第八十二話「ながれ せまい」
イノレードがタスク一味に襲撃されてから、一ヶ月以上たった。
「足が浮く」
あれから西に進み続け、気候はちょっとだけ暖かくなってきた。北海道の平地みたいな、緑一色の草原が延々と続いている。
「ケツ痛い」
「これでも結構マットの風使ってるんだよっ」
俺の隣から、ラミィがリュックを覗きこむ。昼食だし、腹が減ったのだろう。
中に入った食料は最低限だ。ロボがいない今、持っていける荷物は限られていた。
それに、寝ているフランだって運ばなくちゃいけないし。
フランの体には、定期的にチリョウとコンボ合わせて、水分にポチャン、カロリーにブヨンを合わせて最低限の栄養を取らせていた。
馬車を選ばすに二人での徒歩を選んだのは、そのほうが早いから。この一帯に、移動用の魔法があるおかげだ。
一刻も早く、フランとマジェスに行かなければならない。
「やっぱり安全を考えたら、馬車でもよかったんじゃないかなっ?」
「でもなぁ」
もう一つ理由がある。
最近になって、やけに周りの視線が気になるのだ。なんといえばいいか、道ゆく人がラミィを見ては、俺を見て見比べているような気がする。
俺が自意識過剰なのかと思ったが、そうでもないらしい。確かにラミィは美人だけど、道ゆく人が振り向くなんて普通ありえない。なんか気味が悪いので、人目を避けたのも要因の一つだ。
「アオくんっ、御昼前に、運動した方がいいかも」
「働かないで飯が食いたい」
モンスターの気配を感じて、俺は立ち上がった。飯の前に移動手段が手に入るのなら、万々歳だ。
草原でモンスターは群れを組む。それもかなり強力らしく、そうそう単独でこのあたりの旅はしない。
そのせいか、馬車でのマジェス行きは大所帯で動きが遅い。
「来たっ!」
今まで鳥一頭見つからなかった草原から、モンスターの群れがこちらに向かってくる。
敵のモンスターは巨大な馬だ。国王号とまではいかないが、たぶん大人三人が立ちふさがっても邁進できる馬力がある。草原にもかかわらず土煙を上げているのは、そのせいだ。
「アオくん、やっぱりあれパカラっ!」
「当たりだな、土」
俺はまず、轢かれるわけにはいかないため、土の杭で草原に森を作る。
「あ、アオくんっ!」
「我慢我慢」
どうせ誰もみちゃいないのだ。服ぐらい脱げても何の支障もあるまい。
パカラの群れは思いかげない障害物に絡まれて、進軍を止められる。でも半分以上は蔦を踏み潰すから、相当な突進なんだろうな。
「しっ、シルフィード、チェスト!」
ラミィはもう触手内での動きも慣れた物で、女ターザンのように、蔓を傷つけることなく、自由に動き回る。
パカラは首の後ろが弱点だ。動きを止められれば、狙うことは容易い。
しばらくすれば、何の問題もなくパカラの群れはカードに変っていった。
俺はカードをかき集めるラミィに近づく。
「何枚あった?」
「七だよっ、これだけあればもう到着だねっ!」
「おつかいコンプリートだな」
パカラのカードの効果は、移動魔法だ。半透明の馬が出現して、一定距離を高速で移動してくれる。ササットとの違いは、方向転換が出来ないことと、長時間魔法が持続することだ。
ギルドではかなりの値段がしたため手が出なかったが、現地で倒して足にすれば、かなり効率がいい。
「よし、食べ終わったらカード移動だ。方向は間違えるなよ」
「了解っといってもっ、コンパスなくても風の方角でわかるよっ!」
「科学的なので頼む」
道が整備などする必要がない分、草原にはほとんど手が付けられていない。もし方向がわからなくなれば、馬車の引き跡でも見つけない限り帰れないだろう。
道中は安全だった。寝たきりのフラン一人がいるにしても、辛いとはあまり感じていない。
「さてとっ、そうと決まったのなら、食料は節約する必要ないよねっ」
「何かあったらいやだろ。もうちょっと残しておく」
「アオくんって結構心配性だよね」
ラミィとの時間が長いせいか、最近はあまりラミィが女であることを意識しなくなってきた。慣れって素晴らしい。
会話もそこまでしないが、気まずい沈黙じゃない。無理をしない関係だ。
二人で無言のまま、草原に腰を下ろして昼食をとる。ちょっと前の街でもらった干し肉だ。あとマジェス産とか言う、カロリーメイトみたいなスナック菓子もある。この世界の文明って不思議。
「……」
「……」
ラミィも、あのイノレードから変わった。
なんというか、うるさくないのだ。
前なんて、これくらい黙っていると、それが嫌なのか無駄に話しかけてきた。いや、今でも話しかければいろんな話題を持ってくる。
「あれ、どうしたのっ?」
「いや」
「もうちょっとすればマジェスだからねっ、フランちゃんそれで治ればいいけれど」
「そうだな」
なんといえばいいか、この雰囲気が自然体になったのだ。会話しなくても、それなりにわかる。気を使い合える。
ラミィは俺がじっと見ていることに気がついたのか、なにやらニヤニヤしてこちらに近づいてくる。
「どうしたのかなーっ。私のことばっかり見ちゃってっ! 何か気になる?」
「いや、いやいいや」
俺は慌てて目をそらす。こいつは俺の考えがわかっていて、あえて聞いてきたのだ。
わかっている。俺がここまで早くマジェスに付けるのは、ラミィのおかげだった。
俺は考えがまとまっても、どうにも要領を得ない時がある。地球の学校でも名案を思いついて、クラスで発言したところで、タイミングが悪くて誰も聞いていないことはよくあった。なぜその発言が名案だといい切れるのか、それはその五分後くらいにクラスのイケメンが全く同じ提案を発言したからだ。
もどかしい回り道を、ラミィはしっかりと真っ直ぐに戻してくれる。
ラミィは前に出てくるタイプではあるが、人を立てるのも上手いのだ。自身が光になることもなれば、俺みたいなのの後光という役割もしてみせる。
とくに、イノレードをでてからはよく要領を得ない出来事がたくさんあった。それをサポートしてくれたのはラミィだ。
感謝している。でも、口にするのがすごく恥ずかしい。
でもやっぱ、言うべきなんだよな。見透かされてムカついてもだ。
「あ、あれだ……」
「あれ?」
「あ、あり」
「あり?」
「ありが……感謝だな」
言った。頭が沸騰しそうなくらいに熱い。人に感謝するなんていつぶりだろう。
ラミィはくすっと笑ってから、肩の力を抜いて草原に手を置いた。
「別にいいよっ、私はアオくんの奴隷だし。最近のアオくんって、何か危なっかしいから」
「どこがだよ、変なプレイしてないだろ」
「そういう意味じゃなくてねっ……なんていえばいいのかな、悪い流れが見える感じ」
悪い流れ。ああ、なんとなくわかる。
一度失敗すると、何回も重ねて失敗するあれだ。いつもなら上手くいくのに、苦手なやつの前だと全く成功しなくなるよくわからない呪いだ。
ここ一ヶ月、俺はその呪いを解くため、小さな挑戦という挑戦は何回かしてきたが、一回も成功してない。
こんかいの、二人旅による高速移動も、挑戦といえば挑戦だった。
それなのに、まだ呪いが残っているとは。
「悪い流れが見えるって、すっごい不安なんだけど」
「大丈夫っ」
ラミィはそんな心配もよそに、草原と青空を眺める。
何の障害物もなく、地平線が真っ直ぐに伸びたこの景色は、俺も嫌いじゃない。
風が吹く。俺とラミィを撫で、不安ごと吹き飛ばしてしまうような錯覚してしまう。
「うんっ、やっぱり、大丈夫だよ」
ラミィは大丈夫しか言わないけれど、その言葉がやけにしっかりと、俺の鼓膜に響いた。この声が、風に安定を乗せてくれたのだろう。
でも、まだ不安は完全に解消できない。マジェスにつくまで、トラブルが起きたりしないだろうか。
*
マジェスに一番近い町の、宿屋の一室にいた。もう外は星空が輝いている。夜食はまあまあだった。
フランはベッドに寝かせている。起きることはないだろう。今まで、夜中いくらうるさくしても呻き一つもらさなかった。
「明日にはマジェスだねっ!」
「そうだな」
俺とラミィは一つだけある机で対面して、旅の準備やら打ち合わせをしていた。
ここまで予定通りだ。だが不安なのは、なんでも達成の直前だ。
終わる終わると思った瞬間に、達成は遠のくのだ。
「まあ、いいか」
「そうそう、まあいいよっ!」
とりあえず今日は無事ここまでたどり着いたことを祝おう。人事は尽くした。
今日はもう楽しいことだけにしよう、これからラミィとマジェス直前記念、夜の――
「ん?」
ふと、俺のカードケースから何か声をかけられた気がした。電波じゃない。元がモンスターだったりするせいか、案外カードには意思があるのだ。
ケースを開けて中からカードを一枚、取り出す。
「アオくん、どうしたのそれ、光ってる」
「証の……カード?」
サインレア、証のカードが光っていた。
あのイノレードでごたごたする直前にもらったカードだ。
「なんで今更」
このカードは、この一ヶ月唱えてもうんともすんともなかった。
ラミィ談によると、サインレアは精霊の力を間借りするのが本懐らしい。だからものによっては精霊側の条件を満たさないと発動しないとか。
光ったという事は、発動条件が揃ったということ。
「アオくん、唱えてみてよ」
「怖いんだが」
「大丈夫っ、なにかあっても、私がなんとかするから」
「そこまでいうなら」
何かここ最近はラミィにのせられっぱなしな気がして癪だが、唱えないわけにもいかない。
「証」
俺はそう唱えて。
*
ごんと、何かに肩をぶつけた。頭は何か柔らかいもので包まれる。
「う、うぉお……」
肩を抱えて、暫くその場でうずくまる。なんだよ、何かいきなり落ちたぞ。
俺はあたりを見渡して、そこが今までいた場所じゃないことに気がついた。
「な、どこだここ」
窓のない白い部屋だった。なんかそれだけ言うと隔離病棟の個室みたいだ。
「なにこれ、俺収容されたの?」
その部屋の中には大きくて寝心地良さそうなベッドが一つと、この部屋の景観を崩さないギリギリまで敷き詰められた本棚がある。あとは、なぜか南京錠がこれでもかとついたドアがひとつ。
「おい、おい」
ほんと、なんだよここ。
あとついでに、壁にはでかでかと『マジェス到達おめでとう』の掛け軸が描かれている。
「わっけわからん!」
『安心して、ちゃんと説明するから』
紙がひらひらと落ちてきて、そんな文字が書かれていた。
「証の精霊!」
『お久しぶり、名前はオボエだよ、覚えてね』
この消えてはまた文字の浮かぶ奇怪な紙を見て、逆に安心してしまった。
たぶん、証の精霊、オボエの力でここに呼ばれたんだろう。という事はワープでもしたのか?
「まてよ、どっかにワープしたのか、せっかくマジェス近くになったのに」
『だから心配ないって、君はどこにも移動してないし。とりあえず僕の文字を静かにまとうね、ね』
「ま、まあそうだな」
オボエの諭すような文字に、イラッとしたが落ち着いた。とりあえず床にしゃがみこむ。
「ただこれだけ聞いていいか、この狭い部屋は何だ?」
『そりゃ、君の心に決まってるよ、狭いところはそっくりじゃないか』
「喧嘩売ってんのか?」
ちょっと紙をつかむ手が震える。こらえろ、まだ破く時じゃない。
『証のカードを使ったよね、それは使えるときじゃないと使えないカードなんだ。記憶と一緒で、ふと思い出すようなときに発動するから、あんまり期待しないでね』
「おうおう」
『そして、この部屋は僕の力で君の心を可視化した空間だ。僕が君の心の中で会話するために、都合よく形を作らせてもらった。本来は頭の中に部屋なんてないから安心して。あと君の本体はさっきまでいた場所で眠っている。何かあればすぐ起きるから』
読み進めていくうちに、なんとなくだが理解してきた。
「かいつまんでいうとあれか、今の状況は、俺の夢の中に入り込んできたって感じか」
『夢と違ってここでの事は忘れないし、色々ずれもあるけど、その解釈がわかりやすいかな。寝ている場所は安全? 駄目だったら暫く待つけど』
「いや、たぶん心配ないと思う」
ベッドが近くにあったし、ラミィだってそばにいる。
「それに、なにかあればすぐ起きるんだろ?」
『うん、薄目を開いてみるといいよ、心で願ってみて』
心で願うって、いつも思うけど簡単に言うよな。
カードを使う要領で、外の世界とかそんなことを念じてみる、すると、文字通り薄目を開けたような視界が広がった。
宿屋の天井と、俺の顔を心配そうに覗きこむラミィが確認できた。
『ね』
「ねじゃねぇよ。わかったけど」
とりあえず本体の目を閉じて、とりあえずこの部屋を改めて観察する。
「これが俺の心なのか? 確かに心が狭いことは認めるが、やけにすっきりしてるな」
『結構几帳面なんじゃないのかな、本がやけに多いことから、知識欲みたいなのも伺えるね、あとは寝るのが好きだと思う』
「まんまの印象だな、あ、本棚の本がいま入れ替わったぞ」
『記憶って、忘れたり時たま思い出したりするから、それを象徴してるんだと思う』
「じゃあ、この本は俺の記憶か」
俺は本棚に近づき、一冊の本を手に取ろうとして、やめた。
その本の題名、グラウンドで漏らす。やめてくれよ!
「確かに俺の記憶だ」
『声が震えてるね』
「やかましい」
いやなことを思い出しちまった。
目を逸らした先に、またあの『マジェス到達おめでとう』の掛け軸を見る。
「おいこれ」
『つけたの僕、紙だからね』
「人の心に勝手に掛け軸なんてかけやがって。あとまだ到着してねぇ」
むかついて、俺はその掛け軸を剥がそうと手を掛けた。すると、その掛け軸に隠されたものを見つけた。
「……窓?」
この部屋、窓があったのかよ。上に掛け軸重ねやがって。
ここから見えるのは心の外側になるのか? それともただの俺の視界かな。
興味がわく。
「……ぬっと」
掛け軸を払って、覗きこんでみた。
そこは、真っ黒な世界だった。どこまで先があるのかどうかもよくわからない。
ただほんのり、人魂のような蒼い揺らめきが、外に空間があることを示していた。
「なんだ、これ」
そう思った瞬間に、ばんと紙が窓に向かって張り付いた。
「ぅお!」
『駄目』
べちべちと何回も音を立てて、台風に吸い寄せられるように、駄目と書かれた無数の紙が窓に張り付いていく。
隙間一つなくなって、やっとその嵐は収まった。
「お、脅かすなよ! ポルターガイストじゃあるまいし」
『静かに』
有無を言わせぬオボエの文字に、俺は黙り込んでしまう。
『そっと、しゃがんで、そのままベッドの近くに、何もしないで待つんだ』
「な、なんでだ」
『早く、気づかれた、来ちゃう!』
とりあえずオボエが必死だったので、言われたとおりにする。
どこにあったのかもわからない明かりまで消して、静まりかえった。
何が起こるって言うんだよ。