本編 其ノ二十 -白木邸-
「・・・ん?」
遠くから微かに聞こえる、シュルシュルという衣摺れの音と窓から差し込む朝陽で目が醒める。
どうやら木葉さんのおかげで、あの白い空間に行かなくて済んだようだ。無事に睡眠できたことへ安堵すると共に、横で寝ている筈の木葉さんのことが気にかかった。
寝ぼけまなこで繋いでいた右手を開閉して確認するが、昨晩まであった冷たい温もりはそこには無く、横を向いてみるが彼女の布団は綺麗に折り畳まれて、そこに彼女はいない。
いない・・・
いない・・・?
いない・・・??
いない!!
それを認識した瞬間、懐郷病に罹ったような、夜ふと目が覚めた時寝室に両親がいないことを認識してしまった幼子の心境のような、うまく言語化出来無い、複雑怪奇な悲しい寂しい泣きたい気持ちを織り交ぜた激しい感情が、堰を切ったような勢いで襲い掛かってくる。
このまま寝た状態ではきっと、私は泣いてしまう。
だからガバッと上半身を瞬時に反射的に起こして、両手を顔に当て乱れる呼吸を整えながら、必死でその激情を抑えつける。
オチツケ・・・オちツけ・・・落ち着け・・・
なんでも良い・・・他の事を考えるんだ・・・思考を他の事に割け・・・
對酒當歌 人生幾何 譬如朝露 去日苦多 慨當以慷 幽思難忘 何以解憂 唯有杜康
漢詩を浮かべながら落ち着けと自分にゆっくりと言い聞かせ、二~三回深呼吸をすると少しづつ気分が鎮静していきた。
まずいかもしれないと思う。
昨晩のぐにゃりもそうだが、段々段々と自分の中にあの黒い泥が回ってきているのが分かる。感情がふとした瞬間爆発しそうになる、理性の箍が外れそうになる。
そして何よりも、正常な判断力、正常な思考力というものが鈍ってきていることを切実に感じる。
この泥が完全に私の全体に回ったら、私はどうなってしまうのだろうか?ヤツに取り込まれるのか、私自身がヤツになってしまうのか?どうなるのかは分からない。
だけど、泥が回りきるまでの時間の猶予はもうそんなに無い、時間が迫ってきている、ということだけは直感的に理解できた。そもそもこの泥はなんなんだ?分かるのに分からないそれがモドカシイ。
「おや、起きたかい?」
ひょこっと、部屋に備え付けてある洗面所から木葉さんが出てきた。浴衣から普段着に着替え、髪も綺麗に結われている。
イタ
いた
居た!!!
「・・・どうした?そんな顔して。悪い夢でも見たのかい?」
「ああ・・・」
「・・・東雲くん?」
私はゆらり徐に立ち上がると、彼女の前まで歩み寄ってその身体を抱きしめた。
色っぽい意味合いは無い。はぐれて泣いていた子供が、母親を見つけた時のように、ただただその愛おしい温もりを求めた。
そんな情けない私の気持ちを、察してか察さずしてか、彼女は嫌な素振りも見せないで、優しく抱き返してくれる。
「おいおい・・・どうしたんだい?」
「目が覚めたら・・・無性に不安になったのです・・・」
「そう・・・きっと、寂しくなったんだろう。子供みたいだ」
「はい・・・」
彼女が持つその優しさに涙が滲んだ。
それと共に、先ほどまでの激情は不思議なほどすーっと消えてなくなる。
「・・・ありがとうございました」
「もう大丈夫かい?」
「・・・はい」
その温もりを十分に感じ、気持ちが落ち着くとゆっくりと彼女から離れる。
気恥ずかしくて木葉さんの顔を見ることが出来なかった。
「なら、しっかりしたまえ。そろそろ朝食らしいから、顔でも洗って目を覚ますといい。布団は私が畳んであげよう」
「ありがとうございます・・・」
そそくさと洗面台に向かって顔を洗って着替え終わる頃には朝食が運ばれてきた。
ニジマスの干物に、味噌汁、漬物、お浸し、出し巻き卵といった一汁三菜の和食だ。
全てを平らげると、お膳の後片付けをしに女将さんが来る。
「村長さんから聞きましたよ~おキヨさんに会って話を聞きたいんですってね~これ、白木さんの屋敷までの地図です~」
流石田舎ネットワークだ。一人が知れば皆が知り、一広めれば十が知る。伝五郎さんも女将さんも親切心なのだろうが、下手なことは言えないなと改めて自戒した。
その地図を木葉さんが受け取る。
「ありがとうございます女将さん。これからそのおキヨさんという方に、お話を伺ってみようと思うのですが、おキヨさんとはどういった方なのでしょうか?」
女将さんは片付けの手を止めると、頬に手を当てて少し難しい顔をする。
「う~ん・・・おキヨさんは昔気質の人でねぇ、私たちがどれだけ白木家のことについて聞いても、私は仕えている身だからって絶対口にしなかったわぁ」
「村の人にもそうなら、余所者である私たちが話を聞きに言っても、話してはくれなさそうですね・・・」
「そんなことないですよぉ。こういっちゃなんですけど・・・おキヨさんボケちゃって、もう前とは別人みたいになっちゃいましたから・・・無口な人だったんですが、屋敷に近づくだけで怒鳴り散らされたするんですよぉ。まぁ、言ってる事がホントかどうかは分かりませんが、一応聞いてみる価値はあると思いますよ~不味そうなら走って逃げれば大丈夫ですから!」
軽く冗談を言って場を和ませてくれた女将さんにお礼を言って宿を出ると、おキヨさんに話を聞くため白木邸へと向かった。
白木邸は、昨日行った真白神社の入り口を真っ直ぐ南にくだったところにあり、近くまで行くとその屋敷の大きな佇まいからすぐに分かった。その道中、木葉さんは何か考え事をしているような、緊張しているような面持ちで、いつもより口数が少ない。
「ところで東雲くん。今更なんだが、私の木葉という名前、キミはどう思う?」
「はい?」
「私の木葉という名前さ。キミは良い名だと思うか?」
「・・・」
一瞬どう答えようか迷ったが、正直に答えることにした。
「・・・木葉さんには申し訳ありませんが、正直あまり良い名前だとは思いません」
「ほう・・・どうしてだい?」
彼女は嫌な顔をせず、むしろそう思った理由に興味がある、といった感じで私の顔を下から覗き込む。
「名は体を表すともいいます。私の中で、木葉というのは舞い散る印象が強いのです・・・ですから私は、貴女が風に吹かれて何処かへフラッといなくなってしまうのではいかと、時折不安になるのです」
それに葉は散って地面に落ちた後、養分となることはあって、もそこから芽を出して木になることはない。それが悪いことだとは言わないが、彼女がそういう人生を歩むのは嫌だと、私は思うのだ。
「なるほどね・・・中々的を射た意見だよ・・・」
「消えないで下さいね。お願いですよ」
「ふふっ・・・それはどうかなっ!」
「あっ!ちょっと待ってください!」
「私に置いてかれたくないのなら、必死で追いついて見たまえ!」
おどけながら走り出した彼女の後を私も追う。
・
・・
・・・
私の方が足が速かったのですぐに追いついた。
「・・・足速いね東雲くん」
「木葉さんの体力が無さ過ぎるだけの気もするんですが・・・と、ここですね」
「・・・ああ、行こう」
気付けば白木邸のすぐ目の前までやってきていた。
その築地塀に囲まれた外観を見ているだけで、なんだかとても気分が悪くなる。
この家はとても気持ちがザラつく・・・嫌な感じだ・・・
そんな嫌な感覚を振り払って、築地塀を伝いながら白木邸の玄関先である木戸門へ近づくと、そこには、白い割烹着に三角巾を着けた一人のおばあさんがこちらに背を向けて掃き掃除をしていた。
おそらく、あの人がおキヨさんだろう。ボケているという話を方々から聞いているので、危険が無いとは言い切れない。転ばぬ先の杖として、何かあった時にすぐ彼女を守れるよう、私は彼女の真横少し前に立つ。
「あの方がおキヨさんなのでしょうか?」
「ああ・・・間違いないだろうね」
「?」
私たちの話し声に反応したのだろうか、その掃き掃除をしていた割烹着のおばあさんがこちらにぐるっと振り返った。痩せこけた全身に、窪んだ眼孔から覗く大きな瞳はぎょろぎょろとしていて、私は一目見て異様だと思った。ボケているとかボケていないとかではなく、その瞳が異常さを放っているのだ。
「!!!」
その老婆は私の後ろ隣に立っている木葉さんを見た瞬間、驚いたようにぎょろぎょろの瞳をさらに力一杯見開き、持っていた竹箒を投げ捨て、奇声を発しながら老婆とは思えぬ程の猛烈な勢いで木葉さんに向かって突進してくる。
「キャぁ~~れんしゃ~~まうぁあーああああああ!!!!!!ぎゃはああああぅうぅううああああーーー!!!ひぃいいいいいいいいいあああああ!!!!」
「木葉さん下がってください!」
私は彼女を庇うため、その老婆の突進を受け止めようとしたが、木葉さんは私の左腕を掴んでそれを制した。何故止めるのか理解できない私はその腕を解こうとするが、解こうとすればするほど掴んだ腕に強く力が込められる。
「危ないですよ!!」
「・・・大丈夫だから、私に任せて」
「きゃあーーーーれんしゃぁあああ~うまかぁあーーー!!!!!あばヴぁヴぁあぶヴぃヴぁヴぃヴぁ!!!!!」
その老婆は木葉さんの目の前まで走りよって急停止すると、いきなり土下座をして地面に額を擦り付け出した。
「かっかかか、カレンしゃまぁ!!お久しゅうございますううう!!!」
いきなりの目まぐるしい老婆の意味不明な行動に、ワケが分からず私は困惑して、隣にいる木葉さんに小声で話しかける。
「・・・どういうことですか?」
「・・・分からないが、多分、私を誰かと勘違いしているんだろう。この方には申し訳ないが、話を合わせて情報を聞き出そう」
「お久しゅうございましゅぅうううううううう・・・うっううううう!!!」
おキヨさんと思わしき老婆は、そのままずりずりと前に這うと木葉さんの足に縋り付いて泣き始めた。
そんな行動に木葉さんは嫌な顔一つせず、むしろ悲哀な表情を浮かべている。
「おキヨさん・・・とりあえず立ち上がってください」
「うっうううう・・・うぁああああああ・・・・・お会いしたかったですじゃあぁああああ」
木葉さんはその両肩に優しく手を添えて立ち上がらせると、泣きじゃくるおキヨさんを宥めながら、落ち着くのを待った。
私は木葉さんの邪魔をしないよう横に立って、おキヨさんが木葉さんに何か危害を加える行動を取らないか注視する。
「おキヨさんですね?」
「そうですじゃぁあ・・・カレンしゃまはワタシの事をお忘れになってしまったのですかいのぉおお?」
「実はね、私は記憶が曖昧で自分のことをあんまり覚えていないのだけれど、私の名前はカレンというのかな?」
「なんとおいたわしやカレンしゃま・・・ですが良かったですじゃ・・・あんな記憶なら忘れてしまったほうが幸いというものですじゃ・・・」
おキヨさんは木葉さんの右手を両手でしっかりと握って離さない。木葉さんも両手で握られた右手の上から左手を重ねている。
不思議なことに、おキヨさんのその瞳から先程の異常さは消え、カレンさんとやらと勘違いしている木葉さんのことを本気で気遣っていることが分かり、危害を加えるような心配は無いように思えた。
「ありがとうおキヨさん。だけど、そういうわけにもいかないんだ。だから、お願いだから、私のことを教えてくれないかい?私はもう自由なんだ、だから昔を思い出したからって、どうにかなるものでもないんだよ」
「・・・分かりましたですじゃ。なら中へ入ってくだされ。なんせここはカレンしゃまのお家なんですからのお。ワタシは使用人で、カレンしゃまは主様ですじゃから」
「そうですね、お邪魔しましょうか」
「いいんですか木葉さん、勘違いしたまま上がらせてもらって?」
「いいんだ、何より知りたい情報はきっと中にあるよ」
「はぁ・・・?」
木葉さんと共に、案内されるまま白木邸の木戸門を潜ろうとしたところで、先頭を歩いていたおキヨさんがくるっと振り返って、ぎょろぎょろと充血した目に怒りの形相を浮かべて私を睨むと、物凄い剣幕で怒鳴りつけられる。
「なんじゃこの末成り青瓢箪は!!!何故お前も入ろうとしとるんじゃ!!!」
「あ、え・・・その」
「はっきり喋らんかこのモヤシが!!!やさ男めが!!!お前は泥棒か何かか!!!白木の何を嗅ぎ回っておるんじゃ!!!」
「おキヨさん。彼は私の大事な人なんだ、お願いだから彼も入れてあげてくれないか?」
その言葉にぎょっとしたおキヨさんは、睨みつけるのをやめ、上から下まで舐め回すように私を見るとワナワナと震えだし、ガバッと私の足に縋り付いてまた泣き出し始めた。
「・・・なんと!・・・なんと!!カレンしゃまの大事なお方でしたか!!これは失礼しましたのぉ!お許し下されぇえええええ!!おお・・・おおお!!良く見ると中々の良い器量をしておられますのぉおおお!このキヨ一生のお願いですじゃ!!是非とも是非ともカレンしゃまをお幸せになせってあげてくだされぇえええええ!!!」
「ええ、勿論です・・・ですから、顔を上げてください」
「本当ですか?!本当ですかの!!?お願いですじゃぁああ!!!もしカレンしゃまをまた不幸にさせたら、このキヨ悪霊怨霊となっても恨みますからのぉおおお!!!!」
「・・・・・・」
怒鳴ったり泣き出したり怒鳴ったり、どう考えても異常行動だが、異常の中に宿った正常とでもいうのだろうか、その瞳が、あまりにも真摯で真剣な色をしていたことで、私は軽々しく返事をすることができなかった。
私たちは取り乱しているおキヨさんを宥めながら木戸門を潜ると屋敷の敷地内へ入った。
白木邸は古い日本家屋で敷地も広く、庭園、庭池、土蔵など歴史を感じさせるものが多々あった。
「ささ、中でお茶でもだしますじゃ」
「いや、おキヨさん、庭にあるあそこの椅子で座って話そう」
そう言うと木葉さんは、この庭園を一望できる位置にあった長椅子を指差した。
「しかし・・・カレンしゃまに日光は毒ですじゃから・・・」
「もう大丈夫になったんだ、お茶もいいから話が聞きたい。お願いだよ」
「分かりましたですじゃ・・・カレンしゃまがそういうのでしたら、そういたしましょう」
「・・・」
どうして木葉さんは、家に入らぬのだろう?こう言ってはなんだが、家に入ったほうが何か手掛かりになりそうなものだが。いや、ここまで上がらせて貰っているのは、悪く言えばボケたおキヨさんにつけ込んだ結果だし、流石に家の中にまで入るのはいけない。そう思っているのかもしれない。
私、木葉さん、おキヨさんの三並びで長椅子に座ると、木葉さんが静かに口を開く。
「おキヨさん。カレンさんとは、一体誰なのですか?」
「カレンしゃまはカレンしゃまですじゃ!あのクソ野郎の娘とは思えないほどの、身も心も綺麗なお方、まさに真白様の生まれ変わり・・・そして・・・この来日でもっとも不幸なお方じゃった・・・ワタシはそれがもう悲しゅうて悲しゅうて・・・」
「あのクソ野郎、と言うのは・・・白木兼家のことですね?」
「ええ、ええ・・・そうです。名前を出すのも忌々しいあのクソ野郎のことですじゃよ・・・あのクソ野郎は、生まれたばかりのカレンしゃまを忌み子だなんだのと言って、ずっとず~っとその生涯が終わるまで座敷牢閉じ込めていたんですじゃ!それだけじゃないですぞ!機嫌が悪いときは度々座敷牢に来てはカレンしゃまに罵倒を浴びせるわ暴力を振るうわ!!!ホンに・・・思い出すだけで殺してやりたくなりますわぃ・・・言い訳するわけではないですがのぉ、ワタシも何度もお止めしたんですが、その度にクビをチラつかせられましてのぉ・・・別に仕事が無くなる事はどうでも良かったんですが・・・そうすると、カレンしゃまに二度と会えなくなってしまう、カレンしゃまを守れなくなってしまう・・・そう思うと・・・強く逆らうわけにもいきませんでなぁ・・・申し訳ありませんでしたのぉおおカレンしゃまぁあ・・・」
どうやらカレンさんというのは、昨日伝五郎氏の話にも出ていた、村人が誰も見たことの無いという病弱で夭逝してしまった白木兼家の娘さんのことらしい。
伝五郎氏は白木兼家の自殺は娘の死を嘆いてではないかと予想していたが、おキヨさんの話を信じるなら事実は大分違うようだ。
「警察とか、村の人か、そういった人を頼ることはできなかったのですか・・・?」
「横から知った風な口を聞くな青瓢箪よ・・・いくら村のモンに嫌われとるとは言え、腐っても白木の当主、金と力はある。ワタシがどれほど叫んだところで揉み消されるのが関の山じゃ・・・兼家は青二才じゃったが邪知に長けておってな、鉄塔がどうのこうのと騒いでおった伝五郎ですら、ヤツには面と向かっては下手にしか出れんかったわい。それが白木の当主というものよ。正直、村のモンは白木が無くなって良かったとすら思ってるんじゃないかの」
なんとなく理解はできた。田舎の有力者というのは、その狭い土地での王様のようなものなのだ。だから好き勝手出きるし、それに逆らえる者は居ない。逆らおうものなら村八分だ。四百年間それが続き、しかも現代においても家名だけではなく財力もある。その力は相当なものであったろうことは想像に難くない。
「では・・・カレンさんが幽閉されていた理由とは、一体なんなのでしょうか?」
「・・・なんじゃ青瓢箪、おぬしゃ目が付いとらんのか?カレンしゃまを目の前にしてワタシにそれを言えというのか?!カレンしゃまがあのクソ野郎から疎まれた理由なんてその麗しいお姿を見れば分かるじゃろうが!!!」
木葉さんを指差して激怒するおキヨさん。どうやらこの老婆には木葉さんがそのカレンさんに見えているようだ。勿論、木葉さんを見たところで白木カレンが幽閉されていた理由なんて全く分からない。
「・・・おキヨさん、カレンさんが閉じ込められていたという座敷牢は・・・あの土蔵の中ですか?」
木葉さんが指差した先には、漆喰総塗籠の土蔵が、庭園から離れた位置にぽつんと一つ建っていた。
その土蔵を見たおキヨさんは、先程までの怒気は何処へやらで、急にシュンと目に見えて元気が無くなり落ち込んだ様相を呈す。
「ええ・・・そうですじゃ・・・あそこはまさに檻、人を死ぬまで閉じ込めておくための牢獄ですじゃ・・・」
「あそこに行っても、いいかなおキヨさん?」
「カレンしゃま!!どうしてまたあんな所へ行こうとするのです?!」
「・・・忘れ物があるんだ」
「ならば・・・お止めしませぬが、このキヨは一緒に着いて行くことは出来ません。あそこに近寄る度に、ワタシは真白しゃまとカレンしゃまに申し訳が無くなって涙が止まらなくなるのですじゃ」
「分かりました。ありがとうございますおキヨさん。さ、行こうか東雲くん」
「はい」
「・・・木葉さん、あの土蔵を調べるよりも、白木邸の中を調べたほうが何か手掛かりがあるのでは?」
「・・・どうだろうね?私はなんだか、あの中がとても気になるんだ」
今日の木葉さんの行動に何点か疑問を抱くが、その気持ち以上に、近づけば近づくほど、なんだか嫌な感じがするこの土蔵に気をとられた。言葉にするならば、この土蔵からはとてつもない悪意が感じられるのだ。中ではなく、この土蔵自体から。おキヨさんの話を聞いたから、嫌なイメージが先行してそう思ってしまうのかは分からない。だけど、近づけば近づくほどこの蔵はとても嫌な感じがする、建てた者、白木兼家の明確な悪意が感じられる。ここに閉じ込めて、死ぬまで出さんぞ、という明確な悪意が。
正直心の底から入りたくないし近寄りたくない。
「この土蔵・・・なんだか、とても嫌な感じがします」
「奇遇だね・・・私も近づく度に反吐が出そうだよ」
近くで見て分かったが、この土蔵はまだ建てられから新しいものだ。
鍵は掛かっておらず、外開きの扉を開けて中に入る。
おキヨさんの言う通り、中はずっと掃除されていないのか、扉を開けたときに差し込んだ光が土蔵の中を照らし、外から入った風で浮かされた物凄い量の埃がキラキラと舞い散った。
私たちは埃が舞い終わるのを待つと、中へと入る。
薄暗い土蔵の中は開けっ放しにしている扉から入る光で明るく照らされるが、意外と奥行きがあって、奥までは光が入りきらない。それに、見渡す限り他の光源といえば土蔵の上に付いている窓以外無く、締め切ってしまえば真っ暗だ。その土蔵の奥側に両壁を二面の木製の格子で囲い込んである、中の広さは六畳程で、その五メートル程上に鉄格子の窓が付けられている座敷牢があった。牢の中は綺麗な程空っぽで、畳が敷かれていた形跡があるが、今は積もっている埃意外何も無い。おそらく、白木カレンさんという人が無くなった時に、ここで使用していた道具諸々の全てを処分したのだろう。
木葉さんはその座敷牢をじっと見つめると、牢の扉を開けて中へと入る。
「なんの罪も無い子を、こんな所に死ぬまで閉じ込めるなんて・・・白木兼家は人でなしだね」
「あまり、まともな人とは思えませんね。怒っているんですか?」
「なんでだろう?この土蔵から染み出る兼家の悪意が、私を怒らせるのかもしれない。誰だってこんな座敷牢で生涯を終えたくなんて無いだろう?真白様だってカレンだって、誰だってそうだ。何で何の罪も無い者がこんな所に閉じ込められなくてはいけないんだろう?それを思うだけで、私は怒りが湧いてくるんだよ」
そう言って牢の中を歩いていた木葉さんが、土壁の少し崩れた窪みのようなところを見つけて手を止める。
「その窪みがどうしました?」
「・・・」
私の問いには答えず、その窪みの中に手を突っ込んで、ガサガサと何かを探り出す。
土壁の中は脆くなっているのか、バリバリガラガラ中が崩れていく音がする。
「壊しちゃダメですよ木葉さん・・・私がやりましょうか?」
「いや、私にやらせてくれ・・・」
木葉さんの表情は、この屋敷に入ってからずっと、悲しそうな切なそうな表情だ。この土蔵に入ってからはより、その背中が哀愁を帯びている。腕が半分ほど入るまで窪みの中に手を突っ込んだところで、何かを見つけたのか入れていた腕を取り出した。
「それは・・・?」
「・・・」
その手に握られていたのは、白い背表紙の手帳のようなものだった。
「おそらく・・・白木カレンの手帳だよ・・・」
「隠してあったのでしょうか?」
「さぁね・・・」
木葉さんは無言でその手帳を開くと、壁を背もたれにしてそれを読み始めた。
もう私の声も届いていないようだ。私もその隣で壁に持たれると、彼女がそれを読み終わるのを待つ。
白木カレンは何らかの理由、おキヨさんの言動から察するに何か身体的な見た目のせいで、この牢に生涯幽閉されていた。そして度々白木兼家に罵倒や暴力を浴びせられ、その内に病にて夭逝した。そしてその白木カレンが残したのではないかと思われる手帳、それを今木葉さんが読んでいる。
・・・
・・・・・・
・・・・・・・・・
そのまま何十分か十何分かの時間が過ぎ、パタンと手帳を閉じた木葉さんの頬は、一筋の涙が伝っていた。
「何故・・・泣かれるのですか?」
「自然と零れてくるものに理由なんてないんだよ、東雲くん。ただ・・・この、あまりにも哀れで、あまりにも可哀相な少女の、その救いすらも見当たらないこの日記が、私の何かに触れたのかもね・・・」
そう言うと、片手でその涙を拭いながら、その手帳を私に差し出す。
「・・・読んでみれば判るかもしれないよ」
「・・・分かりました」
白木カレンの手帳を手渡される。
私はその手帳を丁寧に受け取ると、開いて中に目を通す。




