本編 其ノ十九 -温泉-
「おかえりなさいませ〜村長さんがお二人のことを褒めてましたよ〜今時見ない礼儀正しい若者だって」
宿に着くと、とてとてと奥からやってきた女将さんが笑顔で出迎えてくれる。どうやら、伝五郎氏が私たちが帰ったぞと連絡してくれていたようだ。
「夕食の時間までもう少しありますから、先にお風呂に入ってはいかがですか~?山田屋は源泉掛け流しの天然温泉なんですよ~当宿自慢の一つです!浴衣はお部屋にご用意してありますから、いつでもどうぞ〜」
そう言い終えると、女将さんはまたとてとてと台所のほうへ戻っていった。
「温泉か・・・今日は歩き回って色々と疲れたから入りたいな。キミはどうする?」
「いいですね、私も天然の温泉なんて入るのは久しぶりです。入りましょうか」
部屋へ戻ってコートを脱いで浴衣を取ってくると風呂場に向かい、男女で分かれた温泉の入り口で、一旦二人共立ち止まる。
「残念だったね東雲くん。混浴ではないようだ」
「本当に残念です。きっと展開が違えば、私と木葉さんは混浴できていたんだと思います」
「何を言っているんだい東雲くん。女将さんの話だと他に客はいないそうじゃないか。隠れて一緒に入ってしまえば、誰にも・・・バレないよ」
「・・・ですね、なら混浴と洒落込みましょう」
「あらあら~」
入り口で冗談を言い合っていたら、丁度そこを通った女将さんに全部聞かれていたらしい。
「ここは村の人も湯治で入りに来たりするんですけど大丈夫ですよ~清掃中の札掲げておきますからね~!」
そう言って左手で上品に口を押さえ、右手でぐっと親指を立てながら女将さんは去っていく。
赤面した男女が二人、その場に取り残された。
「とっとにかく入りましょうか。湯冷めしてもいけませんし、先に出たほうは部屋に帰って待っているということで」
「そうだね・・・」
山田屋の温泉は、乳白色の優しい色をした露天形式の岩風呂だった。温度は少し高めだが、露天なので今の寒い季節には上寒く下温し、と丁度良い。私は肩まで湯船に浸かると、そこから見える来日の山々を観賞しながら、今日来日村で見聞きしたことを自分の中で纏める。
真白神社の祭祀は滞っておらず、白木家がいないだけで、例年通りしっかりと続いている。
真白神社は綺麗に掃き清められ、荒らされた気配は無い。
真白神社に近づくたびに、私は不思議な胸の動悸を感じ、その原因は幣殿にあるような気がした。
白木家最後の当主白木兼家の村での評判は悪く、神祇官の末裔のわりに、真白神社の神域を金の為に売り渡す、真白様の祭祀を面倒くさがる等の不敬な行動が目立つ。そして今から一年ほど前に自殺している。
自殺した理由は不明だが、数年前に亡くなった娘さんのことを苦にしてではないか?と伝五郎氏は予想している。
白木家の内情をこの村で唯一知るという人物、おキヨさん。しかし、そのおキヨさんはボケてしまい、話せたとしてもホントなのかウソなのかは分からない。
こんなことろか・・・
まだこの情報だけでは真白様がアイ文の正体なのか、それとも別のモノなのか、結論を出す決め手にはならない。とりあえず明日は白木邸に行って、そのおキヨさんという人に話を聞いてみよう。
考えに一段落ついたところで、温泉を満喫してようと改めてゆっくり浸かっていると、となりの女湯からぱちゃぱちゃと水音が聞こえる。
きっと木葉さんだろう。他に客もいないようだし、声をかけてみても良いのかもしれない。
温泉で大きな声を出すなんて、ましてや女湯に向かって話しかけるなんて生まれて初めてだ。実は、私はこういうやり取りに少し憧れを持っていた。
ちょっとドキドキする。深呼吸して気を落ち着けよう。
「スー・・・ハー・・・」
よし。話しかけるぞ。
「良いお湯ですねぇぇぇええええいやっはっはっはあ!!!!!」
「!?」
慣れないことをしようとしたせいか、「良いお湯ですね」と言い終えようとした所で、急に恥ずかしくなってしまって、その恥ずかしい気持ちを笑って誤魔化そうとしたら、なんだか頭おかしい人みたいになってしまった。
「え?え??」
どうしよう・・・木葉さんめちゃくちゃビックリしてるぞ・・・「え?」とか言ってるし・・・バシャッて立ち上がる音がしたし・・・どうしよう・・・
「しっ、東雲くん~~!今なんか凄い声出さなかったかーい?!」
動揺したような声の木葉さんから返答がくる。
仕切越しにこういうやりとりがしたかったから向こうに向かって声をかけたのだが・・・おかしいな・・・全然嬉しくない・・・私が望んだ会話はこういうものじゃなかったはずだ・・・
だがそんなことよりも、早く返事を返さねば。今は後悔してる場合じゃない。
うまく切り返すんだ。流石に恥ずかしすぎる、あんな声を出したのが私だとバレたら恥ずかしすぎる。
「え-?なんのことでしょう~??そんなことより見てください~ここはとても景色が良いですよね~温泉も乳白色で凄い肌に良さそう!リウマチとか一発で治りそうですよね!!」
「え?え??東雲くーん!お姉さん少し混乱しているよー?キミ何かあったのかー?!」
「人間誰しも混乱するものです!ですから落ち着いて下さい!滑って転んだら一大事です!ところで私少しのぼせてしまいましたので先に出ます!お疲れ様でしたっ!!」
「え?え??わ・・・分かったよ~!」
居た堪れなくなって来たので、勢いに任せて脱衣所に駆け込んで濡れた体を拭きながら、浴衣に着替えると駆け足で部屋へと戻り、座布団を頭に被せながらうずくまって呻き声を上げながら襲い掛かる羞恥心をやり過ごした。
その暫く後に、キツネにつままれたような顔をした木葉さんが戻ってきた。
持ち直した私は座卓に座って、冷茶を飲みながら、そ知らぬ顔に笑みを浮かべて彼女を迎える。
「お帰りなさい。良いお湯でしたか?」
「あ?・・・ああ・・・?良い湯だったよ?」
下ろした髪の毛がしっとりと濡れていて、浴衣から覗く上気してほんのりと薄桃色になった色白な肌がまた色っぽい。やっぱり木葉さんは、髪をおろして眼鏡を取ると少し幼く見える。私よりも歳が下なんじゃないか?と思えるほどだ。が、今の私はそんな木葉さんの色っぽい湯上り姿よりも、先ほどの痴態で頭がいっぱいでそれどころではなかった。
恥は色を上回る、ということを今日知った。
だがそれで良い。色が恥を上回ってしまったら、それはただの変態だ。常軌を逸した者だ。私はまだそれで良い、普通で良い。必死で普通を取り繕う者で良い。簡単に外れる箍を頑張って外さないのが人間なのだ。理性とはそういうものなのだ。
「東雲くん」
「はい?」
「この村には妖怪が住んでいるのかもしれない・・・」
「それは恐いですね。気をつけましょう」
良かった、多分バレてないぞ。
「お夕食をお持ちしましたよ〜」
そんな話をしていると夕食のお膳を持った女将さんがやってきた。
この村で採れた山菜や野菜の天ぷらに、この村にある猟場で捕れたイノシシを使ったボタン鍋といった、この村でとれるものをふんだんに使った料理の数々に、私と木葉さんは時を忘れ舌鼓を打った。
食事が終わるとその片付けをして、二組の布団を敷き「それではごゆっくり〜」とによによしながら女将さんは出ていった。
私たちは広縁に座って緑茶で一服し、窓から見える来日村の夜景を眺めていた。
「今日は色々ありましたね」
「ああ。百聞は一見にしかず、とは良く言ったモノだよ」
「木葉さんは、村長さん達の話を聞いてどう思いました?」
「難しいね、嘘をついてるようには見えなかったし、かといって鵜呑みにするなら白いヤツの正体がさっぱり分からなくなる。とりあえず、結論を出すのはまだ早いね」
「私もそう思います」
木葉さんが両手を挙げて大きなあくびをする。
「ふぁ~あ・・・今日は一日中歩き詰めで疲れた。ちょっと早いが寝ようか・・・キミもその方が良い」
「ですね・・・」
朝早く家を出て一日中歩き続けて疲れていた私たちは早々に布団に入った。
電気を消した、月明かりの差す薄暗い部屋で、女将さんが気を使ってくれたのか、くっつけるように並べられた二組の布団。枕二つ分ほどの、お互いの息遣いがよく聞こえる距離だ。
「今日は疲れたね。新真実が沢山あって頭がいっぱいだよ」
「ですね・・・」
私は少し精神的に持ち直してきて余裕が出来たのか、一つの疑問が頭に浮かんだ。それは木葉さんのことだ。彼女は実家暮らしをしていると聞いている。なら、こんな急に旅行に来てしまって家の人は心配していないのか?ということだ。今回の来日村への旅行は私のせいで昨日急に決まったことなのだし。
「・・・ところで木葉さん。今更こんなことを聞くのもアレなんですが、確か木葉さんは実家住まいでしたよね?こんな急に旅行に来たりして大丈夫なのですか?ご家族が心配されているのでは?」
暗くてその表情は確認出来ないが、ふいに彼女は遠い目をしたような、気配が少し暗く悲しげなモノになったような気がした。
「ああ・・・それは大丈夫だよ。私は家族とそんなに仲が良く無いからね・・・今回の事も両親に伝えたら分かった分かったと二つ返事だよ・・・正直に言えば、兄弟同士仲の良いキミが羨ましい」
ポツリと、初めて彼女から本音というものが零れた気がした。
「・・・お兄さんとは仲が良かったのではないのですか?」
「・・・実は弟がいてね。両親はそいつばかり可愛がるし、私の話なんて聞いてくれないから・・・」
そのとても寂しげな声に、何も返せなかった。
「そうだったのですか・・・そうとは知らず、不躾でした、すみません・・・」
「謝る必要は無いよ・・・まぁ、興味ないかもしれないが・・・どうせだから、ちょっと私の昔話でも聞いてくれ」
「話して頂けるのなら、喜んでお聞きしますよ」
「キミも物好きだね」
そうしてポツリポツリと彼女は自分のことを語りだす。
「元々の私は、暗くて地味で人付き合いのド下手くそな、性根の腐った、友達が一人もいない駄目な奴だったんだよ・・・それに、家族があんまり好きじゃなかった。嫌いというほどじゃなかったけど、両親は我が強くて自分の考えを曲げない人で、私も私でそれに反発するからいつも喧嘩ばかりしていたし、弟は私に比べて随分と甘やかされていたから嫌いだった。そんな毎日が嫌になって、一時期死のうと考えたこともあったくらいだ」
話すたびに木葉さんが小さくなっていくような気がして、堪らず布団の中から手を伸ばして彼女の右手を握った。握ったその手はとても冷たかった。
だが、冷え性な私は、
彼女に
負けず
劣らず
手が冷たかった。
冷たい手と冷たい手が握り合った場合
温め合うことになるのか
温度の奪い合いになるのか
今私がとった行動は
握手
だけに
悪手だったのではないかと
不安が頭をよぎる
不安が頭をよぎるとぐにゃぐにゃと思考が歪む
「キミの手は冷たいね・・・でも不思議と・・・落ち着く・・・」
ヨ・・・ヨカッタ・・・
良かった・・・少しでも安心させられたみたいだ・・・
歪みかけた思考がゆっくりと元に戻ってくる
「温めて差し上げたかったんですが・・・すみません・・・」
「いや・・・十分に温かいよ・・・」
無言でお互いの冷たい体温を感じ合う。
少しだけ、二人の手が温まってきた時に、木葉さんの握る手に力が入った。
「だけど、私は変わったんだ。もう、弱い私じゃない」
「・・・どうして、木葉さんは変わることができたのですか?」
「・・・友達が、出来たんだ。その子のおかげで立ち直ることができたし、今の私が在るんだよ」
「そう・・・ですか・・・」
慈愛のこもった掛け値なしの本音、今まで見えなかった彼女の一部が垣間見えた気がした。そして、彼女にそこまで思われているその友達に、私は嫉妬を覚えた。握ったその手に、無意識に力が入ってしまったのかもしれない。
「妬いているのかい?心配するな、その子は女の子だよ」
「妬いてなんていません・・・」
図星を突かれ、恥ずかしくなった私は顔を少し避けに背ける。
「ふふっ・・・はははっ」
無邪気な、子供のような笑い声に、恥ずかしさの取れぬ私は、何が可笑しいのか聞かずにはいられなかった。
「・・・何がおかしいのですか?」
「嫉妬されるのも悪いものじゃないね・・・私はいつもする側だったから・・・はははっ・・・」
一通り笑い終えると、はぁ・・・と一息ついた彼女は、雰囲気がまた少し変わった。
「私は、その子の為ならなんだって出来る・・・そう思っていたんだ・・・」
その何か迷っているふうな言い方が気になった。
「今は、違うのですか?」
「・・・分からない・・・自分でも迷ってるんだ・・・私はその子に助けられたから・・・次は私がその子のことを助ける番だ・・・だけど、どうしたらその子にとって一番良いのかも、私自身はどうしたいのかも・・・分からないんだ・・・」
「・・・」
友達、親友といったものがいない私は、その独白に答えることが出来なかった。
お互い無言で手を握り合いながら時が過ぎる。
「眠れそうかね?」
「どうでしょうね?隣で貴女が寝ていると、私は狼になってしまいそうです」
冗談で返すが、今朝新幹線でヤツと遭遇している私は、夢の中でまたあの白い空間に出てしまうのではないか?という不安があって、身体は疲れて眠りたいのに精神がそれを拒むような状態だったし、先ほどぐにゃり、としてからどうにも思考がうまく元に戻りきっていなかった。
「私も罪な女だね・・・そうだ、子守唄を歌ってあげよう」
「え?私、そんな歳じゃないですよ・・・恥ずかしいですし」
子守唄なんて、記憶に無いだけかもしれないが、母にも歌ってもらったことがないし、二十を越えた男が子守唄を歌ってもらうなんて恥ずかしいだろう。
「まぁまぁ、ちゃんと聞きたまえ。この子守唄は真白様が座敷牢で過ごしている時に、母お雪から歌って聞かせてもらっていたという、ちゃんとした歴史のある来日の子守唄なんだ」
「へぇ・・・それはまた・・・気になりますね」
「じゃあ歌うぞ。こう見えて、私は歌に自信があるんだ」
「はい」
「♪~~~♪~~~♪」
木葉さんが歌う来日の子守唄の優しい音が、私の精神を癒す。
歌に自信がある、という言葉は本当だったようだ・・・
瞼が重くなってくる・・・
ああ・・・なんて良い歌なんだ・・・そういえば・・・木葉さんは・・・この子守唄を・・・いつ知ったのだろう・・・




