった。


テッテレレレレン テレレレレン テレレレレーン テッテレレレレン テレレレレン テッテレレレレーレ


私は白線の内側最前列で、ジャケットの左ポケットに入ったイヤホンと繋がれた携帯電話を掴んで音量をいじいじと上げ下げしながら、お気に入りの曲である24の奇想曲第24番を聴いていた。

まだぼんやりとしている寝起き頭で、アナウンスと共に駅に入ってきた電車を見つめていると、それと同時くらいに、奇想曲を遮って鳴りだした着信音に、防水耐衝撃用の黒い保護ケースを取り付けたメガネケースほどの大きさの携帯を取り出して発信者を確認する。


そこには「父」と一文字表示されていた。


私はぎょっとすると、マジマジと液晶画面を見返した。やはりそこには父と表示されている。


(なんだ?・・・何かったのか?いや・・・あったにちがいない・・・)


私にとって急な父からの電話というものは、110番や119番に近いもので、父は緊急の用事以外で電話をかけてくることなど滅多に無い。つまり、滅多に無いことが起こったということだ。

その事実だけで、私はきっと今から聞かされることになるであろう、何か良くないことを予感した。


停車して今にも乗車口が開こうとしている電車に背を向け列を外れると、どっと押し寄せる降車客に電話の邪魔をされないよう構内の隅に行き、ドキドキしながら携帯のタッチパネルを右にスライドさせた。


早雲そううんか?」


冷たく、感情の無いような、無機質な低い声、私の苦手な声、間違い無く父の声だった。


「はい」


「一週間前に治が家で倒れた。入院してるが未だに意識が戻らない昏睡状態だ。私の家がある市の総合病院入院棟A棟307号室だ。午前中までだったら私もいる。来れるなら来るといい」


「・・・は?」


プツッ ツーツーツー


衝撃的なことを淡々と話すと、私の返答も聞かずに電話を切ってしまった。

言われたことがうまく理解できず、頭がうまく回らない。

私はなんだか、急に広いところに放り投げられぽつんと孤立してしまったような、人混みで突き放され急にひとりぼっちになってしまったような、うまく言葉にできない、ぽかんとした呆然とした気持ちになって、ボーッと携帯を耳に当てたまま、口を閉じるのも忘れ、意味も無く目の前の虚空を見つめていた。


治が倒れた?あの治が?元気と健康が取り柄のような治が?しかも意識が戻らない??何を言っているんだ?聞き間違いか??まだ頭が寝てて幻聴が聞こえたとか?そうだ、きっとそうだ、そもそもあの人が俺に連絡なんてしてくるわけがない・・・ははは・・・



「ただいま列車がまいります」


けたたましい構内アナウンスの音ではっと我に帰った。

携帯をポケットに突っ込んで軽く深呼吸して気持ちを落ち着ける。現実逃避をしている場合じゃない。今日の予定は全てキャンセルして早く病院へ行こう。

足早に階段を降りて向かいのホームに上ると治が入院しているという総合病院方面への電車へと乗った。


何回か乗り継ぎして目的の駅を降りると、タクシー乗り場に止まっているタクシーへと乗りこむ。

その道すがら、山田という体格の良い初老の運転手が「お見舞いですか?」「今日は良い天気ですねえ」と小慣れた感じで振ってくるどうでもいい話を、右から左に聞き流して適当に相づちを打ちつつ、ぼんやり治と父のことを想った。



正直に話すと私は父のことが苦手だ。

その理由は私の幼いころにある。

父はとても頭の良い合理的な人で、私が生まれたころに若くして勤めている会社の重役に抜擢されたらしく、その忙しさからか私が物心付いたときから殆ど家にはいなかった。

運動会、授業参観、三者面談といった学校行事に来てくれたことは一度も無く、会話も必要なこと意外は喋らないので、私は世間一般の親子の会話というものを父としたことは殆どない。

だから私は父のことがよく分からなかった。

嫌いという訳ではなく、あまりにも感情の起伏が無く、常に冷静で常に合理的に行動する父が、まるで機械のような、血の通っていない、無機質なモノのように感じられたからだ。

ロボットが人間と入れ替わって人間のフリをしながら周囲を騙して暮らしていく、という内容の映画を見た私は、子供心に今の父は入れ替わったロボットなんじゃないか?と半ば本気で思っていた程だった。


だが、父は冷たい人間で家族なんてなんとも思っていない酷い奴なのか?と言われるとそうでは無い。

ちゃんと学校にも行かせてくれたし、理不尽な暴力を振るわれたことも意味も無く怒鳴られたこともない。

小学生の頃私と治と母が三人して風邪で倒れたときなどは忙しい中会社を休んで皆の看病もしてくれた。

私は熱にうなされ朦朧としながらも、父のその看病の手際の良さに驚いたことを今でも鮮明に覚えている。


その時までは父のことを仕事以外はできない人だと勝手に思っていた。手先は不器用で、洗い物をすれば皿を割ってしまい、洗濯をすれば入れすぎた洗剤のせいで洗濯機から泡が吹き出してあたふたしてしまうような、そんな人間味のある父を幼心に想像し、いつしか私はそれがあたかも真実であるかのように思い込んでいた。

しかし、それは大きな間違いで、実際の父は掃除洗濯炊事看病、これら全てをそつ無く完璧にこなしてみせたのだ。

その時父が作った二種類のおかゆ、一つは私用の卵抜きのもの、もう一つは治と母用の卵の入ったもので、父は当時私が卵を嫌いだったことを知っていて、あえて二つに分けて作ったのだ。

それを食べて美味しいと私が言った時の、父の優しく笑った顔を見たときに、私の中にあった父へのロボットではないかという恐怖感は消えた。


真実家族のことを顧みない人間だったならば、会社を休んで看病をしたりはしないし、ましてや家族の食べ物の好みを知っているわけもないだろう。

それ以降、私は度々この時のことを思い出すと、父のことを考えるようになった。


父はきっと感情表現が下手なのだ、だから嬉しいときも、悲しいときも、感情の振れ幅が極端に小さくて顔にでないから、周囲の人間も、実の子である私も含め父が感情の無い人に見えてしまうのだ。

今回の治のことも、倒れて意識が戻らない状態となって一週間経った今日、私に連絡がきたということは、治が倒れた当初はそれほど切迫したものではなく、疲労か何かで倒れてそのうち目を覚ますだろうから余計な心配をかけまいと私に黙っていたが、予想に反して一週間経っても治が目覚めないことで、悪化している事態を受け、ついに本日私に連絡してきたのではないか?


今となっては父がロボットなんじゃないか?なんてバカなことは思っていないが、会っても何を話していいか分からないのだ。


「着きましたよ」


総合病院に到着すると料金を払って、途中から察して黙ってくれていた運転手に礼を言ってタクシーを降りた。


どうやらここは総合病院の中でもかなり大きい病院のようだ。

診療棟と入院棟がそれぞれ別々の建物になっていて、A棟B棟と二棟ある入院棟がその広さを物語っている。

私は病院の案内板を見て入院棟の場所を確認すると、各診療棟を横目に見ながらA棟へと入った

受付を抜けて入院患者や見舞いに来た家族用の売店レストラン散髪屋郵便局喫茶店等を素通りしエレベーターへ乗り込んだ。

三階でエレベーターから降りると、キツい病院特有の薬品や患者たちの臭いが鼻につく。

どうしても嫌なことを思い出してしまうから、私はこの臭いが酷く苦手だった。

せかせかと動く看護師たちの邪魔にならないよう307号室の前まで来ると、一旦立ち止まって深呼吸をした。


 チラリとネームプレートを確認するが307と書かれているだけで、そこに入院している患者の名前は貼ってい無い。ネームプレートが無いのは患者の個人情報を守るためだろう。


気持ちを落ち着けるとコンコンコンとノックを三回鳴らす。


・・・

・・・

・・・


返事は無いがガチャリとドアを開け部屋に入った。

中は二十畳ほどの広さがあり、シャワー、洗面台、トイレ、クローゼット、テレビ、ソファーなど一通りの調度品が揃えられている。まるでホテルの一室のような個室で、そこの窓際に配置された大きなベッドに色々な管や計器に繋がれた治が静かに眠っていた。


そのベッドの横に置かれた椅子に、ピシッとした紺色の高級スーツを着た、オールバックの男性がうなだれながら静かに座っている、その男性こそが私と治の父だった。


「早雲か」

父は顔も動かさず静かに私の名を呼んだ。

「はい」

答えながら、つかつかと父の横に立つと、寝ている治の顔をじっと見た。

目立った傷もない・・・ただ眠っているだけのように見える・・・


話を聞こうと父を見るが、その顔を見て一瞬言葉に詰まった。

その顔に見て分かるほどの疲れが浮かんでいるのだ。

いつも帯付きの札束のようにピッシリと整えられているオールバックがほんの少し乱れ、眼光鋭い目には生気がなく、その下には僅かにクマが浮かんでいた。

うなだれた姿も含め、父のこんな疲れた姿は今まで見たことが無かった。


「見ての通りだ、意識だけが戻らない」


そう切り出した父は今までの経緯を淡々と語った。


一週間前の午後7時頃に父が帰宅すると玄関で治が倒れていた。

すぐに救急車を呼んで病院に担ぎ込まれたが、倒れた理由は不明で、目だった外傷も無く、脳の異常かとCTやMRI検査もされたが脳も正常、薬物の使用も疑われたが血液検査の結果も正常、治の体は意識が戻らないこと以外全て正常な健康体だったそうだ。

そのため医師も何故意識が戻らないのか何故倒れていたのか分からないと首を捻っている状況らしい。


「この状態が続くのなら、もっと大きい病院への移転も考えている。だが原因が分からない以上下手に動かしたりしないほうが良いだろう。だからまだ当分はここで様子見だ」


父はそう言って話を切り上げると、立ち上がってハンガーにかけてあったコートを羽織る。

話すことは話した、私が見つめていたところで治が快復するわけじゃない、仕事に行く、あとは好きにしろ、と言外に語っているようだった。


私に背を向け無言で部屋を出て行こうとした父はノブを回そうとした手を一旦引っ込める。


「早雲」

「・・・はい?」

「大学のほうはどうだ?うまくやれているか?」


私はまた驚いた、一体今日で何度父に驚きを覚えただろう。

あの父が私を気遣っているのだ。


「はい、今のところ皆勤です」

「そうか・・・今日でその皆勤が終わってしまったな」

「治にこのようなことがあったのですから、そんなことは気にしておりません」


「・・・そうか、では私は仕事に戻る。お前も何かあれば私に連絡してこい」

「はい、お父さんも、体を大事にしてください・・・」


「ああ・・・そうだな・・・」


疲れた声で頷くと今度こそ父は仕事へと戻っていった。

私は父の座っていた椅子に座ると、ふぅと一息ついて治の顔を見た。


「治・・・」


寝ている治の頬をそっと触る、息をしている、温かい、ちゃんと生きている。


治・・・俺の五つ下の弟・・・

母さん似の女顔で男のくせに随分と可愛いらしい顔をしている・・・そのせいで小さい頃はよく女の子と間違われたっけな・・・

父似の俺とは全然似ていない、この顔を見るたびに俺はいつも母さんのことを思い出す・・・

俺とは違い、明るくて社交的な性格で人懐っこくいつも回りに人がいる。

あの両親の子とは思えないほど情操面では本当に立派に育った。

小さい頃はいつも俺の後ばかり追いかけてきて、勝負をすれば勝つまでやめない負けん気の強い弟だった。


父さんと母さんが離婚した時、俺は十八で治は十三だった、俺が母に引き取られることになると、治は俺の背中に縋って「行かないで兄さん」と人目もはばからず大泣きした。

そんな治に俺は「すまない、父さんを頼む」としか言ってやることができなかった・・・


俺はその時のことを思い出しては、治に可哀想なことをしたと度々悔恨の念にかられる・・・


両親が離婚した後も俺と治はお互いに連絡を取り合って、度々直接会って話したり遊びに出かけたりもした。

最後にあったのは今年の夏に二人で川釣りに出かけたとき、最後に連絡を取りあったのは、一ヶ月前治にネット対戦ができるゲームとやらを勧められたときで、ゲームというものに興味の無かった俺は素気無く断ってしまったが、こんなことになるなら受けておけば良かった・・・そう思うと悔やんでも悔やみきれない・・・


こうして二人きりでいると治に話したいことが次から次へと溢れてくる。


「あふときは 語りつくすと思へども、か・・・」


確かにその通りだ・・・多分、俺の一生を治と話して過ごしたとしても、終わりの時がくればきっとまだまだ話し足り無いと思うだろう・・・


「だから早く起きろ治、俺は寂しいぞ・・・」


治の柔らかい髪の毛をクシャクシャと撫でた。

「ふぅ・・・」

治の顔が見れて少し安心したのか眠気が襲ってきた・・・

そういえば・・・昨日は課題をやっていてあまり寝ていなかったし・・・

今日は精神的に疲れた・・・少し寝ようかな・・・治・・・ベッドを少し借りるぞ・・・


椅子に深く座りなおして、治のベッドの空いている部分に上半身をあずけてうつ伏せになると瞼を閉じた。



ああ・・・そういえば・・・治と一緒に寝るのなんて・・・何年ぶりだろうか・・・・・・



・・・





・・・・・・





・・・・・・・・・






・・・・・・・・・・・・






気が付くと私は真っ白い四角い空間の中にいた。


何も無い真っ白い空間、何も文字を打っていないテキストのような真っ白い空間だ。


私はその真っ白い空間のなかでぽつんと一人佇んでいる。


現実感が全くないが、かといって夢の中のようなふわふわとした浮遊感もない。意識のはっきりした夢の中のような、明晰夢を見ているような不思議な空間だ。


ここはどこだ・・・?おかしいな・・・俺は確か治の病室にいたはず・・・夢かな・・・?いや、夢と思うときほど夢じゃないものだ・・・


何か無いかとキョロキョロしていると、あった、いや、居た。


ソレは目の前にいた、私の真正面に、歩いて五歩ほどの近距離にソレは座っていた。


全身真っ白いヤツが私の目の前に座っている、両膝を腕で抱えた、体育座りで私に向かって座っている。


上下七分丈程の真っ白い服を着て、その七分丈から伸びている真っ白い肌の手足から覗く爪は墨汁のように真っ黒い。


顔はのっぺらぼうの顔の上に強膜の部分が真っ黒で真っ白い瞳の色をした左目だけが付いていて、その白黒の瞳がジーっと私を見つめている。


・・・なんだこいつは?なんで俺を見てるんだ・・・?


よくよく考えればこの真っ白いヤツはゾッとするような不気味この上ない風体だが、不思議と嫌悪感は感じない。


むしろ、いつもそこにあるのが当たり前のように無意識のウチにコイツを受け入れている自分がいる。


だが私はコイツのことを知らないし多分、始めて見るはずだ。


益々不思議だ・・・珍妙奇妙この上ない・・・初めてみるはずの不気味なヤツを空気のように受け入れているなんて在り得ない・・・


ワケが分からないが、私も負けじとそいつをジーっと見返した。


お互い無言で見つめ合う。


・・・


・・・・・・


・・・・・・・・・


・・・・・・・・・・・・オヤ?


一体どれほど見詰め合っていただろうか・・・


良く見るとこの真っ白いヤツの左目だけ付いたのっぺらぼうの顔はじかの顔じゃなく、左目の部分だけ穴の空いたラバーマスクのようなモノを被っているようにも見える。


見れば見るほど胡乱な奴だな・・・それは被り物なのだろうか・・・確かめてみるか・・・?


私はゆっくりとソイツに近付くと顔に触れようと手を伸ばしーーー




ドンッドンッ!


「・・・っっ」

ドアを殴りつけるようなノックの音にビックリして飛び起きた。


「バカっ!お前のノックは強すぎんだよ!」

「すっ、すまん・・・つい気が急いてしまった」


ドアの向こうから諌めるような話し声が聞こえてくる・・・どうやら見舞客らしい・・・

窓を見ると空が茜色に染まっている・・・大分長い時間眠っていたようだ・・・

悪い体勢で寝たためか変な夢を見たし体も痛い・・・


私は立ち上がってグーっと伸びをしながら「はいどうぞ」と返答する。


「失礼します!」

「失礼します」


ガチャリと入室してきたのは、治が通っている学校の制服を着た二人組だった。

一人は背の高いガッシリとした体格のスポーツ刈りの子で、もう一人は中背のホッソリとした体にメガネをかけたぼっちゃんカットの子だ。


私はこの二人を見てピンときた。


「治くんのお見舞いに来ました!」

「あの、良かったらこれを」


二人はそう言ってペコリと頭をさげると色とりどりの花が入ったミニバスケットを差し出した。


「ありがとう、きっと治も喜ぶよ・・・もしかして、田中くんと鈴木くんかな?」


「はい!自分が田中でこっちが鈴木です!!」

「バカ!病院で声がデカイ!あの・・・どうして僕たちのことを・・・?」


威勢が良すぎる田中くんを諌めながら不思議そうに鈴木くんが尋ねる。


「治が仲の良い友達だって、君達のことを良く話してくれたんだ」


「そうなんですか・・・」

「治・・・!」

「さ、二人ともそんな顔しないで、治の顔を見てあげてくれないか?君達の顔を見たら治も元気になるかもしれないからね」


私が後ろに下がると二人はベッドの前に進んだ。

最初は静に治を見つめていた二人だったが、徐々に姿勢が俯き加減になっていく。


「ふぐっ・・・治・・・うぐっ・・・!!」

「ばか!泣くなっ縁起でもないだろっ・・・っ」


大きな肩を震わせ男泣きしている田中くんを諌めながらも涙を必死で堪えているような声の鈴木くん。

私からは二人の背中しか見えないが、その声と雰囲気で二人が心底治を案じてくれていることが分かった。


治は本当に良い友達を持ったようだ・・・自分の為に泣いてくれる友がいるなんて・・・

私はそんな二人を邪魔しないように口を噤んで静かに二人を見守った。


「・・・僕達もお兄さんのことは治からよく聞いていました」


治を見つめたまま、鈴木くんが私に言葉を向けた。


「・・・そうなのかい?」


「はい・・・頭が良くてかっこいい憧れの兄さんだっていつも言ってました・・・」

「ふぐっ・・・いつも言ってたっす!」


「そう・・・治が・・・」


私は言葉に詰まった、我が弟の健気さに胸を打たれ、またそれによって抉られたのだ。




暫く治を見つめていた二人はこちらに向くとまた頭を下げた。


「今日はありがとうございました」

「ありがとうございました!!」

「お礼を言うのは俺のほうだよ、二人とも本当にありがとう」


見舞いに来てくれた二人をエレベーターまで見送るために三人で夕食の配膳で忙しい通路を邪魔にならないよう歩く。エレベーターの前に着いたところでなにやら思いつめた顔をした鈴木くんが私に話かけてきた。山田くんもその隣で暗い顔をしている。


「あの・・・お兄さん、ちょっと聞いていただきたいお話があるんです」

「ん?なんだい?」


二人の顔を見て深刻そうな話であることを感じ取り、二人を伴ってエレベーターの前にあるデイルームへと入ると自販機でお茶を買い二人に渡して席に着いた。


「あっ、ありがとうございます・・・」

「ありがとうございます!」

「気にしないで。それより、話っていうのはなんだい?なんだか随分と思いつめたような顔をしてるけど・・・」


鈴木くんは俯き加減で渡したお茶を両手で包むようにぎゅっと握って、眉を寄せ、口を噛み締めて、顰めるように顔に力を入れると意を決したように顔を上げて口を開いた。


「実は・・・治がこうなってしまったのは、俺のせいかもしれないんです・・・」

「俺達のせいかもしれませんっ・・・!」


「・・・」

「・・・」

「・・・どういうこと?」


突然の告白に面食らうが、なんとかそれを顔に出さず、冷静に話の続きを求めると、鈴木くんは震えた声でぽつぽつと喋りだした。


「治が倒れた前の日に、俺達三人でネット通話しながらネットゲームの対戦をしていたんです。その時かなり白熱して、盛り上がって、その流れで負けた奴が罰ゲームを受けるってことになったんです。それで・・・その罰ゲームの内容っていうのが・・・僕が提案して・・・負けた奴がアイ文を見るっていうことになったんです」


「アイ文?」


「アイ文っていうのは最近学校とかで流行ってる都市伝説で、それを読むと呪われるとか頭がおかしくなるって言われてるものなんです」


「アイ文自体は鈴木も俺も治も知ってたんで鈴木の提案を受けたんす」


「でも、そのアイ文が載ってるサイトを探すこと事態が難しくて・・・本来なら1件もヒットしないはずのデタラメな文字を打ち込んでいると、極稀に1件だけ文字化けしたサイトがヒットすることがあって、そのサイトの中にアイ文っていう怪文書が載っているってモノなんですけど・・・僕自身その罰ゲームを提案する前に興味本位で何度も検索して一回もヒットしなかったから、よくあるガセだと思って・・・ちょっと怖がらせてやろうって、軽い気持ちで提案したんです・・・ガセ話だから何も起きないし、そもそもヒットすらしないしって・・・それで負けた治が罰ゲームを受けることになって・・・明日会った時にどんな内容だったか教えろよ~って言ってその日は解散したんです」


「それで次の日、丁度登校時間が重なった山田と一緒に教室に入ったら、いつもより早く来てた治がいて、声をかけようと思ったら・・・何か隣の誰もいない席に向かって話しているように見えて・・・」


「俺にもそう見えたっす」


「見間違いだろうと思っていつも通りに声をかけたら、いつもの治だったんで、昨日の罰ゲームの話を振ったんです。僕はそもそもサイト自体が無いから見れるわけ無いってことは分かってたんで、治が強がって見たって嘘ついたらからかってやろうと思って・・・案の定治は見たっていうんですよ、僕はしめしめ強がりやがってと思っていたら、見たというアイ文の内容を治が言うんです。僕はえっ?と思って・・・でも、その時は担任が来てHRが始まってその話はうやむやになって・・・そしたら休み時間に治が僕と山田を呼び出してこう言ったんです」


「「なぁ、俺がホントにアイ文を見たか、見てないか、信じるのはどっちでもいいんだけど、お願いだからもう二度とアイ文の話をしないでくれないか?正直思い出したくも無いんだ・・・」」


「俺も聞きました」


「その治の顔があまりにも真剣で、とても嘘をついているなんて微塵も思えませんでした。だから俺達もその後アイ文の話は一切しないで、治の作ってきてくれた弁当を食べながら、いつものようにバカ話をして過ごしました。それで・・・放課後になって・・・僕と山田は部活に行くので治と別れて・・・それが倒れる前に見た治の最後の姿でした・・・」


「それで次の日から治が休んで・・・おかしいと思って治に連絡を入れても音信不通で・・・担任にもずっと問い詰めたんですけど、話せないの一点張りで・・・それで、今日になってやっと親御さんの許可が降りたからって、この病院に治がいるって教えてもらったんです」


「治が来なくなった日からずっと・・・治は本当にアイ文を見てしまったんじゃないかと思って・・・そのせいで今こんな状態になってるんじゃないかって・・・僕のせいで・・・僕がこんなこと提案してしまったせいで・・・治が・・・」


「俺のせいなんです・・・俺があんなこと言い出さなければ治は・・・」

「それを止めなかった俺も同罪です・・・」


涙声になりながらも話し終えると、鈴木くんと山田くんは俯いて、私に審判を仰ぐかのように沈黙した。



正直なんと答えて良いのか分からない・・・内容がオカルト過ぎてなんとも言い難いのだ・・・


バカバカしいと一蹴されても可笑しくない話ではあるが、二人の顔を見ると、罪悪感と後悔で押し潰されそうな思いつめた顔をしている。

本気でその都市伝説が原因で治がこうなってしまったと思っているようだ。

でなければ黙っていれば分からない、しかも、こんなふざけていると思われるような話を言う必要が無い。


私自身、治がそのアイ文という都市伝説のせいでこうなったとは思わない。

普通に考えて、そんなことはありえない。怨霊であれ妖怪であれ都市伝説であれ、実在するかも不確かな、そんなモノが生きた人間をどうこうすることなんて出来るわけがないのだ。

けれども、この思い詰めた二人の顔を見ているとなんだか一概に否定することもできなくなってくる。


とにかく二人がこのまま暗い顔をしていてはきっと治も悲しむだろう・・・


「鈴木くん山田くん、顔を上げて。二人は少し悪く考えすぎだよ。そんなサイトを見ただけで人が昏睡状態になるわけないんだから。たまたま治がこうなってしまう前に、その罰ゲームが重なってしまっただけだよ。それに、治がそのアイ文というサイトを本当に見たのかわからないじゃないか。鈴木くんが言うとおり、強がりで見たフリをしていただけかもしれないよ?」


「でっでも!」


まだ続けようとする鈴木くんを片手でやんわり制した。


「それに、その流行っているアイ文とやらに、本当に人をこんなふうにしてしまう力があるなら、今頃意識不明者が多発して大問題になってるさ」


「そうですけど・・・」


「俺も、もしキミ達と同じ立場だったら自分のせいかもしれないと思う。だからってあまり思い詰めてはダメだよ。自分を責めないで。治のこととその都市伝説は関係ないから、二人のせいじゃないよ」


「はい・・・一番辛いのはお兄さんなのに、急に変なこと言ってすみませんでした・・・」

「すいませんでした・・・」


二人はまだ納得していない様子だったが、なにかあったら連絡するよと、私と連絡先を交換すると頭を下げて帰って行った。





私は307号室に戻ると治に「また明日来るよ治」と話しかけて名残惜しいが帰路についた。


帰宅してシャワーを浴びるとコンビニで適当に買ってきた食べ物を胃に詰め込んだ後、ベッドに横になって鈴木くん達が話したことを考えていた。


アイ文という都市伝説のせいで治が昏睡・・・?ありえない・・・鈴木くん山田くんには悪いが正直いってバカバカしい・・・・きっと彼等も治がこういうことになって・・・しかもそれが自分たちのせいかもしれないと悪い方向へ思考が傾ききってしまったのだろう・・・十六という歳を考えれば無理もない・・・彼等もまだまだ子供なのだ・・・


だけど・・・治の治療法が見つからない今・・・その可能性が一厘でもあるのなら・・・一応調べて見る価値はあるのかもしれない・・・

そういえばウチの大学にそういうオカルト系のサークルがあったはず・・・明日・・・尋ねて見ようかな・・・・・・


ああ・・・眠い・・・


今日は疲れたよ・・・お休み・・・治・・・母さん・・・


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