本編 其ノ十六 -宿-
溶けかけた雪で湿った土道の上を、ぐぁらちゃ~ぐぁらちゃ~とスーツケースを引いて、時折すれ違う村の人々に「こんにちは」と挨拶をしながら宿へと向かう。皆さん愛想良く挨拶を返してくれ、中には「学生さんかい?何をしにきたんだね?」と笑顔で話しかけてくれるおばあちゃんもいた。出会う人々はお年寄りが多かったが、ここに来るまで想像していたような排他的で閉鎖的な寒村とは違い、なかなか活気があって人当たりの良い村人が多かった。そうこうしてバス停から歩くこと約二十分、目的の宿「山田屋」に到着する。
山田屋と掲げられた看板を見上げながら、最近妙に山田という文字を目にするなぁと、なんとなく思った。
「・・・」
「どうした東雲くん?」
「私、最近山田って文字と遭遇することが多いなと思いまして・・・」
「縁というやつだろうね」
「・・・それはさておき、とても良さそうな宿ですね。実は私、こういう歴史を感じさせる建物に目が無いのです」
「ああ。正直泊まれれば何処でも良かったし、この村の宿がここしか無かったからこの山田屋にしたんだが、想像以上に良さそうだね」
山田屋は歴史を感じさせる、こぢんまりとした木造二階建ての和風旅館だった。
昔の映画や小説にでてくるような、文化人達が好んで通った宿、といったような趣のある外観で、破風屋根の引き戸になっている玄関をくぐって中に入ると、土間の段差を越えた正面に調理場や浴室へと繋がっている板張りの廊下があり、そのすぐ左側に上の客室へと繋がる階段、右側には狼の描かれた掛け軸が吊り下げられた五畳程の空間があり、そこには大きめな火鉢が一つ置かれ、その五徳の上でシューシューと蒸気を吹く鉄瓶と、その火鉢を囲むように座布団が四枚敷かれている。
「見てください木葉さん、この素晴らしい内装。もし私が家を建てるならこういう風にしたいものです」
「渋いね東雲くん。気持ちはわからないでもないが」
木葉さんと話しながら、誰かこないものかと暫く土間で様子を見ていたが、人の動く気配は感じるも、入ってきた私達に気付いてはいないようだった。
「すみませーん!昨日お電話した柊ですが、どなたかいらっしゃいませんかー!」
「は~い!ただいま~!」
その声と共に正面の廊下から、雪輪模様の入った白っぽい灰色の着物を着た女性がトテトテと小走りにやってくる。
「二名様でご予約されていた柊様ですね~?」
「はい、そうです」
「これは、気付かずに失礼致しました~ささ、どうぞお上がりください。私は女将の千場一美と申します。それではお部屋へとご案内させて頂きますので、こちらへどうぞ~」
千場一美と名乗る女将さんは丸顔の愛嬌のある人だった。
ニコニコと愛想の良い女将さんの後に続き、左手にあったミシミシと軋む木製の階段を上る。
階段を上がって通された部屋は、八畳程の小奇麗な和室で、私たちは荷物を下ろすと、お茶菓子の載っている座卓に向かい合うように腰を下ろした。女将さんはその後ろでいそいそとお茶を淹れている。
「二人とも学生さんなんですってね~真白様の伝承を調べるために、この村にお越しになったんでしょう?」
淹れたお茶を差し出しながら女将さんが話しかけてくる。
私はその時、自分の中で変な猜疑心が生まれて、探られているのか?と一瞬身構えてしまう。それを察したのか木葉さんが笑顔で女将さんの問いに答えた。
「そうなんですよ。電話でもお話しましたが、私たちは大学で民俗学を専攻していまして、各地のそういった伝承や民話を調べているんです。そうしたら、この村に伝わる真白様という、とても悲しい伝承を知りましてね、今度の論文のテーマにしようかと思い、こうしてこの来日村まで足を運ばせて頂いたのです。女将さんには日程のことで色々と無理を言ったのに、快く受け入れてくださって、本当にありがとうございます」
「ありがとうございます」
頭を下げてお礼を述べる木葉さんに習って私も頭を下げる。
女将さんは「そんなことないですよ」と目の前に軽く突き出した両手を左右にフリフリと振る。
「いえいえ~そんなお気になさらないでください。真白様に興味を持って、それが理由ではるばる遠方からこの村に来るなんて方は、私が知る限りじゃ初めてなもので、私は真白様の氏子として嬉しいんですよ~それに、若い方が少しでも多くこの村に来て貰えれば、少しはこの村も活気づくというものです。あと、ここだけの話、この時期は結構暇なもんで、何日だろうと泊まって頂けるだけでありがたいんです~」
今度は右手を上下に軽く振ってケラケラと話す女将さん。なかなかフランクな人のようだ。
私は二人の会話を邪魔をしないように首振り人形のように相槌を打ちながら愛想を振り撒いた。
「ところでぇ・・・こんな話聞くのも失礼ですが・・・そちらの方は彼氏さんですか?」
気を使ってか、それとも自分の好奇心を満たすためか、ニヨニヨとしながら話の矛先が私にも向けられる。私はなんと答えて良いか迷ってしまう。事実通り「違います」と否定するのが正しい答えなのかどうか判らないからだ。木葉さんがこの旅館になんと言って予約を取ったか判らない以上、迂闊なことは言えない。
「ええ、そうなんです」
「まぁまぁまぁ~やっぱり~そうだと思ったんですよ~」
私が逡巡している間に答えたのは木葉さんだった。
女将さんは口に手を当てて「まぁ」といった反応を見せる。その表情を見るに、情事で部屋を汚されるかも?という嫌な感じというよりは、噂好きな近所のおばちゃんから、もちっと悪意を抜いた感じの、若いって良いわね~というような微笑ましさを感じた。
「ですが、お互い結婚までは清い身体でいようと約束していますので、部屋を汚すご心配は無用です。ですから布団はちゃんと二組敷いて下さい」
「あらまぁ!今時の方にしちゃ珍しいわね~私、関心しちゃいましたよぉ!」
そのあけすけな木葉さんの返答に、不意打ちをくらったのは私だった。
自分の顔が、40℃の湯に漬けた水銀式体温計のグングンと急上昇する目盛のような速さで赤くなってしまうのが分かって、それに気付かれたくないがために、両手で顔を覆うように目をこする振りをして顔を伏せた。
「あらあら~あかくなっちゃって~彼氏さんは初心な方なんですね~」
「そうなんですよ」
「はは・・・お恥ずかしいことです・・・」
全然隠せていなかったようだ。
なんだろうこの無駄な労力は、隠そうとした分余計恥ずかしい。
女将さんも少しは気遣って欲しいと思う。
・・・いや、むしろ気付いているのに気付いていないフリをする、という行為はその人の事を思っているようでいて、その実、余計にその人を傷付けてしまう。ということを女将さんは判っているのかもしれない。だからこそ、あえて赤くなった私の顔の話題に触れてきたのではないのだろうか?これは優しさなのだ。きっとそうだろう。
嫌いなヤツに対して「お前は嫌いだ」と面と向かって言うヤツ、こういうヤツは世渡りが上手いか下手かで言えば下手だ。素直なのが美徳とは限らないし、ただそいつのことが嫌いという自分の思いを他人への気遣いより優先させているだけともとれる。つまり、ただの我慢ということが出来ない頭のオカしなヤツとも言える。だが、嫌いなのにそれを隠して表面上仲良くしているようなヤツよりは、よっぽどソイツの方が性根がキレイなのではないだろうか?
何が言いたいかというと、この女将は今出した例の二つの長所のみを備えた人格者ではないのだろうか?ということだ。空気をうまいこと読め、人への気遣いができる。そういう人なのではないだろうか?ということ。私は赤面を指摘された時、女将さんに気を遣ってくれと思ったが、女将さんは私へ気を利かせたからこそ私の赤面を指摘したのではないか、ということだ。現にその話題で木葉さんと女将さんは今も和やかに談笑している。
私は恥という特殊感情のせいで罪の無い女将さんを責めかけてしまった。自戒せねば、私は私自信に言い聞かせねばならない。まず、「恥ずかしい」「恥」という特殊感情は感じた瞬間電気のように一瞬で全身に回り、脳の正常な思考を一瞬で塗りつぶす。そして恥に塗りつぶされた状態の脳が回復するまでの間、それまで脳が司っていた思考とか感情とかいうものが、恥に支配される。恥に支配された感情は人を視野狭窄に陥らせ、正常な判断力をも失わせるのだ。今の私はその状態だった。危うかったのだ、理不尽な怒りを女将さんにぶつけてしまうところだったのだ。危ない危ない。
そしてもう一つ判ったこと、それは最初、女将さんにこの村に来た理由について訪ねられたとき、探られているんじゃないか?と疑心してしまったことだ。木葉さんと話す女将さん、それに先の気遣い、その表情、どれを取っても裏があるような人にはとても見えない。一時間も話していないような初対面の相手に何を早計なことを、と思うかもしれないが、裏があったりやましさを抱えている人間というものは、大体雰囲気や気配で何処か、その隠した尾ひれなりが見えるものだ。
そもそも、探るも何もここは外界から隔絶されたような妖しげな村ではないし、夜な夜な近くの人を攫っては神への生贄にしているような邪教を信奉しているという訳でもない。いや、本当にそうか?と言われてしまえば断言は出来ないのだけれども。ただ分かるのは、この女将さんは優しい近所のおばちゃんみたいな感じの裏の無い人。ということだ。
それよりも分からないのは・・・どうして私は・・・こんな猜疑心を抱いて・・・赤面一つ指摘されただけでこんなに・・・病的なほどぶつぶつ考えているのだろう・・・・・・泥のせいかもしれないな・・・落ち着け早雲・・・気を鎮めるんだ・・・
「それで、これからどうされます?」
「そうですね・・・どうする東雲くん?」
木葉さんの言葉で鬱々としていた思考がふと中断される。
ここで暫く過ごすというのなら、この地の産土神へご挨拶に伺うのがスジというものだ。この来日村ならば真白神社へ、ということになる。木葉さんの予想ではヤツの正体が真白様だということだが、まだそうと決まったワケではないし、それを確かめるためにも真白神社へと参拝しておきたかった。
「とりあえず、この地で暫く過ごさせて頂くのですから、この地の産土神である真白様へ、その事へのご挨拶がしたいと思いますので、真白神社へ行きたいと思うのですが・・・」
「うん・・・そうだね。そうしようか」
少し私を見て何かを考えていたような木葉さんだったが同意してくれる。
「あらあら~若いのにしっかりしていますね~今時そんな子なんていないですよ~真白神社への行き方はわかりますか?」
「一応この村の地図は用意してきたのですが、何分わかりにくいもので、教えていただければあり難いです・・・」
「ならこれを使ってください。この村に来る観光客さんの為に村の有志で作った来日村MAPです。ちゃんとこの山田屋も載ってますから安心ですよ~」
そう言って女将さんは立ち上がると、部屋にある内線電話の横に何枚かの束で置いてあった、A-4程の大きさのカラープリントされいてる「わかりやすい来日村MAP」と書かれた地図を二枚持ってきて、私と木葉さんに手渡してくる。「ありがとうございます」と受け取って目を通すと、ここから真白神社までは歩きで三十分ほどかかるようだ。ポケットから携帯を取り出して時間を確認すると、今は十三時。今から出れば、多少迷ったとしても十四時までには着くことができる。
「ありがとうございます。とても助かります」
「あ、それと今日は村の寄合所で老人会をやってるんですよ~その寄合所が丁度この旅館と神社の間くらいにありましてね、もし、この村の色々な話しが聞きたいのでしたら、参拝の帰りに寄合所に寄ってご老人達に話でも聞いてみます?話なら私が通しておきますから」
渡りに船の提案だった。私たちは純粋に真白様の伝承に付いて調べにきたわけではない。実際にはアイ文の白いヤツと真白様の関係性、一年前に白木家が断絶し祭祀が途絶えてしまってからの現在の真白様を取り巻くこの来日村の環境といったモノが知りたいのだから。
「本当ですか?是非ともお願いしたいところですが・・・急に見知らぬ余所者が訪ねて行ったら迷惑になるのではないでしょうか・・・?」
「いやいや~何言ってるんですか、逆ですよ~逆、おじいちゃんおばあちゃん達は昔話とかを若者に話したくて仕方ないんですから~この村の人なら誰が尋ねてきたって、迷惑どころかむしろ孫が来たように喜んでくれますよ~」
女将さんはケラケラと笑って本当にそんなこと気にするなというふうだ。
「ありがたいです、それでは私たちは今から真白神社へと参拝に行って、帰りに寄合所にお邪魔させていただきます。行きましょう木葉さん」
「そうだね、それでは行ってきます。本当に色々とありがとうございます」
「お気を付けていってらしゃいませ~」
私たちは立ち上がると、女将さんに見送られながら真白神社へと出発した。