第九十七話「ひてい しはい」
翌朝、いろいろあったけど、久しぶりの安らかな朝だった。
ちょっと思うんだけど、研究所にこういう宿舎みたいなスペースがあるのって、やっぱ社畜を連想するよね。この国の研究者は趣味でやってるから、そういうのじゃないんだろうけど。
「アオくんっ!」
すでに起きていたラミィが、寝ている俺を起こしにきた。
まだ気分的に起きたくない。俺はラミィを見ないよう寝返りをうつ。
「起きてってば!」
「朝からはりきりすぎるんだよ、何であんな夜でそんなに元気なんだよ」
「もうすぐお昼ですっ!」
「アオ、大変、ほんとうに」
なんと、あのVistaくらい起動の遅いフランが、目を覚ましていた。
これってもしかして、ただ事じゃないのか。
「アオくんってさ、やっぱフランちゃんのいうこと聞くよね」
「違う。なにがあった」
不機嫌に目を細めるラミィに、説明を求める。ラミィははっとなって気分を切り替えて、俺の前にまで身を乗り出して叫んだ。
「タスクがっ! またでたんだよっ!」
「タスク! 出たってなんだ?」
「伝のサインレアが起動して、世界中に発信してる」
最悪の目覚ましを喰らった気分だ。
「……その伝って、どこで見るんだ?」
「水でも鏡でも、映るものなら大体でてくる」
「隣の研究所に大きなモニターがあるから、そこで見にいこっ!」
「わ、わかった」
映るものと聞いて、反射的にこの部屋の窓を見ると、たしかに、タスクの顔が映っていた。
なんつーはた迷惑なサインレアだ。国が管理しているのも頷ける気がする。
俺たちが隣の部屋に行くと、すでにリアスがモニターに注視していた。他には誰もいない。
ただ、廊下を含めてあたりは死んだように沈黙していた。たぶん、タスクの伝に耳を傾けているのだろう。
『さて、自己紹介もこれくらいでいいだろう。一度したと思うし、あんまり待っても、見れない人はそれで仕方ないしね』
モニターの向こうで、タスクが落ち着いた様子で腰を下ろしていた。
『今日出てきたのはほかでもない。お知らせと、お願いだ』
「何を知らせるっていうんだよ」
心中穏やかじゃない。タスクが何を発言するか、全員が固唾を呑んでいた。
『ボクたちがなにをするのか、気になってる人は沢山いるよね。たとえばどうやって生き残る強い人を選定するのかとか……どうやって、他の人類を皆殺しにするのかとか。
みんなで相談をしたのだけれど、ひとつくらいは教えたほうがいいと思ってね。
お知らせだ。ボクたちは、冥の精霊、魔法を復活させて、世界を滅ぼそうと思ってる』
「冥の精霊を!」
がたりといずから立ち上がり、リアスが大声を上げる。ずっと黙っていた彼女も流石に口を出さざるをえなかった。
たぶんリアスは俺たちなんかよりも冥の精霊に詳しいのだろう。二十年前の戦争に生きていた人物だし。
「そんなっ、そんなことすれば……」
『まあ、普通ならこんなことすれば、世界中が滅んじゃうよね、いくら強い人でも、そんなことされたら生き残れるわけがない。そんなのわかってるよ。でもやるんだ』
タスクはまるでこれから起こることが祭りだとでも言わんばかりに、うきうきと口を滑らせる。
『安心してくれ、強い者はボクたちが責任を持って選ばせてもらう、だから――』
『だから貴様等人類は、涎を垂らして待っていろと?』
その映像に、乱入する声が現れた。
「え、なんだ」
「ベクター……さん?」
「ベクター様!」
なんとその映像にもぐりこんできたのはマジェスの国王、ベクターだった。
その姿はタスクの隣で、いつも通り腕を組んで……対面してる?
「どうして対面してるんだ。あいつ、マジェスにいるはずだろ」
「……アオ、たぶんあの人も、伝を」
「あ」
フランのフォローで理解した。
この国も三大国家だ。つまりは伝のカードが保管されている。
「伝って、同時に使うとあんなことになるのか」
「わ、わたしも始めて見ました。ベクター様はまた無茶をやりなさる」
効果をろくに把握しないで使ったってことか。まあ試せるような機会なんてほとんどないだろうけど。
伝の映像は、タスクの独壇場から一転して、ベクターとの睨みあいに変わった。
タスクはそんなベクターとの睨みあいに耐え切れなくなって、笑う。
『ははっ、どうやら噂どおりの人らしいね君は。とても、強そうだ』
『くだらん。貴様とそのような与太話をしにきたわけではない』
『じゃあ何を?』
『待て! 待つんだベクター!』
「お兄様っ!」
さらにその混乱に乗じて、トーネルの王子、ラミィ兄まで伝の混線の中、突入してきた。
『ほぅ、ボンボンの王子様が直接ここに来るとは、どういう風の吹き回しだ?』
『そうじゃない! ベクター! 君は今どれだけ迂闊にことを動かしているのかわかっているのか?』
『関係ないな』
『この成金が!』
『ははっ』
国の代表二人が口論を始める。タスクに笑われてるぞ。
たぶん、ベクターをなだめるためだろうけど、カオスを助長している。
「お、お兄様……っっっ!」
ラミィが眉間に皺を寄せて、目をそらしている。わかるぞその気持ち。
『ちょうどいい、君たち国の代表は、ボクの存在をどう考えているか聞きたかったんだ』
『……』
『ほぉ、言ってみろ』
タスクの声に、一度二人は黙り込んだ。
なんだかんだで、俺たちはこの会議に目を離せなくなった。なにせ、実質最高権力者とも言える人間たちが、目の前に揃っている。
『じゃあまずは、トーネルの若き王、君はボクと戦うのかい?』
『決まっている。僕達の国は生きとし生ける人の存在を否定しない。あなたのやりかたは僕達の国の理念から完全に外れている』
『ボクも、存在そのものは否定していないよ。強くなればいい、難しいことじゃない』
『強くなれないものを否定したあなたに、その資格はない。人は強さだけに生きるわけじゃないからだ、僕は、弱きも受け入れる』
意外にも、ラミィ兄は強くうって出た。まあここで日和るようじゃ王様も務まらないよな、地球では責任者に結構いたけれど。
ラミィ兄の強い瞳が、タスクと合う。
タスクはそれを見て、優しく微笑んだ。
『うん、構わないよ、ボクは他人の考えを否定しないからね。でも、強さでねじ伏せないのなら、それは戯言だ。ボクに挑戦するのを、待ってるよ』
そうして次に、ベクターに視線が映った。
トーネルの答えはある程度予想通りだ。
でもマジェスは、実際のところ懸念材料がある。
『さて、君にも聞いていいかな?』
『戦う。愚問だな』
そんな考えも吹き飛ばすほどの、即答だった。
今回の登場といい、ベクターは思い切りがすごいな。
『いや、そう焦らずに。確か君たちの国だって強者を歓迎する世界じゃないか。君たちの国の理念に従うなら、強者を生き残らせる僕たちの考えに、ある程度は共感できるんじゃないのかな?』
『あるはずなかろう、くだらん。世迷言は海にでも流せ』
完全否定だ。清清しい。
でもさ、このマジェスの理念からいえば、タスクの言っていることもあながち間違いじゃないと思うんだが。
ベクターは、タスクの怪訝な表情を、鼻で笑った。
『貴様、本当に千年も生きたのか?』
『ん、どういうことだい?』
『これだから精霊にはあきれる。自らに奢り、二十年前の戦争を、人類の歴史を、ろくに見もしない愚か者が』
ベクターは両足をしっかり踏みなおし、大きく息を吸った。
『笑止! 二十年前、我がマジェスは強さだけならこの世界を支配するだけの力を持ち合わせていた! だが何故、いまも三大国家などという箱庭が存在するのか。それは強さでは計り知れないなにかが、この世界の理を形成しているからだ!』
『……たしか、君たちが苦戦した理由は、ゴオウって言う四人の英雄の一人じゃないのかな?』
『そんなもの、たった一つの石ころにすぎん。一人の人間にやれることなど、限度があるくらい知れよう。わかるか? 二十年前、たしかに勝てるはずだったマジェスは、オカルトじみた奇跡の連発に、敗北したのだ』
いつの間にか、伝の映像はベクターのペースになっていく。
『我は、その不確定要素こそ弱者の集団に眠ると読んでいる。我がマジェスは、弱者を否定しない。故に踏み歩く! 上に乗り! その可能性を模索する! 不確定要素ですら支配してこその王だ!』
ビリビリと、この場にいないベクターの威圧が俺達を痺れさせる。
ラミィ兄はその声に目をしかめ、この場にいる俺たちは、完全に目をみはっていた。
タスクだけが一人、涼しそうに頷く。
『つまり君は、弱者を滅ぼすのではなく、支配するのが強者だと』
『無論、弱者に恐れるは強者にあらず、自らの力に奢り、人の可能性を摘み取るものもまた然り。言ったはずだ、我は、貴様と与太話をしにきたつもりはない!』
どんと、ベクターは大きく足踏みをして胸を張り、叫んだ。
『我がここに現れたのは宣戦布告に他ならない! 首を洗え! 貴様に最高の敗北を味わわせてやる』
ほんとこの人すごい自信家だよな、なに食って育ったんだろ。
知らず知らずのうちに、俺たちはタスクの恐怖よりも、ベクターの力強さに心が高揚していた。
不思議なもんだ、最初こそどんな恐ろしい宣告が来るのかと思ったが、そんなものに負けるような人間じゃないと、そう感じられる。
「すごいっ……これが、王様」
ラミィが、届かない何かを見るように、悔しそうに手を握り締めていた。
王の素質だけで言えば、ラミィよりもベクターの方があるだろう。でも、ベクターのような、自分勝手な言い分で、人を導くことは出来ない。
「人を、助けちゃいけない……その先に……」
ラミィの口から、あのディープの台詞が呟かれる。
たしかに、ベクターのやり方は人を助けているようで、助けてはいない。奮い立たせて、自分自身の手で自らを助けさせようとしている。
「ラミィ」
「え、あっ、アオくん?」
「お前は、ベクターの真似をする必要はないんだぞ」
ラミィはたぶん、自分の生き方で夢がかなうのか、迷ったのだろう。
だから、ちょっとだけ助け舟を出す。
「他人の真似だけじゃ、何の面白みもないんだよ。真似るにしても、自分で工夫するんだよ、自分のやり方を否定しないで、相手のやり方を奪うんだ」
俺が思うに、ラミィはラミィのやり方で夢をかなえるべきだ。命よりも自分の意思を優先したのに、こんなことで挫折させたくない。
ラミィには唐突過ぎたのか、返答することなく、俺の目を見つめていた。恥ずかしい。
「だから、真似するだけはやめとけ、あとで痛い目見る…………俺の体験談だ」
「アオ、まわりくどいよ」
「……ラミィは今のままでいてくれ、そのほうがいい」
「わたしも、そのほうが好き」
「お、俺も」
フランにフォローされて、やっと伝わったようだ。
ラミィの表情が、少しだけ柔らかくなる。
「ありがとっ、二人ともっ」
『べ、ベクター! お前はそんな物のことだけにここまで迂闊な行動を取ったのか!』
『迂闊? これは邁進だ。それに貴様こそ出てきた以上、その台詞は自らをとぼしめる結果になるぞ』
ラミィ兄がたじたじだ。これだけ見るとかなりよわっちな感じがするな。ざまぁねぇぜ。
『とぼしめる? 何を馬鹿なことを』
そんな叱責が届いたのか、ラミィ兄の表情は、すぐに引き締まった。
『君が来たから僕は利用したまでだ。タスク、君は僕達二人が現れた時どう思った?』
『来客かな?』
『冗談はよしてくれ。僕達は君にとって招かれざる客だ。君はこんな演説をして何がしたい、自分は強者の味方、世界の革命者とでも言いたいのか?』
流石というべきか、このメンツに対して食いついてきている。ベクターとは違う、静かな炎がタスクの目の前で火の粉を散らしていた。
『残念だけどタスク、あなたは革命者ではない、世界の敵だ。僕とベクターの出現は、それを明らかにするための、威圧とでもいえばいいか』
ラミィ兄も、指導者としてはよくやっている。自らの意思に、世界を巻き込んでいこうとしているのだ。
ラミィ兄とベクター。この二人に睨まれたタスクは、まさに世界の敵だった。
『……そうだね、ボクは、世界の敵だよ』
タスクはその台詞に全く怯むことなく、その落ち着いたままだ。
跳梁跋扈とはこのことだろう。静かながらも、タスクは自らのスタンスを崩さない。
『我等が、冥の精霊の復活など許すはずなかあろう』
『一緒にされても困る……が、同意だ!』
『わかっているさ、君たちは自由に、この悪に立ち向かうといい。全力で、受けさせてもらおうじゃないか』
どうやら、この口喧嘩はやっと終わるらしい。なんというか、緊張して変な汗をかいてしまった。
火花は散っているが、これ以上の口論は無意味と判断したのだろう。ベクターはすぐに消え、それを確認してから、続くようにラミィ兄も伝の魔法を解いた。
また、タスクがひとりそこに残った。
『そうだ、最後に一ついいかな。最初に言っていたお知らせとお願い。お願いのほうを忘れていた』
「まだ何かやるのかよ」
こんな状況で、何を言うつもりなのだろうか。今更味方でも募るのか?
あの国王二人が消えた後だと、どうしても威厳がないな。千あった威圧が三百になったって感じだ。大きくても、落差のせいで落ち着く。
「お願いなんて、勝手なものね」
リアスも口を出す。
ほんとだよ。
『簡潔に言おう。ボクたちは探し物をしている』
そういって、タスクのポケットから、一枚のカードが取り出された。
見たことのないカードだった。一瞬魔法のカード化と思ったが、裏面が……
「アオ、あれ」
フランが、指差す。
「アオくんっ! あれ、ネッタにあったカードに似てるっ! もしかして、あれって!」
ラミィが席から立ち上がり、俺に呼びかける。
ネッタで見たカードに似ている。その通りだった。
この異世界で一番美しいものの鍵になる、赤のカードに似たカード。違うのは、タスクの手にあるカードの色が、違うというだけだった。
『これは、緑のカード。他にも赤のカードと青のカードが存在していて、場所もわかっていたのだけれど……実は赤のカードだけ、行方不明なんだ。もし赤のカードのことを知っているかもしくは、持っているのなら、譲ってほしいかな』
タスクは気楽に微笑んで、俺たちに手を降った。
『それだけ、さよなら』
今度こそ、伝の効力は途切れた。本来どおりに何も移っていないモニターが帰ってくる。
リアスは怪訝な顔をして、俺たちの前で肩をすくめる。
「ほんと、あの精霊はなにしにきたのかしらね……」
「……」
「あれ、どうしたの?」
締めの決まらなかったタスクの演説に、リアスが駄目出しをしている。この研究所内からも、心なしかざわつきが戻ってきたような気がした。
「……」
でも、俺たちは喋らない。
「……アオ」
フランが、不安そうな顔で俺を見つめる。
俺はまだ、応えられない。考えがまとまらない。
どういうことだ。
世界で一番美しいものを、なぜタスクが求める必要がある。そもそも、なぜ緑のカードをあいつが持っている。しかもあいつは、青のカードは、居場所を把握していると言っていた。
もしかして、美しいものって世界を爆発させる花火とかなのか? いや、そんなものだったら、冥の精霊を復活させる意味がわからない。
いったいなんなんだ。
「俺たちの探してるのって……一体なんなんだよ」
精霊が秘匿し、世界を敵に回した奴らが求めるもの。魂の精霊が、求めたもの。
実感が恐怖に変わり、俺の額からは嫌な汗が流れた。