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初恋  作者: 元馳 安
6/6

卒業




 十月になると急に寒くなった。セーターやカーディガンを着る人が増えはじめ、学校での会話は受験一色に染まっていた。


 そんな毎日に僕は疲れていた。

 佳恵と二人きりで会えなくなって、まだ二ヶ月しか経っていないはずなのに、それ以上会ってないように思える。


 木枯らしが吹く中、日も短くなった暗い夕暮れを和也と下校していた時だった。


「二組の小石さんって知ってる?」

 和也の言う、小石 愛美(まなみ)さんは背が小さく、目立つグループのいじられキャラのような愛嬌のある女の子だ。


「知ってるよ。真一が「可愛い」ってうるさかったから」

 話した事はないが、真一から話を聞いていた僕は小石さんを知っていた。二年生の時は一組で真一と同じクラスだ。松本とも。

 その時に佳恵は泣いたのだ。


「その人に話があるって休み時間に呼び出されてさぁ……告白された」

 僕は驚いで和也の顔を見た。恥ずかしそうに話す和也は嬉しそうだった。


「えっ! ホント!?」

「うん」

「凄いじゃん! 付き合うの?」

「いや、小石さんが「忙しかったら、返事は受験終わってからでいいよ」って」

 和也は私立の高等学校には行かず、都立の高等学校を希望している。


「今十月だよ? 四ヶ月か五ヶ月待つの?」

「小石さんが「待つ」って。坂本君は好きな人いる?」


 不意を突く友人の言葉に僕は「いない」と言おうとした。

 彼女の名前を言わないということが彼女を見れていないことだった。今は……これからはしっかり見よう。


 友人との話題に心が安らいだ。


 受験という将来に関わるかもしれない自分たちの岐路に差し掛かり、齷齪(あくせく)勉強に励む中でのささやかな休憩だった。


「いるよ。倉内先生が好き」


  僕は近頃、勉強漬けの毎日だと思った。



 ある日の授業で僕は佳恵と目が合った。

 目が合うと佳恵はニコッと笑った。

 必死になり過ぎて僕は忘れていたのだ。

 また忘れるのかもしれない、それでも今また思い出せて良かった。

 僕は佳恵に笑顔を返す。


 佳恵と会う時間が今ないのは全てが終わってから会うために取って置いている。


 胸を張って会えるように僕はどんな小さな心配も掛けないと決めたはずだった。


 三年生には全国規模で学力を測る学力テストというものがある。いい機会だと思った僕はテストに意気込んだ。

 佳恵に褒められたかったのだ。


 結果は悪かった。一万校以上の中学校で実施され、約百十万人が対象となった学力テストの順位は数百番だった。この数字は決して悪くない。偏差値から見ても、五教科で六十三だ。

 だけど、僕は納得していなかった。

 彼女からは何も言われなかった。



 ある時、二人きりで話す佳恵と藤谷の姿を見た。何か分からない問題があり、訊ねているのだろう、手には参考書のようなものがあった。

 先生に質問する生徒、どこにでもある普通の光景だ。

 藤谷の気安く彼女に近付く姿を見ていられなかった。

 僕は嫉妬していた。


 側にいて欲しいときにいない。声を掛けて欲しいときに何も言わない。

 僕以外の人とは仲良くしているのに。



 僕の我儘勝手な考えで佳恵の気持ちも佳恵の信頼も見えていなかった。

 そんな僕に足りないのは、やはり年齢なんてものではなくもっと根本的なものだった。だから、佳恵との距離が生まれていた。


 自分の思うように勉強が(はかど)らない焦りが僕を不安にさせ、余裕のなくなった状況に僕は周りが見えなくなっていたのだ。

 偏差値が思うように上がらないと、僕は思い込んでいた。


 各教科の授業で教科書を進めるということはなくなった。高校入試の過去問を解いたり、授業は自習のような時間が増えた。

 僕は不調だった。簡単な問題も間違えるようになり、ストレスは溜まる一方だった。



 授業中だった。数学の授業でほとんど自習という時に僕は数学ではなく、他の教科を勉強していた。

「駄目だよ。数学の授業は数学をやらなきゃ」

 顔を上げると、彼女の顔は笑っていた。

 僕のやることを否定していたわけではない。彼女の言葉は彼女なりの優しさだったのだ。

 僕は冷たく、小さい声で「すいません」と言うと数学の教科書を出した。


 注意された。ほんの些細な事だ。彼女は僕のことを心配していたのだ。

 だけど、僕は彼女の優しい言葉を冷たく受け取った。


 久しぶりに佳恵から気晴らしに二人で会おうと言われた。彼女の誘いを僕は断った。

 僕が「勉強があるんで」と言うと、佳恵は申し訳なさそうに「そっか、ごめんね」と答えた。



 数学の授業時間、倉内先生がある私立高校の過去問を改編したテスト問題を出した。制限時間は四十五分。授業時間は六十分中に残りの十五分で答え合わせをするものだった。


 これで満点を取りたい、取れば彼女と結ばれると願掛けした。


 結果は一問間違いの九十七点だった。


 倉内先生が答えを言い、自己採点で丸付けをしていたときに、その一問が倉内先生の唯一のオリジナル問題だと、聞かされた。

 何故かこの結果に納得する自分がいた。



 諦めに近い感覚は彼女への思いが薄れたのか、ただ僕は疲れきっていたのだ。


「坂本君はどうだった?」

 授業が終わり佳恵が僕に訊ねる。


「0点です」

 僕は素っ気なく答えて教室を出た。冷たい態度を露骨に取り、僕は彼女を困らせた。



 後日、高橋君が僕に倉内先生が出した過去問で満点を取ったのは坂本君だけだと、彼女が口にしていたことを教えてくれた。


 僕の点数を彼女は知らない。

 僕は和也に違うと言った。


 彼女も願掛けしていたのかと、僕はおかしなことを思った。彼女の期待に応えることはできなかったのだ。


 行き場のない怒りの矛先が彼女に向けられる。僕の感情は抑えられなくなっていた。


 自分が分かってもらえないと我儘勝手に思い込み、それでも落ちぶれる姿を見せまいと彼女の前で強がる。

 こんなくだらないことで落ち込むほど、僕は気が張り詰めていた。


 僕では彼女と勉強を両立することは出来ない。彼女との関係は実らないのかもしれない。

 綺麗な花を咲かせようと二人で育てるものは、実ることのない徒花(あだばな)なのかもしれない。どうなるか分からない僕と彼女は周りから見たら、滑稽で無意味な関係なのかもしれない 。


 僕から誘った花火の約束も、ずっと一緒にいる約束も、僕のせいで果たせそうになかった。




 二学期が終わる頃には担任と僕と親での三者面談が行われ、その時が推薦や一般入試等の学校からの願書書類作成の最終期限であった。



 そのため、その面談が進路の決定を意味していた。受ける高校の名前を初めて担任に告げた。僕は夏に受けたV模擬でB判定の国立筑波大学付属高等学校を受けることを告げた。あの時のB判定は今ではD判定に落ちているはずである。受かる確率の低い所を受けるのは、僕の意地だった。

 担任の先生はもう一度考え直すことを僕に勧めた。

 国立の受験は二月の中旬、そこで落ちたら、翌月の三月中旬の一般入試のみの厳しい進路しか残されていない。難しい国立を考え直すのを勧めるのは担任として正しいアドバイスだった。

 僕は頑なに拒み続け、担任 は渋々了解した。


 二学期が終わった。


 努力も空しく僕の偏差値が上がることはなかった。

 冬休みの試験勉強はまさに実の生らない無駄な時間を費やした。僕が佳恵に会うのは、国立に合格の報告を言うときだ。

 受かりたい。



 一月の始めに国立筑波大学付属高等学校まで願書を取りに行った。

 僕は殆ど意地で動いていた。地下鉄丸の内線の茗荷谷駅から徒歩十分、駅を降りて暫く歩くと御茶ノ水女子大学が見え、その向かいに高校はあった。

 願書を貰い家に帰ると、願書を書いて、次の日に郵便局へ向かった。受験料九千八百円分の普通為替証書を発行し出願した。そして二月の試験を待った。


 一ヶ月後の試験は惨憺たるものだった。

 時計を忘れて焦る不安定な精神状態で望んだ試験は、内容も覚えていないほど酷いものだった。

 翌週に合格発表が行われたが、自分の番号が書かれていないボードを確認するために茗荷谷駅まで向かった。

 同級生の中には推薦入試が終わり、晴れて合格の報告を担任にしている者もいた。

 去年の夏、佳恵の部屋で一方的にした約束はこのときまでの約束だ。


 国立に合格したら一緒にいたい。


 もし落ちたら?


 その先の話はしなかった。


 僕は彼女に報告が出来なかった。佳恵に会うことも自分から止めた。もう会えない、会う資格がないと思ったからだ。


 翌三月に僕は都立の高校に合格した。


 入試が終わると学校に行くことはなかった。春に行く高校に入学の手続きを終えるとその報告に中学校に行くだけであった。

 都立高校の一般入試と入試手続きの日程は全ての都立高校が一緒であったため、その報告で久しぶりに友人たちと一堂に会した。

 僕は報告を終えると佳恵を避けるように早々と学校を後にした。


 もう会うことはない。

 僕は逃げた。僕は幼くて、幼いことが恥ずかしくて、佳恵から逃げた。


 階段を駆け下りて誰もいない廊下を下駄箱まで早足で駆けた。

 玄関に誰もいないことを確認すると、早足で下駄箱に向かった。

 早く帰ろう、そう思ったが、靴を取ろうとする僕の手が止まった。


 三年間お世話になった僕の下駄箱には手紙が置いてあった。


 手に取った真っ白な封筒には宛先や差出人が書かれておらず、本当に真っ白な封筒だった。

 中を開け、二通の手紙を開くとそこには見慣れた綺麗な文字があった。




 国立は残念だったね。夏休みにはよし君はきっと国立を受けることを決めてたと思います。

 その時は受けることを黙っていましたね。だけど受かったら、ずっと一緒にいてくれると話すあなたが忘れられません。私との将来の話をしてくれてありがとう。

 あの時の私はあなたを拒みました。もっと早く素直になれば、今も隣にあなたがいたのかもしれない。過ぎた時間は元には戻らないけど、過去は考え方や勝手に自己解釈してしまった思い込みや間違いを正せば変わると私は思ってる。

 この手紙は感謝の手紙です。いつも優しくしてくれて感謝します。ありがとう、心から。


 昔のわたしは自分を守るのに一杯で表面だけで判断を下していました。出会ったばかりの二年前の5月に素敵な花火をプレゼントしてくましたね。

 夏には私への思いを打ち明けてくれたのに、私はどうすることもできませんでした。そして去年、私が暗く沈んでいた時にあなたは優しく私を慰めてくれました。

 あの時から心で向き合って尊重してくれて、今までの私を自分勝手なんだと言わないでくれてありがとう。

 色々傷つけてしまったのに、あなたの心の大きさにわたしは言葉がみつかりません。とても幸せな日々でした。あなたといるとまるで自分が宝物になった気持ちになれます。優しく手を握るあなたは優しさで満ちていました。大切にしてくれてありがとう。

 泣き虫でごめんね。

 わたしを大事にしてくれてありがとう。傍にいるだけで幸せだと感じることができます。また会いたい。あの時にまた戻りたい。待ってます。





 僕は読み終えた手紙を鞄に仕舞うと、そのまま自分の家に向かった。

 家路に急ぐも、僕の足は何度も止まった。途中で何度も引き返そうとした。

 佳恵に会えない。僕には佳恵に会う資格がないと思っていた。

 でも、会いたいのは僕だけではなかったのだ。

 佳恵が手紙で会いたいと書いてくれたことがどんなに嬉しいか、好きな人から想われることがどんなに幸せなことかを初めて知った。


 だけど、僕は佳恵の元に戻れなかった。




 手紙を読んだその夜、夢を見た。


 暗い道に僕と佳恵はいた。まるでトンネルの中にいるかのように暗く、周りは何も見えなかった。しかし、外にいることは分かった。

 真っ暗な道を佳恵と二人で手を繋ぎ歩いていた。何を話していたのかも、どのくらい話していたのかも分からないが互いに笑い合っていた。

 いつの間にか雪がちらついていたけれど、寒くはなかった。

 遠くに街灯の灯りが見えた。

 街灯の下にはベンチがあり、佳恵が笑顔で僕に何かを語りかけ足早になる。繋がれた手が引かれ僕は佳恵の後を追う。笑顔の佳恵につられるように僕も笑った。嬉しくて楽しかった。

 脆い灯りの中に佇むベンチに佳恵と座り話す。どれだけの間、話していたかは分からない。

 濡れたように艶のある綺麗な髪が縦に揺れて彼女が俯く、僕は彼女の背中に腕に手を回し彼女を抱き寄せた。彼女が顔を上げると瞳が赤くなり泣いていた。彼女の口が動いた...…。


 僕を起こす母の声で起きた。



 その日を忘れられず、次の日もまた次の日も、佳恵を思って眠りについた。

 夢でいい、一度でも会いたかった。


 あの時に佳恵が言った言葉をしっかりと受け止めておけばと後悔した。

 夢の中でも佳恵を悲しませることはなかった。


 そして卒業式を迎えた。









 青信号を渡った瞬間、強い風が吹き、桜の花びらが舞った。彼女と出会った春を迎える。

 初恋は実らない。どこかでその言葉を聞いた気がする。これが僕の初恋だった。

 まだ肌寒い春の日差しの中、僕は最後になる帰り道を進んだ。少し体が軽く感じられた。





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