1話
「ここは、どこだ……?」
気がつくと、何もない場所にいた。
何もない場所、といっても何も置かれていない部屋、というわけではない。文字通り何もない場所、だ。
上も下も右も左も何もない空間。
上を眺めても、何も見えない。
せめて、夜空でも見えればと思ったが、そんなものはない。星どころか闇すらない。本当に何も見えなかった。
それどころか、下を眺めても何もない。
床すら見えない。
にも関わらず、自分はこの場所に立っていた。
下に何もなければ重力に逆らえず、人間は落ちていくしかないはずなのに。
何もない空間の上に確かに自分は立っていた。
本当に何も見えない。
何も聞こえない。騒音だらけの近代社会では考えられないくらい静かだった。だが、こんな何もない場所ではそれを喜ぶこともできないが。
「ここは、どこだ……」
もう一度言った時、目の前の何もなかった空間に変化が訪れる。
「はじめまして。長谷川昌様で、よろしいでしょうか?」
それは、一人の人間だった。
顔は、山羊のような被り物をしているせいで分からない。
だが、その大柄な体格と低めの声からおそらく男性と思われた。
「あ、ああ……」
困惑しながらも、長谷川昌は答える。
確かにそれは、自分の名だ。
本人的には、親しい友人や家族から言われる「マサ」という呼ばれ方の方を気にいっていたが。
「確かに俺の名前は長谷川昌だが。ここは」
どこなんだ、と言いかけるのよりも先に相手が話し始めた。
「此度は、多忙の中当社の主催する『アナザーライフ』にご参加いただき、まことにありがとうございます」
「あなざー、らいふ……?」
不意に出てきた名前にマサは困惑する。
……何だそれは。
聞いたことがない。
そう思った。
いや、違う。
やっぱり聞いたことがある。
というより、見たことがある気がする。
それも、ごく最近に。
「おや……記憶にない、と?」
相手の顔が怪訝そうなものへと変わる。
「ない、はず……だ」
そう答えつつも、少しずつ記憶が戻ってくる。
異世界? 第二の人生? アナザーライフ?
……思い出してきた。
あの奇妙な文面のメールか。
イタズラかと思って適当に返信してしまった。
「あの異世界への転生だとか何とかいうアレか?」
「そう、その通りでございます!」
我が意を得たり、と言わんばかりに目の前の男は笑みを浮かべる。
「わたくし、異世界創造株式会社の、田中と申します。以後、お見知りおきを」
「あ、ああ……」
「では、思い出していただけたようですので、早速ルール説明にうつりたいと思います」
「ルール説明?」
「はい。もちろん、アナザーライフについてのルール説明でございます。まず、今大会の参加者は10万人になります。この10万人の中から5人の選ばれし者達に、異世界への転生権が与えられます」
事態を理解してくるにつれ、マサに漠然たる不安が出てくる。
……どういうことだ? 異世界だの転生だっていうの本当で、ということは。
異世界移住権とやらをかけて戦えっていうのか?
これは夢だ。
夢に決まってる。
そう思い込んで現実逃避しようとするが、相手がそれを認めてくれない。
「いえ、これは確かな現実でございます。そして、これがその参加資格でございます」
す、と目の前に小さな石が差し出される。
拳よりも少し小さいぐらいの大きさ。灰色の石だ。
「これは、『生命の石』と言いまして、その名の通りこれはあなたの人生そのものを賭けることになります」
と聞いてもないのに説明を始める。
「大会のルールは簡単。まず、これから貴方は異世界へととばされてそこで戦いの世界に身を投じることとなるでしょう」
「た、戦い!?」
その言葉にマサは思わず身構える。
何せ、これまでの人生で体育は五段階評価で三以上になったことはないし、喧嘩をしたことだってない。
「そう身構えずに。貴方自身の身体能力に自信がないとしても大丈夫。そのためのこの生命の石です」
「その石に何か効果があるのか?」
「はい。この生命の石は参加資格であると同時に、あなたに不思議な力に目覚めさせる力があります」
「不思議な、力?」
「はい。例えば、何もないところに火を出現させる発火能力や、自分の体重の何十倍もある重さの岩を浮き上がらせることのできる念動力といった類の能力、いくつも自分の分身をつくる幻影能力といったものもあります」
「すごいなそれは……」
思わず身を乗り出して興奮した。
「自分にもし特殊な力があれば」などという妄想に溺れることは人生に一度はある。
だが、やがてそれはただの妄想だと理解してしまうのだ。だが、それが妄想ではなく現実のものとなると目の前の人物は言っている。
「はい。どのような能力に目覚めるかは完全なランダムとなりますが。どんな能力に目覚めたとしてもそれはあなた様次第、となります」
そして、と田中は言葉を続ける。
「この石を手放してしまうと、その能力は失われますのでご注意ください」
さらに、と言葉を続ける。
「さきほども説明があったように、あなたの参加資格であると同時に生命そのものといっていいでしょう」
「……てことは、その石がなくなるとすぐに死ぬ、とか?」
「いえ、そのような事は。しかし、ご注意ください。大会一日目が終了した時点でこの石を持っていないものは強制的に敗北となりますので。つまり、一日が終わった時点でこの石を持っているか否かによって、勝敗を決めます。そして、石を持っていなかった場合、敗北扱いとなりゲームオーバーとなります」
そこまで聞き入っていたマサはここではっとする。
……いかんいかん、何を参加する流れになっているんだ。
「ちょっと待て! 俺はまだ参加するなんて一言も」
「言いました」
田中はマサに言葉をかぶせる。
「あなたは、戦いに参加するとメッセージを送ってしまっております。一度参加してしまえば、それは絶対に取り消せません」
「そんな……」
そんなむちゃくちゃな話があるか。
クーリングオフなんてものもない、一度決めたら絶対に消せない契約だなんて。
「さて、それでは具体的なルール説明にうつりましょう」
困惑するマサを無視して相手は説明を勝手に続ける。
「この戦いは、7日間にかけて行われます。初日の一回戦を生き残った方々、3万人は二回戦へと進出。続いて二回戦を勝ち残った1万人は三回戦へ。三回戦を勝ち残った3000人は四回戦に。四回戦を勝ち残った1000人は五回戦に。五回戦を勝ち残った100人は六回戦に。六回戦を勝ち残った10人は決勝に。この決勝を勝ち残ったもの、すなわち5人が優勝となり、異世界への移住権を手にいれます」
「ま、待て!」
「おや、いかがなさいました?」
「生き残るってどういうことだよ!」
「言葉通りの意味です。勝利条件はただ一つ。この生命の石を持った状態で生き残る。ただそれだけです」
「ちょっと待ってくれ。石は参加者一人につき一つずつなんだろう? だったら、全員が石を持ったまま隠れ続けたりしたらどうなるんだ?」
「おお、いいところに気がつかれましたね」
と言いながら、石を高く持ち上げてみせた。
「この石は、参加資格であると同時に、次の戦いに進出するための出場権でもあります。一回戦が行われる世界からの、脱出用に一つ必要になります。ですが、その一つは世界から脱出するために使用すると同時に消滅します。つまり、その瞬間に参加資格を失うことになるのです」
なので、とポケットからもう一つの石を取り出し、こちらに見せつけるように前に差し出す。
「もう一つ石を確保して、次の世界へと進む必要があるわけです。ちなみに、この生命の石は参加者のみが持っています」
「……つまり、他の参加者から奪うしかないと?」
「はい。その通りです。ただ一つ注意を。これは、無理やり強奪したり、すりとる事は不可能な仕様になっておりますので」
「……」
「本人の意思での石の譲渡、あるいは生命活動が停止して石の所有権を失った時のみ石を手にすることが可能です」
本人の意思での譲渡……だが、今の説明を聞く限りではそんなことに応じてくれる可能性はまずないだろう。
いわば、これはその名の通り生命そのものなのだ。
そんなものを簡単に渡してくれるはずがない。
となれば、
「……殺してでも奪い取れというのか?」
「いえ、そのようには。どのような手段であれ二つの石を手にすれば一回戦から二回戦に進出することは可能です。ちなみに、先ほども説明しましたように一回戦であれば二回戦への進出権を得ることができるのは3万人です。最大の場合、5万人の方が二つの石を手にしたまま初日を終えるという事態も起こり得ますが、その場合は先着順となり、石を持っていたとしても強制終了とさせていただきますゆえご了承ください」
「つまり、一刻も早く脱出しろと?」
「はい。ですが、石が3つ4つ持った状態だとしても、二回戦に進むのに必要な石の数は1つとなります。1つでも多くの石を手に入れてから、脱出をしておけば後々優位となるでしょう」
「極端な話、初日に石を8個手に入れておけばあとの戦いは逃げ続けるだけでいい、というわけか」
「そうなりますね。 ……さて、ルール説明は以上となります。何か質問等は?」
「た、戦いを放棄することはできないのか?」
ルールは理解した。
だが、これが本当の殺し合いらしいと知ってマサは後悔してきた。
あのメールが来た時、軽い気持ちで「参加する」などと返信してしまったことをだ。
「先ほども申し上げた通り、それは不可能です。ゲームの放棄はゲームオーバーと同様の扱いとなります」
無表情のまま田中は言う。
無表情といっても、山羊の被り物をしている彼の表情はまるで分からないが。
「逃げ場はないのか……」
マサは愕然とする。
そして、理解する。
いや、せざるをえない。
もう、この戦いから逃れることはできないのだと。
「それでは、まずは一回戦の行われる世界へどうぞ。見事、移住権を手に入れることを祈っております」
その言葉を最後に、マサの視界が歪む。
ぐにゃり、と何もない空間が、そして目の前の田中が歪んでいく。
「良き次の人生を」
最後にそんな言葉が聞こえる。
そこで、意識を失った。