第八十九話「ならく よこあな」
「ここは……」
到着したのは、何も変わらない草原だった。後ろを振り返ると、うっすらとだがマジェスも見えるので、そこまでの距離は飛んでなさそう。
「バイバイってなに使ったんだ」
「アンコモンの帰還魔法だ。自身の覚えている場所を、三キロ圏内までならワープできる……壊れたな。珍しい」
「アオくんがいるとやっぱり壊すよねっ」
「俺のせいみたいに言うなよ」
三キロか、それだと速度は遅いがパカラの方が距離を稼げるな。でも逃げるならこの魔法の方がほしい。つかギルドで今度買っておくべきだな。絶対めちゃくちゃ高いだろうけど。
「この谷の洞窟に、淵の精霊はいる」
「洞窟って? どこよ」
ゲノムは口の変わりに、指をさして答えた。
俺はその先数歩ほと前に進んで、足がすくんだ。
「近すぎだろ……もうちょっと離れにワープしてくれ」
「アオくんっ…あわっ! す、すごいっ!」
いつも下ばかり見ている俺だけど、今回ばかりはその習性を生かしてほしかった。
見渡す限りの草原が、途切れていた。正確には、草原に十メートル以上の黒い線を引いて、その先にはまた草原がある。
草原に表れた黒い線は、谷底だった。
「黒テープじゃないよな……」
左右に途切れることなく、とてつもなく長く、途方もなく深そうな谷底がそこにあった。
「世界の皹。淵の精霊はここに住んでいる」
「またなんとも、らしい場所におすみで」
なんとなく、草原にあった小さな石を落としてみる。谷底の岩肌にかんかんと、聞こえなくなるまで鳴り続け、落ちていった。
俺とラミィがしゃがんで谷底を覗く中、ゲノムは恐れもせずに崖の前に立つ。
「この世界の皹はいつから出来たのかはわからない。龍がこの世界に蔓延っていたときからあったらしい。彼等がいうには、この先には別の世界が広がっているらしい」
「らしいらしいって、実際はわかってないのか?」
「誰も、この谷の底には行ったことがないからだ」
底の見えない谷底からひゅうっと風が吹きぬけて、ゲノムの前髪をかきあげた。冷たい風だ。
こんなのドラクエにもあったよな。
「多くの戦士たちがこの深淵への到達を試みたが、結局は根を上げて帰ってきた。死亡報告はそこまでない。帰る分には、空に上がればいいからだ。時間がかかるが、確実に帰れる」
「モンスターは?」
「いる。マネスルというコモンモンスターだが、こいつはそこまで強くない、人並程度の腕力で、首を絞めるだけだからな」
「じゃあ、簡単なのか? 深すぎて、最後まで到達できないと」
「深すぎる、それもある。一度空を飛べる男が自由落下でこの谷の底を探したが、一週間以上落ち続けても底が見えなかったそうだ。言い伝えによれば、一度落ちれば永遠に落ち続けるとも言われている。もしかしたら、昔に間違って落ちた人間は、骨になって今も落ちているんじゃないかといわれている」
なんだよそれ、怖いんだが。探検したやつもすげえな、帰ってくるのにも一週間この暗い中浮き続けないといけないのか。
ラミィもちょっとだけブルってた。お前は飛べるからそこまで恐れる必要ないだろうが。
ゲノムは俺たちのビビリ顔をみると、そっぽを向いた。
「安心しろ。淵の精霊はそこまで深い場所にいない」
あれ、もしかして怖がらせて悪いと思ったのかな。
ゲノムは世界の皹のある場所を指差す。底には、谷へ緩やかに下る坂道があった。
「あそこから、入ればいい」
「よ、よし、行くか」
眠気はこの話で吹き飛んでしまった。丁度いい、フランのために出発するぞ。
「すまないが、俺は、いかない」
気合入れたら、その出鼻をくじかれた。
「行かないって、別にいいけど、そういうのはもっと先に言ってくれ」
「すまん」
「素直だな」
「これを」
ゲノムはポケットから、ペンダントを取り出した。
「プレゼントだ」
「俺に?」
「違う」
ゲノムは俺の後ろにいるフランを見てから、俺に手渡す。
そのペンダントは、ほんのりとだが光り輝いていた。宝石部分はなく、そのかわり陣のようなものが描かれている。
「それをつけていれば、淵の精霊から勝手に近づいてくれる」
「アポイントってわけか」
「あっ、フランちゃんにだよね」
ラミィはそのペンダントを一度眺めてから、寝ているフランの首に掛けた。
ゲノムはついでか知らないが、カードもいくらかくれた。気前がいい。
よし、今度こそ準備完了だ。
「行って来る」
「行ってきますっ」
ゲノムは手を振って、俺達を見送ってくれる。
さて、ここからが本番だ。
フランの心を、取り戻す。
*
「そういえばアオくん。私、この洞窟聞いた覚えがあるかも」
「覚えがあるかも?」
「うんっ」
洞窟は入ってすぐに暗くなる。キランの魔法がゲノムのプレゼントの中にあったので、もったいぶらずに使わせてもらった。
中の通路はそこまで狭くない。ひとひとり通るには十分なだけの幅がある。手摺がないので、転んで落っこちそうだけど。
「師匠が、たしかここで修行したことあるって」
「師匠って、ゴオウが?」
俺は谷の壁に体を引っ付けながら、どんどん奥へ奥へ進んでいく。
ラミィは何かを思い出そうと、首を傾げてはこっちを見る。普通に飛べる奴はいいわな。
「そう、師匠は戦争が起きるよりもずっと前に、ここでモンスターを狩ってたんだって」
「へ、へぇ、じゃあここで戦えば強くなれるのか?」
ゴオウが修行するほどの場所って、相当じゃないのかここ。死亡率はそんなにないとか言ってたのに。
ラミィは人差し指を顎に当てて、さらに悩む仕草をする。
「う~ん。結構前だから記憶が違ったらごめんねっ。確か、私もそう思って、一度行ってみたいって頼んだことがあるの、修行させてくださいってね」
「仮にも姫様だろ、こんなとこきちゃあかん」
「アオくんの言うとおり、断られちゃったんだ。でもね、師匠はそのときにもうひとこと付け足したんだよっ。この場所での修行はおすすめしませんって」
「おすすめしないって、修行したことあんのにか」
あの人言うことが結構面倒というか、回りくどいよな。たぶんわざとなんだろうけど。
「ゴオウってさ、何でそうも秘密主義なんだ?」
「師匠は、聞いた話よりも実際に見てほしいってよく言ってたから。あんまり人に物事は話さないの」
「自己啓発型師匠だうぉおおおっ!」
「アオくんっ!」
突然、体がふわりと浮いた。
落ちた、一瞬そう思った。ずっと手をつけていた壁が突如なくなって、体が傾いたのだ。
もしかして、死ぬとか、フランもいるんだぞ。早く光をつけてラミィに見つけてもらって、いやチョトブを使って。
「あ」
手に、地面の冷たい感覚が伝わってきた。手で転倒を受け止めたので、肘にけっこうな負担がかかる。
「大丈夫アオくんっ。ツバツケやる?」
「い、いやいい」
どうやら、落ちたわけではないらしい。ラミィがしゃがんでこちらの顔を覗き込んでいる。
起き上がってみると、俺の触れた場所から崖の壁面が無くなっていただけだった。
その先は奈落ではなく、横穴になっていた。
「下の穴と横の穴か」
「こんな場所もあるんだね、入ってみる?」
ラミィは俺の意見を聞く。どっちでも変わらないから、俺の判断になるのだろう。
まだ崖の通路は下がある。真っ暗闇のそこがこっちを手招きしていた。
横穴の中は広く、少ない日の光が遮られるため、またさらに真っ暗だ。
「横穴にしよう」
「おっけい」
どっちでもいいなら、こっちにしよう。
少なくとも崖がないほうを選んだ。こっちの方が安全だろう。下手に回避行動を取って落ちる危険性もないし、空を飛ぶモンスターが崖側に進入したら厄介だ。あと単純に崖が怖い。
「高所恐怖症じゃないんだけどなぁ」
「あれは誰でも怖いよっ。私も怖いしねっ」
ラミィは崖から横穴へ。怖いとか言っといて、ステップしながら平然と歩いていた。
「ラミィ……」
「あっ! なんか変な命令しようとしてるでしょ。今回はフランちゃんを助けるためなんだから遊ばないっ!」
「すいません」
奴隷風情が俺に説教かましやがる。
とりあえず、今いる場所を確認する。俺たちが選んだ横穴はかなり広いようだ、キランの光源が淡いせいもあって、端と端がほとんど見えない。かろうじて手をつく場所があるのを確認できるくらいだ。
「広い横穴だが、変な落とし穴とかあったら嫌だな」
「うんっ、気をつけます」
精霊ってどれも悪趣味だからな。
そんなことを考えてきた時だ、俺の背中から、ぼんやりと光るものがあった。
「なんだ? フランか?」
「ゲノムさんからもらった陣が、光ってるよっ」
どうやら、フランの首元にあるペンダントが光っていたようだ。俺の目で確認できないのがもどかしい。
「ってことはあれか、淵の精霊がいるのか?」
「どうなんだろうね。まだ進んで少ししか経ってないけれど」
俺もフランもきょろきょろと辺りを観察するが、特に何もない。通路の先は進んでいるのかも確認できないほど仄暗いし。
「アオくん」
「ん……ああ、いるな」
ただ、洞窟の先から足音が聞こえ始めた。何か生き物がこちらに来ている。
俺たちが姿勢を低く待ち構えていると、そいつは現れた。
「……マント?」
「マントだね」
出てきたのは、なんといえばいいか、小柄なマントだった。餓鬼んちょがカーテンを体に巻いたみたいな姿をしている。たぶん中に誰かいるのだろう。
「あんたは、精霊か?」
「……」
返事はない。かわりに、するするとそのマントを自ら解いていった。
そうして現れたのは、見知らぬ少年だった。
「誰だお前」
これは精霊か? つか精霊じゃなかったらこの姿は説明できないし。
「ラミィ、一応油断するなよ、なんか仕掛けてくるかも」
「……ダイナ」
ダイナ? なんかラミィが、知らない単語を呟いている。
「おいラミィ、知ってるのか? ゴオウの知り合いか?」
「違うよ……ダイナなの?」
ダイナと呼ばれた少年は、ゆっくりとラミィに近づいてきて、攻撃の気配をラミィに向けた。
「物騒な!」
どんと、俺はとっさの判断でそいつを突き飛ばす。
ダイナはほとんど抵抗することなく、地面に転んでしまった。
「アオくんっ、そんなひどい!」
「ひどいじゃねぇよ、ダイナって誰だ」
「……トーネルの、元奴隷の一人だった子だよ」
トーネルの元奴隷。アバレの集団の一人か。
そんな奴がここに居る。しかも攻撃してくる。たしかこの洞窟に居るモンスターの名前は、マネスルだっけか。
簡単な問題だ。
「モンスターだな、水」
ゲノムが、あんまり強くないと言っていたからくりがわかった。不意打ちが特異なモンスターってわけか。別に脅威ではないが、教えてほしかったよ。
「アオくん待って!」
「なんでだよ、こんなとこに居るわけないだろ、マネスルだろうが」
「そ、それはそうかもだけどっ」
マネスルは起き上がって、また俺たちに向かってくる。遅い。一般人の走る速度とあまりかわらない。
俺はそいつの走りに合わせて、剣で傷をつけた。一瞬で凍結して、カードに変わる。
「ほら、やっぱマネスルだ」
「……そう、だよね」
俺はカードを手にとってラミィに見せびらかす。
対するラミィは、顔が青ざめていた。
「どうしたよ」
「……ううん、なんでも」
「むっ!」
また足音が聞こえた。今度は複数だ。
「ぞろぞろと、遊園地じゃねぇんだぞ」
そいつらも最初こそマントを羽織っているが、全員順番に脱いでいく。
すると、現れるのは子供からおっさんまで千差万別だ。
「あれ、あいつ俺知ってるな、なんだっけ」
たしか、イェーガーと決着をつけたときにいた、トーネル兵だと思う。ちょっと見ただけだから、記憶が曖昧だけど。たぶん、ルツボの時に死んだ一人だ。
「デンジ……ゲキさん」
ラミィはどうやら、一人残らず覚えているようだ。
「ラミィ、戦うぞ、力が無いって言っても一般人程度の腕力はあるんだからな」
「う、うん……」
「……こいつら、変装する人間に法則性はあるか?」
「わからないよ、生きている人も、死んでいる人もいっぱいいる。でもみんな……」
敵はどんどんと数を増やしていく。もう知人ゾンビみたいな感覚だ。
俺はそいつらを切っては凍らせていく。
「おいラミィ、どうした」
「だ、大丈夫、私も手伝うねっ」
「危ないなら俺に任せてもいいぞ」
「大丈夫だから! 風」
ラミィはやけになったような大声を出して、風の両腕を解放する。丁度そこに、マネスルの子供が一人向かってきた。
「シルフィード……くっ、ナックルっ!」
ラミィは躊躇いながらも、攻撃をヒットさせる。すると、
「ぎゃぁああああっ!」
「っ!」
その子供マネスルが、悲鳴をあげた。しかも、痛そうに口から血まで吐き出しやがった。頑丈だな、あれで倒れないとなると。
「ごほっ! ごっ!」
「ジェッカーっ!」
「おい! モンスターだろうが」
「わかってるよっ!」
次に、知らないババアがラミィのもとに向かっていく。
ラミィは今度こそと気合を入れて、拳を握り締めた。一撃で倒す気なのだろう。
「シルフィード、ショットっ!」
「ぎゃあっ!」
するとどうだろう、貫通した腹部から血が流れた。とてつもなくグロイ。
返り血がラミィにもつく。もちろんモンスターがカードになれば、そんなの消滅するんだが。
「うっ」
ラミィは突然口元を押さえて、うずくまった。
俺はある程度予想していた展開に、ラミィの前にまで駆け寄る。
「いわんこっちゃない」
「ご、ごめんっ」
たぶんこいつらは、そういうモンスターなんだろう。殺したくない人間をこちらに見せて、士気を下げているのだ。
見ると、俺の両親と姉らしき姿もいるな。それ以外はめっきりだが。
ラミィはやめればいいのに、俺の肩をかりて立ち上がる。
「アオくん大丈夫だからっ、私だけ何もしないなんて」
「……ほら、これつかえ」
俺は氷の剣をパピコみたいに割って、片方を渡す。ゴオウのやっていた戦法だ。
やめても聞かないのだろう。なら少しでも楽をさせたい。
「風を解いてシャクトラで手を保護しろよ。普通に触ると凍傷になる。だけどグロよりはずっといいだろ」
「……ありがとっ!」
とりあえず、今回も氷の剣には感謝だな、そこまで心が痛まない。
ゴオウがここで何を修行していたのかわかった気がした。ここに居座れば、人間相手に躊躇うなんて感情はわかなくなるんだろうな。戦闘が楽しいとも思えなくなるわ。
俺とラミィは効率よく敵を切って、凍らせていく。
「ラミィ、自分を切るなよ!」
「シャクトラ、うんっ! ごめんなさいっ!」
こう変化の割合がラミィにある辺り、ラミィは大切な人が多いんだろうな。
敵はどんどんと新しいネタを繰り出してくる。果てにはロボやラミィや俺まで出てきた。
そして今度は、やっぱりというべきか、
「博士かよ……」
あのフランク博士も現れる。隣にはフランに化けたマネスルまでいるし。
「パパ……?」
後ろから唐突に、声が聞こえた。
最初こそマネスルが声マネまでしたのかと思ったが、違う。
本物のフランが、反応しているのだ。