本編 其ノ九 -夢の中でも-
気がつくと、私はまた、あの白い空間にいた。
無限の白が続く果ての無い四角い空間。
治の病室で二度、これで三度目だ。
穢
目の前を見てみると体操座りした真っ白いヤツが現実と同じくじーっと私を見つめていた。
「・・・・・・」
「は、はははははは・・・」
「あははは・・・あーーっはっはっはっはっ」
なんだ、結局何処いてもコイツから逃げられないのか。
寝ても醒めてもコイツと離れられない。
そう思うと心の底からおかしくなって笑ってしまう。
穢
もしコイツと恋人だったのなら寂しい時間なんて一時も存在しないだろう。
健やかなるときも病めるときも夢見るときもずっと一緒にいられるのだから。
何時だって何処だって何処までも憑いて来る。
言葉は通じない。通じているのかもしれないが一切答えはしない。喋りもしない。
ただ常に傍らへ侍って見つめてくるだけ。
一頻り笑い終えると、絶望感に打ちひしがれ、変に落ち着いた私はこの空間をグルリと見回した。
ここは実に寂しい無謬な場所だ。
全ての生命的な活動が感じられないとても無機質な空間だが、よくよく考えればこの白い空間もそんなに悪いところではないではないかと思えてくる。
何も無い、白だけが続いている真っ白な空間。自分を煩わせるものは何も無い。
強いて難点を挙げるとするのなら目の前にヤツがいることだが、こいつは空気のようなものなので意識さえしなければ煩わしくは無い。
もしコイツに攫われてもここに連れてこられるのならそんなに悪くは無いのかもしれない。
穢
「ねぇ、キミは誰なんだい?」
「・・・」
「治をどこに連れて行ったの?」
「・・・」
「ここは何処なの?なんでキミはこんなことをするんだい?どうしてボクにメールを送ったんだい?」
「・・・」
私の問いに全く答えず全て無言で返される。
だがその白黒の左目は常に私を捉えて一瞬も目を離さない。瞬きもしない。
というよりもコイツに言葉が通じるのだろうか?通じているのだろうか?私たちは分かり合えているのか?
「あ」
そんなことよりももっと重要なことに気付いてしまった。
何故そのことにいままで気付かなかったのか不思議なくらいだ、それくらい重要な事柄に気付いてしまった。
私が最初にここへ来たときは、見舞いに来た山田くんの叩き付けるようなノックの音で目が醒めて現実の
世界に戻った。
二度目は実験の為に着いて来てくれた柊さんが私の異変に気が付き起こしてくれて目が醒めた。
穢
じゃあ今度は???
今度は誰が私を起こしてくれるんだ??
現実世界の私はアパートの一人暮らしの部屋に一人で寝ている アラームも目覚ましもかけていない
近所付き合いは殆ど無い 一、二週間私が姿を見せなかったところで不審がるご近所さんはいない
誰も起こしてくれない
もしかしたら二度とここから出られないのか? 現実でずっと眠りっぱなしとなった私はそのまま目が醒めず衰弱して死んでしまうのではないか??
詰んでいるのかも
まぁ、ここもそんなに悪い場所じゃないし・・・それでも良いのかもなぁ・・・
い い の か も な ぁ
いや
そ ん な わ け な い だ ろ ?
この世界を受け入れようとしている理性が欠如した異常な自分に対し、まだ残っていた理性が正常な自分を呼び出してその思考に大反発する。
そうして一種のパニック状態になった私のここから出たいという思いが爆発する。
なんで俺はこんな場所で死んでいかねばならないんだ?!
こんな何もない場所に永遠囚われたままなんて死ぬより辛いじゃないか?!
なんなんだよこの真っ白い空間!!?何処なんだよここ!!!お前誰だよ!!!!?
起きたい起きたい起きたい起きたい起きたい目覚めたい目覚めたい目覚めたい目覚めたい目覚めたい
こんな所に囚われたままなんて絶対にイヤだ
イヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイ
そりゃそうだろう?なんでこんなワケの分からないところで果てねばならないんだ?ここはとっても○れているんだ!?今になってやっとその○れに気付いたよ!
こんな○れた空間は耐えられない!!
昨日ヤツを触ってしまったときに身体に流れ込んだものは○れだ!オレに○れが移ってしまった!!!
だからこんなにおかしくなるんだ!?早く○わねば○わねば○って清めねばならない!
当たり前だこんな○れ常人に耐えられるわけが無い!精神がドス黒く染められてしまう!!
ここは白い空間だが実は全く白くなんて無い、この空間の本質は黒だ、真っ黒い○れた泥の中なのだ。
柊さんにこの実験を提案した時点で俺は既に正常じゃなかった、例えどんな理由があるにせよこんな場所に来るべきではなかったのだ、○れたこんな空間に進んで入りたがるヤツは頭がいかれている。
ああああああああ失敗した失敗した失敗した。
治を助けようにもこんな○れを纏ったヤツからどうやって救えばいいというのだ?
なんでだ・・・頭に強烈な妨害電波がかけれているように、今最重要な単語が全くでてこない
なんで?なんで?なんで?
そうだこいつは○れの塊だ・・・なんてことだ・・・触ってはいけなかった・・・この○れのカタマリに触ってしまえば○れが移ってしまうのは当然のことではないか・・・
早く○わなければ○○○の○○を奏上してこの○れた身を○い清めねばならない・・・
○○に行って○○様に○ってもらわなければ ○○は○れをお嫌いになられるというのに
ああああああああああ思い出せない肝心な単語がでてこない何でだ何で何で何で
イライラするイライラする、思い出せずにムシャクシャするなんなんだこれは?!
なんで思い出せないんだ、今までずっとやってきたじゃないかあ、父さんと母さんが離婚するまで家の○○をしていたのは俺なんだぞ?○○○を奏上していたのは俺なんだぞ?○○○なら一字一句全て覚えているのにその○○○が全くでてこない・・・どうして・・・
最近祖父母の家に行って○○を拝まなかったからか・・・○○○に手を合わせなかったからか・・・近所の○○○○に○○に行っていなかったから?
その罰が今当たっているのか??
いやいやいや、待て待て違うぞ、絶対に違う、コイツが邪魔をしているんだ、それを思い出されたらきっとコイツが困るのではないか??
「なぁ、そうなんだろう?困るんだろう?お前は?」
片手で頭を顔を覆ったまま千切れそうな精神をなんとか繋ぎとめながらヤツに問いかける。
「・・・」
やはり何も答えない、ただじっと座ったまま俺を見つめているだけだ。
見られている、見られている、見られている、見られている、見られている。
得体の知れない白いヤツに四六時中ずっと見つめられている。
さっきは意識しなければ空気のようなものだといったが、一回意識してしまうと嗚呼@オアj@雄和えj@雄和えj@和えj@尾和えj@おあえじょ@さjgた@おじゃえ@おじゃえお@じゃ@あいぺsgksfgkjhgdあk」。
「ああああああああああああああああああ!!!!!!!」
両手で頭をガシガシと搔きながら何回も地団駄を踏み鳴らしてこの白い空間を暴れまわる。
「見るな!!!俺を見るな!!!なんでそんなずっと俺を見てるんだよ!!!??俺なんか見て何が楽しい??!!」
じー
視線だその視線だ!見られるのは好きじゃないんだよ!!緊張するんだよ!!何も悪いことしてなくてもまた何か叱られるんじゃないって不安になるんだよ!!だから辞めてくれよ!!俺を見るなよ!!!
見られるのは嫌いなんだよ!!!お前一体なんなんだよ!?
「なんで何も答えないんだよ!?妖怪悪霊の類なら口が無くたって喋れるだろ!!?何で無言なんだよ?!ここはお前の世界だろ?!だったら喋れるだろ??!頼むから何か喋ってくれ!!!」
じー
「なんなんだその目!!その目がずっと俺を見てるんだよ!!見るな見るなあああああああああ!!!」
足がもつれてその場に転げる、立ち上がる気力も無い、頭がグツグツと湯だっている、冬場に汗をかいたときのように頭から湯気でも出ているんじゃないだろうか。
「っくっううううあああああああああああああ!!!」
気が違えてしまったように仰向けになったまま手足をジタバタと動かして何に対してかもはやよくわからない反抗をする。
「あ・・・あああああああ」
今度は涙が溢れてきた、無情だこの世界は無情だ、誰も助けてくれない、誰も愛してくれない、誰も哀れんでくれない、誰も見てくれない。
誰かが俺を見るときは俺を非難するための材料を集めるときだけだ。
思い出したくも無い嫌な記憶が次々と溢れかえって脳内で自動再生される。
「あなたは治のお兄ちゃんなんだから、治をしっかり守ってあげるのよ」
「治は良い子ね、私に似てとっても可愛い顔」
「治、勉強が少しくらいできたっていいの、ただ愛嬌だけは忘れちゃいけないわよ」
「・・・何?早雲?また百点を取ったの?そう・・・話はそれだけ?」
「苛められた?・・・それはバカの僻みというヤツよ。あなたは鼻に付くから・・・いいから早くやり返してきなさい。その矛先が治にまで向いたらどうするの?分かった?なら、勝つまでこの家に帰ってこないで」
「進路?勝手にしなさい、お金ならあの人が出してくれるわ」
「早雲なんかいらない!!だけど治だけは絶対に私が引き取るわ!!!」
「兄さん・・・どうしてあの人に付いていくの?せっかく父さんが僕たちの親権を取ったのに・・・やっと兄さんがあの人から解放されると思ったのに・・・ボクが嫌いだから・・・?」
「違うよ治、俺はお前のことを家族の誰よりも愛してる。だけど、ゴメンな。やっぱり俺はあの人が見捨てられないんだ・・・どれだけ冷たくされても、一人ぼっちにはさせられないよ」
「行かないで兄さん」
「・・・すまない、父さんを頼む」
「ああああ・・・あああああああ」
ボロボロと止まらない涙
あの人は俺を愛してくれなかった、愛されなかった、そして治も泣かしてしまった、俺のことをあんなに
思ってくれる優しい弟を泣かしてしまった。
治はずっと自責の念に苛まれていた、あの人が治だけを愛し俺を蔑むから治は「自分のせいで兄さんが・・・」と常に自分を責めていた。そ
だから離婚が決まって父が二人の親権を得られたとき治は心底喜んだ。やっとあの人から解放されて、誰に憚る事も無く兄弟で暮らすことが出来る、やったやったと。
弟が夢見ていた、あの人が去ったあの家で兄弟仲良く暮らすこと。
そんな弟の無垢な願いさえ俺は壊してしまった、踏み躙ってしまった。
俺はなんて酷いヤツなんだろうか、まさしくクズだ、なんで恥ずかしげもなく生きているのか。
愛されず弟に酷い仕打ちをして本心で心配してくれていた柊さんとの約束すら破った
その報いがこれなのかもしれない
ならばそれを甘んじて受け入れるべきなのだろうか
誰か・・・教えてくれ・・・
もう分からない・・・分からないよ・・・
どうせもうここから出られないんだ・・・
ここで一生後悔して過ごすことになるのだ・・・
もう諦めてしまおうか・・・どうせ・・・俺がいなくなったって誰も困らない・・・
眠ろうかな・・・何だか疲れた・・・
夢の中でも眠れるのかな・・・知らないけど・・・
ぺた
ぺた
ぺた
立ち上がったヤツが俺に向かってぺたぺたと裸足特有の足音を立てながら近づいてきた。
ハイエナのようなヤツだ・・・そうやって俺が心折れるのを待っていたのか・・・
ヤツは俺の真横に立って膝を折ると、真っ白い蝋のような肌色の鬱血したような真っ黒い爪の両手を俺に向かってゆっくりと伸ばす。
ああ・・・もう・・・終わりかな・・・・・
ヤツの両手が俺の両頬を包むように近づき、触れるまであとほんの僅かだ。
テーテーテーテーテーテー テーテテテーテテテーテーテー
その着信音にヤツの手が触れる直前でピタリと止まる。
ん・・・・・・これは・・・・・
「・・・着信音?」