マトハ
それはマトハからの手紙だった
エン国で窮地に陥ったリュウジュとフォンを救ったガイナの商人マトハは、商用でスオミに立ち寄り、その使者がリュウジュにご機嫌伺いの手紙を届けたのだった
会いたい
会ってあの時のお礼が言いたい
ユアンの側近のルルドにエン国での話をしたときに
「リュウジュ様を大使に送り届けたのが豪商のマトハでなければ違うあつかいを受けていたかもしれません」
と言われたのが耳に残っている
マトハは離宮近くの一番大きな宿屋に逗留しているとのことだった
その宿屋に会いに行きたいとユアンに申し込んだところ衛兵を付けて外出する許可が下りた
ほんの少しリュウジュはユアンがマトハを離宮に招待してくれることを期待したのだが…
でも、離宮の外に出られるのはうれしい
マトハは宿屋貴賓室でリュウジュの訪問を受けたとき、ほう、と思った
見違えた
こんな美しい方だったとは
エンでリュウジュを見た時は本当にこれがナリの姫だろうかと疑うほどみすぼらしかった
もちろん状況が状況だったし、また恐ろしく美しいという噂との違いがそう見せた
獣人を従者に連れていなければ信用できないところだったなと思う
マトハの目に映るリュウジュはガイア既婚者特有の横を弛ませた髪の結い方がよく似合っていた
体の線に沿わせた絹の白いドレスも少し寂し気なリュウジュに合っている
こんなに体のラインを出しながらも色気を感じさせない
清潔感があるのは素晴らしいが、男には少し物足りなさを感じさせるかもしれない、とマトハは思った
フォン殿は…
逆にあの時の鬼気迫る雰囲気がなくなり着せられている襟の立ち上がった上着が何とも妙に見える
ズボンも窮屈そうだ
これは軍服だろうか…
獣人には似合わない
「マトハ殿には何とお礼を言ってよいか」
「本当にありがとうございました」
「あそこでマトハ殿に出会えなければ私はここにこうしていられませんでした」
と言うリュウジュに対してマトハは
「とんでもございません」
「あなた様はご自分の知恵と勇気でご自分を助けたのです」
「こうしてご立派な姿をを拝見することができて私は本当に嬉しゅうございます」
「旅の途中、各地でリュウジュ様の話はいろいろ聞いております」
「三百人の従者をつけてのガイナ離宮への御入城とか、風の舞でハアン王や人々を魅了した事など」
その後マトハは自分の話をした
年は五十
ガイナきっての豪商ヒシ家に生まれたものの自分は兄たちのようにただ机の上で書類に判を押すだけの仕事を嫌って、90ある商隊のその時気の向いた行き先の商隊の頭として各地を旅しているのだと
今回もこのスオミに暮らす龍神信仰の者達の依頼で調達したラピスラズリを商いに来たことなど
ヒシ家の三兄弟は長兄のコダマはガイアの北部に暮らしそこで調達した商品、干し魚や昆布などを南に送る
末の弟のルミンは南部に暮らしそこで調達した商品、砂糖や香辛料などを北部に送る
その流通を真ん中のマトハが受け持つ
そしてその商品を国の内外に張り巡らした流通網で商いする
「もう年なので兄弟たちに商隊の頭としての旅を辞めるように言われているのですが…」
「私は未だ好奇心が強く旅がやめられないのです」
「新しい道、新しい出会い無しでは私は生きておられません」
「商隊の頭をしていたおかげでリュウジュ様やフォン殿にもお会い出来ました」
リュウジュはマトハの経験した旅のいろいろな話を聞いた
それは今まで読んだどんな物語より臨場感があり面白かった
この木造の宿屋の貴賓室もリュウジュの心をリラックスさせた
華美ではないが、品の良い調度品で構成された暖かみのある部屋
もし大理石の離宮に招いていたらマトハもこんなに心を開いていろいろな話をしてくれなかったかもしれない
心の距離も近づかなかっただろう
リュウジュはユアンが下賜する品を持たせてくれなかったことを不満に思ったが
「お前の無事な姿を見せるだけで良い」
と言ったあの言葉は間違ってなかったと思った
かえってマトハの好意を傷つけなくてすんだような気がする
リュウジュは縁に自分が刺繍をしたポケットチーフをマトハにプレゼントしたただけなのだが、それをマトハは心から喜んでくれた
名残惜しかったが、マトハがこの地に立ち寄る際にはまた会うことを約束してリュウジュが別れの挨拶をしようとしたところ、宿屋の主人がこわばった顔をして入ってきて、ユアンの来訪を告げた