第七十九話「ぼうそう とうぼう」
「いや、いやぁあああっ!」
ラミィの叫び声が、遠耳に響く。
俺はどんな表情をして、それをみていただろうか。
フランは首を折られ、口から赤い泡がこぼれた。ぴくぴくと全身が、水揚げされた魚のように痙攣していた。
「さて、もういいかな、ここで」
タスクの手には、テレサの篭手が装着される。
躊躇いもなく、フランの首元をえぐった。
フランの口からまた、血が流れる。
「……見つけた」
タスクの呟きと共に、フランの体が不自然に光り輝く。
バチバチと稲光を響かせて、タスクは手を引く。
その手には、一枚のカードが握られていた。
「やはりそうだ。博士は彼女の形成維持を目的として、陽のカードをその身体に仕込んでいた」
タスクは、フランを地面に放り、手に入れたカードをまじまじと眺める。
あのフランを、まるで用済みの包装紙みたいに、捨てた。
「助かったよ、これですべてがととの」
「お前……おまえ!」
俺は全身の筋肉を引き裂くようにして、立ち上がろうとする。
「現実は甘くない。君の体は、起き上がれない」
「だから、どうした!」
殺す。
この男は絶対に許せない。たとえ精霊であっても。仮に、この行いが世界を救うためだったとしても、俺はこいつを殺すことを決めた。
「開けよ……開け!」
土の盾に呼びかける。
もうどうなってもいいから、あの力をもう一度発動してくれ。
回復だ。あの状態のフランは過剰にでもやらないともとには戻れない。呼吸もままならない今の状態で、放置しちゃ駄目だ。
なら、今こそ土の盾が。
「開いてくれよ、なんで! なんでだよ!」
「……ハッタリかな? まあ、選別するからには、どんどん技を出してもらって構わないけど」
それなのに、土の盾は応えてくれなかった。
そんなに都合よく、力は発動しない。
「あんなに、近くにいるのに!」
目の前にいるフランを、助けることが出来ない。
「くそっ、うわぁああっ!」
「ガ、がが」
俺の叫びに、フランが応じたと思った。
フランの口から、錆びたような音がしたのだ。
「フラ――」
「邪魔だね」
タスクの容赦ない蹴りが、フランの頭に入る。
「ガ、があ」
それなのに、フランの壊音は収まらない。
「……なにかな?」
「タスク危険だ! 離れろ!」
アルトが何かに気づいて、タスクに警告する。
その後で、フランは動いた。いや浮いた。
「暴走だ! 陽のカードを取り払っても、彼女は動くんだ!」
「が、ガ、ああああああああああああああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
フランの体は二度三度と発光し、体を光で包む。
そのフランを中心に波紋が広がり、俺たちの体を通り抜ける。
そして空に、剣の雨が産まれた。
「な、なんだこれは!」
アルトが空を見上げて、驚愕の表情をしている。
俺だって同じだ。
空は無数の雷の剣に被われ、イノレード全域にわたるほどの光を放つ。さしずめ、天使の軍団がイノレードを滅ぼそうとしているようだ。
フランの体は未だに稲光を発し続け、俺たち全員を巻き込む形で雷撃が放たれる。電気信号と魔力そのものを狂わせ、その場から動けなくする。
「こんな暴走、前とは桁が」
「あはっ!」
その中で一人、ジャンヌだけが微笑む。
「雲のお人形さんは、実は雲の中に月を隠していたのね、太陽は雲を作るけれど、むしろ彼女そのものを雲で隠していたのでしょう」
「落ちてくるね。これは、危ないかも」
タスクの落ち着き払った言葉をきっかけに、ゆっくりと雷の剣は落下する。どうやら空から見るのとでは大きさがまるで違う。剣の一つが、ビル一件分に相当する大きさだ。
どうすればいい。事態は何も好転していない。
俺たちは動けず、フランは生死もわからない。それなのに、イノレードを焼け野原にしてしまいそうな暴走が、俺たちに迫っていた。
「……アオ殿、フラン殿を、頼みます」
そんな時だ、ロボが、塞き止められた体を無理矢理に起こして、フランを睨む。
俺も含めて、周りにいる全員が、フランの余波によって体を動かせないなか、ロボはそれを無視して動き出す。
「なっ、何を言って」
「初めからこうすればよかった。この躊躇いは、ワタシの不手際です。でもどうか、全てを失うことなきよう」
ロボはいいながら、一度だけラミィと視線を合わせる。
「……」
そして、カードケースに手を掛けた。
俺は、ロボが何をしようとしているのか、少しだけわかった。
「おいまて」
「アオ殿、お慕いしておりました」
ロボは重くなった体を震わせながら、一枚のカード、地のカードをその手につかむ。
「またいずれ、合間見える機会があれば……」
「ロボ、やめろ、お前まで! それはやめろ!」
「それ以外に……ありません! 囲え、大地の巨兵!」
ロボは、唱えてしまった。
そのとたんに、ロボの体を岩が包み始める。それは体を二重三重にもかさばらせて、どんどんと巨大な岩の狼へと変貌する。
「タスク!」
「大丈夫、からだは無理矢理動かせば――」
タスクがいうよりも先に、岩石の拳が唸った。
「やれやれ、人が話しているときに」
「ウォオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!」
ロボの声から理性は感じ取れなかった。駄々をこねる子供が暴れるように、ただ周りのものを壊し始める。
その攻撃の手は、俺たちにも迫った。稲光をものともせず、その中心のフランを叩き落す。
俺もラミィも、建物に押しつぶされるような錯覚を覚えながら、ロボの洗礼を受けた。
「ぐっ……がぁ!」
全身が痛みだす。雷の余波も相まって、ボロボロだった。
「アオくんっ! 重さが消えたよ!」
その俺をすかさず拾い上げて、ラミィが飛んだ。雷の範囲外に出たおかげで、多少だが体は動く。いつの間にか重さも取り払われている。
ラミィの右脇には、気絶したままのフランもいた。
「フランちゃんは大丈夫、息もしてて、首の骨もいつの間にか修復してるよっ!」
フランの体の発光は、いつの間にか収まっていた。いや、発光そのものはフランの浮いていた空間で継続しているし、魔法そのものは動いている。
フランから、魔法が独立して動いているのか、それとも発動後だからなのかはわからない。
「それよりも、ロボだ! ロボがまだ暴走してる!」
「かまっちゃ駄目っ! 今のうちに逃げないとっ!」
「まて、ロボを見捨てる気かよ!」
ラミィは有無を言わさず飛び跳ねて、タスクの軍団から逃げていく。
奴らはロボの理性が働いたのか、ただの偶然か、吹き飛ばさずあの電磁空間に留まらせている。
「今は私たちだけでも逃げないとっ! ロボさんのやったことが無駄になっちゃう!」
ラミィの思い切りは凄まじかった。
逆に俺が止める側に入るほどの早さだ。たしかに、今の状態でロボを救出して逃げられる確立はきわめて低い。
でも、一度線の内側に入った仲間を見捨てて、逃げていいのか。
真っ先にラミィが留まるようなところだ。もしかして、ロボが嫌いなのか?
「ラミィ」
「……」
いや、そうじゃない。
ラミィはラミィなりに、何かを割り切っている。捨てるというよりも、何か一つのことを突っ切る意思の表れだ。
「ロボさんは、絶対に助けるからっ! だからっ」
「わかったよ」
ラミィの搾り出すような声は、逆に俺を冷静にさせてくれた。
あの、ロボの決死の魔法を無駄にしてはいけない。
「お前がそこまで言うんなら……よっぽどのことなんだろ」
一度だけ、ロボのいた場所を振り返ってからは、ラミィの体からフランが落ちないように勤めた。
*
イノレードの空からは、ぽつぽつと雪が降り始めた。国中が光の剣を向けられている中でも、雪は延々と降り続きイノレードを白く包む。
雪の色は、あの精霊タスクを思い起こさせた。
「早く入れろ!」
「うちの子が!」
イノレードの中心にある、芸術的建造物、クロウズの前は人だかりで埋まっていた。
「ラミィ、はぐれるなよ」
「うん、一応奴隷紋があるけど、ここまで一杯だと近くでもわからなくなっちゃうね」
前へ前へとごった返したクロウズよりちょっと離れた場所で、俺たちは空を見上げていた。
フランの暴走によって降り立った巨大な剣は、ゆっくりと落ちて街を光で埋めつくす。
「ほんと、全員はいるのかこれ?」
「たぶん」
今、クロウズにはイノレード中の市民が集まっている。おそらくどんな式典でもここまで人が集まることはないだろう。
クロウズは、芸術的価値のほかにも、魔術的な保護が施されている。
なんでも、イノレード創設者が作り上げた陣の上にこの建造物があって、特殊な保護が施されているらしい。
モンスターはもとより、あのフランが作ってしまった剣の雨から逃れるため、イノレード中の人間がここに集まっていた。
建物内に入らずとも結界の内に入る事はできるが、体の弱いものがこの雪の中外にい続けるのは辛いだろう。
俺たちはこれからどうすればいいかもわからず、イノレード市民の流れに乗ってここまで避難してしまった。
イノレードの外に出るには、モンスターが多すぎるのだ。ヘッチャラはほぼ無限に沸き続け、脱出する手立てがない。
「レイカちゃん、大丈夫かな……」
ぽつりと、所在なさげにラミィは呟く。
俺とラミィは、寝ているフランが凍えないよう、ボボンの魔法で熱を出し、三人寄り添って暖めあっていた。
「これからどうすればいいんだよ」
思わず、弱音を吐いてしまう。
フランは呼吸こそ安定しているが、まるで目覚める様子がない。うめき声一つ上げないのだ。死んだように眠っているという表現そのままに、死んでいるみたいだった。
『イノレード市民のみなさん、こんにちは』
そのときだった、ふいに声が届いた。
それは、学校の放送を聴いているような、遠くから響くような音だった。
「な、なんだ!」
「声が!」
「伝のサインレアだ!」
俺の周りにいたそれなりに健康そうな人たちも、その声に辺りを見渡して、驚いている。
「あそこだ!」
その男の一人が、空を指差す。
空には、未だに落ち続ける光の剣と、雪と、タスクの写し身があった。
「なんだよあれ!」
「伝のサインレア、アオくん。たぶんタスクは、伝のサインレアを使ったんだよっ」
ラミィの言葉に目を向けると、その視界の端、水面や水溜り、空と移るもののそこかしこにタスクの姿が見えた。
「サインレアの中でも唯一、使用者を選ばないカード。それは三大国家にそれぞれ一枚ずつ配られていて、緊急の時にのみその使用を許されるカードなの。世界中に映像を流し、情報を伝える能力があるって、私の家でも一度だけ見たことがある」
「じゃあタスクはそれを使ってるのか?」
「私もよくわからないけど、たぶんそうだと思う」
そういえばさっき、伝えのサインレアの確保とか言ってたな。
じゃああいつらは、何かを世界中に伝えることを前提に事を進めていたのか。
「ロボはどうなったんだ」
タスクの後ろの景色も投影されているが、いるのはジャンヌらしき女性の影だけ。
アルトとあのハツってので対応されているのか。いや、精霊が本気を出せばあのロボだってすぐに終わってしまう。
「くそっ」
不安ばかりが募る。
ラミィも同じ考えなのだろう、嫌な汗を流しながら、タスクの姿を凝視している。
『たぶん、皆にも伝わっていると思うし、イノレードの人は体感しているはずだ。この国は今、モンスターによって襲撃を受けている』
タスクは映像の中で、ちょっと頬を掻いていたずらっぽく笑った。
『あれ、全部ボクがやったんだ』
クロウズの建物内が、ざわつく。
それは本当なのかとか、なんで伝を使っているのかとか、憶測や悪態が入り混じって、ただのがやが広がっていく。
『君たちは、ボクが何故こんなことしたのか、気にならないかな? 気にならないならそれでもいいけど、できれば聞いてほしいんだ』
タスクの声は、テロリストにあるまじき穏やかさだった。本当にわかっているのか、この男は。今もイノレード市民を虐殺し続ける、極悪人のくせに。
『ボクは、この世界の強者を救うために、ここにいる』
「?」
強者を救う? 何を言ってるんだ。
疑問符が消えないが、返しを待たずして演説が始まった。
『この世界にはいろんな人がいる。弱いもの強いもの、賢いもの頭の悪いもの、ボクはね、その皆を平等に愛して、平等にチャンスをあげたいと思うんだ。まず君たちの認識として、優遇されているものはなんだい? やはり力の強いものかい? ボクは違う、この世界で最も優遇されているものは、多数だ』
俺達を含む大勢を見渡すように、タスクは言葉を紡ぐ。
『より多数を守るために、少数の強者が犠牲になっているのが今の世界なんだ。あまりピンと来ないかな。たとえば、戦争が起きたとき、より技術の高く、洗練された兵は確実に戦争に繰り出される。そうじゃない? いやいや、たとえ戦争に出なくとも、それこそ多数の代表である上の人間を守るために、護衛や責任を押し付けられたりするじゃないか。
わかるかい。強い者が、弱者を守る義務を、多数が勝手に決めたんだ。なじみすぎて、誰も疑問に思わないくらいにね。
強い人は、弱い人を守りましょう。ボクはこの言葉を変えたい。何故守る必要があるんだ? 言っておくと、弱者だけが持つものなんてこの世にはないよ。コンプレックスは強者にだってある。なら別に、強者だけを守って、強者だけの世界でもいいじゃないか。
弱者はその数が多いというだけで、この枷を唱え続けただけなんだ。
ボクは平等にチャンスを与えたい。弱者にも脅威と試練を与え、強くなれなかったものは死ぬべきだ』
タスクは両手を広げ、全てを受け止めるように何かを待ち構える。
『だからボクはこの世界の脅威になる。この世界の弱者を半年もたたないうちに、全て滅ぼして見せよう。ボクが選んだ人間だけ、この世界に生き残らせる。
これを聞いている人たちは、いくらでもボクに歯向かってくれ。弱者を守ろうとするその強い意思から、ボクが救ってあげよう。ボクは喜んで、悪となり世界を滅ぼす』
タスクは一呼吸おいて、力を抜く。たぶん、言いたいことは言い終わったのだろう。
『まあ、そういうわけで、手始めにイノレードの人間を、皆殺しにしようと思っています。今クロウズに逃げている人達がたくさんいるね、弱いまま逃げられるなんて思ったら、大間違いだよ』
クロウズの建物内から、悲鳴が聞こえた。