牛すね煮込み
「リュウジュ、明日朝食をフラウやリアンと一緒にとる」
「同席するか?」
いきなりリュウジュの私室を訪ねてきたユアンはそう言った
「あ…はい」
「同席を希望致します」
とリュウジュが答えた途端ユアンは部屋を出ていった
この部屋に一分も滞在していなかったろう
フラウやリアンを呼んでの朝食
ユアンが豪族の夫妻や、高級官僚夫妻を個人的に呼んで少人数の朝食会を開くことがあるのは知っていた
けれど、平の役人を招くとは珍しい
リュウジュはユアンが税の記録を残すために丈夫な紙を手にいれたがっていたことを思い出した
主税局に勤めるリアンを呼び出すとは…
何かが動き出す予感がした
かすかな不安も感じないではない
けれど、今は初めて朝食会に呼ばれたことと久しぶりにフラウに会えるのが嬉しいリュウジュだった
その日は珍しくリアンが早くに帰ってきた
「どうしたのリアン、こんなに早く」
「まだ夕食の準備ができてないわ」
「お腹でも痛くなった?」
もしや朝ご飯で出した鳥肉の火の通し方が足りなかったかしら…
フラウには少し心当たりがあった
「いや、そんなことはない」
「今日ユアン王子から明日の朝食を共にするようにと連絡があった」
「フラウも一緒に」
「それを知らせに来た」
「えっ?あ、じゃあお父様に馬車を借りなきゃ」
「いや、迎えをよこして下さるそうだ」
「そう、じゃあ良かった」
「ねえ…ユアン様って普段何を食べていらっしゃるのかしらね?」
ぷっとリアンは吹き出してしまった
ユアン王子から連絡があった時にはひどく緊張した
このスオミの税収の割合、ここ数年来の主要豪族の税収の変化、各宗教の職業分布、それに伴う収入格差
貸金業における貸出先別の利息の伸び率
過去三十年に渡る各地域ごとの税収の推移
すべて頭に
叩き込んである
何を聞かれてもいいように
だが、こうして呼び出されると、王子の前で淀みなく数字が出てくるだろうかと心配になった
だが今のフラウの呑気な一言でリアンの心は軽くなった
そうだな、王子がすぺてを把握しろと言った期限まではまだ日がある
ただ今の様子を聞きたいだけかもしれない
役所で昔の資料を調べるのは自分にその日与えられた仕事をこなしてから取り掛かる
正直与えられる仕事など午前中にできてしまう
午後一番から資料室で調べ者をしたいリアンだった
だが、周りとの足並みを揃えなければならない
職場であまり浮いてしまうのはまずい
少し人より早く終わるくらいのペースを保って仕事をこなしていた
それでなくても自分は豪族の出身で高等教育も受けている
さらにスバル知事の養子でもある
皆にとっては鼻につく存在だろう
個性を消すためにスミ家特有の長い髪もバッサリ切った
それぞれの部門の過去の資料を管理しているものに頼んで見せてもらわなければならない書類もある
とにかくこの平凡な能力の者達の中で意地悪をされないよう、自分の見たい資料を快く出してもらえるようにと周りとの協調に心を配っていた
主税局の役人はそれなりに優秀な人間が集められていたがリアンには皆凡庸に思えた
税収のすぺてを把握するより、同僚と足並みを揃えることがリアンにはよっぽど難関であった
そんなリアンの心の癒やしはフラウだった
どんなに連日遅く帰ってきても文句ひとつ言わない
朝でかけるときもいってらっしゃーいと変な節をつけて見送ってくれる
夜中に帰ってきても
お帰りなさーいともそもそ寝床から這い出して迎えてくれる
ただ一度だけ喧嘩したことがある
それは夕食にフラウが五時間煮込んだ牛すねのシチューが出た時
5分でそれを食べるとリアンは
「ごちそうさま、役場に戻る」と言って家を出ていこうとした
「ちょっちょっちょ」
「ちょっと待ってリアン」
「それだけ?!」
「え?あ、今日も遅くなる」
「じゃあ」
「ひどおーい」
「バカバカ、リアンのバカ」
戸口でドアに手をかけたまま振り返ったリアンは首をかしげた
「私、安い肉を買ってきてこれ五時間も火の調節をして煮込んだのよ?」
「美味しかったかどうか言ってよ!」
またリアンは首をかしげた
「ペロリと平らげたじゃないか」
「わからないか?」
「美味しかったに決まってる!」
「…リアンは私が作ったものならどんなにまずいものでも食べるって言ってたから、美味しかったらちゃんと美味しいって言ってくれなければわからないわ」
今度は、ああ、と深く頷き
「ごめんごめん」と踵を返し部屋に戻りフラウをぎゅっと抱きしめた
これが過去一回の喧嘩と仲直りである
リアンはフラウは不機嫌で人を責めることなくちゃんと言葉にしてくれるからわかりやすくて助かるなと思った
役所で人の顔色を見ることに少々嫌気がさしているリアンにとってフラウは心の安らぐ妻だった




