第八十三話「あい けつい」
『……きた』
「……」
うわぁ。
こんこんと、ドアをノックする音が聞こえたのだ。
俺の心だよな、なんで外からノックする奴がいるんだ。
ドアは最初に見たとおり、尋常じゃないロックのおかげで、外側からは開けられないだろう。
でも、こんこんと定期的に鳴るノックが薄ら寒い。
『……』
「……消え、た?」
しばらくすると、音が消え
どん! と、扉を殴る音が響いた。
何度も何度も乱暴にドアを叩き、ぶち破ろうとしている。怖い! 怖いよ!
がちゃがちゃノブを回す音まで聞こえた。入ろうとしてるのかこれ。
ただその騒音が止むと、とうとう何の音もしなくなり、部屋に電気がついた。
「もう俺の後ろにいるとか、そんなオチはないよな」
『たぶん、大丈夫』
おそるおそるあたりを見渡して、やっと一息つく。心の中だけど心臓に悪い。
「あれはなんだよ」
『危険なものだよ、君であって、君じゃないもの。まだ知るべきでも、触れるべきでもない。勝つ事は不可能だ』
「まず触れたくない」
俺の心の奥ってこんなに怖いのかよ。キレるとやばい男みたいな。
『またこっちに来られても面倒だし、さっさと要件を済ませようか』
「あ、そうだよ。俺何のためにここ呼び出されたんだ?」
さっきからこの部屋のことばかり気にして、その辺を考えてなかった。
『証の精霊のカードを使用したとき起こること、前にも話したよね、必要な記憶を君に渡すためだよ』
「必要、なにがだ?」
『見ればわかると思う。三、二、一』
オボエもやっつけ気味になってきた。すぐさま部屋の景色を変えて、あの記憶の世界に俺を連れて行った。
記憶の場所は、どこかの宿屋か。見覚えはある。今いる場所じゃない事は確かだ。
「この記憶は、誰の視界だ?」
「入るね」
オボエの返事よりも先に、記憶の映像が声を放った。
「ロボさん、お話ってなに?」
その正体はラミィだった。俺のほうを向いて、ロボといった。
つまり、これはロボの視界であり記憶なんだ。
「俺たちがいないな。いつの話だこれ」
『君たちが、チリョウの街を出てすぐだね』
それなりに前だな。
にしても、ロボとラミィの二人か。
このコンビって、普段どんな関係なのかよくわからないんだよな。フランは大体俺と一緒にいてくれるから、他のやつを構っても大体関係性は読める。
俺の認識として、この二人は結構気が合う仲間くらいだ。実際はどうなんだろうか。
気になる。
「ラミィ殿、呼び出したのは他でもない。アオ殿とフラン殿の物議であります」
「アオくんとフランちゃんの?」
とりあえず、二人の話を聞こう。必要な記憶って事は、知っておいて損はないだろうし。
「はい、先日、アルトなる殿方と戦ったのはまだ記憶に新しくあります。ワタシはあの時、自らの無力さに心中情けなく思いました」
ロボは真剣な顔で、アルトに負けた時の話を始めた。
ラミィもその話題とわかると、とたんに顔が引き締まる。
「……うんっ、私も途中からだったけど、あの男の人、すごい怖かった」
「アオ殿の話によれば、あれは偶然の邂逅ではありません、かの者が何らかの意図を持って襲ったと考えられます」
「私も聞いたっ、もしかしたら、また襲われるかもって」
「そこで、一つの提案をします」
ロボは一度大きく深呼吸した。流れ込んでくる思考からは、なにかを決意する意気込みだ。
「もし再び、あのような事態に陥ったとき、どうしようもないと思った暁。ラミィ殿には、アオ殿とフラン殿を連れて、逃げてほしいのです」
「えっと、それってあれかなっ……駄目!」
ラミィはすぐに悟って、ロボの前で腕をばってんにする。
ラミィに逃げる指示をする。俺にも大体話は読めた。
「ロボさん、そのときに一人残るつもりでしょ!」
「然りです、ワタシ一人が囮となり、皆の命を守ります」
「そんなことしたらロボさんが危険になるだけじゃないっ」
「もとより承知の上で頼み込んでいます」
「駄目、絶対に駄目」
ラミィがこの提案を受け入れるはずがない。そういう奴だ。
やるならせめて俺に話すべき話題だ。
「……」
「ロボさんねっ、だいたい私たちで勝てるはずのない敵を、あなた一人で止められるとは思わないかなっ」
ふんと、ラミィは腕を組んで口をへの字に変える。
それに対してロボは、何か考えがあるようだった。腰にぶらさがったカードケースから、一枚のカードを手にとる。
「止める事は、できます」
「それって、地のカードっ! でもロボさんはカードを使えないのでしょ?」
「使わなければいいのです。解放は、できます」
解放はできる。
その意味を俺はイノレードで痛感した。地のカードを解放して、力を得ることはできるのだ。その場で、強大な力を振るうことだけはできる。
「しかしそのとき、ワタシの心は閉じましょう。そのために、この盟約を交わしているのです」
「……ロボさん」
「そしてそのとき、あのお二人が足踏みしてしまわぬよう、ラミィ殿にお願いしているのです」
ロボは頭を下げたのか、ラミィの目線が降りる。
「返事の前に、一つ聞いていい?」
「どうぞ」
「なんで、私に話したの?」
ラミィの目は先程とは大きく違って、風のない水面のように落ち着いていた。
何故ラミィに話したのか俺も気になる。一番人を見捨てられない奴だろこいつは。
「ラミィ殿は、アオ殿とは別の目的をもって旅路を歩んでおります。風の奏者に付いて行く、その本来の目的を見失うことなきよう。そのためなら、ワタシなど捨て置いてください」
「……」
「ワタシにも目的はありますが、そのためだけに邁進する胸積りはありません」
ああ、なるほど。
ラミィは俺についてきているのではなく、本来は別の目的がある。ならそちらを優先してくれると、そう考えていたわけだ。
甘い、甘いな。
「……ロボさんって、そんなふうに私のこと考えてたんだ」
「あ、いえ、気に触ったのでしたら謝ります。かたじけない。しかし、夢を邁進するにはそれ相応の試練と苦難も――」
「ちょっとまってね……天国のお母様、ごめんなさい。今だけ、今だけ汚い言葉を使います」
ロボの台詞は、ラミィの手で制されて止まった。
ラミィはそれからなにやらぶつぶつと呟いている。声は段々と小さくなる。静かな水面が、大きく波を引いた感じだ。
「ふっっっざけんじゃねぇっ!」
そして津波のような、ラミィの大声が押し寄せた。
ラミィはロボの胸倉をつかんで、怒声を作り続ける。
「舐めてんのかっ! 私はっ、そんな程度の関係であんたらとつるんでるんじゃねぇんだよっ! なに? 所詮は奴隷だとか予言だとか、そんなもののために仕方なくついてきたとでも思ってんのっ!?」
記憶越しに聞いている俺でさえ、耳にびりびりと来る声だった。
というか、ラミィのこんな口調初めて聞いた。不慣れなイントネーションで、無理矢理ドスを利かせている感じだ。
「私はっ! 皆が好きだからっ! ここにいるのっ! 予言とか、そんなのきっかけに決まってんだろ! この数週間、どれだけみんなと一緒にいると思ってんだよっ! 命賭けてっ、支えあって! 仲間だってずっと思ってたの、私だけなんてふざけんなっ!」
ラミィが叫び終わった後も、きんとした高音が耳に残る。
ロボも思わぬ怒号に、驚愕のまま黙り込んでいた。
が、そのロボの思考から、燃えるような対抗心と、強い意思が芽生えていた。
「……申し訳ありません。ワタシはあなたを過小評価していたようです」
「わかればっ、いいのっ」
「だからこそ、今こそ対等な立場として、あなたに申します」
ロボは、あのラミィの攻撃に持論を崩したりしなかった。むしろ、強くなったくらいだ。
「もし本当にどうしようもなくなった時、ワタシは地のカードを解放します」
「またっ!」
「仲良しこよしで上手く収まるなど、甘い考えを持ち合わせないでください。そのカードを解放に足る原因が、ワタシにも、あなたにあるからです」
「……私が、弱いって事?」
ロボは頷いた。
「どれだけ綺麗事を並べようとも、全ては上手くいきません。それは、ワタシたちが弱いせいです」
「……」
「そのとき、どうしろなどと偉そうな事はもう言いません。ただ、その命を賭した行動に、あなたがどう思うのかは自由です」
ロボは、ラミィが何か反論をする前に、大きな両腕でラミィを包んだ。
「ワタシも、仲間である皆が好きです。どうしようもなく今が愛おしく感じるときもあります。いつ来るかもしれないワタシの終わりに、幸せを与えてくれて感謝しています。一度死ぬはずだったワタシには、過ぎたものです」
皆が好き、その心はロボも一緒なのだ。
それを口にしたうえでの、ロボの行動だ。それはラミィの考えている綺麗事と、方向性は違えど思いの力は互角だろう。
だから、どっちも止められない。
ロボは説得を諦めて、ただその止められない行動を教えただけになった。
ただ、ラミィの方は自分の行動を通すには、力が足りない。
「ロボさん、ずるいよそれっ。そんな事いわれたら」
「申し訳ございません」
その二人の沈黙を皮切りに、記憶の景色が遠ざかっていく。
瞬きをする間に、俺の心の部屋に戻ってきていた。
『眼福だわぁ』
「台無しな……で、あれはなんだ? 何のために見せた?」
『それを受け止めるのは、君次第』
俺はオボエの紙をクシャクシャにしながら、考える。
二人の間にあった奇妙で強固な絆はわかった。二人がそうまで考えて旅についてきてくれていたのは知れた。だから、どうしろと。
「何の意味もないな」
『正直じゃないねぇ』
「うるさい」
いくら破っても、オボエの紙はどこからか現れる。
「記憶は見せたんだろ、もう帰れよ」
『うん、もうちょっとしたらこの部屋は終りかな。また何かあったときはここに来れるようにするね』
「人の心にずかずかと」
『他にいう事は?』
「この紙……まあわかったよ、さんきゅな、なんというか、踏ん切りはついた」
『ちゃんと彼女にも言うんだよ』
「おかんかよおまえは」
『ちなみにね、彼女はこの決意の一時間後に、アオによって首輪による犬プレイを強要されたわけで』
「台無しだ! 俺のせいで!」
最悪のオチをばらされながら、俺の心の部屋は霞んで見えなくなる。
どおりで、ラミィがあんなに絶望していたわけだ。
*
目を開くと、宿屋の天井が見えた。
「……帰ったのか」
寝返りをうって、周りを見る。右隣のベッドには起きることのないフランがいた。
「起きたの、アオくん」
そして、左側のベッドに、目を覚ましたラミィが、横になったままこちらを見る。
起こしてしまったようだ。ラミィはいつも、どんなに小さな声でも反応してくれる。たとえ寝ていても、自分の呼びかけには必ず応えるのだ。
「ああ」
「証のカードを使って、何があったか、聞いていい?」
「……駄目だ」
ラミィは俺の一言に、そっかと呟いて、そのまま。
そのまま、俺をじっと見つめている。
たぶん、俺がまだ何か話すのがわかるのだろう。ラミィは最初に会ったとき以上に、察しがよくなっている。もう付き合いも長いからなぁ。
どうしよう、俺、なに言えばいいんだ。
「……ラミィ」
「なにかな?」
「………………愛してる」
恥ずかしくなって、寝返りを打つ。
だってこれ以外何言えばいいよ。
あの決意に関して、俺は感謝しているのだ。ここまで俺に対して善意を向けてくれた他人という存在が、とても嬉しかった。クズみたいな俺でも、ちょっとは人と仲良くなれるんじゃないかとか、そんなことを思わせてくれた。
なにより、利害関係もないのに支えてくれる二人が、俺も好きなのだ。
ラミィの、くすりとと笑う声がした。
「はいはいっ。私もっ、愛してるよ~」
ラミィの軽く弾んだ声が、こそばゆい。
「ねぇ、そっち行ってもいいかなっ」
「……」
俺のこと臭いとか言ってたじゃないか、なんで近づくんだよ。
ラミィは俺のベッドでもぞもぞして、背中に手をあてた。
「アオくんはさ、もっと私を頼っていいんだよ」
ラミィって、当たり前のようにこんな台詞を吐くんだよな。
背中がこそばゆく、むずむずしてくる。
俺は何も出来ずに固まっていた。
ラミィも何もすることなく、静かに寝息を立てる。
それ以外に何をする必要もなかった。不思議と安心して、ぐっすりと眠ってしまう。
翌日、俺たちは何の問題もなく、マジェスに到達する。目的を、達成する。
*
最初に抱いた印象は、コロニーとでも言った方がいいか。
「強そう」
「強そうだねぇ」
俺たちはマジェスの門前にまで来ていた。
トーネルと違い待っている人間はいない。入ろうと思えばすぐに手続きが済み、スムーズに許可不許可を決定しているらしい。
何か入口に、空港の金属探知機みたいなのがある。
マジェスの国を囲う壁は、なんでも地下深くにまで通じているらしい。上にもドームのようなガラスのバリアー張られ、国の全体図を見ると、丁度丸の形になっている。国だけ宇宙に放り出しても普通に生活できそうな感じだ。
上空地下全てを壁で囲い、側面には砲台のようなものがある。この国だけ、ファンタジーじゃなくてSFっぽい。
「話には聞いていたが、やっぱ技術力が違うんだな」
「マジェスは元々技術や力の発展を望んだ人の作った国だからねっ、私も見るのは初めてだけど」
「……まあ、入ってみるか」
とりあえず門をくぐらなければ話にならない。何をみているのか知らないが、悪いようにはされないだろう。
ちょっと緊張する。
昔よくあった、俺の時だけ自動ドアが反応しない、みたいなこととか無いよな。
「あ、先行くね」
ラミィはそんな中ひょいひょい歩く。度胸があるというか。
なんだか、俺が実験させたみたいで情けなくなるじゃないか。
「まて、一緒に行くぞ」
「え、一緒でいいの」
「いいの」
背負ったフランの居住まいを直して、背筋を伸ばす。
後ろで待っている奴がいないのをいいことに、もたもたしている。
「よっしゃ、せーのではいるぞ」
「うんっ! なんだか緊張するねっ!」
「せーのっ!」
びーっと、ETCのエラー音に似た高音が鳴った。
案の定といえばいいのかこれは。
「アオくん、この音なんだろ」
「たぶんなんか異常が見つかったんだろ」
「機械にっ?」
ああ、ラミィはこのブザーがわからないのか。カルチャーショック。