第九十三話「いえ つうしん」
「あ、ゲノムさんっ」
ちょっとだけ道に迷ったものの、なんとか世界の皹を出て、草原に戻ることができた。
草原はすでに夕暮れで赤く染まっていて、なびく風がなんとも黄昏の雰囲気をかもし出している。
そんでその中心には、あの筋肉男のゲノムがぼおっと突っ立っている。
「帰ったか」
ゲノムは俺たちに気づくと、ただ視線だけをこちらにじっと向ける。あれだ、RPGで棒立ちのまま会話してくるのを待ってるNPCみたいだ。
一応近づいて、Aボタンを押してやる。
「あんた、ずっと待ってたのか?」
「いや……空を見ていた」
「それずっと待ってただろ」
「ご、ごめんなさいっ! そんな待たなくてもよかったのにっ!」
俺たちが驚いたりしても、ゲノムは全く動じなかった。戦闘してないとでくの坊みたいな印象だよなこの人。俺より機敏なのに。
「アオ、この人誰?」
「ああ、言ってなかったな。こいつはゲノムって言って、マジェスの……なんだっけ」
「戦闘隊長だよっ、アオくん失礼」
「戦闘隊長って……うそ、マジェスの? 戦闘隊長?」
フランは驚きから瞬きを繰り返して、ゲノムと目を合わせる。戦闘隊長を知ってたのか、博士に教えられたのかな。
「フランちゃん、この人、ゲノムさんがこの淵の精霊のいる場所を教えてくれたんだよっ」
「……そう、なの」
「ああ、そうだぞフラン」
ゲノムは俺たちの会話に入ることなく、その威圧する巨体でじっとフランを見つめる。
フランは人見知りだし、そんなに見つめると。
「……?」
「ゲノムね、ありがとう。あなたのおかげで、わたしはこうやって目を覚ますことが出来た。この恩は忘れないわ」
「いい」
フランは初対面の強面あんちゃんに対して、全く物怖じせずに、感謝までして見せた。
どうなってんだ、いつもなら俺かラミィの影に隠れてヒソヒソする程度なのに。
俺が少し驚いてフランを見ていると、
「ささっ」
「ちょっ、フランちゃんっ!」
フランは俺から逃げるように、ラミィの影に隠れた。
どういうことだよ、どういうことなんだよ。
ディープやゲノムが大丈夫で、なんで俺は遠のく。あのバケモノお面の二人よりも怖いってことか。
もしかして、本当に嫌われちまったのか。
「あ、アオ、なに?」
「なんでもないが」
顔を真っ赤にして、フランがこちらを覗きこむ。ぷんぷんなのかこれ。
こりゃ本格的に仲の取り繕いを考えないといけないな。考えとくか。
「ま、まあいいや。とりあえずゲノムはずっと待っててくれたんだよな」
「ずっとじゃない。お前たちが入ってから三度戦闘があった」
「そういう細かいことはいいんだよ。とにかく、感謝するよ。ありがとう」
「構わない。当然だ。精霊に会った後に消耗し、力尽きてほしくない」
ゲノムって、顔からは全然読み取れないけど、かなりのお人良しなのかもしれない。
フランもそんなこと思ったのか、怪しむようにゲノムを見た。
「恩を返したまでだ」
ゲノムはフランの視線に気づき、ぼそっと呟く。
「恩って……ああ、受付ねえちゃ……エイダの話か。別に俺は、そんなにいいことしたわけじゃねぇぞ」
「そうかもしれない。だが、久しぶりに連絡を取ったエイダが喜んでいた。それを見て、俺も少しだけ喜んだ。それでいい」
「ゲノムは、エイダさんが好きなの?」
フランはまた直球で問いただしに来る。
ゲノムは何の動揺も見せずに、立ち上がって草原の向こうを指差した。
「歩きながら、話そう」
「わかった」
「あ、ああ」
「アオくん油断しちゃだめだよ、帰るまでが精霊探しだからねっ!」
ゲノムの先行するパーティが、グダグダと歩き始める。
「エイダと会ったのは、俺もベクターもまだ、お前と同じくらいだった」
ゲノムが、フランを指差す。ってことは十歳前半か?
「俺もベクターも、その頃は接点も何もなかった。ただ、集団から孤立していた点では、似ていた」
「孤立て」
「俺の見た目は、どうも人に嫌われるらしい」
わからなくもないけど。顔怖いもんな。
「俺もベクターも、魔法の才能より戦闘の技術を伸ばした。マジェスにある研修の一つに、ギルド監修のモンスター討伐がある。俺とベクターはそこで、仲間とはぐれてしまった。俺は準備運動を長い間、集団の隅でやっていたから。ベクターは、一人でふらついて、俺と合流した」
なんとなくわかる気がした。結構物静かな人間って、すぐに集団から忘れられるんだよな。
俺なんか父親の後ろにいたのに、アオはどこだとか言われるし。
「まだ餓鬼だった。不安だった。ベクターも、怯えていた」
「ベクターは一度会っただけだけど、あんまり想像できないな」
「自信ありって顔に書いてあるもんねっ」
「俺も、あれを見たのは最初で最後だ。そこに運悪く、モンスターの集団が来て、幸運にもエイダが俺たちのために引き返してきてくれた」
なるほど、話が読めてきたぞ。
「あれか、そこでエイダが助けてくれたと」
「いや、助けてくれなかった」
「え!」
「それくらいお前たちで倒せと、発破をかけた。俺たちはその時こそエイダを怨んだ。生き残ったら仕返ししてやると。あの時のベクターは壮絶だった」
ゲノムは懐かしむように目を瞑り、顔を上げた。その身長で顔を上げられるとほとんど表情がわかんなくなるな。
にしてもエイダって、たぶんだけど年齢的にはまだまだヒヨッコのギルド新人時代だろ。そのときからそんなんだったのか。
「ただそのおかげで、孤立した俺たちは、一番の危険にあったからこそ、一番成長できた」
「まあ、トラブルとか不幸ってのは、逆を言えば乗り越える知恵を培うチャンスだからな」
「エイダの口だけの野次も、的確だった。煽るようで、いつの間にか人を導いている。俺たちはその研修の後、無理矢理エイダについていって、怒られ続けた」
ゲノムは手を広げて、自身の体を俺たちに見せる。
「それが、この結果」
「戦闘隊長ってのにまで……つか、ベクターは国王になったんだよな」
「あいつは才能もあった」
この国のトップ2のエピソード。それってある意味、今のマジェスはエイダが作ったようなもんじゃないか。わしが育てたって言われても反論できないな。
「だから俺は、エイダが好きかと聞かれれば、たぶん、自愛ではない」
ゲノムは特に感情をこめず、フランの質問にようやく答えた。
「だが、この記憶がある限りは、俺はエイダが好きだろう。思い出は美化される。だがそれでいい。どうせ、思い出はなにもしてこない」
「思い出ねぇ……」
「何かするのは、それを受け取った本人だけだ」
わかってるよ。そんなのわかってる。
思い出は、なにもしてこない。
俺だって嫌な思いばっかり頭に浮かぶが、そいつらが何をするわけでもないのだ。それなのに動揺してしまう。俺がビビってるだけなんだよ。
遠くて怖いものでもあるんだよな、過去って。
「思いで……」
フランも、その言葉に何かを受け取って、思案にふける。
ゲノムは話し終えると、何事もなかったかのように先行した。俺もラミィもついていく。
「アオ」
「……なんだ?」
フランだけ立ち止まって、口を開いた。
「わたしの、家って。どこにあるかまだわかる?」
「……ん? ああ、わかるぞ」
あの地図は持ってるし、勝手に消えたりはしないだろう。
フランは顔を上げて、こっそりと手を握り締めていた。
「なら、いつか、ロボを助けた後で……アオの旅が終わってからでもいいから。一緒に、わたしの家に帰ってみたい」
「家……」
フランの家か。
たぶん、焼けちゃって何も残っていないだろう。アルト辺りが家捜しのために消火したとしても、もうそこに人は住めない。
でも、フランはそのなくなった居場所を、見に行くと言った。
反対する理由なんて、ないよな。
「いいぞ、ロボを助けてからだな」
「うん!」
「わたしもっ、一緒に行くよっ! フランちゃんの住んでた場所、ロボさんだって見てみたいって言ってくれるよっ!」
「別に……そんなこと聞いても――」
「一緒にぃ!」
「びゃぁっ!」
ラミィが人懐っこく、フランに抱きつく。何が嬉しいのか、フランを見てはニヤニヤしていた。
フランは髪の毛が逆立つほどビックリしていた。が、ラミィを振りほどこうとはしなかった。ちょっとだけ照れながら、ラミィの袖に手を当てる。
お、俺も触っていいかな。
そう思って手を近づけると、
「ささっ!」
逃げられた。悲しい。
「……」
ゲノムが一人立ち止まって、動かない俺達を待ち続ける。
*
マジェスに帰ってすぐ、あのリアスモニターが現れた。
入口の検問を通ると、何か急いだような口ぶりで通行許可がでて、今はあの空飛ぶリフトに揺られていた。
「……」
「リアス」
ゲノムがモニターに話しかけている。
リアスは俺達をこれに乗せてから、一言も喋っていないのだ。
何か事情があるというよりも、たぶん。
「アオ、あれなに?」
「ああ、この国の研究者が、トゥルルのカードを便利に使えるように作り変えたモニターらしい」
「フランちゃんも気になるよねっ! あれほんと変だよっ!」
フランが好奇心のまま、リアスモニターを指差している。
リアスモニターのカメラレンズは、ずっとフランの姿が反射していた。
「リアス」
「あ、はい。何か用ですかゲノム戦闘隊長」
「なぜ、呼んだ」
ゲノムはもたもたするモニターの反応を咎めることなく、淡々と話す。
リアスはにぶいながらも、用件を話し始めた。
「通信が、届きました」
「通信?」
「イノレードにいたギルド員、リズィからの通信です」
イノレードにいたギルド員……通信……って!
「リアスさんっ、イノレードから連絡があったんですかっ!」
「はい、現状報告をトーネルとイノレード両国に行っているらしく、急な用件であると報告を受けています。まだ通信は継続中です。トゥルルは本来回数による効力ですので、急がなくても通信が切れることはありませんが」
「残された人は……無事な人はっ!」
なるほど、急いでゲノムを呼び出したわけがわかった。そりゃ、事後報告よりもリアルタイムの方がいいよな。
ラミィはちょっと慌てているが、聞くのはそこじゃないだろう。
「俺たちも、それに付いて行っていいのか?」
「はい、むしろ、あなた達がいるからこそ、まだ通信が継続しています」
「どういうことだ?」
リフトは最初に乗ったときよりも速かった。最初に入ったときと同じルートで、あのベクターのいる個室へ直行してくれた。
「ほぅ、きたか」
部屋の中は変わらず、ベクターも相変わらず腕組しながらこちらに顔を見せる。あれニュートラルポーズかなんかなのかね。
ラミィが急いでベクターの元へ走ると、その横に魔法で作られた巨大な動画が動いていることに気づく。テレビ電話みたいだ。
『ラミィですのね!』
「レイカ!」
しかも、そのテレビ電話の主は、あのレイカだ。
「無事だったんだねっ!」
『そちらこそ、あの対面からよくぞ生き残っていましたわ! さすがわたーしの友。一ヶ月前、あの映像は見ているわたーしたちもスカッと……いえ、失礼』
レイカが一度咳払いをする。落ち着こうとしているのだろう。
俺とフランも後に続いて、そのテレビ電話の前に立つ。
『フランさん、あなたも無事でしたのね、なによりですわ』
「ありがと」
「レイカ、あれからどうなったの? 私達ほとんど情報が入らなくて」
『どうもこうも、この通りピンピンしておりますのよ。ご安心なさって、友に心労をかけるほど、このわたーしはやわではございませんわ』
「そういうことじゃないだろ。つかなんでレイカが通信に出てるんだ」
『……こほん。イノレードが封鎖されてここ一ヶ月、ヘッチャラは減る気配もなく、わたーしたちは残された人々を学院に集め篭城している真っ最中ですの。幸いにもこの学院には精霊がつくりだした封鎖設備ありますから、何とか逃げ延びている感じですわ』
証の精霊がなにかやってるのか。あいつの隠れてた時の口ぶりからすると、学院の構造をいじれくれるみたいだし。人間に協力してくれたのかな。
『今はわたーしが臨時で一部の指揮を取っておりますゆえ、通信に出た次第でございますわ』
「臨時で指揮?」
『ええ、どうにも政府関係者の行方が未だにつかめませんの。そこに消去法でわたーしにお声がかかったわけです。一応、末席とはいえお父様も関係者ですし』
『いえ、消去法ではありません。あの混乱の中ただ一人、若くして学院生たちの指揮統括を迅速にして見せたあなたの人徳が、私たち大人の心にも響いたのですよ。あぁ、勇敢なる乙女様』
レイカの後ろで、あのイノレードギルドにいた、受付委員長が姿を現す。
受付委員長は鼻息も荒く、レイカを熱い視線で見つめていた。他にもおばさんやら幼女やら、学院生以外もけっこういるんだな。
あの学院にどれだけの人間が集まっているのかは知らないが、おそらくこの場所が今のイノレードの残党だろう。
『そ、そんなに褒めても当たり前のことですのよ!』
「片腹痛い。貴様の実力など草の根よりもゆるい。どうにも、優秀な斥候が力を貸していると見える」
『か、カンシは優秀ですけど! 人格に問題がありますのよ!』
優秀な斥候って事は、情報戦が辛うじて敵に勝っているのか。
たしかに、情報があればそれだけ相手を欺く力にもなるし。レイカは裏を読むのが苦手なだけで、行動力はしっかりあるから、上手くかみ合ってるのか。
「いつの時代も、知恵こそが力。故にそれは貴様等には過ぎた才覚だ。うぬぼれるなよ」
『ベクター様、わたーしは今、ラミィと御話をしておりますの!』
「え、えっとレイカ、じゃあ今は」
『ええ、ギリギリのところでやっていけていますわ。救助活動は苦しいながらも行っておりますの。生き残りの捜索が、カンシのおかげでとても効率的でしたし』
なんにしても、予想以上に生存者がいたのはラミィにとって朗報だろう。見ず知らずの他人なんて心配してたらやってられないだろうに。
俺はそれよりも、知り合いの安否が気になって仕方がない。
「レイカ、ロボはどうなってるんだ?」
このままだと埒があかなそうなので、俺から口を出した。
レイカはその言葉に、目を逸らす。ああ、なんかやな予感。