第八十八話「きょり ひとつ」
「エイダって……たしかあんた、この国でもかなり偉いんだよな」
「俺と、ベクターは、ひよっこだったころ、エイダさんに育てられた」
「マジか」
何歳だよエイダさん。いやそうじゃないか。
「国王を育てていた人なんですかっ!」
「そのときは、国王じゃなかった」
「それで、俺に興味があったのか」
「ああ、話にはよく聞いていたが、思っていたよりもいい人間じゃなさそうだ」
「さいですか」
その台詞は昔から聞くから、そこまで傷つかない。
餓鬼のころは多かったな、えっ、あの母からこんな子がみたいな。
「ひねくれるな」
「あっ、すみません」
なぜかゲノムに諭された。この人ってたぶん、口とかじゃなくて表情で人を見るタイプなんだろうな、戦闘向きだ。
「俺が言いたいのは、その魔法だ、それだけのものを持っているのに、もったいない」
「もったいない?」
「水の方はまだいい。だが風のあれはなんだ。なぜ、そんなに使えない」
なぜ、そんなに使えない。
そういえば前にも、ゴオウに言われたっけか。この武器は半分も使いこなせてないって。でもどうしろというのだ。実戦経験なら腐るほどしてきたんだぞ。
「使えないって言われても、どう使えば」
「ハープなのに、なぜ曲を弾かない」
「あー」
考えなかったわけではない。確かにありえるのだ。
曲を弾くことこそ、このハープの本懐ではないかと。
「そういえばっ! アオくんってはじくだけだもんねっ」
「だってさ、どうすればいいんだよ」
今までだってかなり慌しかったせいもあって、ハープ自体を知る機会がなかった。唯一機会のありそうな学院でさえ、グリテ云々でそんなこと考える暇なかったしなぁ。
「明日、またこい」
考え込んでる俺たちに対して、ゲノムは素っ気無い態度のまま部屋を出て行く。世間話をする気はないのだろう。
なんにしても、フラン治療の指針が出来てよかった。今のところそこまで障害はない。
「なんにしても、明日か、準備しとかないとな」
「宿を御探しなら、わたしの研究室をお貸ししますよ」
「え、やだよ」
「フランの検診もします、安全も保障するわ。あとこの国の宿は、他国と比べ高いです」
「……ラミィ、どうする?」
「えっ、私はいいと思うけど」
まだ怪しいよこの人。
でもまあ、リスクばっかり気にしても仕方ないのか。
「じゃあ、お言葉に甘えて」
「アオくんっ、どうせならこの街でハープの本買おうよっ! 特訓あるのみっ」
「それもそうか」
ラミィが俺の手を引っ張って、鍛錬場を後にする。
考えてみれば、あれってゲノムのアドバイスだったんだろうな。
魔法がろくに使えない。この言葉は今の俺にはかなり痛い。
土の盾だってそうだ。もっと使い方を把握すれば、もっと便利にあの過剰回復を行えるかもしれないのだ。使えなかったせいで、ロボをイノレードに置き去りにした。
目に見える目標くらいは、何とか達成すべきだ。
*
「ボクニハトテモデキナイ」
「めげないでっ! 諦めないでっ!」
思い出す。
俺は、リコーダーの音楽テストがあったとき。一週間前から猛特訓したのに、最後まで吹ききることが出来なかった。
リアスの研究所の一室、防音室っぽい場所を借りてハープの特訓を開始した。
俺はハープにドレミファソラシがあるのを知った。つかこれしかないんだな。高いドとかはこのハープには見当たらない。
ただ弾いて音を出すだけならいくらでもやってきたので、一応は出来る。
最初は俺でもなんとか出来る、カエルの歌を演奏した。この異世界にはなかったようだけど。
「まああきらめるのは冗談だとして……曲ひいてもなんもおきねぇぞ」
「特訓してみようよっ! もしかしたらちゃんと弾かないといけないかもだしねっ!」
「俺の演奏がちゃんと弾けてないと」
「そ、そんなことないよっ! どんな曲調なのかはわかったし、曲そのものは単調でもいい感じだと思うし」
ラミィは曲ばかり褒めて、俺の技術にはノーコメントを貫いた。
カエルの歌を弾いてみはしたが、ただまとまりのない空間の歪みを形成するだけだった。前にやったような、めちゃくちゃに引いた状態と同じ雰囲気だ。
「曲を選ぶ必要があるのではないの?」
部屋の隅から、リアスがアドバイスをしてきた。暇ではないだろうが、興味本位に見に来たという感じだ。
「そこっ! フランちゃんに近づきすぎですっ!」
「位置関係を代えてはいないわ」
「うそは駄目ですっ! フランちゃんが寝ている間は、私の許可なく触ってはいけませんっ!」
あとリアスは、機会をうかがっているのか、フランを持っていこうとするのだ。
まあ危害を加えないと言ってるし、博士の子だからへんなことに使ったりはしないだろうが、心配だ。
ラミィなんてリアスとは気が合わないこともあってか、フラン自身が許可を出すまで、自分の目から離さない一存だ。
ラミィは嫌がるリアスの手を引っ張って、俺たちの場所に近づかせる。
「やっぱり近くにいましょうっ」
「何の意味もないわよ、会話できる範囲にいればいいでしょ。寒くもないのに、狭くなるだけよ」
「距離は心の距離にもなりますっ」
ただリアスは年上のくせにコミュニケーションが下手なのか、完全にペースを奪われている。
「でもっ、リアスさんの言うとおり曲を選んだ方がいいのかもっ。たとえばそのアオくんのカエルの歌は、順番に発動しているだけで特別に何か起きるわけじゃなさそうだし」
「……じゃあ、何の曲にするよ」
俺は今日買ったばかりのハープの教本をぺらぺらとめくる。なんでも、一曲習得するのに三ヶ月もかかるような代物が基本らしいじゃないか。
俺は確実に、これの倍かかる。半年必要だぞ。
この本だってずっと持ち歩けるわけじゃないし、そんな長時間をこれだけに費やすのはなんとも。
なんか、頭をひねらないといかんなこれは。今夜は辛い意味で長そうだ。
「そうだよねぇ、アオくんはこの世界の曲は何も知らないだろうし……あっ、じゃあ!」
「じゃあ?」
「私が弾いたことのある曲とかどうかなっ? ピアノとかならいっぱいあるよっ。ハープはちょっとだけどある程度は音程も教えられるし、この本を開く必要もないよっ」
「おっ、ありかもな」
この世界って、ピアノとか普通にあるけど、原産どうなってるんだろう。マカロンやぺろぺろキャンディーといい、地球と似たような文化が多くないか。
「つかラミィはピアノひけるのかよ」
「うんっ。お兄様も完璧だよ、使用人の中に有名な音楽家がいたんだっ」
「ああ、そうだよな。たまに忘れそうになる」
「先程から、この世界やら、使用人やら気になる言葉ばかり飛び交うのですが」
事情の知らないリアスは困惑している。もちろん全部教える気はない。
「ラミィはな、元は偉い人だったんだよ、没落貴族になって俺の奴隷になった」
「そんな事情が、あまり詮索しない方がいいわね」
「……アオくん、また適当に」
ラミィが呆れ顔でこちらをじっと睨む。
まあ詮索しないでくれるならありがたい。人の過去ってのはそういうもんだ。
と、そこでふと俺は、リアスのことが気になった。
「リアスさんよ」
「なんですか?」
「博士って、どういう人間だったんだ」
俺は、博士に会って一ヶ月少しで死別してしまった。今の俺の人生に大きく影響した彼が、どんなやつなのか気になった。
フラン以外に博士の評価を聞くのはゴオウ以来か、でもあの人はあんま話してくれないからなぁ。
「とても、研究熱心で、美しい陣を作る人だった」
リアスははっきりと、そう言った。
「……それ以外は?」
「それ以外に必要? わたしはね、あの人の作る魔法陣に一目惚れして、この世界に入ったの」
リアスの目はまるで何かを崇拝するように、虚ろに天井へ流れた。
「あの人の作る陣は一つよ、数の話じゃない、その陣が目指す目的そのものが一つの概念に向かって真っ直ぐに突き進んでいるの。その陣はね、目的意識の低かったわたしをこの道に連れて行くのには十分すぎたわ」
「お、おう」
博士のことを聞いたのに自分語りを始められた。
たぶんリアスにとって博士は、自分の魂の半分を占めるような存在なのだろう。そういう意味では、フランにそっくりだ。
「ラミィはどう思うよ」
「憧れでここまでこれるのは、素直にすごいとおもうよっ」
ラミィは全く動じていない。メンタルが俺よりも強固だなこいつ。
たしかに、憧れでここまで出来るのならそれは素晴らしいことだな。俺なんて憧れてばっかりで、実際にやったことなんて本当にやったうちに入るのかってくらいの行動だし。
このリアスは、それこそ執念がもたらすような行動力でここまで這い上がったのかもしれないし。
「あり、でもさ、そこまで執心だった博士が国を追われても、あんたはここに残ったのか?」
「ええ」
やっぱ女の子って不思議。いやもう女性かこの人は。
ふとそこで、俺は重大なことを思いだした。
「そういえば聞きそびれてたけど、あんたはどうして博士が死んだのを知ってたんだ?」
「手紙が途絶えたもの、そして、あなた達が博士でなくマジェスを頼った。それで十分でしょ」
手紙? そういえば街に買出しに行く時そんなものを用意していたような。
「なにも、聞かないんですか?」
「関係ないもの」
「そんなっ」
そこでラミィが食いついてしまう。まずい話題だったか。
「あなたは博士さんのことが好きじゃなかったんですか?」
「ええ、尊敬してた、大好きだったわ」
「それなのに、なんでそんなに素っ気無く――」
「あなた程度の人が、わたしと博士の間に口出ししないで」
リアスの口調から、苛立ちが見える。自分の縄張りに入ってきた動物を威嚇しているみたいだった。
「わたしは、博士が好きよ。でもね、それは彼の陣を編み出すその心の強さに惹かれたの。そこらにいるような、男と一緒に居たいだけの女と一緒にしないで。わたしは彼の作品を邪魔することは望まない。彼が陣を作り、わたしに見せてくれるのなら、遠く離れていてもかまわい」
リアスの威圧に、ラミィはたじろいた。正直俺もたじろいた。
彼女は愚直なまでに、博士の一点のみを愛し続けていたのだ。それは紛れなく純粋な愛だが、一般からはかけ離れている。本来人間は、その人間の全てを愛そうとするからだ。
「彼が死んだ事は確かに悲しいけれど、それでなんになるの。彼はもう陣を作れない。相手を憎むのは、復讐するための陣でもない限りは、必要ないわ」
ほんと、徹底している。
だがこれで、リアスという人間が少しだけ理解できた。あの年寄り博士を素直に愛すといい、遺伝子提供までしているのは、研究に邁進する執念だけなのだ。
「でも、それじゃあ……いえ、ごめんなさい」
「いいえ、わたしも熱くなりすぎたわ」
ラミィは引き下がる。当たり前だ。他人の情事に口を挟むのはよくない。だいたい、俺たちはその二人の関係性から言えば部外者だ。
「じゃあ、あなたはフランちゃんのことも、陣と同じなのですか?」
ただラミィは、最後の希望をふりしぼるように、それだけを質問した。
この母親であるリアスにとって、フランとはなんなのか。
「そうね……よく、わからないわ」
「そうですか……」
リアスの口からは、曖昧な言葉だけが返ってきた。だが視線は揺らぎ、フランのもとに着地する。
「ただ、興味はあるわ」
「……」
ラミィはその言葉に、明らかな不満を抱いていた。まあ、実験材料的な視点でしかものを語ってないもんな。
「でもなぁ」
「アオくん?」
俺は、利害のない親子の絆というものが、あまり理解しがたい。だってさ、よく歴史なんかでも、女性は政略結婚に使ったりしたじゃないか。戦後は死んでもいいようにってたくさん子供作る家が多かったんだぞ。地球はむしろ利害ばっかな時代の方が多いんじゃないのか。
俺は一人首をかしげるしかなかった。こればっかりは、俺の知識が乏しすぎる。
*
「きたか」
ゲノムは日が昇ってもいない早朝から、俺たちを呼びつけた。研究所に電話みたいなもので連絡してきたのだ。
ちなみにリアスは乱雑な研究室の中で雑魚寝していた。まるで起きる気配がなかったので、フランと同じで朝が弱いのだろう。
「おはようございますっ!」
「……うぃ」
「……ちゃんと寝たのか?」
「ねましたっ! このアオくんはいつも通りですっ」
俺だって朝に弱い。しかも日が昇っていないんだぞ。本能的にも寝る時間だ。ハープの特訓も夜遅かったし、粘らずきりのいいところで引き上げるべきだったな。
だが、俺たちはゲノムの誘いを断ることが出来ない。彼は一応善意で俺達に精霊の居場所を紹介してくれるのだから。
背負ったフランの重みとだるさが、二重でのしかかるが、ここは気合を入れるべきだ。
「……まあいい、ついてこい」
ゲノムは俺を見て鼻息をならしたら、歩き始めた。
準備も何も聞かずに、ただ案内してくれる。俺的には、バスガイドさんよりも好感が持てる。
ラミィは眠い俺に代わって、ゲノムの話し相手をしてもらう。俺が視線を送ると、すぐ察してくれた。
「あのっ」
「なんだ」
「これからどこ……何の精霊に会いに行くんですかっ?」
「淵」
ふち?
俺が怪訝な表情をしていると、ゲノムと目が会う。
「淵の精霊、この世界と深淵との支え、魔法の根源と心の底に顕現した。人の心など、たぶんあいつにとってはバケツにも満たない容量だろう」
「それが、淵の精霊ですかっ?」
「そうだ。その子が起きない一番の原因は、精神の問題なのだろう。ならば、あれが適役と考えた」
淵、なんか字面だけだとすごい物騒に見えるな。落とされそうだ。ただ、ゲノムが適役というのは理解できた。
ゲノムの足は速い。俺がぼおっと付いて言ってる間に、国を出てしまった。広がった一面の草原の、どこにそいつが居るのだろう。
「……こっちに寄れ」
「こっち?」
ゲノムが手招きするので、俺とラミィは疑問を持たずに近づいた。すると、俺とラミィの手首を握って、魔道書を開く。
「魔法を使う。バイバイ」
ぐわんと、景色が飛んだ。なんといえばいいか、目に見えるものが後方に逃げていくような感じだ。スターウォーズのハイパードライブみたいなの。
すぐに体は何かにつんのめってストップした。
脇役列伝その10
マジェス戦闘隊長その二 フトシ
レベル四十八、マジェスの戦闘能力序列第一位の男。性格は典型的な小物で、目先の欲ばかりに目がくらむ。体は怠けていることもありかなりの巨漢で、飯と女は見境がないとまで言われている。
そこまでの屑でありながら、魔法の才能だけはマジェスで類を見ず、闇魔法にて全身強化を施すシンプルなものでありながら、一騎当千までの力と素早さを持ちあわせた超高速デブである。
ベクターのことも都合よく裏切るほどのろくでなしだが、あえてベクターはこの戦闘力と気難しさを面白いと証し、ほぼ完全に掌の上においている。