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初恋  作者: 元馳 安
3/6

嫌いになるということ





 夏休みが明けて僕が最初に見た彼女は、暗く物静かな彼女の姿だった。


僕はそんな彼女の様子が気になった。


 八月の初めに彼女の家に行き、別れ際に僕があんな事を言ったのが彼女を苦しめたのか、『辛いことなら耐えられる』、そんな彼女の言葉を思い出した。


 夏休みの間は彼女のことばかりを考え、九月に夏休みが明ければ、倉内先生に会えると気持ちが(はや)った。

 しかし、やっと見れた彼女の顔は浮かない顔であった。


 二学期が始まって一週間が経つ、九月に入ったばかりで残暑が厳しく不快だった。

 和也と下校を共にしていた時だ。


「坂本君、松本君のこと知ってる? 夏休みにあった事件」

 和也の母親は教師で、保護者の集まりや行事などに積極的に参加しているらしく、色々な話を知っているらしい。

 この日も母親から聞いたものだと言う。


「松本? 夏休みに何かあったの?」

 僕はこの時、この話は倉内先生に繋がるのではと予感していた。


「傷害で捕まったって噂が流れてるんだよ」

 少年事件は家庭裁判所から少年鑑別所に送られる。

 警察に保護されるという意味を含め、捕まるとはどの意味合いで言っているの分からないが、二学期の始業式から松本は登校していた。


 少年鑑別所に送られていない以上、警察が関与する事件に巻き込まれて無事だったんだと素直に思った。


「松本って一組だよね?」

 松本が一組であることを知ってて訊ねた。この時から僕は嫌な予感がしていた。

「そうだね」

 和也が答える。

「あいつならやりそう」



 恐らく松本は事件を起こしたか、巻き込まれたか定かではないが、事件に関与していることは分かった。傷害事件だ。

 倉内先生は一組の副担任であった。彼女はそのことで沈んでいたのか。



 次の日、廊下で倉内先生に挨拶をすると素っ気ない対応が返ってきた。

 視線を合わせず、僕から逃げるように早足でその場を去っていった。

 顔を覗き込もうにも、俯きながら歩く彼女の顔は窺い知れない。


 気持ちを必至に隠そうとする彼女が僕は悲しかった。


 気になりながらも僕は、その足で一組の前を用もないのに通り過ぎた。


 四時間目の授業も終わり、給食の時間で各クラス給食の準備をしているが、一組は給食の準備などせずに傍目(はため)から見ても異様に盛り上がっていた。


 松本を囲むクラスの男子は手を叩いて盛り上がり、女子は驚嘆していた。


「どうしたの?」

 僕は小学校から付き合いのある一組の日吉 真一に聞いた。

 真一の席は廊下側の一番後ろだった。


「倉内先生泣いたんだよ」

 ニヤついた表情で真一は言った。

「はっ? 何で!?」

 僕は苛立っていた。倉内先生が冷たかったことも、真一が嬉しそうなことも、松本がいることも気に食わなかった。


「まっつーが「佳恵ちゃん、佳恵ちゃん」って馬鹿にしたら、「佳恵って言うな」って怒って、またちょっかい出してたら泣いたんだよ」

 まっつーとは松本のことである。

 松本への怒りはあったが、僕には何もできない。


 真一の分かり難く拙い説明に嫌気がさし、礼を言うとすぐに一組を離れた。


 何があったかは分からないが、今日起きたことはこれまでの鬱憤が今爆発したんだと思った。

 彼女は繊細ではあるが決して弱くはない。


 廊下を歩きながら彼女のことを思うが、自分が彼女にできることがないと分かると悲しくなった。




「倉内先生、四時間目の授業中に泣いたらしいよ」

 帰り道、和也が口を開いた。

“泣かされた”んだと僕は思ったが、それは僕が彼女を弱いと表現していることだと思い、口には出来なかった。

 彼女の肩を持つわけではないが悔しかった。

「らしいね」

 僕の足は自然と速くなった。




 次の日は曇りだった。


 今度は二組で調子に乗って、数学の授業中に倉内先生のお尻を触ったと騒いでいた。

 誰がやったなどは僕の耳に入らなかっが、彼女を思うと居た堪れない気持ちになった。


 彼女に会いたいと思った。授業でも会えるが、先生と生徒としてではない。僕がいくらかでも慰めることが出来たらという思いだ。


 「弱い」と一度でも判断されると、その弱い者の隙を突き、自分たちがいる所よりも落とそうとする。

 僕たちは子供だから、「子供みたいなことをするな」と大人に言われても、真剣に受け止めない。子供らしく、子供じみた屁理屈をこねて理解しないのである。

 子供と大人という境界線を作った大人は、その境界線に悩まされる。

 そして、僕は先生と生徒、大人と子供という境界線をもどかしく感じた。


 なんのしがらみもないところ、そんな所などあるわけがないが、もし存在するなら、僕は彼女を連れて行って慰めたかった。

 彼女と二人きりで会いたかった。


 今日この日、数学の授業はない。翌日の数学は二時間目だが、出たくなかった。




 その日の帰り、一階にある資料室のコピー機で印刷する倉内先生を見かけた。

 僕は嬉しさと緊張で声を掛けるか逡巡し、努めて明るく声を掛けた。


「先生、さようなら」

 開いていたドアから顔を出して挨拶した。

「おぉ……さようなら」

 一旦手を止めた倉内先生は僕を見るとすぐに視線を逸らし、またコピーを始めた。


「先生、大丈夫ですか? 疲れてませんか?」

 余計なことと分かっても口から出ていた。


「大丈夫だよ。有り難う」

 僕を見て笑う。久しく見ない彼女の笑顔は素敵に見えた。

「今度……今度はもっと大きな花火を見ませんか?」

 彼女の手が止まる。


「……見ない……ごめんね」

 先生は笑顔だった。だから、僕は余計に寂しかった。

「……失礼します」


 僕も笑顔で言った。悲しい気持ちに耐えきれず、すぐにその場を後にした。



 『辛いことなら耐えられる』、彼女は確かにそう言った。そんな強い彼女が羨ましく、好きになった。辛いときは頼ってほしい、僕は彼女の支えになりたかった。

 何があったか分からないが、彼女は辛い状況にある。

 それは耐えられてるのか、耐えきれずに溢れ出る感情は僕では受け止められないのか。当てになどされない力不足の自分が悔しくて、自分への怒りを僕は彼女にぶつけていた。



 僕は彼女が嫌いになった。次の日から、彼女と会話をすることはなくなった。



 拗ねると甘えるは同義語である。僕は彼女に甘えていたのかもしれない。自分の精神的な幼さを見ずに、自分自身のことを騙し、彼女を助けられない非力な自分を隠した。




 授業中でも、廊下で擦れ違うことがあっても、僕には遠くに感じられる倉内先生を嫌いになろうと必死に努める。

 流れに逆らうことで削られ、寂しくなる僕の心はそれでも彼女を思うのだと分かった。

 嫌いになることも好きになることも、心にいるその人を遠ざけようとするのも、近付けようとするのも、その人が自分の中心にいるということは自分の心は受け身になっているのである。その人の存在に心が動かされているのだと気付く。


 窓を開け、黒板に書かれた数字を消しながら、「寒くなったね」と笑顔で一番前の席の生徒に語り掛ける彼女、季節の移ろいに喜びも憂いも素直に感じるのを見ると、素直になれない僕は愚かだ。


 愚かな僕は彼女から遠ざかろうとした。




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