第七十七話「いれぎゅらー ちーと」
あのジャンヌが現れ、モンスターの群れが学校を襲った。この二つは、一つの意思から行われている。
ただ、それだと何故ジャンヌは俺の前に出てきたのか。
陽のカードを狙うなら、モンスターで暴れるよりも、こっそりフランだけを狙えばすむはずだ。
たぶん、俺の知らないイレギュラーがまだあるのだ。そして、俺がそれを知っても確実に何とかできる手段を持っている。
「ラミィ」
「えっ、まって、ちょっと!」
ラミィはまだこっちの意図がつかみきれてない。
「訳はあとで話す!」
「でもっ、ここの人達が」
ラミィの瞳が、周りにいる生徒に向けられる。モンスターはあれだけじゃない。たぶん彼等は、ラミィ抜きで戦わなければいけないだろう。
俺には関係ないが、ラミィの後ろ髪が引かれているようだ。
「お行きなさい」
そんな時、レイカが俺たちの前に出て、大きな胸を張る。
「レイカ」
「フランさんが危険なのでしょう。その男、嘘はつくけど今の目は本気でしてよ」
「でもっ」
「甘く見ないでほしいわね、このわたーしにかかれば、学友の命と友の心の健康くらい、守ってみせますわよ。御友達が、信用できなくて?」
レイカが肩に手を置いて、俺のもとに突き放す。
なんだこいつ、俺のことクソ主人とか言ってたくせに。掌返してる。
でも、
「助かる」
「屈辱ですわ」
「なんでだよ!」
「レイカ! ありがとうねっ!」
ラミィが俺の手を引いて、体を浮かせた。最速で向かうつもりだ。
「礼の必要などありません、全体! まだ学校に残っている学生を捜索、及び避難に来た民間人の確保に当てます、部隊数と状態の確認を!」
「なんであいつ仕切ってんだろ」
「アオくんっ! 掴まって! 疾風怒濤、直線直球、シルフィィイド、アロウズ!」
景色が、俺の目の前からぐんぐんと離れていく。
とにかく、一刻も早くフランのもとにたどり着かねば。
***
異変が起きたのは、ロボとテレサが、料理の勉強をしていた時だ。
「きゃぁあ!」
孤児院にいた女の子の悲鳴が聞こえた。
「曲者っ!?」
ロボはエプロンを引き裂き、すかさずその声に向かって走ってしまう。
テレサは深刻な顔をしたまま、慌ててロボについていく。
わたしは、何が起きたのか、まず飛び出すよりも、状況の把握を優先した。
「……モンスター、なんで」
ゆっくりと立ち上がって、窓の外を見る。ロボのいる場所を遠目にみながら、モンスターの姿を確認する。
なぜ、イノレードにモンスターがいるのか。
確かイノレードにドッカベはない。たしか、イノレードが神聖なる精霊の保護を受けているらしく、モンスターが不思議と寄り付かないのだ。
なのに、あのざまはなんだろう。通っちゃったら、平地の村と何も変わらない。
「なんで」
「……」
背筋に悪寒が走った。
後ろに誰かいるのに、気づいたのだ。
攻撃の気配を出したわけでもないのに、わたしのうしろにじっと立ち止まっている誰か。
わたしは、ゆっくりと背後を振り返る。
「あなた……誰」
「ぁ……」
当然だが、人間だった。全身を深緑のマントとフードで隠していて、表情は読み取れない。身長は、わたしよりも小さい。
体格からして、この孤児院の子供でもおかしくはない感じだが、違うという確信があった。
「ぁ……ぉ」
すごく小さな声で、ぼそぼそと呟く。何を言っているのかわからない。
「何のよう? あなた誰?」
「ゎ……」
会話が成り立ってない。どうしてか声が小さい。本来なら、こんな人物は怖がる必要もないタイプだ。
でも、どうしても、警戒を解く気にはならない。
わたしは、傍らにあった大砲を構える。
「どっかいって、さもないと……きゃ!」
わたしがそのフードに大砲を向けたときには、そのフードはわたしの大砲を撫でていた。
「なっ、なにするの! チョトブ!」
反射的に、魔法を唱える。仮にも孤児院の子だったら困るので、吹き飛ばすだけ。
「ヒャッフゥ!」
「え?」
突然甲高い声が聞こえた。もしかして、このフードが?
そう思って目の前のフードに目を向けると、口を開いた様子はない。変わらずその場所にいて、静かに佇んでいる。
チョトブをかけたはずなのに、吹き飛びもしないで。
「あなたなんなの!」
わたしは大砲を引こうとする。
「う、動かない!」
しかし、大砲が空中に固定されたように、びくともしなかった。
フードはいまだに大砲に触れている。まるで、大砲がその手にくっ付いてしまったような錯覚すら覚えた。
「やっぱりあなた! 誰!」
「ぅ」
わたしの声に、フードはちょっとだけ顔を上げる。
深緑のフードの中身がちょっとだけ見えた。そのマントの濃い色とは逆に、真っ白な肌と、赤い瞳が覗いていた。
ぞくりと、最初にした寒気が蘇ってくる。
「ろっ、ロボ! こっちに来て!」
わたしはすかさずロボに助けを求めてしまう。
「フラン殿! こちらに来てはなりません! 篭城を!」
ロボから返って来たのは、切羽詰った警告だった。どういうことだ、何故ここにいなければならない。
「……ぁ……ぃ」
ここにいる方が、ずっと嫌だ!
どうすればいいのか、慌てて頭を動かして、自分が大砲に手を離せばいいのだと今更気付く。
でも、いいのだろうか、ここで武器を捨てたら、それこそ。
「っ! そうだ、コンボ! 火、水!」
その声と共に、わたしの大砲は二丁拳銃に変更され、フードの手から外れる。体が動いた。やっぱり、あのフードが押さえ込んでいたのだ。
逃げないと、たぶん、フードの目的は足止めだ。
「ボボン! カチコ!」
爆発の魔法の反動で、自らを吹き飛ばす。ついでにフードに牽制して見せた。
「ロボ!」
そのまま、カチコで守りを固めた体は外へ飛び出す。二種類の魔法を別々に使用できる分、やはりこのコンボは便利だ。
しかも、カチコのほうは熱を加えたので、寒い外でも普段どおり活動できる。
「フラン殿、ご法度です! 何故こちらに!」
「でも、中には変なフードがい……」
外には、ロボがいた。見たことのない種類のコモンカードが何枚か地面に落ちている。
この孤児院周りのモンスターは片付いていた。
残っていたのは、全員人間だ。ロボと、テレサと、
「君の心配は杞憂だ。すでにハツがフラン君のもとに向かっていた。彼女一人では、到底逃げられないだろう」
アルトだ。
***
「どうしてだ、なんでこんな街中にモンスターが」
俺たちは孤児院に向かっている。俺がラミィの身体にしがみついて、ラミィの風に乗っかっている。
イノレードの街中は、騒然としていた。
視界の端にはヘッチャラが往来している。突然ワープしてきたような出没だ。
「……っ!」
「フランが先だ」
ラミィが歯がみしている。これをいちいち助けていれば、絶対に間に合わない。
残念だが、この街にいる自警団に任せる。自分の身を守るので精一杯だ。
「ほんとにっ、あのアルトがきてるのアオくん!」
「ああ、絶対いる」
ここまでのいきさつは全部ラミィに話した。
「でもっ、もしいたとしてどうするのっ!」
「逃げる。それ以外にない。それに、いざって時は……」
俺はカードケースから選んだカードは、地のカードだ。
あの技なら、流石のアルトでも瀕死に追い込める。だが今回はベリーもビーンズもいない。発動したところで俺も死ぬ可能性だってある。
「それは、駄目だよ」
「使わないですむのが一番だ」
「選択肢に入れちゃ、駄目だよっ!」
くっついているせいで正面から表情は見えないが、ラミィは若干怒っている。
わかっている。でも、選択肢の一つになっているのは確かなんだ。
道行く人たちの悲鳴が聞こえる。ラミィはそれを聞きながら、今度は涙を流していた。
「私が、まだ弱いからっ!」
「こんなの、どうしようもないだろ。怒ったり悲しんだり、忙しいやつだな」
「ごめんっ、ごめん!」
たぶん俺と街の人両方への台詞だ。
「見えてきたな」
ラミィの滑空ももうすぐで終る。孤児院が見えてきたのだ。
ロボとフランがいる保障はない。上手く逃げたかもしれないし、囚われてどこかに連れ去られた可能性だってある。
「いたっ、二人!」
ラミィの目は、二人を捉えたようだ。良くも悪くも、すれ違いにはならなかった。
「嫌なのが」
俺の視界には、はっきりとアルトの面を確認する。イケメンはこれだからいやだ。
もちろん、あちら側も俺達を認識していた。奇襲は出来なさそうだ。
挟み撃ちにするかどうか悩んでいる間に、ラミィは迷わずロボとフランの近くに着陸する。
「惨状原因元手絶つ! シルフィード、ラミィ! 風の便りにてただいま参上! あなた、何をしているのかわかっていますかっ!」
ラミィの名乗りだ。ここでふざけるなと言いたいが、たぶんラミィ自身の発破だろう。
「アオ!」
「おうおう、怪我してないか?」
「無事健在、猛進覚悟であります」
「わたしも、大丈夫」
ちょっとだけ安心するが、油断しちゃいけない。なにせ目の前には、あのアルトがいるのだ。
アルトは俺達をじっと見たまま、動かない。
とそこで、俺の横をひょこひょこうごく影を見つけた。
「あ、おい餓鬼! そっちは!」
緑色のフードをかぶったちっこいのが、アルトのもとに向かった。しかも、アルトを壁にして、俺たちに隠れるような仕草をしている。
アルトはその子に手を載せて、それを受け入れていた。
「アオ、あれは違う」
「孤児院の各々はテレサ殿と一緒に先に避難いたしました。ここにいるのは、それの存外でございます」
ということは、あれはアルトの仲間か。
「子連れかよ」
「彼女は仲間だ。姿形に関係はない。君の仲間も似たようなものだろう」
「まあそうっちゃそうだが」
アルトは会話に応じてきた。いきなり襲っては来ない。
「彼女の名前はハツ。人見知りが激しいから、会話は期待しないでほしい」
「ぁ……」
ぼそぼそと、ハツという緑フードが何かを囁いている。
アルトは体をかがめて、耳をハツの口に近づける。
これ、剣で襲いかかっていいよな。
「構わない。もう少しの間なら、時間潰しもいいだろう」
アルトは俺の気配を目ざとくキャッチした。どう見ても不意をつける状況じゃないな。
だが、相手の目的が時間稼ぎとわかれば、ここは逃げに徹するべきだ。
「ラミィ!」
「うんっ!」
この中で魔法の移動手段があるのはラミィだ。
「吹きぬける風さん、逃げちゃ、駄目だよ」
ぎょっとした。俺とラミィの間から、耳元で囁くジャンヌの息がかかる。
なんてことだ。もうグリテを倒したのかよ。
「残念、燃えるドレスさんはとっても強いから、予定通りあの場で少し演劇をしてもらってるの」
「ジャンヌ、首尾は」
「とっても脚本どおりよ、用意した箱庭で彼等は遊んでいるわ、精霊だけじゃなくて、燃えるドレスさんまで巻き込めたのは朗報だけど」
ジャンヌはふわりと体を浮かせて、アルトとハツのもとに飛ぶ。背後をとったのに、不意打ちすらしなかった。
俺たちは緊張で、体が動かない。
「あの星のない空さんを閉じ込められなかったのは、残念」
「ジャンヌ! またおめおめと生き恥を晒すつもりか!」
「あら、久しぶり。おはよ~」
「はぐらかすな! ここはワタシたちの故郷だぞ! この幾許をどう捉えている!」
「捉えるも何も、人によってそれは悲劇にも喜劇にも変わるわ、あなたはまだ人は違うことをわかってないのね」
ジャンヌの声にはっとなって、金縛りが解ける。なに悠長に会話しているんだ。
「フラン! 風だ!」
「コンボ、ビュン、ビュン、ビュン!」
「シルフィード、ハヤテ!」
フランとラミィも、示し合わせたとおりのフォーメーションを唱える。俺は風のハープを弾き、その風を集める。
ラミィの風を、フランの力で全開にまで上げるのだ。両腕の負担がとんでもなくなるが、怪我はあとで治せばいい。
「あばよ!」
最後に、ロボが全員を抱えて、はぐれないようにしっかりと囲う。足を発射台にして、飛び出した。
予想以上にあっさりと、彼等から離れることに成功する。
このまま逃げ切る。イノレードの人たちには悪いが、先に安全地帯にまで直行だ。
「牙」
ぼそりと、アルトの呟きが聞こえた。
おかしいと、最初に思った。なんでこんな囁き声が、高速移動している俺たちに届くのか。
俺たち全員が、逃げる前の場所に留まって、アルトの呟きを聞いていたのだ。
「な、な!」
「何が起こったのっ!」
ラミィも驚愕の声をあげる。何が起きたんだ。
先程までいた場所に戻っている。それはわかった、でもどうしてだ。アルトの魔法か?
でも、牙って言った。そんな攻撃的なイメージを持つ魔法のどこに、こんな引き寄せ機能がついているんだ。
「あぁ~いけないんだー」
ジャンヌがきゃっきゃと、アルトをからかっている。
アルトは、いつも持っていたあの剣をすでに開いていた。拘束具は地面に散らばっている。
ただ振り回した形跡はない。鞘から抜いた剣を地面に突き刺し、カードが一枚だけ、剣の内部から露出しているのがわかった。
「許可は得た」
「……ぁ」
「ハツちゃんよく見ておくんだよ、これが大人のずるって言うんだから」
俺はどことなく、意気消沈してしまう。逃げても無駄なのではないかと、諦めが浮かんできた。
だってあいつら、全然焦ってないんだ。
思い出す。俺が一方的に殴られまいと、スポーツマンの暴力不良へ決死の反抗にでたときだ。まるで俺が滑稽な踊りでも始めたかのように、鼻で笑うのだ。プライドを守ろうと必死になる俺の真っ赤な顔を、嘲笑していた。
「アオ!」
そんな弱虫を、フランの声が追い出した。
ロボもラミィも、その声にはっとなって気を引き締める。
「も、もう一度だ!」
「うんっ!」
「御意!」
俺は手に持った風のハープを弾き……はじこうとして、その手にないことに気づいた。
解いた覚えもないのに、武装が解除されている。
「あ、アオ!」
そこに続いて、フランの狼狽した声が聞こえた。
「な、なんだ」
「カードが……戻ってるの!」
フランは震える手で、大砲のシリンダーにあるビュンの三枚を示した。使用して、消えたはずのビュンがそこにあったのだ。
俺たちの位置が戻ったり、使用したはずのカードがもとに戻っている。もう考えられるのはあれだ。
「ま、巻き戻しか?」
「正解だが、すべてではない」
「は、えらそうに……」
アルトの肯定はハッタリじゃないだろう。時間の巻き戻しとか、俺がいうのもなんだけど反則のチート技だ。
だとするとどうする、時間が巻き戻される能力とか言われたら、どうしようもないんじゃないのか、その攻撃を俺たちが知覚できるくらいしか、弱点が見当たらない。
そもそも、すべてではないってなんだよ。
「アオ……」
フランは隠しているつもりだろうが、表情から焦りが見える。完全に指示待ちだ。
どうする。ロボもラミィも、考えている。時間が巻き戻せるのなら、それ以上に動くとか、そんなのしか思いつかない。
「……きた」
しかしジャンヌの、嬉しそうな声が、時間切れを告げる。
もうこっちの時間は巻き戻せない。若干開き直って、ジャンヌを睨みつけた。
「なにがだよ」
「そうだな、君たちは初めてか」
「……おっさんには聞いてねぇよ」
「そうか、すまなかった」
アルトはジャンヌの代わりに答えたあとで、空を仰ぐ。
「でも、一度見ておくといい、彼は強い」
「強い?」
強いって何だ。今までだっていろんなやつに出会ったぞ、強いだけなら、ゴオウとかグリテがいる。
そんなことを考えていた時だ。
しん、と、辺りの喧騒が嘘のように止んだ。
偶然かもしれないが、風が止み、ここにいる生き物すべてが、息をひそめたような気がした。
俺は怪訝な顔をして、アルトと同じように空を見た。何かに惹かれるように、視線が引き寄せられる。
風がひと吹きする、別に強い風じゃないのに、目をしかめ、顔を背ける。
「よさないか、彼等が緊張してしまう」
透き通るような声が、耳に届いた。
こつこつと、地面を踏みしめる静かな足音が響く。
そこまできてようやく、俺は顔を上げた。
「初めまして、君は、アオだったかな」